灯台の下のベンチに座り、穏やかな空気の中で繰り返される波だけが音を放っていた。カイナシティのとは違って、やっぱり静かで落ち着いた感じがする。あっちはなんだか騒がしいというか、活気を感じさせられる。もちろん毎日聞く方が耳に馴染んでいるし、好きだけれど、ミナモシティもカイナとは違う良いところがあって、好きになれそうだ。心地のよく耳の中で反芻する響きに、思わず眠りに落ちてしまいそうだと思った。けれど、そうもいかないのは隣にダイゴさんがいるからだろう。彼は前と変わらず足を組み、その膝の上で指を交互にさせて手を組んでいた。
「新チャンピオン、おめでとうございます。」
「…ああ。ありがとう。」
ダイゴさんの方を向くことは出来なかった。一か月も前のことを今更だとは思ったけれど、言わずにもいられなかった。一言そう言ってしまえば、出てくる出てくる。醜い感情は胸に隠して。笑顔を貼り付けて。
「お強いと思いました!まさかチャンピオンだったなんて。」
「あの時はまだ違ったけれどね。」
沈黙にならないように。波の音に負けないように、つらつらと在り来たりな言葉を並べる。そうさせたのはダイゴさんなのに、それを遮るのも彼だった。
「ロゼちゃんのおかげだよ。あの花を買って、君に出会えて、決心できたんだ。」
穏やかな微笑みと一緒に、そんな口説き文句みたいな言葉を貰って、なんだか踊らされているような気さえしてしまう。テレビで聞くのとは威力が全く段違いだ。お役に立てたのならよかったです、なんて何とも思っていないかのような素振りを見せて、本心を隠した。
「ミクリのことも知っていたんだね。」
「よくコンテスト関連で花を注文してくださるんです。うちのお得意様なんですよ。」
そう言うと、ダイゴさんの表情が一瞬だけ曇ったのを、見逃さなかった。やっぱりなんとなく、ダイゴさんとのことは他の人には知られたくない。彼も同じように思っているのかもしれない。でも、それって、ダイゴさんが私のことをどこか後ろめたいと思っている部分があるからなんじゃ…
"踊らされている"
さっき浮上してきた疑惑が、簡単には消えてくれなかった。そうだ、どうして私なんかに会いに来てくれたんだろう。地位も名誉も何でも持っているダイゴさんが、田舎者の私を、相手にするはずないのに。
「ダイゴさんって、あのツワブキさんのご子息だったんですね。」
「……そうだね。」
テレビで報道されていたことが、間違っているとは思わなかったけれど。実際に本人の口から肯定されると、どん底に突き落とされたような感覚だ。微かに震える手を隠したかったからか、膝の上で拳を握った。
「でも僕は、」
「なんかもう、世界が違うなあって。」
あはは、なんて乾いた笑い声が、波に打ち消される。ダイゴさんが何か言いたげにしていたが、結局何も言わずに唇を噛み締めていた。期待とか、馬鹿なことはもうしない。彼が会いに来てくれたことで、私も少しは変われそうだ。
「チャンピオンで、御曹司で、何でも持ってて…」
荒んでいく私の言葉も思考も、止めたのはやっぱりダイゴさんだった。手が引かれるのと同時に、横に引っ張られた身体を優しく抱きとめられた。衣服越しに伝わってくる体温。傾いた身体を支えるために思わず、ダイゴさんの袖の部分をぎゅっと掴んでしまった。
「そんなふうに言わないでくれ…」
身体が微かに震えている気がした。私から見れば何でも持っていて完璧なダイゴさんにだって、彼にしか分からないようなことで四苦八苦しているのかもしれないのに。私は狭い心でそんなふうに思ってしまった。何も知らないままでいられたらよかったのに。
「僕は何もいらないんだ。」
悲痛の色が滲み出る声が、私の記憶の中のダイゴさんを思い起こした。洞窟で楽しそうに石を掘り起こす彼も、石の話をするだけで目を輝かせる彼も、口元を美しく歪ませながらポケモン勝負をする彼も、全部全部、ひけらかすような人間じゃなかったのに。ダイゴさんの腕の中で、私は彼の心を垣間見れた気がした。
「…ごめんなさい。」
「いや、いいんだ。僕も悪かった。」
抱き締められたまま、上からダイゴさんの声が落ちてくる。背中に回される腕。伝わってくる小さな鼓動。けれど。捕まえたと思ったら、簡単に指の隙間を擦り抜けていく。ダイゴさんから近付いて、私の心を掴んでおきながら、すぐに手離す。両手で肩を掴まれ、ぐっと距離を開かれた。抱きしめておきながら、すぐに、そうやって。
「そろそろ戻ろうか。」
そうやって何でもないような涼しい顔で、私の心を掻き乱すのは、もうやめて。それでも私は何も言えなくて、黙って頷くことしか出来ない、小心者。
▼ ▲ ▼
約一か月ぶりに、ここに来た。あれからダイゴさんのことを思い出してしまうからと近付かなかった、107番水道の砂浜。あの日の夜も、星空の下でダイゴさんをここから見送った。
「今日はありがとう。」
エアームドが砂浜でパチャパチャと水を弾き遊びながら、私とダイゴさんが話し終わるのを待っていた。そんなエアームドを横目に見てから、ダイゴさんは私に向き直った。さっきの抱擁も、手を繋いだことも、まるでなかったかのような空気に、嘲笑さえ出てきてしまいそうだ。
「いえ、こちらこそありがとうございました。とても楽しかったです。」
また、会えなくなる。二度目の夢は一度目のよりも覚めるのが早い。私はこの先どうすればいいんだろう。きっとダイゴさんの気持ちが私に向いている訳ではない。暇つぶしとか、息抜きとか、そんな程度かもしれないけれど。それでもダイゴさんが自ら考えて私に会いに行こうと思ってくれるなら、こんなに嬉しいことはない。
「また…、来てもいいかな?」
暇つぶしですか?息抜きですか?毎日毎日チャンピオンの仕事を全うして、その中でできた僅かな時間を、私と過ごすことに使って頂けるのなら。これ以上のことは、ないでしょう。この胸の高鳴りは、本当に純粋な恋慕の感情なのか。
「はい。いつでも待っています。」
来てくれるか分からない、もう一度目の前に姿を現してくれるかも不確かだった不透明な未来は、毎日が不安で覆い尽くされていた。忘れなきゃ忘れなきゃって、逆にそうやって縛られて。
「私が…、私がもしもミナモシティに異動になっても、来てくれますか?」
心の中にある不安の塊を、ようやく口に出来た。ダイゴさんに背中を押されれば、他の街でだって頑張れる錯覚にさえ陥る。単純だと笑うだろうか。彼は私の問い掛けに一瞬目を見開いてから、優しく微笑みかけてくれた。
「ロゼちゃんがいるところなら、どこへだって行くよ。」
涙さえ浮かんできてしまいそうだった。また来ると約束してくれるのなら。いつまでだって待っていられる。ダイゴさんが微笑んでくれるなら。どこにいたって彼を想える。本人を前にすると、まさかこんなにも心酔していたということにも気付かされる。あなたになら騙されたって、踊らされたって、構わない。なんて思ってしまうなんて。
エアームドに跨って遠ざかっていく背中に、穴が開くほどの熱い視線を送る。あの時とは違う。次を約束していれば、何も恐いことなんてない。不安だってない。私もあの港町で、強く生きていけるように思えた。