西向きの窓から、傾いた夕日の光が入り込んできて、どことなく哀愁を漂わせていた。思った通りだった。毎日毎日リーグを勝ち抜いてくるトレーナーの相手、それに一度だって負けることが出来ないというプレッシャー、雑誌やテレビのインタビュー。この数週間でマリさんに何回会ったことか。休みも少ないから、せっかくの休日は石の手入れやポケモンたちの世話、ミナモデパートへ日用品の買い出しだけで終わってしまう。せっかく明日の午後も休みを貰えたのに、それだけで時間はなくなってしまうだろう。しばらく洞窟へは行けていない。窓際に飾っていた彼女の花も、もう枯れてしまった。
「元気にしてるかな…」
枯れた花の先にカイナシティのあの花屋が見えた気がして、ぽつりとこぼれた本音に、僕自身が一番驚いている。たった二日の出来事なのに、今でも鮮明に思い出せる。馬鹿だな、僕は。彼女だって、きっともう僕のことなんか覚えていない。悲痛な表情を浮かべた僕を、ココドラは不思議そうに首を傾げて見上げていた。何でもないよ、と彼の頭を撫でたところで、ちょうどよくインターフォンが鳴らされ、タイミングが良すぎて少し大袈裟にびくりと身体を揺らしてしまった。
「やあ、ダイゴ。」
扉を開けると、すました顔で立っていたのはミクリだった。僕がチャンピオンになってからは忙しくてあまり会っていなかったから、まあ嬉しい訪問ではあるかな。部屋の中に通すと、ミクリが綺麗に包装された一本の花を差し出してきたから、思わず顔が引き攣ってしまったのも仕方ないことだろう。
「何があったんだ、ミクリ…」
「土産さ。」
今日カイナに行ってきてね。その言葉は明らかに僕を動揺させた。カイナの花と言われて思い出すのは、たった一人の女性のことだ。ミクリはコンテスト関係で色々な場所に知り合いがいて顔が広いし、カイナにもよく行くと言っていたから、ロゼちゃんのことも知っているかもしれない。いまだに枯れた花が挿されている窓際の花瓶を見て、ミクリは何でもないかのように言った。
「ダイゴが花に興味を持ったみたいだから、よくお世話になっている花屋で買ってきたんだよ。」
「…余計なお世話だな。」
そうは言いつつも、素直にその花を受け取った。包装の紙も、包み方も、あの枯れた花と同じだ。もしかしたらロゼちゃんが、僕のことを知っているとミクリに話したのかもしれない。ああ、なんとなく、ミクリには知られたくなかったな。
「花に興味があるのなら、カイナの花屋がいい。機会があれば紹介させてくれ。」
インスタントのコーヒーを淹れ、彼に差し出すと、それを受け取ってミクリは穏やかな表情でそう言った。この言い方からすると、僕とロゼちゃんのことは知らないのだろう。内心でほっとしながら、彼から受け取った花を窓際の花瓶に挿した。
「クリスマスローズという花だそうだ。実にビューティフルだな!」
自分で買った花に酔い痴れているようで、少し面倒くさいとは思いつつも、適当に相槌を打っておいた。花びらが幾重にも重なるような綺麗な八重咲きに、目を奪われる。この花も、あの花屋で彼女とロゼリアが丹精込めて育てていたのか。そんなの実際には分からないし、もしかしたらカイナの他の花屋かもしれないのに。ロゼちゃんからの花であったらいいと、心から思った。
「そうだ。暇だったからついでに花言葉も調べてみたんだけど。」
コーヒーを一口啜り、ミクリは一度勿体ぶるように息をついた。そして彼から出てきた言葉に、花瓶を落としてしまいそうになったのは、なぜだろう。
「追憶。私を忘れないで、だそうだよ。」
ミクリがコーヒーを飲む音だけが部屋に響いた気がした。予想外の意味に、僕は何も言えなくなった。額に手を添え、咄嗟に少し緩んでいる顔を隠した。この高揚する気持ちはなんだろう。得体の知れない想いを胸に抱えながら、彼女のことを思い浮かべた。僕が忘れるはずが、ないだろ?今すぐにでもエアームドを飛ばして、彼女にそう告げに行きたいと思った。
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一度そう思ってしまうと、もう歯止めは効かなくなっていた。花を貰って次の日、午後だけ休みだったから、午前中に挑戦してきたトレーナーの相手を終わらせ、早々とエアームドを飛ばした。サイユウシティの西に日が沈んでいく頃、エアームドに乗って広大な海の上をその夕日に向かって飛行していく。少し眩しくて何度か野生のキャモメにぶつかりそうになったが、それさえも彼女のことを思い出すきっかけにしかならない。
「エアームド、もう少し急いでくれ。」
心が先走る。僕の気持ちに答えてくれるようにエアームドは速度を上げた。風で髪が揺れるのだって、今は特に気にはならない。カイナシティに近付き、街が見えてきたところで、ちょうど港から汽笛が鳴り響くのが聞こえた。
「あっちだ!」
街ではなく、出港したばかりの連絡船に向かうよう指示を下す。西から差し込む日差し、海に浮かんだ連絡船と、その周りを優雅に飛ぶキャモメ達。何もかもがあの日と同じだ。ただ一つ違うのは、今日の目的が洞窟ではなく、ロゼちゃん自身だということ。久しぶりに会えると思うと、自然と胸が弾んだ。エアームドに乗ったまま上から連絡船に近付くと、甲板に一つの影が長く伸びていた。逸る気持ちを抑えながら甲板に降り立つと、その影はゆっくりと後ろを振り返る。その時間がどれだけ長く感じたかなんて、彼女には絶対教えない。