ミナモの夕日は、早い段階でおくりびやまに隠れて見えなくなってしまう。残光だけが街を明るく照らしている。この街も、きっといいところで、綺麗な街なんだろうけれど。ダイゴさんと並んで歩き、彼のことを想って過ごしたあの街は、やはり私にとっては大事な場所だ。

ルチアちゃんとポケモンを捕まえに行った日を境に、ダイゴさんは再び姿を現さなくなった。嫌われるようなことは、していないはず。ただ単に忙しいのか、それとも飽きられたのか。本屋の前を通れば、雑誌の表紙で爽やかな微笑みを浮かべるダイゴさんが目に入る。でも、気落ちすることはない。ベルトに付けたモンスターボールの中で気高く翼を広げるチルタリスを一目見て、自信をつけた。

ルチアちゃんが欲しいと言ったポケモンはチルットだった。115番道路に二人で向かい、草むらを駆け回ってチルットを探したが、二人とも捕獲は初心者みたいなもので、なかなかうまく決まらなかった。休憩がてら、近くの水辺で休んでいたところ、運が良かったのか悪かったのか、チルットとキャモメの群れが対立する場面に出くわした。その両大将が雌雄2匹ずつのチルタリスとペリッパーで、群れ同士が威嚇し合う中、私たちはその野生ポケモンの様子に萎縮するしか出来なかった。けれどチルット側の戦況が悪化し、キャモメにやられる姿を見て、黙ってはいられなかった。

「ロゼリア、マジカルリーフ!」

咄嗟に身を隠した茂みから飛び出し、ルチアちゃんに教わった技を、ペリッパーに仕掛けた。草は飛行タイプには弱いけれど、同時に水タイプには強い。これも彼女から教わったタイプ相性だ。一撃で終わらせられれば。そう思ってロゼリアを前線に繰り出し、幾数の葉をペリッパーに向け発射した。けれどそれはサラリと交わされ、突然バトルに参加したロゼリアを良く思わなかったのか、ペリッパーはロゼリアに向かって勢いよく急降下してきた。あ、まずい。一瞬、連絡船の上でキャモメに襲われた場面がフラッシュバックしたが、今は違う。あの頃は相性も技も何も知らなくて、自分の無力さに嘆いたが、今は。

「ロゼリア、タネばくだん!」

真っ直ぐに向かってくるペリッパーに向かって、タネを投げ付ける。あのスピードじゃあ、避けられないのも無理はない。命中すると、ペリッパーは苦しげに声を上げながら、地面に横たわった。

「凄いね、ロゼちゃん!私も負けてられない!ナマズン、れいとうビーム!」

もう1匹のペリッパーに、ルチアちゃんのナマズンが氷のビームを放つ。そっか、飛行タイプには氷タイプの攻撃が有効なんだ。同じように倒れ込んだペリッパーを見ながら、そんなことを考えた。2匹とも撃退した事実に私たちは手を取り合って喜んだ。そして、チルットの群れの大将のチルタリスが2匹、私たちの前に舞い降りた。

そんな出会いだったかな。黙々と作業を進めながら、二週間ほど前の出来事を思い返す。感謝の意を示したチルタリスに向かって、ルチアちゃんは「じゃあ私のポケモンになって!」と無理なお願いをしていて、私は隣で笑ってしまった。2匹のうち、大きい方の、おそらくオスのチルタリスは、そんなルチアちゃんを気に入ったのか、小さく頷いて彼女に寄り添っていた。

「私には、会いたい人がいるの。でも、自分の力だけだと、そこへは行けない。だから、あなたに手伝ってほしい。」

2匹のうちの小さい方に、私は向き直って真っ直ぐにそう告げた。真意を告げれば、ポケモンだって分かってくれる。そう信じて。

「ロゼ、本当にいいの?」
「えっ?」

掛けられた声にようやく我に返ると、仕事中だったことを思い出し、慌てて頷いた。背後からそう尋ねてきたのは、ヒザシさんだ。無意識のうちに最近新しく仲間になったチルタリスとの出会いを思い返していた。

「だ、大丈夫です!」
「でも驚いたな。ロゼが自分からポケモンを捕まえに行くなんて。」

花の根を切り揃えながらヒザシさんがそう言ったから、私は困ったようにあははと軽く笑ってごまかした。今日はミナモシティの新店舗の搬入だ。仲間になったチルタリスに乗って、私はこのミナモシティへ来た。連絡船にも乗らずムロ島を出たのは初めてのことだったから、感じたことのない高揚感に胸を熱くさせていた。これも全部、ダイゴさんが背中を押してくれたからなのかな。きっと彼がいなかったら、彼と出会っていなかったら、私は今も劣等感に苛まれながらカイナに篭っていたんだろう。私の世界が広がったのは、ダイゴさんのおかげなんだ。

「ロゼ、そろそろ休憩入ったら?」

その言葉に、私はヒザシさんがまだなのに私だけ入れないと断った。今日は搬入だけだから、お客さんは来ない。だから、別々に休憩に入る必要もないと思ったから。

「ロゼはさ、どうするんだ?」
「何をですか?」

せっせと開店準備を進めていると、背後で鳴っていた鋏の音が止まった。聞き返しても、返ってこない返事に不信に思い振り返ると、ヒザシさんは手に花と鋏を持ったまま、作業を止めて俯いていた。

「ヒザシさん?」
「ロゼ。」

ゆっくりと、テーブルに鋏と花を置き、こちらを振り返った。いつにも増して深刻そうな表情をしていたから、作業を止め、彼に向き直った。名前を呼びながら、ヒザシさんはこちらに歩み寄ってきた。

「ロゼ、僕は…」

目の前で立ち止まると、再び名前を呼ばれ、真っ直ぐに目を見つめられた。次第に高鳴っていく胸に、なんだか嫌な予感がした。

「僕は、ロゼと一緒にこの店でやって行きたい。二人で、さ。…それで、」

心なしか、頬に赤みを帯びている気がして、私は思わず背中を向けた。駄目だと思った。途中だった作業を再開し、何でもなかったかのように、そうですね、と軽く答えた。ヒザシさんはとても良い人で、仕事面においては尊敬だってしてる。でも、だけど、勘違いかもしれないけれど、自意識過剰なだけかもしれないけれど。そんなに熱の篭った視線を向けられたら、私はそれに背くことしか出来ない。

「ヒザシさん、私、休憩入りますね。」

背中を向けたまま、店内から出ようとすると、ヒザシさんは何度か私の名前を呼んだが、振り返ることは出来ずに、足早に店の裏口へ向かった。今振り返ったら、泣いてしまいそうだ。

外に出るための鉄製の扉を閉めると、そのまま冷たい扉に背中をあずけ、寄り掛かった。店の裏口を出ると、隣の建物との間の狭い裏道に出る。従業員用の裏道で、お店から出た廃棄の置場にもなっている。頭の中を駆け巡るのは、カイナの綺麗な街並みと、そこを並んで歩いたダイゴさんの横顔。目をつぶったら、彼のことしか浮かんではこないんだ。ベルトに付けたチルタリスが入ったボールが、ゆらりと小さく揺れた気がした。会いたい人がいるから。そう言ってチルタリスは仲間になってくれたのに、私は結局自分から会いに行けていない。確かに私もお店が忙しくて時間はなかったのだけれど。

「……ダイゴさん…」

ぽつりと、本当に小さな声が漏れた。会いたい。今、すごく会いたいよ。この休憩中に、空を飛んで会いに行ってしまおうか。それくらい、彼への想いが膨らんでいた。ダイゴさんは、私がミナモシティに異動になっても、来てくれると言ってくれた。でも、私はやっぱりカイナシティが好きだ。ダイゴさんと二人で行ったお店も、歩いた道も、一緒に見た夕暮れも、私の宝物は全部、あの街にあるんだ。カエデさんも、常連の皆さんも、みんなあの街に。じわりと浮かんだ涙で、視界が歪む。今なら、泣いてもいいかなあ。誰もいない、誰も見ていない空間なら。今まで精一杯篭めていた身体の力を緩めれば、涙は簡単にこぼれ落ちた。

「…ロゼちゃん?」

ハッとした瞬間にはもう、遅かった。一度顔を上げたら、歪んだ視界の向こう側で、誰かが名前を呼んでいるのが見えてしまって。どうしてかな、顔までちゃんと見えないのに、近付いてくるその影に、私の涙は余計に溢れるばかりだ。

「な、んで…」

ロゼちゃん、と優しく呼ぶ声が好きだ。いつも私の背中を押してくれるこの人が好きだ。ぼろぼろと、止まることを知らないかのように、大粒の涙を流し続けた。それを止めることは出来なくて、彼に見られたくなくて、私は近付いてくる彼から逃げるように、顔を俯かせた。目の前で止まる足しか、そこからは見えなかった。どうして、こんなところに、ダイゴさんが。驚きと戸惑いと、そして喜び。会いたいと願った本人が、そこに姿を現してくれたのなら、理由はなんだっていい。思わず抱き着いてしまいそうな勢いだったが、我慢をして先にこの涙を止めよう。そう思い、必死に引っ込めようとしていると、熱を持った大きな手が、ゆっくりと私の頬に触れた。