大空に飛び立てば、そこには見たこともないような世界が眼下に広がっていた。頬を撫でる風も、感じる温度も、船の上のものとは違った。武者震いっていうのかな。緊張と興奮と感動と期待。今まで生きてきた中で、たぶん最も胸が騒がしい瞬間だ。エアームドに跨り、前傾姿勢でバランスを保つ。その背後からダイゴさんの両腕が伸びてきて、その間に収まる私の小さな身体。
「ちゃんと掴まってて。」
うわあ、と下を見ながら声を上げた私に、ダイゴさんは耳元で告げた。ぞわりと、背中の中央を指でなぞられるような感覚に襲われる。エアームドに掴まる私の手と、その上に重なった大きな彼の手。震えているのは、どちらの手かなんて興味もない。
「行ってみたい場所はある?」
居心地のよい優しい声。思考もすべて何もかもダイゴさんに浸食されていくような中で、カエデさんとヒザシさんの笑顔が脳裏に蘇った。ぴしりと固まった表情を見られたくなくて、ダイゴさんの方を見ないように前を向いた。
「…ミナモシティに行きたいです。」
ぽつりと告げた行先を、ダイゴさんは快く承諾してくれた。了解、とダイゴさんが少し楽しげに言うと、エアームドはゆっくりと加速しながら、北東に向かって進行し始めた。どうしてミナモを選んだのか、分からない。ダイゴさんのトクサネシティだって、ミクリさんのルネシティだって、ずっと行ってみたかったのに。心を掻き乱されている私の背中の向こうで、太陽はすっかり沈みきっていた。
▼ ▲ ▼
初めて来たミナモシティは、街灯に照らされた静かな港町だった。遠くから波の音が聞こえてくる。
「ミナモに来るのは初めて?」
「はい。」
街の中央であるという大通りを二人で歩きながら、きょろきょろと建物や施設を見回していると、ダイゴさんが不意にそう尋ねてきた。物珍しそうに街を眺める私が面白かったのか、隣で小さく笑われてしまった。
「その階段を上がるとミナモデパートって、ホウエン地方で一番大きなデパートがあるんだ。で、こっちの道を行くとコンテスト会場とか、港もある。」
ポケモンセンターの前の十字路で足を止め、ダイゴさんは左右の道を指さしてそう教えてくれた。港か。毎日カイナシティに通っていて、あそこの港は見慣れている。ミナモシティのとどっちが立派か、比べてみたい。
「港、行きたいです!」
目を輝かせて言う私に、やっぱりダイゴさんは優しく微笑んでくれた。あ、なんだか妹扱いされてるみたい。隣で揺れる手は、さっきまで私のこの手に重なっていた。でも、今はもうこの数十センチの距離を保っている。名残惜しそうに、その手を見つめる私に、ダイゴさんは気付くことはなかった。
港に着くと、街灯に照らされて閑静な場所だった。少し街から外れているし、さすがに今日の連絡船は終わってしまったからか、人影は全くなく、薄暗い中にダイゴさんと二人で取り残されてしまったような感じだ。
「港はカイナの方が立派なんだね。」
「そうですね!カイナは造船所も傍にありますしね。」
「嬉しそうだね。」
薄明りの中で立ちそびえる港を見上げる。まるで我が子のようにカイナを贔屓すると、またダイゴさんに小さく笑われてしまった。どことなく居た堪れなくなって、私は指をさした。
「ダ、ダイゴさん、あっちに灯台もありますよ!」
彼の注目を紛らわすために、そっちを指さしたのに。逸る気持ちに思考が追い付いたとき、私は自らダイゴさんの手を掴んでいたことに気が付いた。一瞬見えたのは、驚きを隠せないダイゴさんの開かれた目だった。
「わっ!ごめんなさい!」
なんて陳腐な出来事だろう。エアームドに乗っている時に重ねられたものとは違い、自分から触れた手。こんなにも胸が高鳴ってしまうのか。そんなことを冷静に分析している余裕もなくて、ついには彼の注意を逸らすこと以前に、より私に目を引くことになってしまった。もう逃げ場も見付からなくて、言葉も失っていると、ダイゴさんは不意に、ふふ、と声を漏らして笑った。
「さ、行こう?」
いとも簡単に壊された壁。気まずさも心地悪さも全部掻っ攫って、彼は私の手を引いた。引っ張られて自然と歩み始める私の身体は、ダイゴさんの後ろを従うようについていくしかなかった。ぴんと張った私とダイゴさんの腕。その先に繋がるのは、何度も何度も守られ、憧れ、嫉妬し、恋い焦がれたあの大きな背中だ。スーツにできた皺も、微かに香る整髪料の匂いも、私を引くその手も、全てが愛おしい。この手を、もう離さないで。もう私の前から消えてしまわないで。そんな願いも露知らず、彼の足は暗闇の中で光を放つ灯台に向かって、歩み続けるだけだった。