ロゼ、と彼女の名を呼んだのは、知らない男だった。ざわつく胸を必死に抑え込んでいる時点で、なんだか負けているような気がした。隣で笑っている彼女を、僕のものにしてしまいたいと、初めて思った。ああ、僕は子供か。取られそうになったオモチャを自分の物にしたいと駄々をこねる、そんな小さな子供のようにさえ思えてくる。

「このお店、前にミクリさんに連れてきてもらったんですよ。」

店に入り、景色の良いテラス席に案内された瞬間にそう言われてしまって、内心では相当気分が落ちていたが、ロゼちゃんには気付かれないように、そうなんだと軽く笑って流した。「ピザがとても美味しかったんです!」と嬉しそうに話す彼女。ミクリに先を越されたのかと思うと、なんだか煮え切らない感情が胸を覆った。

他愛もない話をたくさんして、ゆったりとした時間が流れる。ロゼちゃんと話して、荒んだ僕の感情もだいぶ落ち着きを取り戻した。店員の男と顔が近かったり、僕よりも先にミクリと食事に行っていたり、そんな程度のことで心が乱されるなんて、僕らしくない。カップに入ったコーヒーが、ゆらりと揺れた。

「それで、そのお客さん、ホウエン中を旅しているんですけどね、たまに店に寄ってくれて、珍しい木の実をくれるんです。」

ランチセットについてきたチーズケーキにフォークを挿し入れ、美味しそうに頬張りながら、彼女は楽しげに話した。僕はそんな彼女の話を聞いて、そんな彼女の姿を見ながら、向かいでゆっくり食後のコーヒーを啜っている。こんなの、まるでデートのようだ。石を探すために洞窟へ出掛けたり、ポケモンバトル以外での何年かぶりの胸の熱さに、少なからず僕は自分で自分の驚きを隠せないし、動揺もしている。チャンピオンの仕事の合間に、自らカイナシティまで会いに来てしまうなんて、ね。

「その実がすごく綺麗な花を咲かせたんです!ダイゴさんにも見せてあげたかったな。」

ロゼちゃんは本当に花が好きだ。花の話をする彼女はとても活き活きとした表情を見せていて、きっと石の話をする僕も、こんな感じなんだろうと思うと、自然と親近感を持てる。だからなのか、僕がこんなにも固執してしまっているのは。

「そうか、是非見てみたかったな。」

特に花に興味のなかった僕でも、彼女が話すことには、興味が持てた。不思議だな。向かいに座る彼女を見つめながら会話をするだけで、有意義な時間が送れているという自覚はあった。あまりに真っ直ぐに見過ぎたからか、少しだけ頬を赤く染めて彼女は照れたように笑った。彼女の背後には広大な海が広がっている。この東向きのテラス席は、美しいオーシャンビューで地元でも有名らしい。この海の向こうに、サイユウシティがあり、ポケモンリーグもあるのか。エアームドで飛ばしても、数十分はかかる距離だ。それでも僕が今ここにいるのは、ロゼちゃんに会いたいと思ったからなのだろう。

「…ロゼリアとヤミラミは元気かい?」
「あ、はい!毎日楽しくお花の世話をしていますよ。」

彼女と一緒に石の洞窟へ向かい、ヤミラミと出会ったのは、もう数か月も前のことか。あの頃は、まさかこんなふうに食事をしたり、僕のエアームドに乗せたりするなんて、思ってもみなかった。こんなふうに僕から会いに来るようになるとは、思ってもみなかったんだ。

「そっか、ダイゴさんに会うときはいつもお店とか家においてくるから、会えてないんですね…。」
「まだモンスターボールには入れていないんだね。」

コーヒーのカップに口をつけてそう言えば、ロゼちゃんは愛想笑いのような、複雑な笑みを気まずそうに見せていた。ボールに入れないトレーナーだっているし、別段変わったことではない。けれど、彼女は初めて出会ったとき、捕まえていないと言っていた。ヤミラミも、きっとボールには入れていないし、捕まえてもいないのだろう。

「ロゼちゃんはそれでいいの?」
「……私は、」

ボールに入れないのは、きっと何か事情があるのだろう。でも、それでいいのか。トレーナーとポケモンの意思が、必ずしも同じだとは限らない。捕まえていないと言っても、二匹のあの懐きようを見れば、答えは分かる。伊達に何年もポケモントレーナーをやっている訳ではない。まして、僕はもう、チャンピオンだ。

「私には、勇気がないです。私はトレーナーでもブリーダーでもないですし。」
「そうだね。でも、ポケモンは戦わせることが全てじゃないし、育てることが全てでもないよ。」

優しくそう言うと、彼女は一度俯かせた顔を、恐る恐る上げ、僕と視線を合わせた。まるで納得させるような言い方だが、これはポケモントレーナーとしてでも、チャンピオンとしてでもない。一人の男として、発する言葉だ。僕の言葉が、少しでも彼女を救えたら。

「もしロゼちゃんが、いつかポケモンがいなくなるかもって思っているなら、ポケモン達もきっと同じことを考えていると、僕は思うな。」

せっかく築いた絆を、確かなものに変えてほしいと思うんだ。ボールに入れなくてもあれだけ懐かれていれば、心配することはないかもしれないけどね。

「もうこんな時間か、そろそろ僕は戻らないと。」

腕時計を見ると、14時近くを指していた。もともといつもの昼休みも自由に動ける訳ではなく、他の四天王たちの目を盗んでカイナに来ているのに、今日は食事までしてしまった。きっとプリムに怒られるだろうと考えると、戻りたくなくなるが。

「あ、はい。あの、今日はありがとうございます。」

海風が彼女の柔らかそうな髪を揺らす。触れたいと一度思ってしまうと、そこにばかり意識がいってしまい、歯止めが効かなくなってしまう。そんなことを考えながら視線を逸らし、伝票と二人分の会計をウェイトレスに渡すと、ロゼちゃんが慌てて財布を出してきたから、想定内のことで、小さく笑ってしまった。

「今日は僕に奢られて。」
「でも、そんなの申し訳ないです!」

彼女らしいな。別に大した値段ではなかったし、彼女の美味しそうな幸せそうな顔を見れた代金だと思ったら、だいぶ安い。でも、こんなことを思い付く僕は、ずるいかもしれない。

「じゃあ、ロゼちゃんの花を一輪、もらおうかな。」

この間のはもう枯れかけているし、と付け足せば、彼女はなんだか恥ずかしそうに、私のでよければ是非、と頷いてくれた。こうやってロゼちゃんとの繋がりを消えないように保って、会いに来て、彼女を縛っている。それが僕の喜びでもあり、罪悪感でもある。店にいたあの男は、誰だったのだろう。今日の食事では結局そんな話は一切出てこなかった。子供染みた独占欲。ロゼちゃんに対してその欲を持っていることは、十分自覚している。だからこそ、僕のものにしてしまいたい。僕の部屋の窓辺で、僕だけの帰りを待つあの花のように。僕の花瓶の中でだけ咲き誇り、そして枯れていく。彼女をそんなふうにできたらいいのに、なんて。不意に過ぎった非情なまでに醜い感情を捨て去るように、僕は席を立った。