コンコンと扉をノックする音が執務室に響いた。
「入れ」
「失礼します」
入室を促され続いて聞こえてきたのは低い大人の男の声。
「この書類もお願いしまーす」
書類の束を抱え執務室のデスクに向かおうとしたハボックはソファで小さくなっている人影に気づいた。

被せられた青の軍服からは光輝く金髪が顔を出し近付いてみるとその正体が判明した。
「やっぱり大将か!」
大きな声を出したハボックにこの部屋の主は眉を顰めた。
「起こすなよ。相当無理をしていたみたいだからな」
「そうなんすか?」
視線はソファに向けたまま書類をデスクに置いたハボックはそういえばと気づいた。
「今日は司令室に顔出してませんね」
いつもなら司令室に顔を出し軽く皆と談笑してから執務室に向かうのが恒例となっていた。
「ちょうど休憩から戻るときに見つけたんだ。あまりに酷い顔をしていたから取っ捕まえた。」
顔をしかめたまま己の上官は続けた。
「おまけにお目付け役の弟は置いてきたそうだ」
お目付け役という言葉に苦笑しながらも妙に納得してしまった。
普段は上官の嫌味やからかいにむきになって言い返したり適当に聞き流す彼女だが本気の叱責にはしっかり耳を傾けることを知っている。
おまけにしっかりもので頭の上がらない弟に挟まれてはこの少女に勝ち目はないだろう。
「まったくこんなになるまで無茶をして」
なおもブツブツと溢すロイを尻目に少女を見やると散らかったテーブルが目に入った。
飲みかけの紅茶に菓子の空き袋、隣に置かれた菓子の空き箱を目に止めるとおやと首を捻った。
確かこれは一月ほど前にこの男の視察のお供をした時に見たものだ。
街でも有名な高級菓子店に嬉々として入っていく男に首を傾げたのは記憶に新しい。
またどこかの美女への貢ぎ物かと思っていたが予想は外れていたようだ。
そして先程から鼻を掠めるストロベリーの甘酸っぱい匂いはどうやらこの飲みかけの紅茶のようだ。
この東方司令部にこんな紅茶は置いていないのでこれも少女のために用意したものだろう。

器用なんだか不器用なんだか……
目の前の男に少し温かい気持ちになった。
普段は嫌味やからかってばかりで少女をよく怒らせているがなんだかんだいって可愛がっているのだ。
自分もこの少女を妹のように思い可愛がっているがこの男は後見人のようなものなので尚更だろう。
少女に掛けられた軍服の階級章と白シャツ姿の男にうんうんと一人納得したハボックだったが次第に微妙な表情になっていく。

───なんかひっかかるような
ぐるぐると考え込んでしまうのは先日見た光景のせいもあるのだろう。
思い出すのは資料室での出来事だった。

資料室に捜査ファイルを戻しに来たハボックは一人悪戦苦闘するエドワードを見つけた。
背伸びをし必死に手を伸ばしているが一番上の棚には届きそうにもない。
確か部屋の隅に小型の脚立が常備されているはずだが常日頃小さいだのなんだのとからかわれている少女は意地でも使わないだろう(主に上官が原因である)。
躍起になっている姿は大変微笑ましいのだがこのままでは埒があかない。
「大将──」
とってやるよという言葉は背後から感じる刺すような視線によって飲み込まれた。
悠然と現れた男はまるでハボックなど見えていないかのように素通りし金色の少女に真っ直ぐ向かっていった。
先ほどのハボックの声に振り返った少女の視界は間近にいた上官を先にとらえ、げっと顔をひそめた。
「なんだよ」
自分の今の状況にまたからかわれると思った少女の声には険が含まれていた。
「無理をせず脚立を使えばいいだろう」
嫌味な笑みを浮かべたままさらりと言う男に少女はますます剣呑な顔つきになっていく。
「うっせーな俺の勝手だろ!」
ふむと顎に手を当て何か考える素振りをした男は
次の瞬間少女の腰を掴み高く抱き上げた。
「なにすんだ!降ろせ!」
男の予想もしない行動に少女は顔を真っ赤にし、空中でじたばたする。
「こら暴れるな!早く取りなさい」
その言葉に暴れるのを止め渋々従い棚から目当てのものを抜き出した。
そっと降ろされた少女は何と言ったらいいか分からないという風に言葉に詰まり、顔を赤く染めたまま胸に本を抱き込みその場から走り去ってしまった。
何とはなしに上官を見やると己の両手をじっと見つめなにやらぶつぶつ呟いた後少女が出て行った扉をボーっと見つめたまま立ち尽くしていた。
その光景になんとなく居たたまれなくなったハボックはそっとその場を後にした。


この間のあれは何だったのだろうか。
横を走り抜けて行った少女は怒りで顔を真っ赤にしていたわけではないのは分かっている。あれは完全に照れていた。それにいなくなった少女の後を見つめていた上官の目には熱がこもっていた。ついでにいうとふわふわと浮わついた様子だった。
お互いの反応はなんだか見てるこっちが照れくさくなるようなもので、後見人と被後見人というよりあれはまるで────
そこまで考え首を振った。
これ以上考えると気づいてはいけない何かに気づきそうだ。
ハボックは上官に一礼し少女を起こさないようにそっと自分の持ち場に戻った。



外はすっかり日が暮れ、皆粗方仕事に目処がつき軽い談笑をしているとタイミング良く上官が少女を伴い司令室に入ってきた。

「あれ、大将もう大丈夫なのか?」
先ほど会話することの出来なかった少女に声をかけると寝起きなのかどこかぼんやりしている。
「おう」
いつもの覇気がなく流石に心配になり少女のそばに寄るとおやと首を傾げた。
「大将って香水かなんかつけてたっけか?」
「いや?そんなもんつけてねーけど」
「だよな、いやでも」
「なんだ、何か変な匂いでもすんのか?」
少し焦った様子で自分の服を嗅ぎだす少女にハボックは慌てて否定した。
「いや別に臭いって言ってるんじゃねえんだ!ただ何かいつもと違うと思ってな」
心当たりのなさそうな少女にそりゃそうだと思った。
爽やかで仄かに甘いこの匂いは男性用の香水によくあるものだ。
普段香水をつけないハボックでも知っている。
しかしこの匂いどこかで───
うんうんと思考を巡らせるハボックはあっと大きな声を上げた。
「大佐だ!」
突然大きな声を出したハボックに部屋中の視線が集まる。
「私がどうかしたか?」
「いやだから大将から大佐の匂いがするって話ですよ。いやーすっきりした!な、大将」
晴れやかな顔で少女を見ると
「……………っ」
「へ?」
真っ赤な顔でプルプルと震えていた。

部屋中に微妙な空気が漂う。
皆を見やるとフュリーは生温い目で少女と上官を見ている。ブレダは遠い目をしその場に立ち尽くしている。目が合ったファルマンには思い切り逸らされホークアイは頭を抱えている。

なんなんだ一体
ふと少女の後ろに立つ上官に目を向けた瞬間、ゾワっとしたものが身体中を走った。少女を見下ろす男は不気味な笑みを浮かべていた。その瞳は細められまるで獲物を狙う捕食者のような眼差し。
────有り体に言ってしまえば異常だった。少女への執着が滲み出ている。


「…なに、言ってんだよ。俺から大佐の匂いって」
真っ赤なまま震えた声の少女に反応が遅れると上官がゆったりと口を開いた。
「ああ、さっきまでこれを掛けていたからだろう」
これと少しシワになっている自分の軍服を掴んで見せる。
「ぐっすり眠っていたからな。まったく私の上着を毛布がわりに使うのは君くらいだよ」
苦笑した男に恥ずかしいやら罰が悪いやらで少女は口を噤んだ。

いや違うだろうそうじゃないだろうと皆の顔を見るもお前に任せたとばかりに誰一人口を開くことはない。

「大佐の香水って移るぐらい強い香りでしたっけ?」
「ああ、今日は急いでいたからいつもよりつけすぎてしまってな」
嘘つけとエドワード以外が微妙な表情になっていく。急いでいたとしてもこの男がそんなヘマをするとは思えない。肩を竦める男のあまりの白々しさにホークアイが眉をひそめた。

「…悪かったな。その、シワとか」
「ああシワや涎ぐらい別にいいさ」
「涎!?」
「冗談だ」
はははっと軽快に笑う男を恨めしそうに睨みながら機械鎧とは逆の手で軽く殴る少女。

目の前の光景にハボックの目はだんだん死んだ魚のようになっていく。
なんだろうな俺は一体何を見せられているのだろう。
先ほど執務室でも感じたこの妙なひっかかり。
そうだ。毛布代わりと言っていたが少女に軍服を掛けたのは他でもないこの男のはずだ。この少女のためならば中尉に頼めばブランケットの一つでもすぐに用意してくれるはずだが。

真っ赤な顔で上官の匂いを纏った少女に先ほどの上官の少女を見る目付きそれから先日の資料室の出来事を思いだしとうとう気づいてしまった。

────この人絶対確信犯だ!
己の匂いを纏った少女を満足げに見やりその肩に手を回す。今となってはその手つきさえ厭らしく感じる。
二人の間に漂うのは父娘のような穏やかなものではなく恋仲同士が付き合う間際独特のなんとも甘い空気だった。

「中尉、追加の書類はあるか?」
「いえ、追加のものはありませんし急ぎのものも特にありませんので今日はこのままお帰りいただいて構いません。」
「分かった。それでは私達は失礼する」
「私達って二人してこの後何処かに行くんですか?」
フュリーの問いに上官は穏やかな笑みを浮かべた。
「鋼のを送っていくんだ。一人で帰らせて途中で倒れでもしたら大変だからな」
上官はああとわざとらしく言うと
「時間も時間だ腹が減っただろう?一緒に飯にしないか?」
顔を覗きこまれた少女は目を逸らした。
「えーアンタと二人で?」
「そうだ。勿論私の奢りだがどうする?」
「じゃあ行く」
「決まりだな」
えーと言う割にあまり嫌そうではない素直じゃない少女を丸め込むことに成功した男は笑みを深め
少女の肩を抱いたまま司令室を後にした。

二人が居なくなった途端部屋にいた全員が脱力した。
「まったくあの人は」
ホークアイは呆れ返り大きな溜め息を吐いた。
「隠そうともしなくなりましたね」
ブレダはまだ遠い目をしている。

ファルマンは微妙な表情のままポツリと呟いた。
「……お二人ともあの体勢のまま街に向かったんでしょうか」
その言葉に部屋中の空気が凍った。

この司令室から外に出るまではそれなりに距離がある。まだ終業間際ということもあり司令部には沢山の人が残っている。それに当たり前だが我らが上官を知らないものはこの東方司令部には誰一人としていないし色々な意味で人気者だ。それはあの金色の少女にも言えることだ。
こりゃ明日はこの話題で持ちきりだな。
自分達も少なからず被害を被ることを想像し(質問攻めという)マスタング組の面々は頭を抱えた。


「それにしてもあの人の顔見たか?」
飢えた獣のような、少女への執着が剥き出しになった瞳。今まで美女と語らう所を何度か目にしたことはあるがあんな姿は初めて見た。あれは恋というような可愛らしいものではない気がする。
少女の身を案じたが本気になったあの男を止めることなどできるはずもない。
「大丈夫よ。もしもあの子が傷付くようなことがあれば」
あの男を止めることはできないが少女を守ることはできるわとホルスターに指をかけたホークアイに皆の顔がひきつった。良かったな大将ある意味最強の味方ができたぞ。ハボックは青ざめた顔のままほっとするというなんとも器用な芸当をしてみせた。