なんだか心が軽くなった気がした。肩の荷も下りたような、そんな感覚。あの約束をしてからというもの、ダイゴさんは週に一回くらいのペースで会いに来てくれるようになった。時には昼休みの数分だけ来て、少しだけ話してから帰って行ったり、時には仕事が終わった後来て、夕飯を一緒に食べてからエアームドで送ってくれたり。まるで恋人のようだ。そんな夢のような毎日の出来事を、家に帰ってからロゼリアとヤミラミに一方的に語り明かしてしまい、私も彼女らも寝不足を抱えながら、開店前の店へと走る。
「おはようございますカエデさん!」
明るく元気に挨拶。今日もダイゴさんが来てくれるかもしれないという期待を胸に出勤する。今日は花の調整をしながら、予約のお客さんの花束を作らなければ。本日のスケジュールと仕事を脳内で確認していると、店の中から挨拶が返ってきた。
「ロゼ、おはよう。」
でも返されたのは、カエデさんの声ではなかった。店の黒いサロンエプロンを着けながら顔を上げると、そこにはヒザシさんの姿があった。初めて見る人間に警戒しているのか、ロゼリアとヤミラミは私の足の後ろにサッと姿を隠した。
「あれ、ヒザシさん!」
「今日はヘルプでこっち来たんだ。たまには他の店の様子も見てみたいしね。」
サン・トウカの店長でもあるヒザシさんが、こんなところにいてもいいのかとは思ったけれど、それは尋ねる前に先に答えられてしまった。
「で、母さんはミナモの方に出張だってさ。だから今日は二人っきりだね。」
おどけたように言われたけれど、その裏にある真意が伝わってきてしまった。カエデさんは新しい店を構える準備のためか、あるいはその下見のためかでわざわざミナモシティまで遠出しているのだろう。そして彼女の代わりにヒザシさんが来たということは、新しく出来る店で私と二人でやっていけるかどうかを試すためでもあるのではないのか。ざわざわと何か嫌な予感がする。
「…今日は、よろしくお願いします。」
「うん、よろしく。」
別に何も嫌ではないんだ。ヒザシさんのことだって一人の人間として好きだし、ミナモシティだって静かで落ち着いていて良い街だった。何も、嫌ではない。ただ不安でいっぱいになるだけで。
「大丈夫、別に深い理由があるわけではないから。」
「え?」
「不安そう。」
にこりと微笑まれてヒザシさんに指を差された私の顔は、ひどく不安な表情をしていたのだろう。大丈夫、と言ってもらえてさっきよりも胸中はだいぶ落ち着きはしたけれど、全て安心しきることはできなかった。
「私は大丈夫です。」
大丈夫。この魔法の言葉ですべての不安を取り除くことができるのは、ダイゴさんだけだ。ダイゴさんは来てくれると言ってくれた。私がいるところなら、どこへだって。だから、ミナモに行くことになったって、私は大丈夫。そう思って、真っ直ぐヒザシさんを見つめると、少しだけ驚いたように目を開いていた。
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ヒザシさんと二人きりでも特に何も変わったことはなく、黙々と自分の仕事をこなすだけだった。ヒザシさんはちょこちょこ私の様子を窺っていて、たまに目が合ったりしたり、そのまま手伝ってくれたりして、とても頼りになった。
「ロゼー!」
「えっ!?」
テーブルで花束を作っていると、突然名前を呼ばれ顔を上げると、すぐ近くにヒザシさんの顔があった。あまりの近さに、思わず花を落としてしまいそうになった。なんでも、さっきから何度も呼んでいたらしい。集中していて全く気付かなかった。「休憩行って来ればって何度も呼んでんのにー」と口を尖らせながらも、離れることはなく、そのまま作りかけの花束を一緒になって覗き込んできた。ここはもっとこうした方がいいんじゃない?とアドバイスを貰いながらも、近いなあと思いながら至近距離で横顔を見つめていると、その向こうに人の姿が視界に入った。
「ロゼちゃん…」
ヒザシさん越しに目が合い、名前を呼ばれる。いつもの微笑みはなく、驚いたような、強張ったような、そんな複雑な表情を浮かべたダイゴさんがいた。ヒザシさんが顔を上げ、ダイゴさんの姿を確認する前に、私は椅子から立ち上がって彼に駆け寄った。
「ダイゴさん!お昼休みですか?」
「あ、ああ。うん。」
彼はちらりとテーブルの横にいるヒザシさんを一瞥してから、ゆっくりと私の方に視線を戻した。やっぱり、来てくれた。昼休みの数分だけだとしても、少しでも会いたいと思ってしまうのだ。
「…ロゼ、お客様?」
歩み寄ってきたヒザシさんは、私の隣に立って小さく頭を下げた。ダイゴさんも「こんにちは」と言ってお辞儀をした。そして顔を見合せた時、なんだかピリっと張り詰めた雰囲気が漂った気がした。
「ロゼちゃん、お昼まだかな?」
「えっ、はい。」
「一緒にどう?」
それは気のせいだったようで、ダイゴさんが優しく微笑みかけてくれた。昼休みはいつも時間がないからと言ってすぐに帰ってしまうのに、今日は初めてのお誘いで、思わず即答してしまう。
「はい、ぜひ!」
昼休憩をまだとっていなくて良かった。ヒザシさんにもさっき、休憩行って来ればと言ってもらったし、今のタイミングで行っても大丈夫だろう。予想外の出来事に、私の心は躍る。
「あっあの、少しだけ待ってて貰えますか?」
「うん、分かった。待ってるよ。」
作業途中だったものを片付けるために、店内のテーブルに戻って急いで茎の残骸を集めた。私の逸る気持ちを読み取ったのか、ロゼリアとヤミラミも床に落ちたものを一緒に集めてくれた。
「ロゼ、」
テーブルの下に潜って急いでゴミを掻き集めていると、傍らにヒザシさんが立っていた。テーブルの下から顔を出して彼を見上げると、何だか複雑そうな表情を見せていた。結局「いや、何でもない」と言って何も言わなかったけれど、何か言いたげだったのは確かだったけれど、私の逸る気持ちはそんなこと、すぐに思考の中から消し去っていた。