※ラブホ


ちゃぽん、と浴室内に響いた水音が俺の胸をざわつかせる。どうしてこうなったんだっけ、と数時間前のことを考えても酔っておぼろげな記憶からは答えを導き出せない。名前の入った後のお湯につかっているなんて考えるだけでも頭がくらくらするよ。浴槽の縁にこれ見よがしに置かれたバブルバスの入浴剤の袋を濡れた手でつまむと、なんだか情けなくて溜息が出た。

ガラス張りの浴室から出ると、すぐそこの洗面台の前に名前がいて、俺は驚きのあまり声を上げてしまった。

「名前!?」
「あ、一松くん!おかえり!」

名前は俺が今まさに着ようとしているガウンと同じものを身にまとって、洗面台に手をついて身を乗り出しながら顔だけこちらに振り向かせて笑った。な、何してるの、そんなところで。てっきりベッドで待っているか、そのまま眠っているかと思っていたのに。

「ね、ね、これお肌にいいヤツだよ!この間CMでやってるの見た!」

弾むような声でその手に持って俺の方に見せたのは、袋に何かのアメニティだった。よく分からないけど、化粧水とか、そういうヤツ?でも、とりあえず身体を拭きたい。バスタオルもガウンも今まさにアメニティをあさっている名前の横に置いてあるのだ。

「あ、あの……俺まだ裸なんだけど…」

とりあえずちんこは手で隠して、滴る水が風呂のなのか汗なのか分からなくなりながら目を逸らして現状を告げると、名前はやっと気が付いたのか、あっ!!と大声を上げて顔を真っ赤に染め上げて一目散にベッドの方に戻って行った。

「ごごごごめんなさい!」

遠くから叫ぶような謝罪が聞こえてくる。まじか。あの人、これから俺たちがすること、ちゃんと分かってるのかな。何も考えずにはしゃぐ名前を馬鹿だと思う反面、可愛くも思う。がしがしと濡れた頭を掻いて、身体が冷え切らないうちに俺は洗面台に置いたバスタオルに手を伸ばした。

「一松くん、おかえりー。お風呂すごかったね!バブルバスとかあったね!」

身体の水分を取って着慣れないガウンを羽織り、裸足でひたひたと足音を立てながらベッドルームに向かうと、名前は今度はテレビの下の冷蔵庫を開けて感嘆の声をもらしていた。そして俺の存在に気付くと顔を上げて浴室の感想を述べた。にこにこと笑みを浮かべている。まるで落ち着きのない我が弟、十四松を見ているような気分になる。だけどそのおかげで少しだけ、緊張が解れるのが分かった。

「何してんの。」
「見て見て!いっぱい飲み物あるよ!ビールとかある!」
「でもそれ、お金かかるんじゃない。」

しゃがみこんでいる名前の上から俺も一緒になって冷蔵庫を覗き込むと、たくさんの缶が横に寝かせて置かれている。ただ水のペットボトル以外のそれらは透明なケースに入れられていて、率直な意見を述べると名前はそっかと納得して冷蔵庫の扉を閉じた。すると予期せぬ静寂に部屋が包まれ、居た堪れなくなったのか俺の下にいた名前がこちらを見上げてきた。

「いっ、一松くん!お水!お水飲む!?」
「あ、ああ、うん、飲む…」

さっき見えた水のペットボトル。名前は再び扉を開けてペットボトルを取り出して俺の方に差し出した。振り向きざまに鼻をくすぐったシャンプーの香りが、俺のと同じ匂いであることに酷く興奮を覚える。ありがと、と小さくお礼を述べて受け取ると、名前はドアをバタンと閉めて勢いよく俺の下から抜け出し、テレビの前のソファにその身を沈めた。

「一松くん一松くん!すごいたくさんメニューあるよ!」

ソファに座って、テレビとの間にあるテーブルに置かれた真っ黒の冊子を手に名前はまたもや声を弾ませた。そんな姿に違和感を覚えつつ、俺は水を乾いた体内に流し込み、名前の方に歩み寄った。ソファの後ろから覗き込むと、ホテル備え付けの食事メニューのようで、中華からイタリアンから和食と低価格で幅広いメニューが美味しそうな写真と共に並んでいた。ぺらぺらとページを捲るのを背後から眺めていると、最後のページで名前の手が止まった。

「へえ、明日の朝食、無料だって!」

名前は無垢な笑顔をこちらに向けて、メニューに書かれた朝食無料の文字を俺の方に見せてきた。けれどその意味を俺は理解してしまって、能面のような顔で見返してしまった。名前はそんな俺を不思議そうに見上げて首を傾げたが、すぐに彼女も理解したのか再び顔を真っ赤に染め上げた。

「あ、えと……一松くん、音楽!音楽かけよう!」

ソファから立ち上がり脇目も振らずにベッドに駆け寄り、いそいそと這い登って枕元のパネルをいじり始めた。そんなんでBGMを変えられるんだ、と感心なんかしている余裕はなかった。名前の空回りするような明るさが、俺たちの緊張を解くための芝居なんだって気が付いたら、もう情けなさとか不甲斐なさでいっぱいになる。

「…名前?」

ベッドに歩み寄り名前を呼んで、名前が振り返るよりも前に俺は彼女を立ったまま横から抱きしめた。俺と同じシャンプーの香りに朦朧としてしまいそうになるのを我慢し、首元に腕を回してぐっと力をこめて名前を包み込む。肌に当たるガウンの毛が柔らかくてくすぐったい。

「ど、どう、どうし、たの、一松くん…?」
「…名前、好き。」

脈絡もなく耳元で本音をぶちまけると、ぴくりと小さく肩が揺れたのが分かった。俺が男らしくもないゴミなせいで名前に気を遣わせて。自分に嫌気が差してはぁ、と溜息をこぼすと名前はぶるりと身体を震わせた。

「い、ちまつくん…?」
「好き。」

名前を呼ばれるたびに好きと返すと、彼女は耳までも火照らせた。熱が直接伝わってきて、それが俺の身体に浸透していく。あ、やばい。と思ったときには遅く、今まで俺を堰き止めていた理性が粉々に砕け散った。下半身が熱くなるのを感じながら、パネルをいじっていた彼女の細い手首を掴みゆっくりとベッドに押さえ付けた。天井の角に設置されたスピーカーから柔らかな音楽が耳を撫でる。

「え、っと…」

分かんない!押し倒したところまではいいけど、これから何をすればいいか全然分かんない!ネットで予習した知識はもはや頭には残っていなくて、反動でガウンが肌蹴た名前の胸元に視線を奪われた。赤みを帯びた白い肌がこれでもかと俺を誘惑している。手首を掴んだまま固まった俺に不安そうに見上げながら、名前が薄く唇を開いて俺の名前を呼んだ瞬間、そこに自分のものを重ねていた。柔らかくて温かな感触にくらくらする。吐息と一緒に漏らした小さな名前の声が俺を麻痺させていく。

「一松くん…」

唇が離れるタイミングを見計らって、名前は俺の名前を呼んだ。火照った顔を若干俯かせながら涙目で見上げられたら、なんだかもう堪らなくて熱が上昇する。下半身が強く脈打つのを感じた。

「その…私、はじ、めてで…」

反則だろ。可愛すぎ。レッドカードを提示したいところだけど、退場されたら俺も困る。自分を落ち着かせるために頭の中で素数を数えていると、名前は何の恨みがあるのやら、更に追い打ちをかけにきた。

「だから…、優しく、してね…?」

ああもう。どうとでもなれ。セックスのマニュアルとかもう全部忘れたけど、とにかく名前の照れた顔が見たい。感じてる顔が見たい。優しくするって早口で答えると、名前は嬉しそうに顔を綻ばせた。やばい、やばい。唾を飲み込むとやけに身体に響いて、俺はBGM用のパネルの隣の照明をゆっくりと落とした。薄暗いシーツに名前の髪が広がって、その光景に血液の循環が速まるのを感じながらもう一度唇を落とすと、俺たちの身体が弾力のあるベッドに静かに沈み込んだ。