素敵な人だった。優しくて、強くて、格好良くて。でも前に進むためには、あの出来事はいい思い出だったのだと過去にするしか、ないんだ。何日も何日も泣き腫らして、あれから一か月くらいたってから、ようやくそう思えるようになってきた。でも、テレビをつければすぐに新チャンピオンのダイゴさんが映って、彼のことを忘れることはちょっと出来なさそうだ。むしろなんであの時すぐに、おめでとうと言ってあげたい、と思えなかったんだろう。大人になれなかった私は、目を腫らすまで涙を流すことで前に進めたのか。
「ロゼちゃん、大丈夫?」
毎朝毎朝目を腫らして出勤する私を見兼ねて、カエデさんは何日かお休みすれば、と言ってくれたが、そんなことは出来なかった。きちんと仕事はこなして、ちゃんとお店の利益に貢献して。むしろ花に触れていた方が、つらいことも忘れられる。ロゼリアとヤミラミが隣で支えてくれたし。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。」
もう吹っ切れた。素敵なあの人とは、もう会えないの。会ったところで、私には不釣り合いな人なの。現実を見なくちゃ。
「それでね、ちょっと相談があるんだけど…」
吹っ切れた私を見て、これがタイミングだと思ったのだろうか。カエデさんは少し言いにくそうに、私の表情を伺った。彼女がこんなふうに言うことはあまりないから、きっとよくないことなんだろうな、と予想はつく。
「実はね、新しい店舗を構えようかと思ってるの。それでね、もしよかったロゼちゃんに任せたいなあ、なんて。」
どうしてこう、色んなことが起こるんだろう。ただただこの大好きな町で平凡に過ごしたいだけなのに。
「私、ですか?」
これは予想外な展開だった。カエデさんのこの花屋は、もともとはカナズミシティとトウカの森の間の104番道路にある、サン・トウカから始まった。それからカイナに進出して、カナズミの方は今はカエデさんの息子さんが店長をしていると聞いている。それが、次は私が?どこに?
「どこですか?」
「…ちょっと遠いんだけど、ミナモシティなんてどうかなって。」
カエデさんは少し申し訳なさそうに、微笑んだ。突然そう言われても、実感も何も湧かない。それに気付いたのか、カエデさんは慌てて「まだ分からないんだけどね?」と付け足した。ただ少し考えてみてほしいな、って言われても。ミナモシティって、更にここから連絡船で数時間かかるような街。自然と俯いていく私を見て、ロゼリアとヤミラミが心配そうにしていた。大丈夫だよ、と頭を撫で、再び仕事に戻る。なんだか、色んなことがあって、色んなことが変わっていく。
「わ、綺麗なお花ね!おじ様?」
そんなことに思考を奪われていると、店先の花を見て会話を弾ませる男女のお客さんがいた。慌てて仕事モードに戻って、季節のお花をお勧めするテンプレの台詞をつらつらと並べると、何故かふふふ、と優しい感じで笑われてしまった。何か言い間違えただろうか、と一瞬不安が過ぎる。恐る恐るお客さんの様子を窺うと、そこには艶のある美しい髪を靡かせる、常連さんの姿があった。
「このお花、なんてワンダフル!」
「そして憎らしいほどエレガント!」
「だけどとってもグロリアス!」
二人で謎の掛け合いを始め、何事かとぽかんとしてしまったが、相手はこのお方だ。相変わらずその大きな襟の服を着て、決め決めのポーズをしていらっしゃる。海の向こうにあるルネシティのジムリーダーであるミクリさんは、コンテストマスターでもあるということで、度々このカイナシティに来ることがある。コンテストマスターとして出場する際に関係者に贈る花をうちの店で予約してくださったり、入場の際に演出として花を散らしたりするそうで、よくお店に来てくれるうちに覚えてしまった常連さん。
「ミクリさん!」
「お久しぶり、ロゼちゃん。」
お店に来てくれるのはいつぶりだろうか。ダイゴさんのことがあってからは、まだ一度も会っていなかったな。いつもはお一人でいらっしゃるのに、今日は女の子を連れている。ミクリさんによく似た色の髪で、とっても可愛らしい。彼女さんですか、と尋ねる前に、本人にネタばらしされてしまった。
「初めまして!私、姪のルチア!よろしくね?」
「こちらこそよろしくお願いします!」
ルチアって呼んで?と握手を求められ、私もそれに応えるところを、ミクリさんは優しい瞳で見ていた。握手を交わすと、ルチアちゃんはすぐにお店に入っていき、あのお花も綺麗だとか、このお花もエレガント、だとか興奮気味に花に見入っている。
「ルチアにコンテストのいろはを教えてあげようと思ってね。今、修行してあげてるんだよ。」
「そっか、ミクリさんコンテストマスターですもんね。」
「そう。いい花屋には今のうちに私の姪と仲良くしてもらっておかないとね。」
ウインク付きでおどけたようにそう言われると、カエデさんの花屋の品質を褒められているようで、とても喜ばしく思える。前にミクリさんのお墨付きとしてテレビで紹介をしてもらったこともある。
「あれから大繁盛なんですよ!」
「それは良かった。」
店先でそんな話で盛り上がっていると、見終わったのか、ルチアちゃんが店から出てきた。彼女、やっぱり親族だからか、纏う雰囲気がミクリさんに似ている。
「これからもうちのお店をご贔屓よろしくお願い致します。」
接客用ではなく、自然と出てきた笑顔に、ミクリさんとルチアちゃんも同じように応えてくれた。花を売って、色んな人と出会って、色んな経験をすることがある。私が本当にミナモに異動となったら、あのムロからは出れる。でもカイナは好きなんだ、離れたいとは思えない。それに今まで会った人や、ミクリさんのような常連さんとは、会えなくなってしまうのかな。ここにいたら、またもしかしたらダイゴさんが来てくれるかもしれないという期待も、潰されてしまうのかな。
色んな人と出会って、色んな経験をする。それでも、ダイゴさんのことだけは一瞬たりとも忘れられないのは、やっぱり恋をしてしまったからなのかな。もう、戻ることは出来ないのかな。あの二日間の思い出が、今も色褪せないで残っている。