※R15くらい


姿見鏡の前に立った自分が紫色のパーカーを身に纏っている姿が、いまだに見慣れない。お風呂も入り終わってあとは寝るだけの23時半。今日は一松が来る予定はないから、ちゃっかりパジャマ代わりにパーカーを拝借させてもらった。自分よりも大きなサイズ。裾を下まで伸ばすと、太もも辺りまである。スウェットに紫色の松パーカーを着ていると、まるで一松に抱きしめられているような気分になる。なんてことは恥ずかしいから本人には絶対に言わないけど。

テレビを流し見しながら暖かい室内で流行りのアプリゲームをしていると、唐突に玄関のドアがダンダンと音を立てた。こんな時間に?誰かがドアを叩いているのだろうか。恐る恐るずるずると身体を引きずって廊下に顔を出して玄関の様子をうかがうと、異様な空気を感じられた。インターホンを鳴らさない辺り候補は一人しか思い浮かばなかったが、もしかしたら不審者かもしれはい。

音が止んでしばらくしてから再びドアを叩かれ、私は思い切って玄関に駆け寄った。大丈夫、鍵は閉めてあるしチェーンもかけてある。覗き穴から外の様子を見ると、そこにはやっぱり思い浮かべた人物の姿があった。

「一松、今日来る日じゃ……え?わっ!」
「遅い。寒い。」

チェーンと鍵を外して扉を開くと、一松は言いながら何の躊躇もなく私の方に倒れ込んできた。ドアがバタンと閉まると同時に、想定外の重さに私と一松は一緒になって玄関のマットの上に横転した。全体重を掛けて覆いかぶさってくる一松からはほのかにアルコールのにおいがして、彼が酔っていることを迅速に理解する。

「誰と飲んできたの?」
「…十四松。」

頬を赤く染め上げ、普段からは想像もできないようなふにゃふにゃな今にも溶けてしまうんじゃないかと思ってしまうような柔らかい表情を作っている。呆気に取られていると、顔を上げて私を見下ろしながら彼はチョロ松とおそ松兄さんと、と続けて兄弟の名前の連ねていった。結局5人の名前が挙がり、今夜の一松の行動を容易に想像できた。

「あれ?でも、じゃあみんなと帰ったんじゃ…?」
「…?」

兄弟で飲んでいたのなら、どうして一松がうちに来たんだろう。一松は頭が回っていないようで、首を傾げながら半分だけ開かれた瞳を私の方に向けていた。

「なんで名前がいるの?」
「は!?……ここ、私の家だけど?」

一松は納得していないのか理解していないのか、小首を傾げたまま固まって、何度か瞬きを繰り返した。闇ゼロノーマル四男とは、このことか。それより、よくこの状況で私の家まで辿り着くことが出来たな。他の兄弟たちは無事に帰宅していることを密かに願う。

「…間違えた。」
「え?」
「まじか。」

まじか、こっちの台詞だ。帰る先を素で間違えたのか、目を瞬かせながらさっきとは打って変わって状況を理解したのか平常心を失っている。あーと声を上げながら頭を抱えているうちに一松の下から抜け出し、キッチンに走った。洗ったばかりのグラスをラックから取り、冷たい水を注いで彼に持って行ってあげた。

「一松、水飲みな。」
「ん、ありがと。」

片手で乱れた髪を押さえ、もう片方の手でグラスを受け取ると勢いよく口に流し込み、喉を上下に揺らした。サンダルを履いたままだったから玄関の段差に腰掛け、彼は少しずつ酔いを冷ました。けれどまだ覚束ないのか、頬は相変わらず赤いし、なんだか髪も普段以上に乱れている気がする。隣に膝をついて視線の高さを合わせると、一松は恥ずかしそうに顔を背けた。

「まだ飲む?」
「ん、大丈夫。」

空になったグラスを受け取り、尋ねると僅かに首を横に振った。どうしようか、明日も仕事は休みだけど、今夜は来ると思っていなかったから…。あ。気付いたのは僅差だった。一松が背けていた顔をこちらに戻すと、二人して小さく声を漏らした。

「…え、なんで俺の着てるの。」
「ご、ごめん。借りた…。まさか来ると思ってなくて!」
「……ふうん。」

見られた、見られた。一松のパーカーを着ているところを、持ち主が訝しげに眺めている。別に深い理由はない。確かに抱き締められているような気分にはなるけれど、死ぬほど寂しかった訳でもないし。ただ怪訝そうな一松の視線に耐えられずに、サイズの大きめな裾をきゅっと握って膝をついたまま顔を俯かせた。

「…えっと、その、洗濯物、乾いてなくて…」

苦し紛れな言い訳だったけれど、これは一松が部屋に入った瞬間に呆気なくばれる嘘だ。洗濯してすぐの自分のロングTシャツがいくつも畳んで置いてあるのだ。けれどその追い詰めるような視線から逃れるには、最後の手段かと。取り乱してしどろもどろで告げると、一松は再びふうんと興味も無さそうに相槌を打った。とりあえず洗濯物をクローゼットの中に押し込んで、一松の寝る場所とか、部屋も片付けないと、と考えていると、不意に肩に手が添えられた。俯かせていた顔を上げると、すぐそこまで一松の顔が迫っていて、まるで流れるように、さらりと唇を重ねてきた。思いがけない行動に、パーカーの下が熱を持ち始める。

「い、一松…?」
「別にいいけど。」

酔いはすっかり冷めたのか、一度つけた唇を離すとサンダルを脱ぎ捨て、再び私の方に体重をかけてきた。床についていた膝が崩れ尻餅をつき、そしてそのまま肩をぐっと押される。熱くなった背中にフローリングの冷気が張り付いて、寒いんだか暑いんだかおかしな体温だ。

パーカーのことだろうか。別にいい、とは言うものの、この体勢はなんだと突っ込んでしまいそうになる。視線を僅かに横にずらすと、玄関マットが隣で私を見上げていた。

「よそ見しないでくんない。」

若干機嫌を損ねてしまったのか、冷たく言い放つと顎を指で取られ、上を向かされた。アルコールのせいか、いつもより舌に熱を感じる。閉じていた唇を容赦なく舌で割り、侵入してきた生温かな感触に私はぎゅっと強く目を瞑った。いつもと様子が違うことはもちろん、その熱が私の思考を溶かしていく。真っ暗な中で一松が満足するのを待っていると突然下着とスウェットが一緒に太ももまで脱がされた。意味が分からない。甘い雰囲気の欠片も感じられないんだけど。

「ちょ、ちょ!一松!何してっ!」
「……濡れてない。」

当たり前だろーが!と怒鳴るのは下着を上げてからにしよう。玄関の薄い照明の下で下半身を露にされ叫び声にならない声を上げ、一松の手を制そうと全力で押し返した。が、その努力も一松にとっては猫がじゃれてきている程度のものなのか、なんてことない顔で私の手首を掴んで邪魔、と一言で払いのけた。そして人差し指を這わせ、そんなことを言ったのだ。本当に不思議そうに目を瞬かせながら首を傾げている。

「なんで?」
「な、な、なんでって、いっ、一松!」

全く水気を感じられない箇所に指を添えられ、不快感と違和感が身体中を駆け巡る。冗談じゃない、やっぱりまだ酔っ払っているに違いない。ぐいぐいと押し返しても、太ももの間に割って入れられた一松の腕はびくともしない。本当に突然どうしたんだ。いつもなら溶けるくらいキスをして、しつこいくらい愛撫に時間をかけてくれるくせに。こんな状態で雰囲気の欠片もない中で行為を開始されたら、遣る瀬無さでいっぱいになってしまう。なのに私の考えも露知らず、一松は混じり気のない単なる疑問を浮かべていた。

「シてたんじゃないの?」
「……は?」
「一人で。」
「は!?」
「え、だってそんなの着てるから…」

淡々と繰り返される発言に、肩の力が抜けていく。二人して、え?とぽかんと口を開けたので、玄関には冷たい沈黙が漂った。ただパーカーの長い裾の下に隠れた一松の手は微動だにしないのでとりあえずは胸を撫で下ろす。

「いや、してないから。」

何を勘違いしているんだか。事実をそのまま告げると、一松は瞬きをするのも忘れて驚いている様子だった。むしろなんで一人でシていたと確信を持ったのかが謎だ。とにかくそういうことだから離れて、と腕を押しのけようとしたがやはり厳然としてあった。

「そう…」
「なんでちょっと残念そうなの!?」
「……俺の着てシてたらいいなって…」
「どんな性癖だよっ!」

一松は彼女がそれでいいのかと少し信じがたいが、彼が言うんだから間違いないんだろう。残念ながら私はそんな一松みたいな変な性癖は持ち合わせていない。パーカーを勝手に着ても抱き締められている気分になるくらいで、ムラムラなんかしない。

「分かったならどいて。」

強く言い放つと、一松は私を見下ろす眼光を怪しく歪めた。腕を押し返そうとしていた私の手首の間に人差し指を差し込み、器用に親指と中指で両手首を掴み上げた。そして一松は片手だけで私の自由を奪い頭の上方に纏めて床に押し付けてしまった。ひんやりとしたフローリングの冷温が直に伝わってきて、ぞわりと身体を震わせた。

「一松!」
「なに。」

腕を解こうと身をよじっても体重を載せられ、より強く押し付けられるだけだった。こんな、玄関で嫌だという私の言葉に聞く耳も持たず、一松はもう一度唇を重ねた。動かず留まっているとは言っても指を添えられていると、そこから体温は伝わってくるし、ただひたすら待っているような彼に羞恥でいっぱいになる。舌を巡らせながら、いつもは胸を触ってくるのだが、今日は私の手首を掴んでいる上に、もう片方はずっと下に伸ばしているから、一松も好きなようには手を駆使できない。そんなことに考えを沈ませていると、私の落ち着かない心理状況を把握したのか、一松は食べてしまいそうなくらい深く口付け、私の舌を軽く噛んだ。

「んぅっ!?」

痛みに目を開くと、一松は至近距離で私の目を見詰めていた。他のこと考えないでくれない。まるでそう言っている鋭い眼光だ。私はその目に弱い。手を拘束され発言の自由も奪われ、そして視線で私を追い詰め退路を断つ。深く深く舌が絡められ、息も思考も自分の全てが染められていく。怠そうに私を見下ろす一松の高圧的な目を、ぼんやりと見つめた。

「っは、一、松…」

数分か、はたまた数秒か分からないけれど、だいぶ長い時間の後にようやく口を離され、肩で息をしていたから、私は一松の様子の変化に全く気付けなかった。身体を少しだけ浮かせた一松を、息を切らしながら恐る恐る見上げた瞬間、ぬるりと粘着質な感覚が全身を襲った。

「名前、濡れてきた。」

淡々と告げられ、私はパーカーの裾に隠れている、一松が腕を伸ばしている先を思い出した。想像もしていなかった感覚に身体を震わせると、一松はニヤリと片方の口角を上げた。さっきまで微動だにしなかった一松の指が、良い潤滑油を見付けたようにゆっくりと前後に動かされている。玄関に響く水音が、部屋とは違う反響の仕方で私の羞恥を煽る。自分のものとは思えない途切れ途切れの声が一松の名前を呼ぶが、問答無用のようで私はされるがままだ。

「ねえ、名前。腰、動いてるよ。」

指摘され初めて自分が太ももを擦り合わせていることに気が付いた。一松、酔っていた割にはすごく生き生きしている。本当に酔っていたのかと問いただすことも出来ず、身体中を駆け巡る快感に耐えながら顔を横に背けると、玄関マットと空のグラスが私たちの行為を見ていた。なんだかそれも恥ずかしくて、結局一松の方に顔を戻す。すると一松は不意に床に押し付けていた私の両手首を離し、紫色のパーカーに手を伸ばしていた。

「いいね、これ。」

中央にプリントされた松の柄を一度優しく撫で、一松はなぜか恍惚とした表情でイイ光景、と呟いてから舌なめずりをした。少し乾いていた唇が彼の唾液でてらてらと艶めかしく光った。私はもう、かなり心酔してしまっているのかもしれない。そんな彼の姿だけで、身体が震えるほどの興奮を覚えてしまう。手はもう解かれて自由が戻っていたが、私の腕は太ももの間に伸ばされた一松の腕を押しのけるのではなく、血管が僅かに浮き出た逞しいその腕に添えるだけだった。ああ、もっともっと。パーカーを捲られ、お風呂上がりの肌が露になる。一松の指が触れるたびに正直に反応を示す身体はとても暑く、さっきまで冷え切っていたはずのフローリングも、今では二人分の熱を孕んでいた。