ふと目が覚めると見慣れた白い天井が目に入った。
窓の外は暗く、枕元に置かれた時計は二時を指していた。
隣から聞こえる寝息にそちらに視線を移す。
こちらを向いて眠る男の顔にぼんやりしていた思考が徐々に鮮明になっていく。
どうやら自分はこの部屋の主である男に抱かれた後、疲れ果て眠ってしまったらしい。体には情事後特有のベタベタとした不快感はなくむしろさっぱりとしていて男の愛用しているボディソープの匂いが漂う。ご丁寧に風呂に入れてくれたのだろう。
その様子を想像し、エドワードはボンと顔を赤く染めた。白いシーツに顔を埋め叫びたい衝動を堪える。しばらくシーツに向かって唸り少し落ち着きを取り戻したエドワードはそっとシーツから顔を上げた。
窓から月明かりが差し込み、薄暗い部屋に浮かび上がる男の顔を眺める。
よく、周りに年齢の割に童顔だと言われているこの男はそれを酷く気にしているようだったが穏やかに眠る姿は男を更に幼く見せた。
普段あまり見ることのない男の寝顔に少女は目と鼻の先まで顔を寄せる。
視界いっぱいに映る男の顔に昼間目撃した光景を思い出したエドワードはズキリと胸を痛めた。
司令部に向かう最中、街で視察中だと思われるロイを発見したが数人のうら若い女性に囲まれていたため声をかけるのをやめた。
東方司令部のみならずこの街の顔でもある男がとんでもなく女性にもてるは知っている。
知ってはいるが気にならないわけではない。
色男だのプレイボーイだのこの男に関するそういう噂は嫌と言うほど聞いてきた。けれど噂ほどいい加減な男でもないしちゃんと自分を大切にしてくれているのも分かっている。
けれど、この男に言い寄る女性は皆見目麗しくスタイルも良い。それに比べ自分の体は全くと言っていいほど女性的魅力が欠けている。おまけに意地っ張りで素直じゃない自分の性格には溜め息しか出ない。
不安にならないわけがないのだ。
このまま時が止まってしまえばいいのに。
そうすればこの男は自分のものだ。この寝顔を他の誰が見ることもない。
そこまで考えエドワードは自嘲気味に笑った。
時が止まってしまえばいいだなんて自分は何を考えているのだろう。進まなければならないのに。たった一人の肉親と誓い合った宿願も忘れ自分はなんて酷い姉なんだ。
それに、この男を永遠に一人占めしようだなんて。どこまでも欲深い自分に吐き気がする。
己が野望のために上を目指す男とはいつか道が違えるだろう。そしてこの男が頂点に立った時、隣にいるのはきっと自分ではない。自分よりももっとふさわしい人がいる。その人こそが、この男が生涯を共にする相手だ。生身の左腕を伸ばし男の頬に触れる。その感触にギュウっと胸は締め付けられ口元は震えた。
とても痛い、痛くて堪らない。
ぼやけた視界の先で男の睫毛が震える。
タイムリミットだと指先を男の頬から離した瞬間、男の手が少女の手を強く掴んだ。
「……っ!」
パチリと開いた瞳から覗く漆黒が真っ直ぐエドワードを捕らえる。
「なんて顔をしているんだ」
飽和した雫がエドワードの顔を流れるように伝い真っ白のシーツを濡らす。
ロイは体を起こすと少女の左手を引っ張り起こした。
二人の肩までかかっていた掛け布団は落ち、腰辺りまで捲れ一糸纏わぬ姿を晒しても少女は声もなく静かに涙を流すだけだった。
普段であれば情事の後だろうと微かでも裸体を見られようものなら羞恥で何かしら反応を示す少女だけにロイの不安は募る。
エドワードの頬を両手で包むと、はらはらと涙を溢す目尻を親指でそっと拭う。
「どうした。怖い夢でも見たのか?」
ふるふると、小さく首を振る少女にロイは続けた。
「今日一日様子がおかしかったことと関係があるのかい?」
唇をぎゅっと引き結んだ少女に確信する。
「何があった?何を考えている?」
男の真剣な眼差しが少女を見つめる。
こういう時のロイは自分から本心を聞き出すまで絶対に離してくれない。下手にはぐらかそうものなら明日一日をベットの上で過ごすことになるのは確定である。前科のあるエドワードはそれを良く心得ている。だからと言って素直に言うのはなんとなく躊躇われる内容に目を泳がせ口ごもる。
「エドワード?」
中々口を割らない少女に対して促すように、だが有無を言わせない声色で名前を呼ぶ。
「……っ」
じっと己を覗きこむ黒く鋭い双眼にエドワードはとうとう引き結んでいた口を解いた。
やっと口を開いた少女から粗方の内容を聞いたロイは嬉しさと怒りで複雑な心境だった。また、自分の情けなさに嘆きたくなった。
こうして恋人になってくれたのだから好かれているのは分かっていたが正直エドワードがここまで自分を思ってくれているとは思わなかった。
常々自分が彼女を思う気持ちと彼女が自分を思う気持ちには多少なりとも差があると思っていた。
勿論彼女には最優先しなければならない目的があるのは分かっているし自分もそのための協力を惜しむつもりはない。それに自分にも彼女のような目的はないが野望ならある。
しかしふとした時、自分は彼女の心の中でどれほどの大きさなのか、どれくらいの割合を占めているのか気になった。
彼女の心の中で一番大きなものと言ったら弟の存在だろう。普段の様子からも一目瞭然だし、目的の根底にいるのも弟だ。
次はその目的。彼女達の過酷で果てのない旅は余程の執念と忍耐力がなければ出来ることではない。目的のため血の滲むような思いと覚悟をしたのも知っている。
そうして心の片隅に自分の存在もあるのだろう。
それはそれで嬉しいのだができることならどうか自分と同じだけ彼女にも想ってほしい、想われたいと。
最初は自分の気持ちを受け入れてくれただけで満足だったのにもっと、もっとと欲深くなる自分に呆れたものだ。
しかしそれは大きな勘違いだったようだ。話を聞く限り片隅なんてものじゃない。時が止まればいいだなんて。
ロイの心は歓喜で震えたがそれだけにいつか自分の元を去ろうと考えている少女に怒りを覚えた。
しかし目の前の少女を責めることはお門違いである。
過去の己の素行は決して褒められたものではない。なんなら女性とデート中にエドワードとばったり遭遇なんてことも一度や二度ではない。もしその時から自分に思いを寄せていたのだとしたらその度に少女を酷く傷つけていたことになる。
普段から体の成長を気にする少女が自分の隣を歩く成熟した女性を見て何も思わないわけがない。
おまけにことあるごとにからかい子供扱いしては少女を怒らせ時には泣かせてしまった過去の己の愚かな所業に頭を抱え嘆きたくなった。
告白した当初は中々信じてもらえずかなりへこんだものだ。
だからこそもう言葉を惜しんではいけない。自分の魅力をまったく理解していない少女にはきちんと言わなければ伝わらないのだ。
「鋼の、私は君が本当はとても優しい子だと知っているよ。中々素直になれない所も折れない真っ直ぐな意志も人を思いやることの出来る純真な心も勇ましい鋼の手足も全部愛しいと思う」
心の内を言葉にのせ一言一句届くように少女を見つめロイは続けた。
「それに、これから先も私の隣は君以外ありえないし君の隣を他の輩に譲る気もないな」
断言するように言い放たれた言葉にエドワードは目を見開いた。両手に包まれたままの頬が赤く色づく。
言葉を探し動揺で震えている唇を塞ぐように男は畳み掛ける。
「いっそこのまま閉じ込めてしまおうか。君が勝手に離れていかないように」
エドワードはロイに頬を包まれたままぐっと顔を引き寄せられた。
間近に迫る男の瞳は先程よりも鋭さを増し、その顔には凶暴なまでの熱情が浮かび上がっていた。
───本気だ。
嘘偽りなどない。この男は本気で言っているのだ。
理解した途端身体中を熱い何かが駆け巡り、エドワードはもう言葉を紡げなかった。
紡ごうとは思わなかった。
ただ、睫毛を震わせ捕らわれたように目の前の男を見つめるだけだった。
そんなエドワードの様子にロイはほくそ笑むと少女との距離をゼロにした。
目を瞑る暇なく突然唇を塞がれた少女はその黄金を溢れんばかりに見開いた。
ふるふると、少女の睫毛が震えているのを視界に納める。
───ほら、時が止まった