掴まれた腕。進まなくなった足。手首から伝わってくる体温。一瞬だけ、何も聞こえなくなった。心臓の鼓動だけが、耳の奥を支配している。すぐに喧騒が戻っきて、遠くの方で小鹿野くんが「お茶あった!」と大きな声で言っているのが聞こえた。そんな彼らの中から外れて、座ったままのクロくんに後ろから腕を掴まれている姿が、西に傾いた太陽によって地面に映し出されていた。

「そのまま聞いて。」

いつにもなく真剣な声色に、自然と身体に力が入った。ペットボトルを抱える手が、微かに震えている。背後にはクロくんがいるのに、怖くて後ろを振り返ることができない。何を、何を言われるのかと、早く何か言ってと、この沈黙が息苦しい。

「俺はこの合宿で終わりにしたくねえんだ。」

一度だけ私の手首を掴んでいる彼の手に力が込められた。そしてゆっくりと体温が離れ、私の腕は力なくぶらりと垂れ下がった。何を?という言葉は、わずかな唾液と一緒に飲み込んだ。私だって、終わらせたくない。もし、私たちの答えが同じなら。ゆっくりと振り向くと、クロくんは座ったまま私を見上げていた。

「…私は、クロくんのことを思ってる。」

あの日、私が放った言葉の意味。私の答え。ずっと、飛び越えたかった私とクロくんの間にあった線。真っ直ぐにそう言うと、彼の方も同じように私のことを見てきた。私の言葉の意味を理解できていないのか、クロくんは目を細めた。

「いつもいつも、クロくんのことばっかり考えてる。」

言葉にして、今までの自分を振り返って、これが事実なのだと飲み込めた。私はいつも、会っているときも遠くにいるときも、クロくんのことを考えていた。今目の前で瞬きをしている彼のことを、慕っているんだ。

「……好きなの。」

待っているだけじゃダメだって、思ったから。真っ直ぐに彼の目を見つめてそう言うと、少なからず驚いてはいる様子。口が少しだけ開いて、何度か瞬きをして、視線を泳がせた。クロくんらしからぬ反応に、少しだけ気が楽になった。簡単に流されてしまったり、からかわれて終わりだったら、私の気持ちが可哀想だ。

「でも分かってるよ。これからが大事な時期だし。」

周りのみんなを見回して、楽しげに談笑しているみんなを見て、現実は分かっているからと言い聞かせる。クロくんの気持ちがどうであれ、私たちはこれからが忙しくなるし、バレー一筋でやっていかなくてはいけなくなる。だから、

「ごめんね。」

このタイミングで好きになって。合宿の最後なんかに好きだと言って。ごめんね。恋愛はタイミングだとはよく言ったものだ。この時期じゃなかったら、もしかしたらうまくいったかもしれない。もしかしたらクロくんの彼女に、なれていたかもしれない。泣いちゃダメだと言い聞かせて、無理に笑顔を作った。

「…お前、分かりやすいのなー」

予想外の返答に、私は何度か瞬きをしながら彼を見た。するとそんな私の反応を見て、クロくんはさぞかし楽しげに口角を上げていた。

「苗字が俺のこと好きなんて、ずっと前から知ってるっつーの。」
「なっ…!」

面白いオモチャを見つけたような嫌味ったらしい笑顔で、私を見上げている。目の高さは私の方が上にあるのに、立場は逆のような気がして、内心むっとした。

「わ、悪かったね!」

ああ、こういうところが可愛げない。せっかくの告白を、自分の手で台無しにしようとしている。それでも、口が勝手にそういう言葉を紡いでしまうのだ。くつくつと楽しそうに笑う彼に、一人でむすっとしていると、そんな私を見兼ねてか、クロくんはようやく立ち上がって、私の前に立ちはだかった。

「拗ねんなっての。」

一回、二回。自然と俯きかけていた私の頭をぽんぽんと撫でると、その大きな手はすぐに離れて行った。私の真剣な気持ちを、クロくんが茶化したんじゃないか、と悪態をつくと、確かに、と彼は素直に認めた。そんなところが、また腹立たしい。

「春高は最後の大会だ、俺にとっても、苗字にとっても。」

知ってる。痛いほど分かってる。最後の春高を前にして、気持ちが浮かれて、集中できていなかったのは紛れも無く私だ。だから、その前に気持ちの整理をできたら、なんて今更ながらに言い訳を考える。夕方の少し湿った風がクロくんの髪を揺らしている。その寝癖だらけの髪でさえ、触れたいと思った。

「だから、待っててほしい。」

その髪から視線を少し下げた先に、優しく目を細めるクロくんがいた。いつもの意地悪とは違う表情に、なんだか心が騒がしい。

「俺たちが勝ち残ってあの体育館で試合ができる日まで、待っててくれ。」

待ってて、いいの?不安がつのった言葉をボソッと吐き出す。気付かないうちに眉間に皺を寄せてしまったのか、クロくんは笑いながら指摘してきた。こっちからしては死活問題なのだ。茶化さないでほしい。だけど、そういうところがクロくんらしい。ああ、私は彼のこういうところが好きなのかも。

「俺のことだけ考えながら、待ってろ。」

唇を三日月型に歪め、挑発的にそう言った。悔しいけれど、心の底から嬉しく思えて、いつまでだって彼のことを待っていられるような気がした。でもここで頷けるような素直な口は、生憎持っていないんだ。

「クロくんのことは3割。部活が7割。」
「言うねえ?」
「いつまでも言い負かされてられないもん。」
「じゃあ俺は苗字7割、部活3割。」

真っ直ぐに私の目を見て、ニヤリと笑った。これは、夢じゃないのかな。なんとなく、いい感じだなって思っていた。でも勝手に期待するのと、実際に言葉にして告げるのとは、全然違う。信じられないような発言に涙目になりながら、せめて半々にしなよって笑う私を、クロくんは優しく目を細めながら見ていた。