日没が早くなった気がする。委員会が終わり、完全に日が沈んだ後の肌寒く、街灯の少ない暗い道を一人歩く。道の端っこで落ち葉が踊っている。そんな景色を横目に見ながら、バス停までの間、さっき放送室で繰り広げられた会話を思い出していた。

「それって、夜久のこと好きなんじゃない?」

委員長に言われた言葉が、ぐるぐると頭の中を回って離れようとしない。その言葉は、前に黒尾にも言われたものだ。色んな感情の変化を、何もまとまっていない私の感情を、放送室で全て吐き出した。ぽつりぽつりと、最近感じていた胸の高鳴りを、支離滅裂になりながらも口にすると、返ってきたのは、そのたった一言だけだった。その問い掛けを前に、私は何も言えなくなってしまった。どうして私が夜久を振ったのか、彼の気持ちに応えられないのか、だんだん分からなくなってきている。口を噤んでしまった私に、委員長はなぜか、優しく微笑んだ。

真っ暗な道に、一つの足音が鳴り響く。私は、夜久のこと、どう思っているんだろう。なんだか答えは出ているのに、いつまでたっても踏み出せないだけのような気がする。何を、臆することがあるのだろう。ぽつんと道の端っこで一本の街灯が照らす小さな空間が、私の閉鎖的な心のようだった。街灯の下で、風に揺らされる落ち葉が、カサカサと音を立てて絡まり合っていた。

「あんま期待させないでやってくれな。」

そう言ったのは黒尾だ。期待なんてさせてるつもり、全くなかった。今でも鮮明に思い出せる、重くのしかかった言葉。私の態度は、期待させているの?自分のことなのに、何一つ分からない。ただ、その時感じたように、その時したいようにやってきた。でも、夜久とあの子の間に入って数学のプリントを貸してあげたり、彼の様子を見に離れた体育館まで出向いたり、独占してしまいたいと感じていたり、私のことを見ていてくれる彼に胸が高鳴ったり。無意識のうちに私の頭は夜久のことばかりになって、でもそれは結果的に、彼を期待させていることになるの?そんなの逆じゃないか。夜久の言葉で、態度で、私はどんどん彼に飲み込まれていく。期待させられているのは、私の方じゃないのか。

なんて、そんな自分勝手な考えに行きついたとき、木枯らしが吹きぬける静かな道に、足音が鳴り響いた。人通りのないこの道で、私のものとは別の足音が重なってくる。思わず振り返っても、暗闇の中で人が動く気配はなく、同時に止まる靴の音。背中に嫌な汗がじわりと浮かび、今度は少し早足でバス停への道を必死に歩く。そういえば、今日のHRで学校付近に変質者が出たから気をつけろって言われた気がする。まさか、そんな。早める足に同じようについてくる足音に、恐怖しか感じなくなっていた。この角を曲がって、コンビニを通り過ぎて、真っ直ぐ行けばバス停だ。貼り付くような違和感の塊が、追いかけてくる。角を曲がり、薄暗い中、コンビニの明かりが近付いてくる。それでも離れない足音に、私は目をぎゅっと瞑って更にスピードを上げた。怖くて、怖くて、早くバス停に着いてと願う傍らで、瞑った目の奥で、夜久が優しく手を差しのばしていた。

無意識のうちに夜久に助けを求めていたことに驚いて、私は目を開いた。そして次の瞬間、突然左手首を掴まれ、頭の中が真っ白になった。

「苗字!」

甲高い悲鳴が上がる前に、彼が視界に映ったことで、私の声は全て飲み込まれていってしまった。

「や、夜久…?」

震える声に、震える手。じわりと涙が滲んだ視界の向こうに、切羽詰ったような、焦った彼の表情が見える。恐怖で高鳴っていた心臓が、だんだん平静を取り戻していく。どうしてここに夜久が、と聞きたかった言葉は何も出てこなかったが、夜久は神妙な顔つきで一度自分の背後を確認してから、再び私に向き直った。

「部活帰りにみんなでコンビニ寄ってたんだよ。そしたら苗字が通り過ぎてって、様子がおかしかったからさ。大丈夫か?」
「…夜久。」

唇を噛み締める。夜久の顔が浮かんだ瞬間に、まさか本人が現れるとは思ってもみないことだろう。彼が現れたことで、背後にいた影はなくなっていて、足音も一つ減っていた。それと同時に私を支配していた恐怖も一緒に遠退いていく。微かに震える手で、私は夜久の両腕を掴んだ。

「……怖かった…。」

かろうじて出てきたのは泣きそうな声だ。さっきまで考え悩んでいたことなんて全て飛んで行って、いっぱいいっぱいな頭で、ぎゅっと彼の制服を掴んで、夜久の存在を噛み締める。何度も何度も、夜久の名前を呼んだ。

「大丈夫だよ。」

優しい声色が降ってきて、ゆっくりと顔を上げると、夜久はニコリと微笑みながら、大丈夫だと言った。先程、私の脳裏に浮かんだ姿と、ちょうどぴったりと重なった。自然と、ゆっくりと手が彼から離れていく。

「あ…、ごめん……。」

頭が真っ白になっていたからと言って、縋り付くように掴んでしまっていたことに気付き、私はやっと我に返った。徐々に顔が熱くなっていくのが感じ、少しだけ口元を緩ませながら、彼から視線を逸らした。ああ、そっか。夜久は来てくれたんだ。じんわりと広がっていく熱が、身体中を蝕んでいくような、そんな感じ。

「送ってく。」
「え?い、いいよ。もうバス停も近いし!」

慌てて夜久に向き直ると、彼はいつになく真剣な表情を見せていた。一度離れた手を、彼はもう一度掴み、そしてそのまま自然と繋がれてしまった。嫌がる理由は特には見当たらず、伝わってくる熱と、普段よりも騒がしい鼓動が、なんだか心地良くも感じられ、何より安心感を与えてくれた。優しく引かれる手。自然と歩き出す足。繋がれた手の先を視線で追っていくと、夜久の小さいけれど、大きい背中に行きついた。背中を斜めに横断する、エナメルのスポーツバッグ。皺が寄ったセーター。色素の薄い髪に、私よりも少しだけ大きい身長。全部が、私の心臓をキュッと締め付ける要素となっているような気がした。

「お、お前らついにかー?」

夜久に連れられて先程のコンビニまで戻ると、店先のベンチにガタイの良い高校生が並んで各々アイスやらおにぎりやらを頬張っていた。黒尾たちだ、と分かると同時に、いつもの茶化すような声が聞こえてきた。黒尾たちから見れば、夜久と私が手を繋いでいるように見えるのか。どうにも実感が沸いていなくて、手を離そうとすることも出来なかった。けれどその瞬間、繋いでいる夜久の手に、少しだけ力が篭められた気がした。ベンチの前を通り過ぎて、小さな駐輪場へと向かい、そこでようやく手が離された。名残惜しいなんて、どうして私が思うのだろうか。

「乗れよ、後ろ。」

いつも彼が乗っている自転車。夜久はサドルに跨り、私の方を振り向いた。この後ろに誰かが乗っているのは、見たことがなかった。そこに、この私が乗れるのかと思うと、何とも言えない優越感が胸を覆った。それと同時に、ここに乗ったらもう、後戻りは出来ないような気さえした。覚悟なんて出来ていなくて、一瞬だけ、たじろいでしまった。でも。

「ほら、苗字。」

私の脳裏で微笑んだ夜久は、妄想の産物でも、虚構でもない。こうやって目の前で、微笑みかけ、私の全部を持っていこうとする。私の手を引く彼の微笑み。私の背中を押す彼の声。何度も見て聞いた、彼の優しさだ。それを私は、自然と、無意識のうちに脳に記憶させ、そして自分で取り出していたのだ。でもこうして、実際に手を差し伸べられると、私にはもう、その手を掴まないという選択肢は存在しなかった。

「ありがとう、夜久。」

だから精一杯の感謝の気持ちで、答えよう。彼の優しさで軽くなった足を前に踏み出し、自転車の後ろに跨り、彼に身を預けた。目と鼻の先まで来た夜久の背中はとても大きく、頼りがいのあるものだった。ゆっくりと走り出す自転車。頬を撫でる肌寒い風。さっきまで一人で歩いていた薄暗い道を、夜久の後ろに乗って二人で駆け抜ける。どうしてかな。こんなにも心が弾んでいる。前から香る、制汗剤の匂いに、頬が緩まった。

「夜久、試合頑張ってね。」

彼から気持ちを告げられて間もない頃、この言葉さえ面と向かって言うことが出来なかった。あの頃とは確実に状況も感情も変わってきている。今なら、言える。

「苗字、見に来いよ、試合。俺頑張るからさ!」

前から風に乗って届く声は、心なしか弾んでいるような気がした。音駒のバレー部は、都大会の予選でいいところまで勝ち残っていると聞いた。色んな人たちが応援に行っているのは知っている。委員会の後輩も前回のは見に行ったと言っていた。でも私は見に行く理由も、行きたい理由もなかったから。ああでも、夜久にそんな風に言われてしまったら、行かない訳にもいかないような気がしてしまう。私はゆっくりと顔を彼の背中に近付け、そして目を瞑り、そのまま額を彼の背中へコツンとくっつけた。

「…行く、から。勝ってね。」

自転車の振動なのか、夜久の鼓動の大きさなのか、はたまた自分の鼓動なのか。それは分からなかったけれど、伝わってくる熱は、確かに夜久のものなんだ。小さな声で呟くように言うと、前方からはさっきよりも喜楽を孕んだような様子で、「おう!」と大きな返事が返ってきた。