お手洗いの鏡に映った自分を見て、口をきゅっと結んだ。思いもよらない展開に、後からのろのろと頭がついてくる。実際に二人きりになるのは初めてだったから、観客席から並んで試合を観戦するだけでも息が止まりそうだった。それなのに、これから遅い昼食を二人でとることになってしまって、もう何が何だか。とりあえず頭を整理するために、数分前のことを順番に思い出した。

「んー、いい試合だった。」

午後の最後の試合も終わり、クロくんは座ったまま隣で伸びをした。思ったよりも席は近い距離で、腕が触れそうな中での観戦は、試合の行く末にハラハラするのも相まって全然落ち着いて見れなかった。そんな私を知る由もなく、クロくんはスマホを開いていた。あれ、クロくんってスマホユーザーだったっけ?と聞こうとしたが、視線の先の物はすぐにポケットにしまわれてしまって、すっかりタイミングを失った。

「苗字、腹減ってねえ?」

問われたのは今考えていたこととは全く違うことで、一瞬で頭を切り替えることは私には難易度が高い。「ええと…」と言いよどみ、私もスマホを開いて時間を確認する。まだ3時前。そういえば朝ご飯は遅かったし、途中から来て午前と午後の試合の合間にも、何も食べていなかった。確かに、空いている。

「お腹、減った。」
「よし!俺、部活までまだ時間あんだよ。飯行こうぜ。」

昼食べてねーんだって続けて言ったのが、頭に入ってこなかった。この後もまだ一緒にいられる。私の願望を、叶えてくれる展開に、何も考えずに「うん!」と食いついてしまった。しかしよく考えると私は男性と二人で食事なんて、こんな展開には全く慣れていないから、状況を理解するとだんだん緊張が胸を覆ってきた。ドキドキしてきた、どうしよう。とりあえず一旦落ち着くために、ちょっとお手洗い行ってくると言ってその場を逃げ出した。そして今、鏡の前で2回目の溜息を零した。もう少しオシャレして来れば良かったと今となってはどうしようもないことまで考えてしまう。けれどこのままこうしている訳にもいかないし、腹を括った。

「お、お待たせ!」

トイレの前の壁に寄りかかって、クロくんはまたスマホをいじっていた。誰かとやり取りしているのか、少しだけ笑っている気がする。声をかけると、おうと一言答えてからスマホをポケットにしまった。

「よし、行くか。」

わ、これデートみたいだ。一人で勝手に舞い上がって、後で現実見て悲しくなるのは目に見えている。それでも私は今とっても幸せですと端的に表現してしまっている顔を見られないように、クロくんの一歩後ろを歩いた。

「何食いたい?」
「うーん…。何があるの?」

何と言ったところで、バイトもしていない高校生が出せる金額なんてそうそう限られてくる。体育館から出たところで、行先も決まっていないから二人で足を止めた。

「ラーメン。しか知らねえ。」
「うわ、男子高校生みたいだね!」
「男子高校生なんですケド?」

私の顔を覗き込みながら、クロくんは歯を見せてニヤッと笑った。その表情、本当によく似合ってるなあ。無意識のうちにじっと見つめてしまっていると、クロくんも少しやりづらかったのか、すぐに顔が離れていった。

「今なんの気分?」
「…ワッフルかな。」
「よし、ラーメンな。」

お腹は空いてはいるけれど、この暑い中がっつりラーメン食べれるほどではなさそうだし、どちらかと言うとデザートの気分だった。しかもせっかく二人でご飯なのに、ラーメン屋なんて一番話が出来ないタイプのお店だ。最初で最後かもしれないチャンスが…なんて一人で項垂れていると、クロくんはさくさくと歩き始めてしまった。

「おーい、おいてくぞー。」

ラーメン以外選択肢がないなら、私の気分なんて聞いた意味ないじゃん。ふてくされていると、クロくんはくるりと後ろを振り返った。

「ワッフルは今度付き合ってやるから。今日は我慢して。」

なんて現金な女なんだろう。そんな言い方されたら、喜んで我慢するよ。まるで尻尾を振る犬のように小走りでクロくんに追いついて、「約束だよ!」と大きな声を上げてしまった。もしかしたら、最初で最後のチャンスじゃなくなるかもしれない。次があったら、どれだけ幸せなことだろう。そうやってまた、舞い上がるようなことを言うから。一人ではしゃいでいると、クロくんはそんな私を見ながら「部活ないときな」という現実味あふれる言葉を零したから、素直に喜べなくなった。一瞬、部活のことを忘れていた。最後の夏を前に、浮かれているのかもしれない。でも、私が優先すべきことは自分のことではなく、梟谷バレー部のことだ。他校の人間と遊んでいられるほど、私もクロくんも暇じゃない。現実を突き付けられた気がして、「そうだね」と小さく返事をした。

昼の時間帯を過ぎたおやつ時、ラーメン屋はそれほど混んでいなかった。それでもカウンターには何人かのお客さんがいた。それを横目に、醤油と味噌どっちにしようかなと頭を悩ます。

「ここは醤油がウマいんだよ。」

クロくんは迷うことなく醤油ラーメンの食券を購入していた。じゃあ私も。クロくんにオススメされたものを食べない訳にはいかない。ラーメンの匂いをかぐと、なんだか食欲が出てきて、ちゃんと一人前食べられそうだ。お腹のコンディションを確認してから、空いてるカウンターの席につき、食券を出した。

デザートの気分だとか言っておきながら、結構普通に食べられたなあ。クロくんは私よりも先に食べ終わっていて、私が食べているのを見たり、端末をいじったりしながら普段の学校の話とか他愛のないことを話した。学校生活の中でも山本くんは騒がしいとか、孤爪くんはゲームばっかりしてるとか、夜久くんはしっかりしたお母さんだとか。全部想像できるものだけど、実際にクロくんの口から話を聞けて、彼の学校生活を垣間見れた気がした。

「同じ学校だったらなあ…」

楽しそうにチームメイトのことを話すクロくんを見ていたら、自然とそう声がこぼれていた。私が音駒だったら、同じ教室で授業受けたり、掃除サボってるところを注意したり、帰りのバスで会ったり、そんなこともあったかもしれない。

「あー、俺も」
「え?」
「俺も思うわ、それ。」

まさかの返答に驚きを隠せず、目をぱちくりさせてしまった。正直に驚いたのだ。クロくんもそう思ってくれるなんて、少なからず好意を持ってくれているのだろうか。

「苗字はからかいがいがあるもんな?」

ニヤリと笑って私の頭にポンと手を置き、クロくんは席を立った。なんだ、からかわれたのか。それだとしても、嬉しい。たった一言で天にも昇らせてしまうなんて、本当に意地悪。だからこの火照りはきっとラーメン食べたせいだ。