9月に入り、授業が始まった。春高予選は滞りなく勝ち抜き、下旬からは東京都代表決定戦が待ち構えている。部活はほぼ毎日、土日は梟谷グループの週末合宿。この時期は毎年本当にバレー漬けになる。それも今年で、最後。一日一日を無駄にしないようにしなきゃ。

「烏野は〜?」
「うん、予選は無事に勝ち抜いたよ。」

潔子ちゃんが柔らかく微笑んだ。9月3度目の週末合宿。家庭科室で部員のためのおにぎりを握りながら、お互いの高校の戦況を報告し合う。生川も森然も予選は勝ち残り、県代表決定戦へと駒を進めた。梟谷と音駒は同じ東京都代表決定戦で戦う相手となり、烏野だけは単身遠い地で戦いの中に身を置いている。

「梟谷と音駒は東京都だから、途中で当たるかもしれないんだ?」
「そうそう。もし決勝前に当たったらどっちか脱落だからね、名前なんて気が気じゃないよ。ね?」
「へっ!?」

隣でかおりや雪絵が潔子ちゃんと話しているかと思ったら、突然話を振られ素っ頓狂な声を上げてしまう。何事かと瞬きを繰り返していると、机を挟んで向かいでおにぎりを握る真子ちゃんがにこにこと笑っており、その隣の英里ちゃんが興味津々な顔でこちらに身を乗り出してきた。

「え、名前ちゃんついに黒尾くんとうまくいったの!?」
「ええっ!?」

どうして急にそんな話になるんだ。しかも今の話の流れから、どうしてクロくんの名前が挙げられるのか、理解が追い付かない。谷っちゃんと私だけが、いい感じだったもんね、なんて納得しているみんなに置いて行かれている。驚きのあまり思わず落としそうになったおにぎりをぎゅっと強く握った。

「いや、別に…何もないよ?」

あの花火大会のことを、梟谷のメンバーにはもちろん、私は誰にも言っていなかった。予選も始まってついに集大成をぶつけ一丸となってだたひたすらに上を目指す時期に、恋愛に現を抜かしている自分をみんなには隠したかった。散々迷惑をかけたり背中を押してもらっておいて、恩を仇で返すような真似だけど、一人だけ浮かれている自分に後ろめたさを感じた。

「はい嘘!そろそろ教えてくれてもいいよね。」

何度か花火大会はどうだったかと聞かれたけれど、特に何もなく一緒に花火を見て帰ったと口では言っていた。かおりも雪絵も素直に応援してくれているのに、本当のことを言えず罪悪感が膨らむ。米を握る手が、ゆっくりと止まった。

「だって、なんか申し訳ない…」
「黒尾くんに?」
「みんなに。最後の大会で、みんなは部活に集中してるのに、私だけなんて…」

雪絵もかおりも、木兎も木葉も赤葦も、みんなみんな前だけを見つめ優勝に向かって必死に前進している。私だけがよそ見をして、音駒の、クロくんの様子を窺ってしまう。

「何言ってんの、木葉とか煩悩だらけじゃん。」
「小見と二人で会場の女子に話し掛けに行ったりしてるしね〜」

呆れたように二人が言う。それに加え今まで黙っていた谷っちゃんが思い付いたように声を上げた。

「あ、烏野も!二年生は清水先輩に対する求愛行動がすごいですよ!」

あっけらかんと言う谷っちゃんに、潔子ちゃんが「あれはからかわれてるだけだから」とバッサリ断言する。すると真子ちゃん英里ちゃんも匿名で部員の浮ついた話を繰り出してきた。バレーのことだけ考えて一心不乱なのかと思いきや、意外とそういう話は出てくるものだ。確かに、身近な木葉と小見はよく会場で擦れ違った女子が可愛かっただの、連絡先聞きたいだのと別のところで浮足立っている場面はよく見かける。

「私ら別に恋愛禁止のアイドルじゃないんだよ?胸張って堂々としてな!」

バチンと少し強めに背中を叩かれ、前のめりになる。これほどまでに清々しい鼓舞はないと感じた。なんて説得力のある言葉。何か恩返しをしたいほど応援してくれていたのに、また背中を押されてしまったね。重たくのしかかっていた荷が肩から下りた気分だ。そうだね、と私も笑って、あの花火大会での出来事をみんなに話した。数分後、家庭科室にキャーという女子特有の声が反響したのは、言うまでもない。

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女子からの微笑ましく見る視線がくすぐったい。握ったおにぎりを大皿にのせて、体育館へと歩く間も「良かったね、おめでとう名前ちゃん」とか「黒尾くんやるね〜、男らしいね〜」といった称賛の言葉を掛けてくれた。けれどみんな空気を読んで、周りに男子がいる間は今までのにこやかな表情を一切隠してくれた。体育館に近付いた瞬間、示し合わせたように全員の表情がスンと突然切り替わったのには、正直驚いた。

「苗字!これ具は?」

休憩に入った部員たちがおにぎりを持っていくのを、大皿を持ったまま待っていると木兎がキラキラとした瞳で尋ねてきた。順に説明すると、こんぶやサケには目もくれず鶏そぼろだけを両手に持って外へと出て行った。体育館の中は既に人が疎らになっており、部員たちは体育館外の石段や草むらに腰を下ろしてわいわい話しながら休憩している。大皿に余ったおにぎりを見て、おかわり目当ての人でも探そうかと、私も外へ出ようとした。

「わっ」

突然背後から肩に置かれた手に、短く声を上げる。するとそのまま顔の横から手が伸びてきて、おにぎりを掴んでいく。振り向く前に赤い長袖でその人物が特定できてしまって、口元が緩まった。

「もうみんな外行っちゃったよ?」

くるりと振り返るとやはりクロくんがいて、大きな口でおにぎりを頬張っていた。そして私の発言には反応を示さず、丸ごと一個ぺろりと食べ終えてから、木兎のように大皿のおにぎりを指差した。ああ、また具の説明かと、並んだおにぎりに視線を落とした。

「苗字が握ったの、どれ?」

予想と反する問いに、瞬きを繰り返しながら彼を見上げた。え、具じゃないの?訳が分からずぽかんとしていても、クロくんは咀嚼をしながら何でもないような顔をしている。とりあえず、私が握ったのは梅だ。右から二列目の梅だと告げると、躊躇なくそれを取ってすたすたと外へと向かって行ってしまった。嵐のような出来事に、後から理解が追い付いてくる。彼は確か魚が好きだったはずだ。サケじゃなくて良かったんだろうか、なんて考えは熱に浮かされた頭からは出てこなかった。何の具があるかも聞かず、私が握ったのって…。こうやって部活中に彼の好意を感じるのは初めてで、胸にこみ上げる熱い何かに耐えながら、私も大皿を持って外へ出た。

石段には休憩を言い渡され真っ先に飛び出て行った木葉たちと、その傍らにかおりと雪絵、芝生では真子ちゃん英里ちゃんがおかわり目当ての部員に残ったおにぎりを配っていた。クロくんは木兎と一緒になって月島くんに付きまとって遊んでいる。隣で赤葦が気休め程度に月島くんをかばっている。微笑ましい光景に、心が和らいだ。

「あ、苗字!鶏そぼろくれ!」

靴を履いて外へ出ると、木兎が駆け寄ってくる。次いで赤葦も後ろからのろのろと歩いてきて、二人しておにぎりを手にした。

「聞いてくれよ!赤葦が俺のこと鈍いって!」
「実際鈍いじゃないですか。」
「俺ほど鋭い男はこの世にいないぞ!?」

どういう流れで鈍い話になったのかは知らないけれど。相変わらずな言い合いに仲の良さを感じる。微笑ましく眺めていると、その背後でクロくんの隣にいた月島くんがこちらを指差すのが見えた。すると驚いたように大声で何か言って、その差した指を押さえ込むクロくんが視界の端に映り込んだ。月島くんは結構人をおちょくる才能があるとは思うけれど、それをも上回ると思っていたクロくんが動揺を見せるのは珍しい。目の前で漫才のような会話を繰り広げる二人をよそに、私はそちらの方が気になってしまっていた。

「あ、あの!スパイク打ってください!」

二人が話していると、どこからか日向くんがやってきて声を掛けた。休憩時間もじっとしていられないのは木兎に似ている。打ちたくてうずうずしていた木兎は赤葦と日向くんを連れて私の前から去って行った。本当に嵐のような人たちだ。彼らの背中が体育館の中に消えていくのを見送ると、側にいた夜久くんと菅原くんがおにぎりを一つずつ持って行った。さて、残りわずかどうしようかと悩んだとき、体育館に戻るためか近くを月島くんが通りがかった。

「月島くん、おにぎりもう一個どう?」

何個も何個も口に詰め込んでいた木兎や日向くんやクロくんとは違い、月島くんはほとんど食べていなかったように見えた。お腹空かないのかなと保護者目線で聞けば、「大丈夫です」と無表情で答えられてしまった。

「それより、黒尾さんが話したがってましたよ。」

言われてみれば、さっきまで一緒にいたはずのクロくんの姿がここにはない。視線を逸らすと、一人で坂になっている芝生に寝転がっていた。話って、何か用事でもあるのだろうか。再び月島くんの方を見ると、既に彼の姿はなく怠そうに体育館へと入るところだった。今の感じから特にからかわれている様子もなかったし、何だろうと考えながら、大皿を持ったまま仰向けのクロくんに近寄った。

「なに?」
「は!?」
「え、月島くんがクロくんが呼んでるって…」

声の掛け方が悪かった。月島くんは呼んでるなんて言ってなかったし。間違えたと内心焦っていると、クロくんがゆっくりと上半身だけ起き上がって怪訝そうな顔をした。そして案の定「呼んでねーよ」って否定されてしまった。そう言われてしまえば、どうしていいか分からなくなる。休憩中に邪魔したかな。でも、せっかく久しぶりに会えて、今が話すチャンスだ。さっきの一言二言じゃ、私はもう満足できない。

「あ、さっき月島くんとこっち指差してたよね?何話してたの?」
「…気付いてたのかよ。」

見られたくなかったのか、マジかと言って項垂れた。見なかった振りをした方が良かったと気付き申し訳なくなる。クロくんが口元を大きな手のひらで押さえながら、こちらを見上げる。話題変えた方が良いのかと思って残り数個のおにぎりがのった大皿を少し前に差し出した。

「苗字の話してた。」
「えっ?」
「久しぶりに会って話したいけどうまく話せないーってオトメなコイバナしてたんですー。」

伸ばしていた足を引っ込めて胡坐をかきながら、拗ねるように唇を尖らせた。わざとらしく意地の悪そうな笑みを浮かべているから、たぶん今のは少し盛った話だろう。でも、私の話をしてくれていたのは本当だと思う。気恥ずかしくて、顔を隠したくなる。両手が塞がっていてそれは叶わないけれども。

「オトメだね、クロくん。」

彼に便乗して悪ノリすると、意外だったのかそっぽを向きながら「うっせ」と言われてしまった。そして不満そうに眉間に皺を寄せながらもおにぎりに手を伸ばす。それはわざとなのか偶然なのか、さっきと同じく梅が入っているものだ。

「…うまい。」

咀嚼の合間にこぼれ落ちた言葉。みんな同じ米を使っているのだから、味の違いは具しかないんだろうけど。それでもクロくんが梅を選んで、食べてくれるのが嬉しい。これはみんなに食べてもらうために作ったものだけど、いつか。

「今度は俺のために作ってよ。」

いつか、クロくんのためだけに作ってあげたいと考えていた矢先、彼に先手を打たれた。胡座をかいたままこちらを見上げ、クロくんは照れたように素直に笑った。本気で思ってくれているのか、いつもの意地の悪いものではない。西側に傾き始めた日に照らされて、クロくんの微笑みは今までで一番輝いて見える。これが惚れた弱みか。胸に感じた温度にじいんと浸りながら、もちろん!と強く強く頷いた。