赤葦に言われ、部活と恋の両立!と意気込んだものの、8月も中旬に入り体育館の温度計は一年で最も高い数値を叩きだし、練習も過酷さを増したおかげで寝ては部活行き、部活行っては寝ての毎日が一瞬で過ぎ去っていくのを呆然と感じていた。今日も何の変哲もない平凡な一日。下校最終時刻ぎりぎりまで自主練習の手伝いをし、家に帰ってからは空っぽの胃に栄養を流し込み、一日の汗を洗い流してからふかふかのベッドで深い息を吐きながら身体を横たわらせた。そうすればすぐに眠気は訪れる。薄らと重たい瞼を持ち上げ、ベッドの上で鈍い光を放つ端末に手を伸ばした。
メッセージは、梟谷バレー部のグループだった。次の森然との練習試合についての事務連絡が回っている。これは今日じゃなくてもいいや。他はマネのグループで、他愛のない話の続き。それから、
何のマークもついていない、クロくんとのトーク画面を意味もなく開いた。最後の会話は昨日の夕方。向こうも見ているようだけど、丸一日経過しても返信はない。別に切られたところで私には文句も言えないし、それに彼だって部活で、マネージャーの私なんかよりずっとずっと疲労が溜まっているだろう。それこそ寝てはバレーして、バレーしては寝るという極端な毎日に追われていることだ。少し遡って昔の会話を読み返して、数日前のドキドキ感を思い出してみても、最後の発言から何度も下にスクロールをしてみても、発言が更新されることはない。分かってる。
「会いたい、なぁ…」
部活を理由に諦めるなと言われても、結局お互い忙しくて疲れてそんな生活が続けば、連絡も取れず会いにも行けず、なんだかどんどん離れて行く気がしてしまう。赤葦に言われた花火大会は、もう明日に迫っていた。誘おう誘おうと思ってはいたものの、疎らな会話の中でその話題は出しづらく、向こうも忙しいのだから申し訳なく感じてしまう。私と花火大会に行くくらいの時間があったら、家で休んでいた方がいいんじゃないかと、後ろ向きな考えが頭に過る。だから、きっとこれでいいんだろうな。私とクロくんとの間には、確かな繋がりは存在しないんだから。無意識に呟いた願いが枕に落ちるのを感じてから、あたたかな泥の中に沈むように意識を手放した。
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手元に振動を感じ、ふっと勢いよく身体が上昇する感覚で目が覚める。眠たい感覚は覚えていたが、トーク画面を開きながらいつの間にか寝てしまっていたようだ。時計の長針は前に見たときからちょうど一周していた。開けっ放しの窓から夏の夜の冷気が入り込んできて、ぶるりと身体を震わせた。起き上がると、手の中に握りぱなしだった端末のディスプレイに光が灯っている。そういえば、さっきバイブレーションを感じたような。窓を閉めながら片手でロック画面を解除してメッセージを開くと、そこには待ち焦がれた名前が表示されていた。
『遅くなってワリィ!今日生川と練習試合だった』
驚きと喜びで窓を閉める手が止まった。もう会話は終わってしまったものだと思っていたから、まさかの返事にぽかんと口を開けてしまった。受信時刻はほぼ一分前で、すぐに開いてしまったようだ。何となく、少し時間を空けてから既読を付けたかったな、と細やかな意地を張っていると、開いていた画面がパッと変わり、クロくんそっくりの意地の悪そうな猫のアイコンが中央に表示された。手の中の端末が僅かに震えながら、クロくんの名前をこれ見よがしに見せ付けてくる。思いもしなかった着信に、私は恐る恐る通話ボタンをタップして耳に近付けた。
『あ、出た』
受話口から出た音声が鼓膜を揺らす。数週間ぶりのクロくんの声に、胸が熱くなった。初めての通話と、久しぶりの声が相まってか、頭の中がパニックに陥り、何も声が出てこない。そんな私を不自然に思ったのか、クロくんは電話の向こう側から呼びかけてくる。
『おーい、聞いてる?寝てんの?』
「……お、起きてる…」
『なんだよ、起きてんじゃん。あと2秒遅かったら切るとこだったわ。』
あからさまに心臓は高鳴りを見せ、閉めかけた窓を開けた。夜の冷気が火照った身体を冷ましてくれる。
「ど、どうしたの?」
『すぐ既読付いたからまだ起きてんのかと思ってよ。』
今の今まで寝ていてクロくんからのメッセージで起きたとは言えず、ここは曖昧に頷いておく。未だに落ち着きを取り戻せず、6畳の部屋を行ったり来たりしながら右耳に意識を集中させた。初めての電話だと言うのに、クロくんは大して普段の様子と変わらず、今日あった出来事を楽しげに話すばかりだ。
『それでよ、タラコのヤツがいっちょ前にリエーフ挑発するから、リエーフも素直に乗っちゃうんだよな。あいつも大概単細胞だから。それを夜久が一発蹴り入れて落ち着かせるんだけどさ。』
「うん」
『……眠い?』
話の途中に挟まれた、溜息混じりなのか若干低く吐息の篭った声に、身体が素直に硬直する。クロくんの話に頷いてばかりだったからか、退屈していると思われてしまったかもしれない。ベッドの際に腰を下ろし、そんなことないですと言って姿勢を正した。
『なんで敬語?』
「え、あはは…」
なんて答えればいいか分からず、表情も見えないのに愛想笑いを浮かべる。電話って難しい。それからクロくんも黙ってしまって沈黙が痛いのに、相手の顔が見えないから様子も窺えない。何を考えているんだろう。
「…クロくんは疲れてないの?」
壁に掛かった時計はあと半刻ほどで日付を跨ごうとしていた。明日もきっと早いのに、大丈夫なのだろうか。
『帰って爆睡してたから。それに明日も午前練で終わりだからさ。』
その言葉の後には、ゆっくり休めるんだと続くんだろう。何だか本当に誘いづらくなってしまい、マイクに入らない程度に微かな嘆息を漏らした。明日の午後が休みだという話は、赤葦から聞いた通りだった。
『お前は?毎日暑くてバテてねえか?』
「クロくんじゃないんだから。」
合宿のときに体育館が暑くて汗をだらだら流しながら暑い暑いと文句を垂らしていたクロくんを思い出し、小さく笑ってしまう。すぐに笑ってんなよと少し不機嫌そうな声が届いた。
『でもさすがに疲れるよな、毎日毎日。』
「私はまだマネージャーだからね。こっちもみんなバテバテだよ、木兎を除いて。」
『はは、木兎のヤツだけは元気そうだよな。』
「相変わらずだよ。」
『そっちは楽しそうでいいな。』
「……音駒は楽しくないの?」
『そんなことねえけどさ…』
音駒だってとても楽しそうだ。幼馴染の孤爪くんがいて、仲の良い夜久くんや海くんがいて、賑やかな山本くんや犬岡くんがいて。それにクロくんなら、大変な練習だって何だって楽しむ心意気でいるような感じなのに。そんなことを考えていると、何秒間か空けてからクロくんは小さくぼやいた。
『ただ苗字がいればな、って…』
収まりかけた熱がぐんと上昇する。クロくんの言葉に、背筋が勝手にピンと張る。すぐにクロくんは、わりぃ俺が待ってろって言ったのに、なんて訳の分からない謝罪を述べたが、大して心には響いてこなかった。だって、クロくんも私に会いたがってくれているのではないか。その疑惑だけで胸がいっぱいだ。好きだと、会いたいという気持ちが溢れてくる。
「あ、あの!明日ね、梟谷も部活午前だけなんだ!」
『え?そうなのか?』
「うん。だからっ、あの、良かったら…、本当に、クロくんが疲れてなくて、暇だったらでいいんだけど、その、ね、」
クロくんを気遣いながら必死に言いよどんでいる私に、クロくんはフッと声を上げて小さく笑った。そして私のことなんか何もかも見透かしているように、明日音駒の近くで花火大会あるんだけどさ、と私がずっと言いたかった話を簡単に切り出した。
『一緒に行かねえ?』
外耳道を伝わって胸にじんわりと広がるクロくんの言葉。凄いなあなんて敬意を表している間も、相手から見えないことをいいことに、頬をゆるゆるに緩ませていた。
『おーい、苗字?ニヤけてないで返事は?』
「なっ!?ニヤけてなんか、」
『はいはい。で?』
見えないはずの顔を見抜かれ、否認も軽くあしらわれて腑に落ちない思いの中、それでも諦めかけていた花火大会に期待は募るばかりで、躍る胸に手を当てながら行きますと笑顔で答えた。