夏本番を前にして、既に夏バテが始まりそうだと朝から熱の篭った体育館でそう思った。ついに7月の週末合宿も始まる。今回は猫又監督の計らいによって仙台の烏野高校というチームも参加することになったということは、合宿当日に聞いた。高校最後の夏に、ライバル校が増えることに士気は高まり、また嬉しくも思う。
「お願いしあス!」
「しゃす!」
選手たちが一礼して、コートに入っていくこの瞬間が好きだ。キュッキュとシューズが高い音を出す。
「例の烏野高校は?」
「もうすぐ着くって。どんなやつらが来ようと、勝ーつ!」
木兎は朝から元気だ。そんな主将の姿を笑いながら、木葉と猿杙も一緒にコートに入り、アップを始めた。それを横目に、私たちは倉庫に得点板を取りに行こうとコートの外の壁際をボールが当たらないよう注意しながら通った。音駒のコートの横を通るときはなんだか緊張する。流れ玉に意識を集中させ、華麗に避けながら歩いていると、しばらく聞いていなかった声が振ってきた。
「今度は当たらなかったな。」
クロくんと話すのもあの練習試合以来だ。また人を小馬鹿にするような意地悪な笑み。
「もう当たらないよ!」
「そりゃ俺も思いっきり打てるな、安心だわ。」
また嫌味なこと言ってる。私もよくムキになって言い返してしまうが、それが結構楽しかったりする。けれどクロくんは今は練習前の大事なアップ中で、私は試合の準備中。もっと喋っていたかったけれど、それは叶わないから、小さく手を振ってコートを通り過ぎた。クロくんは振り返してくれなかったけれど、おう、とだけ言ってアップに戻って行った。
からからと得点板のキャスターを鳴らしながら引いて梟谷のコートに戻ると、ちょうどやっと準備が出来たのか赤葦が欠伸をしながら体育館に入ってきて、目敏くそれを見付けた木兎は大きく手を振った。
「おい赤葦、遅いぞ!早くトス上げてくれよ!」
赤葦がコートの外にいた私たちマネージャーの横を通り過ぎる時に溜息混じりに「はいはい」と言うのが聞こえて、小さく笑った。我が梟谷学園は、今日も今日とて調子が良い。
サーブ練習が始まって少しすると、隣のコートで音駒が集合を掛けていた。烏野高校が到着したから迎えに行ってくるとクロくんが大きな声で他校に告げ、副将の海くんと二年生の山本くんを連れて体育館から出て行った。他はまだコートに入ったままアップをしていた。
「どんなやつらだろうな、烏野高校。」
コートから出てきてタオルで汗を拭いていた小見がぼそっと零した。まだ見ぬチームを勝手に脳内でイメージする。
「マネージャーいるといいなあ。」
「苗字ならすぐ友達になれそうだな!」
「ほんと?嬉しい!」
よし、絶対仲良くなろう。梟谷学園グループのマネージャーはみんな仲良しだ。きっと烏野高校ともうまくやれるだろうやってみせると、選手とは違うところに闘志を燃やした。
遅れてやってきた烏野高校の準備が終わり、ようやくアップに入ったところで森然、生川のマネージャーである真子ちゃんと英里ちゃんと一緒にドリンクを作りに体育館を出た。そこでタイミング良く、烏野のマネージャーにばったり会った。
「あ、烏野の!」
「ハイ!あの、よろしくお願いします!」
眼鏡の美人さんが緊張気味に頭を下げると、その一歩後ろにいたもう一人の可愛い系の女の子が慌てて同じことをした。烏野のマネージャーさん、レベル高いなあと多分今私たちはシンクロできた気がする。
「よろしくね!合宿、一緒に頑張ろう!」
そう言って握手を求めると、黒髪美人さんは嬉しそうに顔を綻ばせ、この手を取ってくれた。
いつも梟谷学園グループの合宿では、各チームがローテーションで試合を組み、1セットごとに負けた方はペナルティでフライングコート一周。このペナルティは梟谷がやるところはあまり見ない。それほど強いのだと私たちマネージャーは鼻高々だ。今回は5校いるから、余った1校が審判や得点板に付き、私たちの仕事は少し減ってしまった。が、それでもギャラリーに上がったボールを取りに行ったり、差し入れ作ったり、スコアの記録したりと何だかんだ慌ただしい。
「音駒はマネージャーさんいないんですね?」
「あーそうなの。だから合宿では自分のチームだけじゃなくて、他のチームも見てあげてね。」
さっき知り合ったばかりの烏野一年の谷地仁花ちゃんが、音駒のコートを見ながら呟いたのが、私の耳には届いた。入部したばかりの谷っちゃんは音駒とは会ったことがないらしく、そう教えてあげた。
「まあ、音駒のサポートは名前に任せて大丈夫だよ。」
「は?ちょっと!」
かおりと雪絵は揃って歯を見せてからかうように笑った。意味の分かっていない谷っちゃんだけがポカンとしている。部活中にその話題でからかうのはやめてくれ。
「音駒のことは名前が1番よく分かってるから〜。何でも聞いてね〜。」
楽しそうだな、おい。雪絵が谷っちゃんにそう言うと、谷っちゃんも素直にハイ!と答えていた。確かに合同合宿では梟谷の次に音駒のことを気にかけてはいるけれど、それはやっぱり音駒にはマネージャーがいないからだ。なんだか弁解するのも面倒くさくなってきたなと思いながら視線をコートに戻すと、選手たちはざわざわと落ち着きのない様子だった。梟谷vs森然のコートだ。
「木兎さん、しっかりしてくださいよ。」
赤葦の辛辣な言葉と視線の先を追うと、木兎がレシーブをミスしてギャラリーにボールを上げてしまったのだろうと、だいたい予想がついた。新しいボールを出し、私取ってきます!と手を挙げて体育館を出た。あの面倒くさい空間から逃げる理由が出来たから、木兎のやつタイミング良いなと心の中で褒めてあげた。
体育館を出ると、ちょうど音駒が首にタオルを掛けて戻ってきたところだった。水道水で汗を流してきたのか、みんな頭が濡れていた。山本くんは乾くの早そうだけど、真ん中のふさふさ以外は。
「お?どっか行くのか?」
クロくんも髪が濡れていつもの寝癖がついていなかったから、一瞬誰か分からなかった。木兎がギャラリーにボールを上げてしまったことを伝えると、なるほどなと呟いてから再びタオルで頭をわしゃわしゃ拭き始めた。一応話は終わったのだけれど、クロくんは体育館に入ろうとはしないし、私もなんだか立ち去りづらくて足がその場で動かない。
「クロさん早めに戻ってきてくださいねー。」
山本くんがニヤニヤと笑いながら横を通り過ぎ、そんな彼の頭を叩いて「茶々入れるのやめなさい。」と夜久くんが通る。他の人には小さく会釈をされ、孤爪くんには無言で凝視され、もう居た堪れない。この音駒の反応、やっぱり私のクロくんへの好意に勘付いているのかもしれない。これだから男子は、と呆れたところで状況が変わるわけではない。なんだか申し訳なくなって、じゃあとだけ言ってクロくんの前から逃げようとした。
「あー、おい!」
が、本人に引き止められてしまったら、もう逃げ出せない。しかもがっちりと手首を掴まれ、反動で身体は情けなくクロくんの前に戻った。掴まれたところは、この間の練習試合でボールが当たって腫れた箇所だ。もう痛みはしないけれど、やはり熱を持っている気がした。
「な、なにかな?」
「サンキューな。」
何だろう、身に覚えがない。お礼を言われる理由が全く思いつかず、目をぱちくりさせてしまった。しかもあのクロくんが素直にお礼を言うなんて。
「おい。」
「はい?」
「今お前失礼なこと考えてたろ。」
「…いえ。」
「顔に出てんだよ。」
頭を拳でぐりぐりされ、痛い痛いとその腕を叩くと、すぐに離れて行った。筋肉のついた、バレーをやっている逞しい腕だ。お礼を言われたかと思えばぐりぐりされて、もう意味が分からない。一人でむくれていると、上からくつくつと笑い声が降ってきた。そんなに笑うほどおかしな顔はしていないはずだけど。
「悪かったって。そんなにむくれんなよ。」
「何がサンキューなの?」
直球勝負でそう尋ねると、クロくんは目を逸らしてから、再び視線が交わった。じっと見つめられると、ごくりと唾を飲み込むことしか出来ず、何も言えなくなる。体育館の中からシューズの音と、みんなの声出し、そして外で騒いでいる蝉の鳴き声だけが耳を支配した。
「メッセージ、くれただろ。木兎のスマホから。」
手に汗を握った。あ、やっぱり気付いてくれていたんだ。がんばれって。でも本当は自分の口から、自分の声で伝えたかった。届かなかった。
「負けたけどな。」
音駒は二回戦で去年の優勝校と当たり、ベスト8止まりとなった。それだけでも凄いねなんて言えない。勝ち残らなきゃ意味なんてないこと、分かっているから。慰めの言葉なんて、何も思いつかないし、ライバル校の一マネージャーが何を言ったって、クロくんの支えになんてならないと、どこかで諦めていた。
「でも、あれのおかげで頑張れた。だから、サンキューな。」
咄嗟に顔を俯かせた。私のあのたった一言を、無駄じゃないと言ってくれた気がしたんだ。嬉しくて、なんだかもどかしくて、じわりと涙が浮かんだ。
「私はいつだって、クロくんのこと応援してるからね!」
本当は傍で支えてあげたい。同じ高校だったらよかったのにって思ったこともあるけれど。クロくんのサンキューに、私も救われた。応援、してる。チームが違っても、その試合にいなくても、私はいつだって、クロくんのことを応援している。今の言葉に、それだけの意味を篭めた。ちょっと重いかなとも思ったけれど、それを聞いて、クロくんはもう一度「サンキュー」と言って微笑んでくれた。