合宿を終え、普段通りの練習に戻った。日常が戻ってきても、端末内に表示された名前が、合宿での出来事が夢ではないよと訴えかけている気がした。
「苗字、何スマホ見てにやけてんだ?」
突然掛けられた声に驚いて、手に持っていたスマホを思わず落としてしまいそうになった。振り返ると、汗だくになった額をタオルで拭いている木兎と木葉がいた。
「い、いや別に、にやけてなんかっ」
「ああ、黒尾か。」
ちょうど開いていたトーク画面が見えたのか、木葉は勝手に一人で納得して、何事もなかったかのように水分補給をしているのが、逆に恥ずかしくなった。からかわれるのも嫌だけど、そんな当然のことのように言われても、私はまだこの状況に慣れていない訳で、恥ずかしくて堪らなくなる。
「よかったな!俺のおかげで連絡先知れて!俺のおかげで!」
あの合宿から、木兎はここぞとばかりに大きな顔をする。確かに連絡先を交換できたのは、木兎のおかげもあるから、感謝せざるを得ないのだけど。そんなに恩着せがましいと、感謝する気もなくしてしまう。
「う、うん、ありがとうね…」
部活の休憩中、体育館の隅で、こういう会話を何度繰り広げたことか。私もクロくんも毎日練習があって、家に帰るとお互いすぐに寝てしまうから、連絡はそんなに出来ない。時間が空いたときに返事をするが、そうすると必然的に練習の休憩中、つまり周りには部員がいる訳で、トークを見られてしまったりもする。合宿でのことは皆知っているし、仕方のないことだと割り切ってはいる。監督の笛が鳴り、また練習が始まる。タオルの上にスマホを置き、私も部員たちと共に、監督の元に走った。
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今日も疲れたなぁ〜、と隣からポツリとこぼれてきた声に、そうだねと返事をする。部活後の更衣室で、ロッカーの前に三人横一列に並んで、着替えを済ませる。制汗剤の独特の匂いが充満する室内で、部員がいないのをいいことに疲れたお風呂入りたい今日も木兎うるさかったと本音がダダ漏れしていた。
「ね〜、この暑い中、なんとかしてほしいよ〜。」
「あはは、でも木葉が隣にいるとなんか緩和されるよね。」
「確かに〜!なんでかな〜?」
「んー、たぶん、糸目だからじゃん?なんか胡散臭い感じ?」
「分かる!それだ!」
部活中とは違い、ここでは女子独特の高い笑い声だけが重なる。なんて失礼な会話なんだとは思うが、部活の話がやっぱり一番面白い。内心で木葉に謝りながらも、確かに何か胡散臭い感じはするから、しょうがない。
「そういえば名前、黒尾くんと会ってるの?」
「会ってないよ?」
「せっかくの夏休みなのにね〜。」
「仕方ないよ、お互い練習で忙しいし。」
自分に言い聞かせるように言って、二人に近況を報告する。近況と言っても、何もないんだけど。全員が着替え終わり、荷物を整理し、そんな話をしながら電気を消して部屋を出た。今から帰ったら家に着くのは8時近いなあ、とか、お腹減ったね、とか、帰りコンビニ寄ってく?とか、三人で並んで話しながら薄暗い廊下を歩いて昇降口に向かうと、なんだかワイワイと騒がしかった。
「なんだろ?」
「あ、みんないる。お疲れー。」
昇降口に溜まっていたのは、紛れも無くバレー部のみんなだった。猿杙が何かゲームをしているのか、彼を中心に木兎と木葉と小見がスマホを覗きこんでいた。なんで集まっているんだろう。普段は練習後、部員は自主練でマネより遅いか、一緒に終わっても男子の方が着替えは圧倒的に速いから、帰りの時間が重なることは珍しい。
「おう、お疲れ!」
「近くの神社で祭りやってんだって。みんなで行こうかって話なんだけど、行かない?」
小見が私たち三人の方を見てそう言い、まさかのお誘いに私たちは一瞬ポカンとし、顔を見合わせてから、行く!と声を揃えて答えた。
「お祭りなんて久しぶりだ!」
二人は楽しげに話しながら木葉や木兎の隣に行ってしまい、なんだか手持無沙汰になってしまったから、カバンからスマホを取り出して、みんなの後ろから付いて行った。返事、来てるかなとそわそわしながら見ると、五分前に新着メッセージが一つ入っていた。トーク画面の上に表示された黒尾鉄朗という文字に、思わず頬の筋肉が緩む。向こうも練習が終わった時間のようで、疲れたーと一言きていた。練習が終わって部員とわちゃわちゃしたりしているのかな。梟谷のみんなのように、部員みんなで帰りにコンビニに寄ったりしているのかな。今、何しているんだろうって考えるだけで、なんだか幸せな気分になれた。とりあえず、お疲れ様、私たちはこれからみんなでお祭り寄ってくんだ、と返事をしておく。
「苗字さん、幸せそうですね。」
「え!?」
誰も見ていないと思ってスマホをいじっていたのに、気付いたら隣に赤葦がいて、上からさり気無く覗き見していた。慌ててディスプレイを切ってカバンにしまい込んだ。
「よかったですね、本当に。」
「あ、ありがとう…。」
「木兎さんが、俺のおかげだってうるさいんですよね。」
ああ、さっきのアレ、私がいないときにもやっているのか。たぶんみんな適当に流してはいるんだろうけど、それでも申し訳なくなる。ごめんね、と少し照れ気味に言うと、赤葦はふっと小さく笑って、いえ、と答えた。
「お祭り、楽しみだね!」
「そうですね。たまには、いいかもしれません。」
「赤葦、人ごみ苦手そうだもんね。」
からかうように言うと、赤葦はあからさまにムッとして顔を曇らせた。クールそうに見えて、意外と負けず嫌いな可愛い後輩だ。そんなことを思いながら小さく笑っていると、笑わないでください、と赤葦はそっぽを向いてしまった。ああ、機嫌損ねちゃったかな。
「ごめんごめん。」
笑いながら軽く謝ると、からかわないでください、と言われてしまった。その時、カバンの中でバイブが鳴る音がし、見るとクロくんから返事が来ていた。
『いーなー俺も行きたい』
クロくんから送られてきた文字が、クロくんの声で再生されてしまうのは、末期かもしれない。さすがに今から来ても、意外とここから音駒は遠いから、お祭りは終わってしまうだろう。私も一緒に行けたらなあ。で、でも、クロくんとお祭りってって考えただけで恥ずかしくなる。まあ、でも、無理だろうな。私たちには、部活が、あるんだから。無意識のうちに、小さな溜め息が漏れていた。
「…今度、音駒の近くの川で花火大会あるみたいですよ。」
不意に掛けられた声に、顔を上げた。赤葦が優しく微笑みながら、私の方を見下ろしていた。
「え?」
「その日、確か俺ら体育館整備か何かの工事で、午後練習ないです。」
ああ、監督にそんなこと言われたな。スケジュール帳にも書いた気がする。でもそんなことより、赤葦がそんなことに興味があったのか、というか知っていること自体に驚きを隠せない。「ちなみに音駒も練習ないみたいですよ」という言葉で、彼の真意を理解できた。赤葦の優しい表情に、私は思わず目を逸らした。なんだか、胸が熱くなる。クロくんと全然会えない私のことを想って、そんな情報をくれたのか。赤葦だけじゃない。木兎だって、マネだって、他のみんなだって、からかうようなこと言ったりしながらも、応援してくれたり、助言をくれたり、背中を押してくれる。みんなの優しさが、胸に染みた。
「ありがとう。」
忙しいからって、諦めていた。そんな私を見兼ねて、教えてくれたのかな。クロくんとのトーク画面を開いたまま、スマホを持つ手に力が篭った。せっかく赤葦が教えてくれたんだから、頑張って誘ってみようかな。でも、春高まで待つって約束もしたし。うんうん唸りながら悩んでいると、一つ気になる疑問が浮上した。
「あ、赤葦はなんでそんなこと知ってるの?」
「……孤爪…、音駒のセッターに聞きました。」
赤葦の口から他校の名前が出てきて、目を白黒させてしまった。もしかして、合同合宿で仲良くなったのかな。同じセッターだし。「あの赤葦が他校に友達つくるなんてね」と、隣で感動していると、赤葦に「苗字さんが他校に彼氏つくるなんて、俺もびっくりです」なんて凄い嫌味っぽく言われてしまった。がしかし、なんだか聞き捨てならない単語が聞こえた気がする。
「か、か、彼氏じゃな!じゃない!」
「え、そうなんですか?」
口をパクパクさせながら否定すると、赤葦は本当に驚いたように聞き返してきた。合宿での話は、詳しくは話していないから、きっと勘違いしている人もいるんだろうな、とは薄々思ってはいたけれど、実際に直球で聞かれてしまうと、何から話せばいいか分からなくてあたふたしてしまった。
「おーい!お前ら遅いぞー!」
遠くから木兎の声がして視線を赤葦から前に戻すと、みんなはもう随分先に行ってしまっていた。話し込んでいたら、いつの間にか距離が出来てしまっていたらしい。慌てて赤葦と一緒に追い付こうとしたとき、ぽつりと放たれた言葉。
「まあ、何であれ、部活を理由に諦めないでくださいね。」
走り出そうとしていた足が、止まった。振り返ると赤葦は、真剣な表情で、真っ直ぐに私を見ていた。
「俺たちはみんな、苗字さんたちを応援しています。」
ああ、まただ。胸に込み上げてくる何か。じんじんと身体中が脈打っているのが分かる。涙さえも溢れてきてしまいそうだ。完全に足が止まってしまった私を追い越して、「ほら早く行きますよ」と言って赤葦は先に歩いている木兎の方に向かって走り出した。部活を理由に、諦めない。私が何を考えていたのか、彼は見透かしたのかな。
「名前ー?何してんの!」
「早く早く〜!」
かおりと雪絵が向こうで手を振っていた。友達に恵まれ、チームメイトに恵まれ、想い人に恵まれ。みんなが応援してくれているのは、知っている。知っていたはずだったのに。クロくんに、私が音駒だったらって話したこともあったけれど、私はきっと梟谷のことも捨てられない。私を応援してくれる人たちへの感謝の気持ちを、絶対に忘れずにいよう。そう心に誓って、私はみんなの方に向かって走り出した。