三日目の朝、恐れていた事態が起こった。朝食の時間になっても、音駒だけ一人も姿を見ない。真っ赤なジャージがいないせいか、食堂はいつもより色味のない寂しい空間となっていた。監督や顧問の先生も昨晩は飲み過ぎたせいか、起きては来ないし。音駒は毎年寝起きの悪いことで話が通っている。その中でも、クロくんや孤爪くん、山本くん辺りは群を抜いているだろうと、想像できた。

「え、ちょっと、どうすんの?」
「名前、起こしてきて!」
「やだよ。」

とりあえず、他の4校には先にアップを取り始めてもらって、私たちで音駒に割り当てられた教室に向かってみた。一昨日の夜から、クロくんとは二人で話すことはなく、少し気まずい空気を醸し出していた。他のマネージャーや部員には不審に思われることもなかったみたいだけれど。気持ち的に、なるべく一人でクロくんには近付きたくない。

「音駒起きて〜!」

音駒の教室のドアを開けて、そこから声を掛けたところで誰も目を覚まさない。犬岡くんは掛け布団の上で四肢を広げ、山本くんなんて未だに豪快ないびきをかいているし、孤爪くんは布団にくるまってびくともしない。

「一番起きそうなの、夜久くんかもね。」

そう言うと、マネージャー内での意見は合致していたらしく、他の部員には目もくれず夜久くんを起こそうと声をかけたり揺すったりと、様々な手段を酷使する。その隣では、何も気付かないクロくんが枕に挟まれて気持ちよさげに寝息を立てていた。

結局夜久くんもそう簡単には起きてはくれなくて、音駒全員の準備が終わった頃にはもう朝食の時間はとっくに終わってしまっていた。朝食を食べず寝起きで覚束ない頭で体育館へ入って行った音駒が、他校から笑い者にされるのは仕方のないことだった。クロくんの寝癖はいつもより酷く、山本くんもずっと欠伸を噛み殺していた。

「おい!今日のネコ弱いぞ!」

木兎が空腹と闘いながらバレーに励む音駒に、容赦なく言い放つ。誰の目から見ても、今日の音駒は調子が悪すぎる。さっきから連続ペナルティだし。クロくんも声は出しているが、いつもより元気も余裕も感じられなかった。そんな彼らを見ていられなくて、途中から来た猫又先生に了承を得て、音駒に差し入れを作ることにした。

昼前に冷たい緑茶と一緒におにぎりの差し入れをすると、5校は一斉に体育館を飛び出した。朝食をとれなかった音駒以外もみんな美味しそうに頬張ってくれて、作ったかいがある。にこにこしながら、そんな姿を見ていると夜久くんが近寄ってきた。

「あ、お茶?」

緑茶のおかわりかと思ってペットボトルを取りに行こうとしたら、違う違うと言って笑われた。夜久くんは長身揃いの音駒の中で最も小柄で、私はそれほど見上げなくても目が合う。クロくんとは全然違うなあ。

「朝はありがとね。」
「あ、いえいえ!起こすの遅くなっちゃってごめんね!」

もう少し早く気付いていたら、音駒も朝食を逃すことはなかったかもしれない。夜久くんに頭を下げられ、私もぺこりと同じようにした。すると夜久くんは少し驚いたように目をぱちくりさせ、小さく微笑んだ。

「苗字さん、いい子だね。」

いい子って、おい。同学年にそんなことを言われ、複雑な心情をそのまま顔にしてしまった。

「ほんとっすよ!」

そこで話に入ってきたのが山本くんだ。気付くと近くには音駒の集団がいて、ばっちりクロくんと目が合ってしまったから、慌てて顔を逸らした。そんなことには全く気付かず、山本くんはおにぎり片手に「うまいです!」だなんて言ってくれる。とても嬉しい感想だけど、彼の背後にはクロくんがいる訳で、山本くんの方さえ見ることができない。

「苗字さんがうちのマネだったらな。」

俯かせた顔を上げると、夜久くんが優しくにっこりと微笑み、その隣で山本くんが物凄い勢いで首を上下に振っていた。その言葉は、マネージャーを務めている私にとっては本当に嬉しいものだ。素直に喜びを隠せず、ありがとうと頭を下げた。もし、クロくんもそう思っていてくれたら、なんて淡い期待を持つ。梟谷のマネージャーである私は、夏合宿でしかクロくんたちを直接的にサポートすることはできない。だから少しでも役立てたら、って。クロくんなら、何か言ってくれるんじゃないかって。恐る恐る彼に目を向けると、ぴったり視線が絡まり合った。ドクドクと心臓の音が聴こえる中で、真っ直ぐに見つめ合って。けれどクロくんは、故意に目を逸らし、そのまま私の前から去っていった。

「苗字さん?どうかしたの?」

遠ざかる背中を見つめると、何も言えなくなった。あの日、2人で行ったラーメン屋で、学校が一緒だったらねって話をした。俺もそう思うって言ってくれた。なのに。

それがクロくんの答えなのか。一昨日の夜のことが脳に蘇る。好きだと気持ちが溢れていても、あの時、私も彼に背を向けた。クロくんの気持ちはやっぱりよく分からない。けれどきっとこれが、私たちの答えなんだ。