夢のような一日が終わっても、朝は変わらずやってくる。一晩中泣けるかもしれないと思ったが、体力が続くはずもなく、気付いたら泣き疲れて寝てしまっていたようだ。気怠い身体を無理矢理起こすと、ベッドの上にロゼリアとヤミラミが上ってきた。夢みたいだったけれど、ヤミラミはダイゴさんと一緒にいた時のことを思い起こさせてくれる。一緒に拾った石は、ダイゴさんが私の隣にいた証拠となる。それが良いことなのかは、微妙なところだけど。喪失感を抱えたまま、朝一の連絡船に乗るために、支度を始めた。

「おはようございます!」
「ロゼちゃん、おはよう。」

まだ開店前の店に裏口から入り、カエデさんと挨拶を交わす。けれど今日はいつもとは心持ちが違う。ヤミラミだけ家に置いてくる訳にもいかず、連れてきてしまったことを話さないと。ロゼリアを初めて連れてきた時は、最初はびっくりはしていたけれど、仕事を教えて一緒に働けば?と提案してくれたのはカエデさん本人だ。きっと、ヤミラミのことも許してくれると信じて。

「あ、あの、カエデさん。」
「どうしたの?」
「ちょっと相談が…」

レジカウンターの上を拭き掃除するカエデさんに近寄り、恐る恐る口火を切る。初めて見るものばかりで怖がっているのか、私の足に隠れヤミラミは顔だけ覗かせていた。

「あら、新しい子。」
「はい…。あの!ちゃんと仕事教えるので、この子も…」
「いいわよ。よろしくね、ヤミラミ。」

あっさりすぎる承諾に、思わずいいんですか!?と身を乗り出してしまった。

「私は別にいいわよ、ちゃんと仕事さえしてくれれば。賑やかになるしね。」

にこり、と微笑むカエデさんが天使のように思えた。ありがとうございます!と勢いよく何度も頭を下げると、足元に隠れていたヤミラミもそれを真似たのか、ぺこりと頭を下げた。よかった、これで一安心だ。昨晩ダイゴさんと別れて部屋に戻ると、予想外にもロゼリアとヤミラミがとても仲良くなっていたので、きっとロゼリアが仕事を教えてくれるだろう。

「ロゼちゃんがポケモンを持つようになって私も嬉しいわ。」

ポケモンを持たないことに、別に深い理由があるわけではなかった。でも、ポケモンを持つ理由もなかったから。こうやって中途半端なことをしている自分が、嫌いだ。

「空が飛べたら、配達とかも出来るんだけどね。」

悪意のない素直な感情に、胸が痛んだ。知っている。でも、今空を飛べるポケモンを手にしたら、きっと一目散にトクサネシティに向かってしまうだろう。そうか、もういっそのこと自分から会いに行ってしまえばいいのかな。なんてくだらないことまで考えてしまう。

「そうですね。」

不信に思われないように笑顔を貼り付けて、私も開店の準備に取り掛かった。

▼ ▲ ▼

正午の鐘が鳴ってから小一時間。花の確認と接客に励んでいると、あっという間に昼休憩の時間になってしまった。カエデさんからは「お店の様子を見て好きに休んでいいからね」と言われているから、ちょうどお客さんもいないし、昼食を取りに行ってこようかと考え、カエデさんに一言告げてから財布を持った。

「ロゼ!」

店先で今まさに店から出ようとしていたタイミングで、名前を呼ばれた方を振り向いた。なんでかな。もしかしたら、って一瞬思ってしまった。水色の髪に意識を奪われたが、そこにいたのはスーツ姿ではなく、オレンジ色のTシャツが眩しい、旧友の姿だった。

「トウキさん、どうして!」

ムロのジムリーダーである彼が、なぜこのカイナシティにいるのかという驚きと、久しく会っていなかった友人に会えての喜びとが入り交ざった声が出てきた。トウキさんとは、子供の頃よく一緒に洞窟や海で遊んだ、所謂幼馴染と呼ばれるような関係だったが、彼がジムリーダーになってからというもの、会う機会もなくなって疎遠になっていたのだ。

「新しいサーフボードが入荷されたって連絡があったんだ。ついでにロゼいるかなって寄ってみたら本当にいるもんだな。今から休憩?」
「はい!」

ムロも海水浴を楽しめるビーチはあるから、それなりにお店もあるのかもしれないが、やはりカイナには劣るのだろう。わざわざここまで来るなんてご足労だ。「ナイスタイミング!」と太陽みたいな笑顔を向けてくれる昔の友人に、荒んでいた心が少しだけ穏やかになった気がした。

仕事の昼休憩は近くのベーカリーで焼き立てのパンを買い、町外れの海沿いのベンチでロゼリアと一緒に少し遅めの昼食を取るのが、日課でもあった。けれど今日からはヤミラミもいるし、何よりトウキさんがいる。人と一緒にランチなんて、本当に珍しい。今日は特別に奮発して、道路に面したカフェのテラス席で、コーヒーとパスタのセットを頼んだ。お洒落なお店なのに、向かいが電気屋で、店頭に並んだテレビが視界に入ってしまうのが、少しもったいないところ。

「それにしても、本当に久しぶりだなー!」

旧友との話題は尽きない。彼のジムリーダーとしての経験談や、ポケモンの話、それからやっぱり今でも好きなサーフィンの話。色んな話をしてからもまだ、彼はその言葉を放つ。トウキさんは頭の後ろで手を組み、能天気さを醸し出していた。が、この人は紛れも無くホウエンジムリーダーの一人。トウキさんも昔は隣にいたのに、いつの間にかずっと遠くへ行ってしまった人間だ。彼が楽しげに話す姿を見て、懐古と寂寥と嫉妬の感情が複雑に絡み合う。

「ロゼもやっとカイナに来れて良かったな!心配してたんだよ。」

ずっと前からムロを出たがってたもんな。という彼の率直な言葉がぐさりと突き刺さる。私はいつからだったか、ムロタウン出身だということに恥を感じ、あの島を出たいと思うようになった。でも、結局行動には移せないまま。カエデさんのところで働かせてもらいながら、何も変わらない毎日。だからなんだ。ダイゴさんやトウキさんのように、自信に満ちて、自我を持って行動する人たちに憧れると同時に、羨ましいと嫉妬もしてしまう。運ばれてきたコーヒーのカップを両手で包むと、水面に映る自分がゆらゆらと揺れた。

「でも、まだムロにいるんだろ?」
「うん…。」
「僕はそっちの方が嬉しいよ。」

カエデさんといい、トウキさんといい、悪意も悪気もなく、私を追い詰めるようなことを言う。私は早くあんな小さな島から出たいのに。もうここは大人しく鳥ポケモンを捕まえに行くか。なんて真剣に考えていると、トウキさんはもうこの話には興味がなくなったらしい。

「そういえば、あいつとはどうなったんだ?ほら、あのエリートトレーナーの。」
「い、いつの話ですか!」

随分と昔の話を引っ張り出してくる。あれはトウキさんがジムリーダーになる直前の、まだ学生だった頃の話だ。もう何年も前。それでも、恋愛の類の話になると、どうにも恥ずかしくなってしまう。タイミングよく頼んだパスタが運ばれてきて、この話も終息したと思いきや。

「そっか。あれも結構前だもんな。じゃあ今はないのか?」

早く安心させてやれ、なんてブーメランじゃないのか。トウキさんだって何もないくせに、と言い返すと、俺はいいんだよジムリーダーだから。なんて自信満々に言われてしまった。確かにジムリーダーになってから、ただでさえ人気があったのに、更に拍車をかけたと思う。

「…素敵な人に会ったの。」

もう会えないかもしれないけど。とは言わなかった。言ってしまったら、本当にそうなってしまう気がしたから。でも素敵な人だと言葉にしてしまうと、彼との想い出が溢れてくる。まだ、昨日のことだっていうのに。私のたった一言で、トウキさんはなぜか安心したように優しく微笑んだ。やんちゃだった彼にも、そんな表情ができるのか。何よ、と頬を膨らませると、彼は困ったように笑った。

「ロゼは昔っからすぐに諦めがちだったから、応援してんだよ。」

相変わらず、何も見えていないようで、何もかも見えている。まるで諦めるなよ、なんて言いたげな強い瞳を、真っ直ぐには見れなくて、目を逸らしてしまった。諦めるも何も私なんて、と言い聞かせてきたものが、とんでもなく言い訳じみていることに、今になって気が付いた。ああ、やっぱり弱い私。そんな私の視線が泳いだ先は、向かいの電気屋の店頭テレビだった。

「それでは、新チャンピオンのダイゴさんに話を伺ってみましょう。」

テレビから漏れるインタビュアーの言葉に、持っていたフォークを皿に落とし、カツンと音を立ててしまった。ぽかんと開いた口。そんな私の挙動に気付いたのか、トウキさんもパンを口に運びながら、どうしたんだ?と首を傾げた。

「チャンピオンロードを終えてから、少し時間が空いてから挑戦されたとのことなのですが、どうして突然挑戦しようと思ったのですか?」
「それは希望をもらったからですかね。」

テレビの画面の中央で、たくさんのカメラのフラッシュを浴びて、たくさんの強そうな人に囲まれて、マイクを向けられている人を、私は知っている。また会いたいと願った人物が、今まさにテレビに映っているなんて、信じることなんてできないでしょ。なんで、なんで、と思考がぐるぐると頭の中で渦を巻く。

「新チャンピオンのツワブキダイゴさんは、あのデボンコーポレーション社長のツワブキムクゲ氏の一人息子でもあり、次期社長だと言われています。」

興奮気味にニュースを伝えようとするインタビュアー。たくさんの人に囲まれ、称賛の言葉を掛けられる彼。新チャンピオン?デボンコーポレーションの次期社長?何も知らなかった彼の情報を、そんな一気に伝えようとしないで。頭が、破裂する。

「お、ダイゴくん、ついにやったんだ。」

ジムリーダーであるトウキさんとも知り合いだったのか、彼は能天気にパンを咥えながら、テレビの画面を見ていた。

「ダイゴさん…」

遠いとか、世界が違うとか、そんなレベルじゃない。君のおかげで決心がついた。ダイゴさんは昨日別れ際にそう言った。そして今日、新チャンピオンとなった。何となく彼から感じていた清潔感とか上品さとか、彼自身の迷いだとか、全部が繋がった。彼のことをもっと知りたいと思ったのに、今はもう、知らなかった頃に戻りたいと思う。ただただ、出会わなければよかったって。そう思う。