久しぶりに足を運んだ東方司令部は慌ただしく人が行き来し常にはない忙しなさが漂っていた。

「なんかみんな忙しそうだね」
「そうだな」
アルフォンスの言葉に相槌を打ち何か大きな事件でもあったのだろうかと二人は司令室を目指した。

元気よく開かれた扉にいつもならばかかる言葉が今日はなかった。ここに着いた時に感じた忙しなさはどうやらここも同じらしい。というよりここが一番忙しそうだ。部屋に足を踏み入れるとようやくその存在に気づいたハボックが声をかけた。
「おう、二人とも久しぶりだな!」
それを皮切りに他の面々も二人を認識し声をかける。
「忙しいときに来ちゃったみたいですみません」
大きな鎧姿がペコリと頭を下げた。
「ああー気にすんな。お前らは別になんも悪くねえよ」
「なんか大きな事件でもあったのか?」
エドワードの問にハボックは苦笑混じりに答えた。
「あー何件かな。けどそれはいいんだ、解決に向かってるし今は絶賛後処理中ってわけだ。それよりなー……」
首を傾げたエドワードにハボックが続けた。
「一週間後にでかい会議があるんだよ。一年に一回のな。お偉いさん方がぞろぞろと来るもんで色々とその準備がな」
その言葉にエドワードは顔をしかめた。
「それは御愁傷様……」
──プルルル
「と、悪りぃな」
呼び出しを知らせる外線に少年達に断りを入れハボックは電話に出た。

どうしたものか二人悩んでいると部屋の奥にいたホークアイが二人の傍までやって来た。
「二人とも久しぶりね」
「久しぶり!」
「お久しぶりです」
「せっかく来てくれたのに慌ただしくてごめんなさいね」
申し訳なさそうな様子に二人はぶんぶんと首を振った。
「いえ!僕たちの方こそすみません」
「出直してきた方が良さそう?」
ホークアイは一瞬言葉に詰まった。
「この様子じゃアイツも忙しいんだろ?」
エドワードの言葉に苦笑を浮かべると呟いた。
「…そうね、ある意味忙しいのかもしれないわ」
意味深長な言葉に二人は首を傾げた。
ホークアイはしばし思案すると何か思い付いたように声をかけた。
「エドワード君、お願いがあるのだけど」




エドワードは一人執務室へと向かっていた。
手にはホークアイから受け取った氷水とフェイスタオルが入った小さな桶を抱えて。
「くそ、なんで俺がこんなこと」
ぶつぶつと悪態を吐きながら先ほどの会話を思い出した。

「風邪?!」
「そうなの。ここの所忙しくて泊まり込みも多かったようだから」
「へえーアイツでも体調崩すことなんてあるんだな」
「兄さん!」
不遜なエドワードをアルフォンスが窘める。
そんな少年にホークアイは苦笑すると続けた
「エドワード君、大佐の看病をお願いできないかしら?」
エドワードは一瞬言われた言葉を理解できずポカンと口を開けたがすぐさま我に返り声を上げた。
「なんで俺がアイツの看病なんてしなきゃなんねえんだ!」
「生憎私は手が離せないの。少しの間だけでもお願いできないかしら?」
「兄さん、大佐にはいつもお世話になってるんだからたまにはお返ししないと」
ホークアイのお願いと弟の言葉にエドワードは渋々頷いたのだった。

これは仕方のないことなのだ。
手が離せないホークアイに変わっていつもちょーっとほんのちょっと世話になっている借りを返すためなのだ。
それに普段スカしたアイツの弱った姿なんて中々見られるもんじゃねえしな。
エドワードの渋面がニヤニヤとあくどい笑みに変わった。

執務室に入り奥にある佐官専用の仮眠室を開けるとホークアイに聞いたとおり一人の男がベッドに横たわっていた。
近づくと微かな呼吸音が聞こえその瞳は閉じられていた。その様子にエドワードは少々面食らった。
記憶の中に存在するこの男はいつも飄々としていて嫌味な笑みを浮かべているのが大半なので横たわって眠る男の姿は少年を妙に落ち着かない気持ちにさせた。
ベッドサイドの台の上に桶を置くと水に浸かったタオルを絞り男の前髪をそっとあげ額に冷えたタオルを載せた。
看病といっても寝ている相手に何をすればいいのやら。エドワードはとりあえず部屋の隅に置かれた小さな丸い椅子をベッドの前まで持ってくるとそこに腰掛けた。

───すごい汗の量だな
ホークアイから予備で渡されたタオルで男のこめかみから頬を伝う汗をそっと拭う。
「………なんか、変な感じ」
間近で見る男の顔は眉間には皺が寄り頬は上気し口がほんの少し開いている。
自然と伸びた左手は引き寄せられるように男の頬にぴとりと吸い付いた。
年齢のわりに滑らかな頬は酷く熱を持っていた。
ゆるりと何度か頬を撫でると男の眉間の皺が和らいだ。その様子に何故かエドワードも安堵し、手を離そうとした瞬間少年の小さな手に男がすり寄ってきた。
「………っ」
ドキンとエドワードの胸は大きく高鳴った。

──なんだこれ!
どんどん速まる鼓動に連れて顔に熱が集まっていく。
自分の頬に当てられたままのエドワードの手に男の口元がふっと緩んだ。その男の穏やかな顔から目が離せない。
「……なんだよ、アンタがそんなだと調子狂うじゃん」
エドワードは誰に見られているわけでもないのに口を尖らせ無理矢理仏頂面を作るとポツリと呟いた。
「早く治せよ」
表情にそぐわない優しげな声色が部屋に響いた。



タオルが温くならないよう絶えず取り替えていると男が目を覚ました。
「大佐」
エドワードの呼び掛けにぼんやりとした瞳が金色を捕らえた。
「おい大丈夫か?」
「……鋼、の?」
──なんて顔をしているんだ
常にない不安げな少年の表情に思わず腕を伸ばした。
パサリと額からタオルが落ちる。
瞳は少年を見つめたまま頬を撫でるとその感触に男の頭は徐々に覚醒する。
「…夢、じゃない。本物なのか?」
「何言ってんだ。熱で頭やられたか?」
男の言葉に不安げな表情が一変し仏頂面になるといつもの憎まれ口を叩いた。
その様子に本物だと確信した男は苦笑した。
「どうしてここに?」
「アンタの看病中尉に頼まれたんだよ」
「じゃあこれも君が?」
枕元に落ちたタオルを手に取った男に少年は目を泳がせた。
「ア、アンタがあまりに辛そうだったからな。仕方なくな!」
しどろもどろになりながら答える様子に男は柔く微笑んだ。
「鋼の、ありがとう」
「…………っ!」
嫌みのない優しげな顔と言葉にエドワードは真っ赤に顔を染めると男の手からタオルを奪い取り水につけ冷やし始めた。その分かりやすい照れ隠しに男はこっそり笑った。

男の額にタオルを載せるエドワードの左手をそっと掴む。
「…なに?」
「いや、相変わらず小さいなと思ってね」
「テメェ、やっぱりムカつくやつってのどんな時でもムカつくんだな」
掴まれた左手に思わず力を込めるが男は気にせずに自分の頬まで持ってくるとそのまま押し当てた。
「小さくて可愛くて……とても、とても大切な手だ。私にとってね」
「な、なに…言ってんだ。可愛いとか、大切とか…アンタやっぱ熱でどーかしてんだよ!」
「私は本気だよ。これだけは間違えないさ」
男の深い眼差しに見つめられエドワードは目が逸らせず言葉に詰まった。
「やはり君の手は気持ちがいいな。触れられると酷く安心するよ」
「まさか、アンタ起きてたのか?!」
急に取り乱した様子の少年に男は何となく何があったかを悟った。
「ん?私はてっきり夢だと思っていたんだが。そうか、本当に君に撫でられていたとは…」
「……やっぱりアンタなんか嫌いだ」
完全に墓穴を掘り、拗ねたエドワードに男はクスリと笑うとわざとらしく言った。
「あー、君にそんなことを言われると傷つくなあ」
「はあ?んなこと言って嘘くせーんだよ!」
「本当だとも私は今すごく傷付いている。何処かの誰かさんのせいでな。とてもじゃないけど立ち直れそうにない」
大袈裟に溜め息まで吐いて見せた大人の男は悲しげに目を伏せた。
「只でさえ弱っているのに酷い仕打ちだと思わないか?」
尚も言い募る男にエドワードは声を上げた。
「だーーっ!悪かったな!俺が悪うござんした!!」
「君ね、ほんとにそう思っているのかい?」
「思ってるって!」
「じゃあ一つお願いしてもいいかい?」
「は…」
男はバサリと掛け布団を捲ると少年の返事を待たずに掴んでいた左手を引き寄せ少年をベッドの中に引きずり込みそのまま自分の胸に抱き寄せた。
「な、ななななにすんだーー!!離しやがれ!」
「嫌だね」
しれっと返すと抱き寄せた腕に力を込めもぞもぞと抵抗する少年を封じ込めた。
さすがは軍人。弱っていても力で敵わないことを悟るとエドワードは諦めて抵抗を止めた。
「…アンタ、なんなんだよ本当に」
「なんでだと思う?」
「俺が聞いてんだから質問で返すなよ」
思わず少年は睨むが朱く染まった頬も相まってそこにまったく恐さはなく男にとってただただ可愛らしく感じるだけだった。
「君に触れられると安心すると言っただろう。逆も同じだよ。こうしていると早く治る気がするんだ」
駄目かな?という言葉にエドワードは勝手にしろと返すと己も男の体におずおずと腕を回した。その様子にほくそ笑む。腕の中にすっぽり収まった小さな体は心まで温めてくれるような気がした。
男は自分にとって一番の薬を用意してくれた優秀な副官に感謝した。





「しっかしこのくそ忙しい時期に風邪なんてあの人もついてないっすねー。」
年に一度の大規模な会議、その際に来訪する将軍の案内役。立て続けに起こるテロ事件またそれに関する後処理。忙しい時期こそ色々と重なるものだ。
まあそれでも何とかしてしまうのが己の上官なのだが。
金色の少年にはあまり無茶をするなと口酸っぱく言うくせにあの人も大概だ。
「大丈夫すっかねー」
「あまり気にしなくても大丈夫だと思うわよ」
上官に辛辣な態度を取りつつもその裏誰よりも気にかけている中尉の意外な言葉にハボックは少し驚いていると彼女は冷徹な表情を崩し含み笑いを浮かべた。
「大佐にはとっておきの秘薬がついているもの」
「とっておきの秘薬ってそんなものあるんすか?」
「あるわよ。但しあの人専用のね。今頃効き始めた頃じゃないかしら?」
「……はあ」
ハボックはなんだかよく分からなかったがホークアイの言葉に引っ掛かりを覚えた。
ついているとはどういう意味だろうか?
ただの飲み薬等ではないのか?
「もしかして…」
突如聞こえたアルフォンスの言葉に更に首を傾げた。
「あれ?エドのやつどこ行ったんだ?」
突如消えた目の前にいる鎧姿の弟の片割れを探すもこの部屋には見当たらない。
「兄さんなら大佐の看病をしに行きましたよ」
「ふふ……金色の秘薬よ」
「あーー、なるほど……」
ホークアイから与えられた最大のヒントにハボックはようやく理解した。
「そりゃ、あの人にとっちゃ最強の薬っすね」
ホークアイはでしょう?と小さく笑った。