「花火っ!?やる!やるに決まってんだろ!」
花火買ってきたらやる?という私の質問に対する木兎の回答を筆頭に、他のメンバーもいそいそと布団から身体を起こし始めた。誰も乗ってくれなかったらなんて、このメンバーでそんなこと、有り得ないか。なぜかやる気に満ち溢れている木葉と小見を見て安心する。かおりと雪絵も二つ返事で頷き、彼女たちはバケツとバーベキューの時に使ったチャッカマンを探しに旅立った。真子ちゃんと英里ちゃんも乗り気で森然と生川のみんなに声を掛けに行ってくれた。
仲間を募れたところで、今から買ってくるからと言って急いで昇降口に向かった。途中に通った、顧問に宛がわれた部屋は電気が消え静まり返っていたから、きっと先生方も近所の居酒屋に飲みに行っているのだろう。そんな中私たちだけが大人しく寝てられない。終わりも近い今日のこれから起こる全てが楽しみで、薄暗い廊下で一人ステップを踏んだ。
「お待たせ!」
「お、どうだった?」
「梟谷はバッチリ!たぶん森然と生川も大丈夫だと思う!音駒は?」
「こっちも。山本とリエーフ黙らせるの大変だったわ。」
クロくんは困ったように、寝癖のついたままの頭をくしゃりと撫でた。そしてこちらを見下ろし、行くか!と歯を見せて笑った。何度もこの昇降口で靴を履き替えた。何度もこの正門へと続く階段を上り下りした。それでも、そのいくつもの思い出の中に、クロくんと二人で、なんてシーンは一つも存在しない。だからなのか、こんなにも胸が騒ぐのは。
「花火売ってるといいね!」
「まあ、売ってないだろうね。」
並んで階段を下りている途中、浮足立つ私に告げられる一言。予想もしていなかった現実的な発言に、思わずえっ!?と声を上げてしまう。一段先を下りながら、クロくんはこちらを振り返った。
「やっぱり、売ってないかな…?」
さも当然のように言われ、私も自信をなくす。季節外れの11月なんかに、花火なんて売ってるはずないって、一度はどこかで思った。でも、クロくんが楽しげに笑いながらやろうって、みんなもやりたいって言うから、期待したのにな。コンビニに着く前から気持ちが後ろ向きになる。最後の試合に向けてみんなで盛り上がっていきたいと思ったのに。
「まあ、いいよ。俺はお前と二人になれれば良かったし。」
どうしてこう、照れくさいことを何でもないような余裕な表情で投下するんだろう。正直思考がついていかず、私の何段か下を先に下りる彼の後頭部を見つめた。いつもは見上げる長身が、今は私の視線の高さより少しだけ低い。珍しい光景に、私はどうしてか前に向かって手を伸ばしていた。
「どうした?」
別に、二人きりになることは初めてじゃない。一緒にバレーの試合を見たり、ラーメンを食べに行ったり、花火だって見に行った。でも、まだ慣れない。この心臓の高鳴りには、まだ全然慣れそうにない。後ろから彼の真っ赤なジャージを掴んだ。背中のNEKOMAという白い文字に皺が寄る。私がジャージを掴んだまま足を止めると、彼もつられて立ち止まって後ろを振り返った。彼が少しだけ、こちらを見上げている。
「私も。私も、なりたかったよ…。ふ、ふたりに。」
ジャージを掴む手が、僅かに震えていた。言葉を発する口から一緒に心臓も出てきてしまいそうだ。物凄い鼓動を放っている。言ったはいいけれど、これからどうするべきか分からず、風が草木を揺らす音を聞きながら、掴んだ手を離そうとした。すると、顔だけこちらを向けていた彼が私の手をするりと取って、そのまま身体の向きを反転した。握手するように骨ばった手で、まるでお姫様が王子様にされるように、震える手を下から握られる。暗い街灯の中、彼の顔に影が落ちた。
「…お前って、ほんとずるいよね。」
独り言のようにぽつりと吐かれた言葉。ずるいのはどっちだろうか。私をこんなにも翻弄して、頭の中を彼一色で埋め尽くしておいて。それでいて、いつも余裕そうに私のことからかってくるくせに。クロくんは何を考えているのか、下から私の手を握りながらその一点を見つめていて、私とは視線が合わない。じっと視線が注がれる手の甲が、熱を持つ。
「なあ、俺、本当に苗字のこと好きでさ。」
そしてまた続けられた、歯に衣着せないような言葉。どうしたんだろうか。クロくんの口から『好き』という二文字が飛び出てくるのは、これで二度目だ。でも前とは違う、とても弱弱しい声。
「色々、我慢してるつもりなんだけど。本当はもっと会いたいし、触りたい。」
段々と上がってくる視線。影から出てきた彼の瞳が、黒猫のようにぎらりと光る。同時にクロくんは立ち止まっていた場所から一段上がり、二人の間の距離を詰めた。握っている手とは反対の方の手が、ゆっくりと私の後頭部へと回る。あ、キスをされるんだ、と気付いたのは、その手に力が籠められ、クロくんの方へと引き寄せられたからだ。いつかくると分かっていた瞬間に、頭は思っていたよりも冷静で、ただ心臓だけが勝手に騒いでいる。でも、嫌な気なんて全然しなかった。むしろ、私の方が待ち望んでいたことなのかもしれない。
「……ごめん。」
唇が触れる数センチ手前で、彼の手が止まった。後頭部にあった手が、するりと離れて落ちていく。至近距離で交わっていた視線が、次第に下へと俯いていく。再びクロくんの顔が影の中へと埋もれた。何も違和感なんて感じなかった。私はクロくんが好きで、クロくんも私を好きでいてくれて、それなのに我慢する必要も思いとどまる理由も、分からなかった。でも、そっか。俯きつつ下に向かって吐かれた「付き合って、ないもんね」という彼の自戒の言葉に、胸を抉られた。付き合っていなかったら、ダメなんだろうか。想い合っているのに、いけないんだろうか。こんなに、こんなにもクロくんのことが好きなのに。いつの間にか、握られている手だけでは、満足なんてできなくなっていた。
「私も、だよ。我慢してる。クロくんにもっと会いたいし、もっと、触れられたいって思ってるよ。」
会う頻度を上げられないのは、もう仕方のないことなんだ。でも、だったらせめて、会っている時間を、彼と濃密に過ごしたいって思ってしまうのは、当然のことなのではないんだろうか。本当はこのまま手を繋いでいたいし、キスだってしたかった。でも、ダメなんだよね。私たちは、付き合ってはいないんだから。どうして、誰がそんな制度を作ったんだ。悲しくて、悔しくて、なのにどうしようもなくて、私はただただ握られていた手を、ぎゅっと握り返した。
「…では、手を繋いでもよろしいですか?」
クロくんはさっきのような神妙な顔つきではなく、ふわりという効果音が付きそうなくらい優しげな表情を浮かべながら顔を上げた。これは彼なりの気遣いなんだろうか。緊張感に包まれていた二人の空気が和んだ。あ、こういうところだ。私は割とネガティブなところがあって、暗くなりがちなんだけど。そういうとき、クロくんはいつもちょっとおどけて、光の中から手を差し伸べてくれる。
「はい。よろしいです。」
自然と頬が緩まっていくのを感じた。こういうところが、すごく好き。「じゃあ、行きますか」と、さっきまでの暗い雰囲気なんて微塵も感じられないような彼の計らいに、再び胸が高鳴る。手のひらから伝わってくる熱が心地よくて、この手をずっと離したくないと思う。
「ちゅーはお預けですかねー。」
階段を下り切って、人通りのない薄暗い夜道で、彼は呟いた。独り言なんだか、私に話しかけているのか。別に私が拒否したわけじゃない。私は、あの時したって良かった。でも、あの時クロくんが踏みとどまったのは、きっと正解だったに違いない。付き合ってなくてもキスなんてしてしまったら、付き合う意味が分からなくなってしまう。キスをするために付き合うっていう意味じゃないけど、純粋な気持ちで待てなくなってしまう。それに、彼からとても大切にされている気がする。
「…でも、私はいつでもしたいって思ってるからね?」
コンビニが見えてきたとき、私は自分の正直な気持ちを話した。いつだって、クロくんのことを考えながら待ってる。そう約束したから。
「もー、お前、ほんっと!」
クロくんは照れているのか、一度驚いたようにこちらを見てから、顔を逸らしながら手のひらで口元を隠していた。彼は私をずるいと言ったけど、やっぱり私はクロくんの方がずるいと思う。私ばっかりこんなにクロくんでいっぱいなのは、ずるい。だから、せめてもの対抗心。私の悪あがきは彼へだいぶダメージを食らわせたらしく、耳が微かに赤みを帯びているのが見て取れた。こんな狼狽えるクロくんは珍しく、なんだか楽しくなってしまう。繋いだ手をぶんぶんと振りながら、スキップでもしてしまいそうな勢いだ。
「あー、もう、そんなはしゃがないの。」
「だって、嬉しいんだもん!」
「それはようございました。」
呆れ半分で、はしゃぐ私の半歩後ろを歩く。お父さんみたいだね、って笑うと、「これでも彼氏の座を狙ってます」と真剣な声色で言われてしまう。今度は私が照れる番。勝ち誇った気分でいたから、突然のカウンターに心が付いて行かず、口を半開きにしたままクロくんの方をじっと見つめてしまう。形勢逆転でもしたように口角を右側だけぐっと上げて、不敵な笑みを浮かべていた。また、してやられた。遅れてやってくる鼓動に飲み込まれる。ほらね、やっぱりクロくんの方が私よりも何枚も上手で、ずるいんだ。「うー!」と言葉にならない声を上げると、クロくんはざまあみろって言って、楽しそうに歯を見せて笑った。