本当にどうしてかってくらい、夜久で頭がいっぱいだ。夜久の告白は嬉しかったけれど、そこに私の気持ちは伴っていなかったから断るという判断をしたんだ。それで、もう終わった話じゃないか。なんで今更、夜久に思考を奪われて、独占したいなんて思っているんだろう。自分のことが、自分で一番分かっていると思っていたのに、分からないことだらけだ。今日も今日とて前の席の女の子と談笑している彼をちらりと盗み見て、溜め息をついた。

「い、委員長…!」

三限と四限の間の休み時間に、私は一人で席について頬杖をついて、夜久のことを考えながら溜め息をこぼしていた。そんなところに、ひょっこりと教室のドアから顔を出したのは、委員会の後輩二人組だった。単に遊びに来たような笑顔だったら良かったのだけれど、なんだか切羽詰ったような表情の彼女たちに、嫌な予感がした。

「どうしたの?」

三年の教室だからか、彼女たちはドアのところでそわそわしていたから、委員長は席を立って、後輩と一緒に廊下へ向かった。表情を見るからに、きっと朗報ではなさそうだけど、大丈夫かな。余計なお世話かもしれないけれど、一応副委員長として、話を聞く立場ではあるのではないだろうか。私の杞憂ならば良いのだけど、お手洗いへ向かう振りをして、聞き耳立ててみようかと、私も廊下へ出た。

「え、なくしたの?」

血の気が引いていくという表現がぴったりのような二人の真っ青な顔と、委員長のいつもより低めの声に、何が起きているのかを一瞬で察した。おそらく今日使うはずの昼休みの放送の原稿を失くしてしまったのだろう。今日の放送の担当は彼女たちだが、まだ一年生の彼女たちは原稿を作ってから私たち三年に悪い表現や間違っている箇所を直してもらって、それで完成となる。一昨日の委員会の間に委員長が見てあげていたのを覚えているし、その後確かに委員長の手から彼女たちに渡していたはずだ。

「す、すみません!失くしてしまいました…」

今にも泣きそうになりながらも、唇をきゅっと結んで、二人は頭を下げた。今から書き直して間に合いますか、と消えそうな声で尋ねてきたが、正直委員長は頭を抱えているだろう。こういう不手際を委員長は凄く嫌がる。

「今日の内容メモ残ってる?」
「苗字センパイ……いえ…」

突然話に入ってきた私に一瞬驚きを見せたが、すぐに顔を曇らせてしまった。お昼の放送では、他の委員会からのお知らせや、大会などに出場している部活の近況報告など、その日の内容は担当教師から指定されている。確か、そのメモは机に入ってあったはず。あと一限でお昼休みに入ってしまうが、今から書いて間に合うかな、と考えたとき、次の授業が音楽であったことを思い出した。確か先週やった小テストの返却だけで、クラス全員が先生に一対一でコメントを貰うため、待っている間は自習という名の自由時間となる。大丈夫、原稿を書く時間はある。どうしよう、と本気で落ち込んでしまっている後輩を可哀相だと思ってしまう私は、きっと甘いんだろうな。委員長は腕を組んだまま何やら考え込んでいて、それを見て後輩たちも今にも泣きそうになっている。まあ委員長は怒ると怖いし、彼女たちからしたら厳しい先輩に見えるだろう。

「分かった。私たちが書き直すから、心配しなくていいよ。」
「は?何勝手なこと…。」
「今出来ることは説教じゃなくて、私たちが書き直すことでしょ。」

明らかに不満そうな委員長を、なんとか説得しないと、時間もない。昼休みの放送までは、あと一時間もない。でも、と申し訳なさそうな後輩たちを出来るだけ元気づけるように、笑顔で二人の肩を叩いた。

「大丈夫!私たちが何とかするから。ね?」
「あ、ありがとうございます!本当にすみませんでした!」

二人が思いっきり頭を下げる隣でへらりと笑う私を見てか、委員長は大きく溜め息をついた。今説教したところで、放送の時間は迫ってくるだけだ。出来ることをしよう、という意味を込めて委員長の背中を押して教室へ戻ろうとしたとき、音楽の教科書を持った夜久がドアの前にいて、一瞬だけ胸が高鳴った気がした。ばっちり目が合うと、彼はなぜか優しげに、でもなんだか得意げに微笑んだ。まるで、ほらねって言うような。何が、ほらね?でも今は、そんな錯覚をどうこう言っている時間はない。急いでメモを取って、委員長と共に音楽室へ向かった。

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がやがやと雑談でざわめく室内で、私と隣の委員長の席だけ静まり返っていた。音楽室の席は自由で、だいたい後ろの方から早いもの順に埋まっていく。私たちも早めに移動したから、教室の中央くらいを陣取れた。

「あーもう、疲れた。」

ルーズリーフにつらつらとひたすら言葉を綴るだけの作業に、そろそろ嫌気がさしてきたのか、委員長はシャープペンを机に放り出して大きく伸びをした。昼休みまでは、あと20分程度だ。

「間に合いそう?」
「うーん、あと二つかな。保健委員会と整備委員会の書けば終わり。そっちは?」
「あとバスケ部とバレー部。」

委員長は他の委員会からのお知らせ、私は部活の受賞報告を、もう一度書き直している。一度書いた内容だからだいたいの概要は覚えているが、賞の名前や受賞者の人まではさすがに覚えていない。それぞれの部活の人に、先週末何の大会に出場して、何の賞を貰ったのかを一つずつ聞いて箇条書きにしてまとめた。それもこの音楽の授業だから出来ることだ。

「ねえ、先週の土日、バスケ部も大会だったんだよね?」

ちょうど前に座っていた男子がバスケ部だったから、肩をとんとんと叩いて声を掛けた。大会の名前と、賞の名前と、出場した部員の名前と。それを一気に尋ねると、さすがにびっくりしたのか、なんでお前がそんなことを聞くんだと言うような、あからさまに怪訝そうな表情を見せた。

「ああ、苗字、放送委員会だったな。」

事情を説明しなくても、委員長が隣にいたからか、ありがたいことにすぐに察してくれた。

「俺ら、地区大会のベスト8だったんだよ。出場メンバーは平岡と坂下と清水と中村と、あと五十嵐。」

情報を一語一句聞き逃さないようにメモを取り、ほとんどが三年のメンバーの名前を書き連ねていった最後に、ぴくりとペンを動かす手が止まってしまった。五十嵐、か。凄くバスケが上手いって、前に聞いたことがある。昔は仲が良かった、彼。私を良い人だと言ってくれた彼も、私が夜久に対してそうであるように、独占欲を持ってくれたのだろうか。

「…おっけ。ありがとう。」
「おう。」

前の席の男子にお礼を言って、私はペンを握り締め、椅子から立ち上がった。いや、違うんだ。きっと、私は夜久だから、この感情を持っている。他の人は、関係ない。たとえ、昔に好きだったあの人だとしても。あんなに必死にバレーの練習に励む夜久だから、恥ずかしそうに顔を赤らめるのにいつだって真っ直ぐな夜久だから、きっと私は彼に心を独占されてしまっているんだ。心を、奪われ始めているんだ。

「夜久。」

一番後ろの席で、黒尾と二人で話している夜久に近寄ると、彼は少し驚いたように目をぱちくりさせた。

「ちょっと聞きたいことがあって。」
「苗字、どーした?」

さすがの黒尾も驚いたのか、動揺を隠せていない。そんなに私から話し掛けるのがおかしいのか。避けないでほしい、もっと知ってほしいと言ったのはそっちじゃないか、とムキになって少し前のことを思い出してしまった。

「この間の大会のこと聞きに来たの。」
「大会…?あ、放送のか。」

さっきの男子といい、夜久といい、凄い洞察力だな。事情が分かると黒尾はなーんだツマンネと言ってスマホにイヤホンを挿して何かの動画を見始めてしまった。協力する気無しか。イラッと来て一発殴ろうかと拳を握ったとき、夜久が話し出して、慌ててメモを取った。

「メンバーは、黒尾と海と俺と、二年の山本と研磨、…あー、孤爪研磨、あと一年の灰羽リエーフ。」

リエ?聞き慣れない名前に、眉をひそめてしまうと、夜久は困ったように、ハーフなんだよと笑った。リエーフ…。あ、前に体育館へときに夜久が練習に付き合ってあげていた後輩だ。ああ、この人も、ちゃんと先輩なんだな。普段からは見えない年上感を感じて、気付かれないように小さく笑った。

「苗字って、しっかりしてるよな。」
「え?」

ペンを走らせて出場メンバーの名前を書き留めていると、夜久がそのメモを見ながら、小さく呟いた。独り言のようなものだったのか、私が顔を上げると、褒めてるんだよ、と彼は慌てて言った。いや、悪口には聞こえないけれど。

「さっき廊下で話してるの、少し聞こえたんだ。」
「廊下?」
「後輩がなんか問題起こしたんだろ?それで今苗字達が代わりにそれ、やってんじゃねえの?」

さっきの、聞かれていたんだ。なんだか見苦しいところ見せちゃったね、と恥ずかしくなって目を逸らすと、そんなことないよ、という優しい声色が鼓膜を撫でた。

「あいつ、しっかりしてるしリーダーシップもあるけど、きっと苗字がいるからなんだろうなー。」

夜久の言うあいつ、とは委員長のことだろう。傍から見れば、彼女は自分にも他人にも厳しい委員長で先輩で、先生からの信頼も厚くて、本当に頼もしい。でも少し子供っぽいところもあって、自分の意見は曲げないし、どこか抜けたところもある。きっと今日だって、放っておけば後輩をがみがみ叱り付けて泣かせていたところだろう。そんなことは、彼女とずっと委員会をやってきて、何度もあったことだ。その度に、私は間に入って、その時すべき対策を提案して、言葉を選んで、仲を取り持ったりしてきた。でもそんなこと、私は誰にも言っていないし、誰も見ていない。

「苗字がみんなのこと支えてるのは、俺が知ってるよ。」

目を細めて、優しく微笑んだ。急激に上昇する熱を感じてしまい、思考がショートしそうになった。身体中がドクンドクンと脈打つのが分かる。私のことを、誰も知らない。支えているなんて、そんなおこがましいことはさすがに考えてはいないけど。委員長の前でも後輩の前でもへらへら笑って、周りをよく見て、その場に最適な言葉を選んで。そうやって来たのを、誰も知らないはずだった。そんな私の考えを、夜久は笑いながら簡単に壊した。

「お前も大変だな。」

困ったように笑う彼に、これまでにないほどの親近感を覚えた。あの日、体育館の前で、夜久は私と夜久が似ているって言った。それが今、なんとなく、確かにそうなのかもしれないって思える。私はまだまだ夜久のことを知らなくて。でも夜久は、私のことをそんなに見ていてくれたんだ。じんじんと発する熱を、どうやったって下げることができなくて、どうしてか泣きそうになった。

「…ありがと。」

席に戻って、原稿を書かなきゃ。メモとペンを持って、椅子から立ち上がる。まだ、ここにいたい。夜久と話していたい。もっともっと、彼のことを知りたい。そう、心の底から思ってしまっている自分がいる。

「頑張れよ。」

背中に掛けられた声。その声はついこの間まではただの友達のものだった。でも、もうあの時とは違う。夜久の気持ちも、私の気持ちも、私たちの関係性も。この熱と、この高鳴りが、確かにそれを物語っていた。