珠は転がり掌に

死ぬれば死神
たまはころがりてのひらに

 瀞霊廷内二番隊舎、執務室。
 浦原喜助、握菱鉄裁の罪人二名をともない消息を絶った謀反人、四楓院夜一。彼女が当主であった四楓院家は五大貴族の一角であり、此度の叛逆は一族の恥晒しに他ならないとして、かつて彼女が存在したこと自体を抹消する動きが起きていた。理由や原因の究明には当たらないまま早々に家系図から彼女の名を消し、当然のように二番隊隊長の地位は剥奪され、隠密機動総司令官および刑軍統括軍団長の職からも永久除籍が宣告された。そして急ぎ選抜された後釜は、代々四楓院家の配下として刑軍で暗殺の腕を揮ってきた蜂家の九代目――砕蜂である。


「大前田!魂魄消失事件についての流魂街の捜査はお前に一任したはずだ。報告書はまだ上がらないのか」

「ああはい、すみません隊長!俺も部下と手分けしてさっさと回ってきたんですが、何つうか、消失って言うだけあって証拠も何も残ってねえんですよ。報告っつっても書くことが……」

「ふん、とろいのみならず無能ときたか。だが……今回ばかりは運が良かったな?これは形式ばかりの捜査だ。報告にどんなに中身が無かろうと四十六室もケチをつけまい。事件の黒幕である浦原は、とうに有罪を下されたうえに逃走したのだからな」


 副隊長の大前田希千代も、砕蜂と同時期に就いた新任である。夜一の失踪を契機に依願除隊した前任の副隊長、大前田希ノ進の息子だ。彼は隠密機動第二分隊・警邏隊の長を任されている。主に瀞霊廷内を担当する諜報部隊であるが、大きな事件があればこうして流魂街の捜査に駆り出されることもある。


「じゃあもうこれで上がりでいいっすかね……っ、え……?」


 大前田が中身のないことを書き連ね更に希釈したような仕上がりの報告書を持って立ち上がると、報告書に少量の鮮血がかかった。痛みを感じた左目の横に手をやると、突然できた浅い切り傷から血がぽたりと流れているではないか。


「ひっ……ひぃ…!」

「なんだ!?気配は感じなかった……何者だ!何処にいる!」


 相当の手練れが急襲したのかと思い、砕蜂は警戒態勢を取った。しかし、どれほど感覚を研ぎ澄ませて辺りの霊圧を探ろうと、自分と大前田以外の気配はない。霊圧を纏わぬ絡繰り仕掛けの攻撃の可能性も考えて目を光らせるが、不審な物は何も見当たらない。


「どういうことだ。二撃目を叩きこんでくる様子もないだと……?」


 訳が分からず眉をひそめると、視界の端では大前田が顔を青くしていた。

 ――もしや毒針か何かか?一撃当てれば仕留められる確信があって、もう遠くに逃げたのかもしれない。だとすれば、犯人はとんでもない瞬歩の使い手だ。

 毒が回って大前田が死ぬ前に、「お前は何者かの霊圧を感じたか」と問おうとしたところで、更に奇妙なことが起こる。


「ぐぇ、ぎっ、がはぁ!!」

「!? どうした大前田!」

「く、苦し……顎いてぇし…背中も打った……」

「毒が回ったのではないのか?物理的な痛みもあるというのか?」

「はぁ…はっ…はっ……た、隊長……俺、実は心当たりが…」


 速さと白打はくだが武器である自分たちにはどうにもできないとなると、鬼道衆を頼るか。まずは隊首会にて子細を説明しなければならないだろう。得体の知れない攻撃に砕蜂は珍しく焦りを感じ、大前田の次の言葉を待つ。


「流魂街の捜査に出向いたとき、変な虚に遭ったんですよ。そいつのばら撒いた朿が一本だけ刺さっちまって……んで、朿が刺さるとその虚の痛覚と傷を生涯共有するとか言ってて……」

「……は?」


 聞き間違いでなければ、この愚かな部下は任務中に遭遇した虚の能力にまんまとかかり、しかも倒さず逃げてきたというのか。なんということだ。そこまで……そこまで、


「そこまで愚鈍だったか!大前田!!」

「ぎゃひぃ!!だ、だってそいつ倒したら俺も死んじまうんですよ!?どうしろっていうんです!?」

「虚などに後れを取るくらいなら潔く死ね!その程度の覚悟もないというのか、貴様は……!!」

「……ん?あ、あぢィ!!隊長、う゛ぅ、体が、焼ける!ぐわあぁ!!」


 周りには熱湯も熱射も熱炎もないというのに、ひとり悶絶している様は実に可笑しな光景である。確かに首や腕など次々に火傷を負っているみたいだが、砕蜂は自業自得だと鼻で笑う。


「感謝するんだな。誰かは知らぬが、覚悟のある者がその虚と戦い貴様の尻拭いをしてやっているのだろう。報告はしておくから、苦しいならさっさと切腹でもして自決しろ」

「ひど……うぎゃああ゛…あ、い゛ぃぃ!!……は…、あれ?もう熱く…ねぇ……?」


 覚悟ある何者かが虚を鬼道か何かで燃やし続けていたようだが、どうやらそれもぴたりと止んだらしい。大前田の喧しい騒ぎ声も収まる。火傷が酷いが、致命傷までには至らない程度である。つまり、その何者かも恐れをなして虚を殺すことを諦めてしまったのだろうか、と考える。だが、これではきっちり最後まで焼き尽くして殺した方がましなのではないかとも思った。この大前田のようになった体では、虚から逃げるなんて到底無理なはずだからだ。


「た、助かったのか?俺……」

「無様極まりないな。今その虚と戦っている者諸共、刑軍が処理してやろう」

「えぇ!?そんなぁ!?」

「どうせ、その厄介な能力の虚も処理せねばならん。今は確か……技術開発局の指示で、十一番隊が何人か出払っていたか。大前田、逃げても無駄だぞ。私が次に戻ってくるまで、最期の油せんべいでもかじって待っているんだな」


 ――戦いを生きがいとし、死ぬなら戦いの中で。そうほざいていた十一番隊が、命が惜しくなって戦いを途中で投げ出すとは情けない限りだ。

 砕蜂は刑軍の部下数名を連れて、足早に技術開発局へと向かった。

 十二番隊舎に隣接……というより、一部を改造して建てられた技術開発局を訪れた砕蜂は、ここの局長からでも話を聞こうと、適当な研究室の戸を叩いた。砕蜂がここに来たのは初めてであり、通路も迷路のようで案内図もなく不親切なため、一人捕まえて案内させようと考えたのだ。十二番隊は現在、隊長副隊長ともに空席となっていて、局長の座は三席だった者が引き継いだはずである。少し待つと、大鯰おおなまずと寺の鐘を融合させたような外観をした研究員の男が戸を開き、のそりと顔を出した。研究室の中は何だか分からない薬品の臭いが充満し、電子機器の動く音があちこちからかすれ聞こえてくる。


「これは珍しい、新任の砕蜂隊長殿ではありませんか。どうされました?」

「流魂街に出現する虚のことで十一番隊が調査に出ているだろう。どうも、以前うちの副隊長が尻尾を巻いて逃げてきた虚と今しがた交戦し、倒し損ねたらしいのでな。今から処理に向かう。場所を知りたい」

「倒し損ねたらしい、とは妙なことを仰る。どうして交戦していたと知ったか分かりませんが、虚は確かに消滅しました」

「消滅しただと?虚園ウェコムンドへ逃げ帰ったのではないのか?……おい、ここの局長は」

「涅局長は実験中で手が離せません。今回の件なら、私がお話しできますので……モニターをお見せしましょう。お入りください」


 男は戸の上にある札を指さした後、砕蜂を薄暗い部屋の奥にいざなう。札には「霊波計測研究科」とあり、下に小さく「科長:鵯州」と書かれていた。

 同時刻、流魂街の地区境にある森の中。
 斑目一角と綾瀬川弓親は間に一人の女を挟んで三人で川の字になり、川の浅瀬にかっている。全身の所々に負った火傷を冷やすためだ。あの虚の能力は痛覚と傷を共有させるというものだったから、三人揃って同じ箇所が焼けたことは間違いない。男二人は死覇装を脱いでどこに火傷があるかを確認し、ただれて肌と服がべっとりくっつくほど酷いものはないと分かったため、女の服は脱がさずそのまま川に入れてやった。それにふんどし一丁の男らが隣に寝転がるのも気の毒だと思い、結局は二人も死覇装を着直している。


「あーなっかなかしみるなこれ……こいつ、気を失ってて良かったかもな」

「そうだね。朿も足に深く刺さっていたから、起きていれば相当苦しかっただろうし」


 止血のために死覇装の裾を裂いて巻いてはみたが、高が知れていた。彼女の足からは、赤い糸が伸びていくかのようにして血が細く、しかし止め処なく流れていく。朿は三人ともどこかしらに刺さったが、彼女の傷は特に深く、もう少しで貫通しかねないほどだった。


「せっかく命拾いしたってのに、後から失血死なんてしたら笑えねぇ冗談だぜ。どれ、ちっと抑えててやるか」


 言うと、一角は上体を起こして死覇装の裾を再び裂き、彼女の足の傷に更に巻く。そして、少しでも流れる血を減らそうとてのひらで蓋をするように抑えた。


「加減に気を付けてあげなよ。失血死も嫌だけど、あまりきつくやり続けると壊死えししかねない」

「おう。なぁ、こいつ……沙生は死神じゃねぇんだよな。なんで斬魄刀持ってて、しかも焔とか出して……つーか、始解してたか?」

「…………さあ?そこまで注意して見てなかったよ」


 あのとき彼女は鬼道の詠唱はしていなかった。詠唱破棄ができるほどの達人だったとしても、あの白い焔のそこはかとない異質さは鬼道のものとは思えない。だとしたら、考え得るのは斬魄刀の能力だ。おそらく彼女の斬魄刀は炎熱系で、白い焔を操れるのだろう。虚は真っ黒焦げになって消滅したのに自分たちは中程度の火傷で済んだことの理屈までは、いくら頭を捻ってもさっぱり分からないが。


「斬魄刀はほら、更木隊長は昔に落ちてたのを拾ったって言ってたじゃないか。沙生もそうなんじゃない?」

「そんなにごろごろ斬魄刀が落ちててたまるかよ」


 まさか置いて忘れて行くなんて間抜けはいないだろう。斬魄刀がその辺に落ちていたとすれば、それは持ち主の死神は死んだということだ。今より何百年も昔の護廷十三隊の統率はお粗末なものだったらしいから、その頃なら勝手に流魂街に出て斬り合いをする奴もいて、ごろごろ落ちていたかもしれないが。どの隊に所属しているにしろ、死神が殉職すれば各隊に訃報が回るはずだ。しかし、この頃はそれも聞いた覚えがない。記憶にあるのは、更木や自分たちが死神になるより少し前に、十二番隊隊長だった浦原という男が幾人かの隊長格を実験材料にしたらしい、という話くらいだ。
 少し話は逸れるが、一角はこの事件の真相を疑っている。というのも、修行や鍛錬の中で歯が折れることが何度かあり、その度に技術開発局局員の阿近という少年に世話になりに行くのだが……局内では、誰も浦原を疑っていない風なのである。寧ろ尊敬している者の方が多数であるし、「コッソリ悪さをすることだけは病的にうまかった」と誰もが口を揃えて評していた。そのような男があんな大罪と失態を犯すとは、一角にはとても思えなかったのだ。


「そろそろしっかり冷やせただろうし、瀞霊廷に戻って四番隊舎まで急ごうか。彼女のことは僕が運ぶよ」

「大丈夫かよ?」

「女性一人くらい何てことないさ。それに一角は一番動き回ったから消耗してるし、片腕をやられただろう?僕の右肩の傷なら浅いから、任せてくれ」

わりぃな。じゃあ頼むぜ」


 ざぱ、と音を立てて川から上がる。弓親は沙生の背中と脚の下を腕で支え、そっと抱き上げた。冷やしたとはいえ火傷は看過できないし、何より彼女の顔に付いてしまった傷が気掛かりである。弓親の美しい顔にも同様の傷がある訳だが、流石さすがの彼でも、自分より沙生に傷痕が残ってしまわないかを心配していた。
 できる限り震動を与えないようにして走り森を抜けたところで、弓親と一角はいきなり複数の人影に囲まれた。口元を布で覆い隠した黒ずくめの独特な装束は、隠密機動のものに相違ない。


「なんだい不躾ぶしつけに。僕ら急いでるんだけど」

「刑軍に喧嘩売った覚えもねぇしな。用件を言いやがれ」

「我らは二番隊隊長砕蜂殿より遣わされた。貴殿らは特異な能力を持つ虚と交戦したそうだな」

「……ああ。技術開発局の連中ならまあ観測してたんだろうが、なんで二番隊が出てくんだよ?」

「大前田副隊長がその虚の能力にかかっていたことが判明した。技術開発局霊波計測研究科科長の鵯州殿によれば虚の消滅は確認されたそうだが、本当に間違いなく倒したのか」


 二人は顔を見合わせた。そういえばあの虚は、「肥満のくせに俊敏な男が一人逃げ果せた」とか言っていたなと思い出す。まさか二番隊副隊長のことだったとは、予想だにしていなかった。


「間違いないよ。黒腔ガルガンタも視認できなかったし、奴は確かにあの場で浄化され消滅した」

「ふむ……その虚の共有能力というのも、完全なものではなかったのかもしれないな」

「副隊長と俺らが死んでねぇからか?そいつは違うな。こいつの斬魄刀の能力のおかげだ」


 一角は親指でくいっと沙生を示す。弓親の腕の中で静かに眠っている沙生だが、顔色はかんばしくない。あれだけの無茶をしたのだから、当然と言えば当然だろう。


「ではこの女性が、流魂街に出現する虚を何体もほふっていた人物か……」

「あのさあ。僕ら急いでるって言ったよね?刑軍は咎人とがにんでもない女性の治療を遅らせるのが仕事かい?」

「……そんなつもりなどは」

「じゃあさっさとそこを退くんだな。救護詰所に預けてからなら、幾らでも話きいてやるからよ」


 二人の怒気に気圧けおされ、取り囲んでいた刑軍の者たちは後退あとずさりして道を空けていく。弓親はまた腕の中の彼女に震動を与えないように気遣いながら走り出し、続く一角は話していた刑軍の男とすれ違いざまにガンを飛ばすことで念押ししていった。瀞霊廷が見えてきた辺りでちょうど付近にいた門番に大声で事情を伝えると、無事に沙生を連れて中に入ることができ、運が良かったと胸中で安堵した。
 普段は流魂街と瀞霊廷を隔てる障害はない。しかし通廷証を持たない者が不正に侵入しようとした場合、瀞霊廷全てを囲むようにして上空から塀が敷かれることになっている。そうなれば中は緊急事態かと騒ぎになるわ外は門番が戦闘態勢になって待ち構えるわで、かなり時間をくってしまうことになるのは想像に難くない。最近になって技術開発局で開発されたという伝令神機でんれいしんきを使えば容易に内部と連絡が取れるのだが、あれはまだ普及率が低く、現世の駐在任務に就く隊士優先で支給されるものだ。尸魂界にいながら所持している隊士は、まだほんの一握りだろう。

 弓親と一角は沙生の具合を心配しているが、火傷ならば全く同じものを負っているのだ。瀞霊廷内の広い大路を進む、はたから見て重症の三人は、かなり大衆の目を引いていた。しかしそんなことは微塵も気に留めず、二人は四番区にある綜合救護詰所を目指して走り続ける。

 一方その頃、綜合救護詰所では大前田が治療を受けていた。砕蜂に処分されるかもしれないと本気で思っている彼は、つい先程まで二番隊執務室の隅で半泣きになりながら油せんべいを齧っていた。そこを事務仕事の書類を置きに来た四番隊隊士に見つかり、半ば強制的に詰所に搬送されたのだった。


「大前田副隊長殿、どうしてすぐに治療に来なかったんだい。これじゃあ、いくら僕でも痕を残さない保証はできないよ」

「へっ、そんなこたぁもうどーでもいいんだよ。どうせ数刻後には砕蜂隊長に殺されるんだ」

「それ本気で言ってるのかい?君自身が誰かに危害を加えたのではないのなら、いくら直属の上司とはいえ、何の手続きや申請も経ずに殺すなんて過激な処分を下せる訳ない」

「……そうか?それもそうか。なぁんだ、じゃあちょちょいと治してくれや」

「僕は死にたがってる患者でも無理矢理生かすのが趣味でね。言われなくてもやるに決まってるだろう。精々、生きて恥を晒し続けるといい」

「そんな話したことなかったけど……山田、お前スッゲー感じ悪いな……」


 面と向かって悪口を言われても涼しい顔をして治療を続けるこの男は、救護専門の四番隊副隊長を務める山田清之介である。言動が言動なため部下からも全く慕われていないが、隊長の卯ノ花烈に匹敵する回道の実力には誰もケチをつけられない。実際、それこそ死ぬしかないような重症で死にたがっていた患者の命を、これまで五万と救ってきた。命に関わる程でもない酷い火傷くらい、彼にかかればなんてことはないのだ。


「おーい!急患だ、急患!誰か来てくれ!!」


 ひと際大きな声が詰所内に響き渡った。声の主は、殆どの四番隊隊士が聞き慣れてきている、十一番隊の三席のものである。事情を知らない隊士たちは、また十一番隊で組み打ちでもして怪我をこさえてきたのだろうと思った。四席の伊江村八十千和など、入口近くの部屋に控えてばっちり聞こえているというのに出迎える素振りすら見せない。そしてこのときは間が悪く、隊長の卯ノ花烈と三席の虎徹勇音は、十三番隊隊長浮竹十四郎の往診の最中で席を外していた。誰もやって来ないことに一角は舌打ちをし、弓親も痺れを切らして、並ぶ部屋の戸を順繰りに蹴破り回ってやろうかと一歩踏み出したところで、背後から声が掛かる。


「斑目三席、綾瀬川五席、どうされました?まあ、酷い火傷ではないですか!」

「僕たちより先に、この人を診てやってくれないか」

「体中の火傷と、顔と足には傷があんだよ。背中にはあざもあると思うぜ。一刻も早く頼む」

「この傷は……虚にやられたのですね。分かりました、急いで付いて来てください。伊江村四席!四席はいらっしゃいますよね!ほんとに急患ですよ!あと応援もお願いします!!」


 どうやらこの女性隊士は真面なようだ。彼女のあとに続いて治療室に沙生を運び、寝台に優しく横たえてやった。異変に漸く気付いた他の隊士たちも、治療にあたろうとぞろぞろと部屋に入ってくる。


「伊江村四席、やっと来ましたね?そこのお二人をお願いします」

「す、すまない御厨みくりや……十一番隊のお二人、どうぞこちらへ。女性隊士は御厨の指示に従ってくれ!男はこっちだ!」


 御厨と呼ばれた女性隊士は、沙生に回道を施しながらもてきぱきと指示を出していく。この様子ならもう大丈夫だろうと思い、十一番隊の二人は自分の足で歩いて隣の治療室の寝台に腰を下ろした。しかし彼らも重症だ。死覇装を脱いであらわになった火傷と朿の刺し傷に、四番隊隊士たちは「ひっ」と短い悲鳴を上げてから、急ぎ治療に取り掛かった。

 それから数時間が経過し、夜の帳が訪れる。
 大前田は火傷こそ酷かったが、清之介の回道の腕もあってほぼ完治し、その日のうちに通常業務へと戻っていった。一角と弓親はひとまず見てくれは治ったので沙生の見舞いをしたら勝手に帰ろうと思っていたのだが、往診から戻った卯ノ花に鉢合わせして寝台に逆戻りする破目になった。その沙生はまだ意識が戻らず、個室に移されて静かに寝息を立てている。
 彼女をここまで運んできた二人に経緯事情を聞いた御厨は、意識が戻らない原因は血が足りないのと戦闘で多大に霊力を消費したからだろうと診断した。付け加えて、状態も落ち着いてきているし入院させて毎日きちんと手当すれば傷痕も残らないだろうと告げれば、彼らはやっと、ほっとしたようだった。

 瀞霊廷に住まう殆どの者が寝静まり、丑三つ時になろうかという時間。消灯されている冷えきった廊下に、ひとつの怪しい人影があった。人影は忍び足で沙生の病室に近付いていく。そして戸に手を掛けたまさにそのとき、戸は内側からすっと静かに開かれた。


「……どうして君がここにいるのかネ」

「やあ、涅局長。こんな時間に見舞いに来てくれたのかい?」


 あからさまに不機嫌そうにする涅マユリに対してほがらかな笑顔で応え出迎えたのは、長い白髪に痩躯の男――十三番隊隊長、浮竹十四郎だった。
 涅は昨日、丸一日をかけて被造魂魄に関する実験を行っていた。日付が変わる頃に一区切りつき、研究室を出たところで、部下の鵯州から昼間あった事の報告を受け取ったのである。ここ数ヶ月、流魂街に討伐隊を出してもいないのに虚が出現しては消滅することを繰り返していた。それで、機器の故障も疑いつつ十一番隊に調査に出向かせていたのだが、今日やっとその正体を探り当てた、と。死神でもないのに何故か斬魄刀を所持しているその若い女は、獲物に対して己の痛覚と傷を共有させるという虚の能力にかかりながらそれすら破ったらしい、とも。その話は、あらゆる虚の能力や斬魄刀の個性を分析し研究してきた涅にとっても、大変に興味をそそるものだった。だからこうして、夜な夜な“サンプル”を採りにやって来た訳なのだが……


「悪いけど、彼女はまだ意識が戻っていないし絶対安静でね。見舞いならまた改めてくれないか」

「君、その口振りは止め給えヨ。まるで保護者のソレみたいじゃないかネ?」

「あはは、そうかい?俺は卯ノ花隊長の言ってたことをそのまま言っただけだよ」

「ホウ?余計にせないネ。ならば君もさっさといおりにでも戻り給えヨ」


 睨み合い、と表せば言葉通りからは程遠い、超絶不機嫌顔と満点笑顔の相対そうたいが続く。両者ともその場から一歩も動かないままでいれば、そこに第三者から声が掛けられた。


「浮竹隊長、涅局長。詰所内に不穏な霊圧を垂れ流すのは止めましょうね。これ以上は私が許しませんよ」

「卯ノ花隊長……」


 一見にこやかな表情であるが、薄く開かれた目の奥にはひやりとしたものが渦巻いていた。今日のところは無理だと悟ったのか、涅は浮竹にそそくさと背を向けてから言葉を吐き捨てる。


「フン、仕方ないネ。私はおとなしく帰るとするヨ」

「昼頃なら来てくれても大丈夫だからな!おやすみ涅局長!」


 相変わらずの笑顔でぶんぶんと手を振る浮竹を心底鬱陶しそうに一瞥して、涅はこの場から去っていった。姿だけでなく霊圧もきちんと遠ざかっていくことを確認した浮竹は、普段よりほんの幾許いくばくか強張っていた肩から力を抜き、一安心したように「ふぅ」と息を漏らす。


「すまない、卯ノ花隊長。何とか穏便にとは思っていたんだが、つい気が立ってしまった……」

「どうやら沙生さんは涅局長に気に入られてしまったようですね。ですが、この綜合救護詰所にいる間は私が患者に手出しはさせません」

「ありがとう。卯ノ花隊長が気に掛けてやってくれるなら、これ以上頼もしいことはない」

「浮竹隊長ももうお休みになってください。体調が宜しくないのは沙生さんだけではありません。貴方も同じなのですから」

「けど帰る前にもう一度、顔を見ていっていいかな」

「……少しだけですよ。五分もしたらお帰りくださいね」

「ああ、ありがとう」


 『仕様のない人ですね』と顔に書いた卯ノ花は、控えめな溜息を零してきびすを返した。浮竹は珍しく通った我侭に小躍りしたくなる気持ちを抑えて、音を立てないように注意しながら、再び病室に舞い戻った。
 簡素な丸椅子に腰掛けて、すやすやと眠る沙生の頭に手を伸ばし、そっと撫ぜる。慈しみに満ちた穏やかな眼差しは、しくも涅の言うようにやはり保護者のソレだった。




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