高校一年 07/25(金)
さんざん早苗ちゃんにジャージのことをからかわれて、本日の部活は無事終了。でもこの後さらなる難関があるわけで。どこに待ち合わせ、とかそんな話してないし、今までにこんな経験があったわけでもないから、もうどうしようもない。とりあえず、日が沈んでも熱くてしかたない顔を手で扇いだ。それから、女子更衣室の鏡で、汗で張り付いた髪の毛を整えてみたり。
「舞ー、どこ待ち合わせにしたん?」
「まっ、待ち合わせ…してない…」
前髪をいじる手を止めて、鏡越しに早苗ちゃんと目を合わせた。すると何故かやる気満々で立ち上がり、「あたしが呼んできたるわ!はよ準備しときっ」と、わたしが何か言う前に更衣室から出て行ってしまった。部屋は静まり返って、心臓の音がいつもの三倍くらい騒がしい気がした。どうしようどうしようと、頭がパニックになりかける。けど、その時、更衣室のドアがバン、と叩かれて。びっくりして跳ね上がったけど、音がしただけで声はしない。早苗ちゃん?でも帰って来るには早過ぎると思う。誰ですか、と尋ねる前に。
「いつまで待たせんねん!はよしろ!」
その声に慌ててかばんを取って、ドアに走った。恐る恐る開けると、やっぱり一氏くんが機嫌悪そうにしている。
「さ、早苗ちゃんは…?」
「知らん!はよしいや!9時からお笑い番組あるんやから」
不機嫌だけど、いつも通りの一氏くんに、ほっと息をつく。そして先に行ってしまう一氏くんに小走りで並んだ。こうやって、並んで歩ける日が来るなんて思わなかった。嬉しくて嬉しくてしかたない。そして、最初は速歩きだったものの、わたしが追いついたらだんだんと歩幅を合わせてくれることにも気付いてしまって。口元の緩みはもう隠せなかった。
「…なにニヤニヤしてんねん。しばくぞ。」
「うん」
もう、しばかれてもいいかな、なんて思っちゃうくらい、幸せ。靴を履きかえて、校舎から出る。学校外の道を一緒に歩けるなんて。
「…ジャージは」
「あ、あの、洗ってかえします」
「ええよべつに洗わんでも」
「でも!あの…あ、汗かいちゃって…」
「あー、そら夏やしなぁ」
「う、うん…ごめんなさい。」
「や、べつに。…ちゅーか俺のジャージ、臭なかった?」
「え?う、うん!全然!」
「そか。」
胸の奥がきゅんって狭くなる。わたし、普通に会話が出来てるよ?一氏くんと、一緒に帰れて、こうやってお話できて。今までの不幸分を今取り返せてるのかな?それともこれから先の幸せを先に使っちゃってるのかな?でも、どっちでもいいや。今、物凄く幸せだから。人一人分くらいの距離。わたしより大きな身長。今この状況すべてに対してドキドキしてる。一氏くんだって少しはわたしに好意を持ってくれてるはず。だったら、もうこのままでもいい気がした。こうやって、隣に並んでくれるだけで。これ以上欲張りになっちゃダメだよね。
「ふふっ」
「何なん、きしょいわ。」
一氏くんの声に視線を向けると、ばっちり合ってしまった。これ以上ないほどに体温が急上昇。一氏くんも隣であーとかうーとか言ってて。緊張で汗が湧き出てくる。
「あー…のさ」
「えっ?」
「えー…っと」
珍しくしどろもどろしている。頭をぽりぽり掻いたり、バンダナをいじったり、落ち着きがない。かと思ったら、足を止めてじっとこっちを見てきた。やっぱり、睨むようなのじゃなくて、真っすぐにわたしを見るその視線には慣れなくて。脈動が不規則になってくる。心臓が耳に近づいてくる。まるでそんな感じ。
「弥栄、」
「はっはい!」
「…つ、つき…」
「月?」
「つ、月!せや月!綺麗やな!」
すると、止めた足を動かし始めた。それを言うために立ち止まったの?
「え、でも月どこ…?」
二人きりの帰り道にいっぱいいっぱいで、空なんて見る余裕なかった。そういえば、昨日月が綺麗ですってメールしたっけ?でも、見当たらなくて道の真ん中で空を仰いだ。
「あそこや、あそこ」
一氏くんがわたしの背後を指差して、その指を追うように振り返る。空に浮かんだ丸い月。昨日の夜、バスの中であれを見た。それで一氏くんに会いたくなった。
「…ほんまに、真ん丸やな」
「うん。」
「堪忍な。昨日ケータイ部室に忘れとって」
「…うん」
すごく綺麗だと思った。だから見てほしいと思った。でもほんと言うと、一緒に見たかった。メールしたとき、ほんとは一緒に見たかった。いま、隣にいる。一氏くんは、隣にいるんだ。
「…弥栄?」
一緒にいたい。これから先も、一緒に。そう思うのは、やっぱり欲張り?こんな感情初めてで。菊丸くんとの別れだって、あの時わたしは受け入れられた。でも、一氏くんはダメ。ひどいこと言われたっていい。拒まれたってしかたない。でもダメなの。一緒にいたいの。隣にいたいの。
「…一氏くん」
「あん?」
「好きです…大好き、です」
不思議に、緊張とかはしなかった。まるで想いが溢れ出たみたいに、自然とその言葉を紡いでいた。意図して言ったわけじゃない。
「好き、なんです…」
おかしいね。あんなに自分の気持ちを言うのがこわくて、隠してきたのに。でも、拒まれるかもしれない。そう考えるとこわくて。だんだん下がっていく視界の中に、一氏くんの腕が入ってきた。わたしの右腕を掴んで、少し屈んで視線を合わせてきた。夏服は半袖だし、直に一氏くんの手を感じる。
「…お前、それやめろや」
それ、が何を指してるのかも分からなくて。彼の真剣すぎる瞳に、わたしが映る。ごくり、と唾を飲み込んだ。
「俺、もうお前のこと拒まんから。」
「…え?」
「拒まん。せやから、そうやって恐がるん、やめろや。」
一氏くんには、何でも分かっちゃうのかな?どうして、わたしが不安に思ったこと、一瞬で解決してしまうの?わたしの腕を掴んでいた一氏くんの手が、離れていった。
「前、俺には思ったこと何でも言えって言ったやろ?それ今でも有効やから」
やっぱり、そうだった。一氏くんは、最後にはわたしを受け入れてくれる、優しい人なの。ずっと一緒にいたい。隣にいたい。
「…ずっと、…わたしのそばにいてください…」
それはわたしの経験で一番の、事実上の告白だった。