夜更けというにはまだ早く、しかしそろそろ街の住民が眠りにつく頃二人は司令部の入り口に立っていた。
「それにしてもこんな時間に君と一緒とはなんだか不思議な気分だな。普段であればそろそろ寝る時間じゃないのかい?」
「だぁれが寝ても育たない豆粒だってーー?!」
静まり返った辺りに少女の声が反響する。
ロイはそこまで言ってないだろうと金色の頭をポンポンと撫でるもその手は容赦なく少女の左手によってはたき落とされた。
「そうやってすぐガキ扱いすんな!」
顔を真っ赤に染め激昂するエドワードにロイは口元を緩めた。
いつも自分の言葉に大袈裟に反応する少女が面白くて可愛くてついついからかってしまう。
これまでにロイは数多の恋愛をしてきたがエドワードを相手にし、初めて好きな子をいじめてしまう少年のような心境が理解できた。
今までの恋愛はもっとスマートでいつだって平静に相手の女性と向き合い、愛を囁き求められれば体を繋げたりとそんな大人のやり取りをしていた。
しかしこの少女相手だとこうもいかない。
金の三つ編みと赤いコートを見かれば年甲斐もなく心は躍り自然少女の元へ足は伸びる。
自分の放つ言葉に体全体で精一杯怒りを表現する姿はいとおしいの一言に尽きる。
ロイは慈愛に満ちた笑みを浮かべ胸を占める感情のままはたき落とされた手で今度は少女の頬を撫でた。
「………っ」
頬を撫でる感触にエドワードはびくっと体を震わせ、なにすんだと男を下から睨み付けようとしてドキッとした。
───まただ。
いつもの嫌味ったらしい笑みは鳴りを潜め代わりに少女の胸を高鳴らせる優しい笑みを浮かべている。
普段意地の悪い顔つきでエドワードをからかうロイは時たまこうしてエドワードを見つめ優しい手つきで体に触れる。その度に少女は動けなくなり心臓の脈拍は乱れ胸には甘く痺れるような痛みが広がる。
ロイが何を考えこのような事をするのか全く分からないがエドワードはこの時間が嫌いじゃなかった。また、与えられる行為がもたらす自分の変化とそこに生まれた感情に気付いてしまった。だからこそ余計に動けなくなり泣きそうになるのだ。
しばらく言葉も無く互いに見つめ合ったままでいるとロイはそっと手を離した。
「では行こうか」
何事もなかったかのように歩き始める男を複雑な面持ちで眺め黙って従った。
珍しくおとなしく己に従う少女を横目に先ほどとは打って変わって厳しい顔つきになった男は少女を同行させたのは失敗だったかと思案する。
少女の同行が決まり司令室でファルマンから粗方七不思議の全容を聞いたロイは顔をしかめた。それは己の副官も同様であった。
「中尉」
「はい」
同じ話を二度も聞かされ、果てには別の噂まで聞かされげっそりしている者達の中でファルマン、エドワード、アルフォンスはなにやら思うところがある二人のやり取りに耳を傾けた。
「確か第二の噂で出てきた上官というのは」
「ええ、私の同期です」
「ええええ!?」
ホークアイの返答に皆驚きの声を上げた。
「当時彼女から話を聞いたけれど噂は本当だと思うわ。彼女、その手のものは信じていないし嫌いだったから」
「何人か被害者が出ているのも事実だ。それのせいだけではないが改築するに至った理由でもある」
「や、やっぱりマジなんすね……」
「じゃあ尚更俺の出番じゃん!俺が囮になったら上手いこといくんじゃねえ?少尉もさっき俺のこと狙われそうだって言ってたしさ!」
「駄目だ!」
妙案だと胸を張り主張するエドワードに強い制止の言葉がかけられた。
「な、なんでだよ!良い案じゃねえか!折角解決できそうなのに」
普段あまり聞くことのない男の鋭い声に困惑しながらも己の主張を繰り返すエドワードにロイは厳しい表情と固い声色のまま告げる。
「駄目なものは駄目だ。何のためにお前にその部屋の存在を教えなかったと思ってるんだ」
「どういうことだよ」
「仮に今は使われていないとしても書庫と知ったらお前は興味を持つだろう。入室を禁じても簡単に忍び込みそうだしな」
ロイの言葉にギクッと肩を揺らしたエドワードはでも、だけどと口をもごもご動かした。
いつもは勝ち気で威勢のいい少女のシュンとした様子に男は盛大な溜め息を吐き頭を掻くと渋々口を開いた。
「今回は私もいるから特別だ。但し囮だとかそういうことは無しだ。言うことを聞かず勝手なことをしたら今後一切司令室、執務室以外の立ち入りを禁止する。」
ロイは厳しい表情を解き優しげな笑みを作るとエドワードを見つめた。
「解明しなければならない七不思議は他にもある。……優秀な錬金術師がもう一人いてくれなくてはな」
「おう!任せろ!」
ロイの言葉にエドワードはパアッと顔を明るくさせ元気に言い放った。
すっかりいつもの調子に戻ったエドワードに大人達がほっとし他の怪談についてあれこれと語り合い始める
中、ホークアイはロイにしか聞こえない声量で呟いた。
「大佐、エドワード君をお願いしますね」
「ああ、分かっている。絶対に守ってみせるさ。どんな手を使ってもな。」
大人達に囲まれ談笑している少女を見つめる真剣な眼差しにホークアイは確信した。
「今エドワード君が一番警戒しなければいけないのは貴方かもしれませんね」
「どういう意味だ」
「年頃の娘にとって脅威なのは怪奇や超常などの類いより悪い狼の方でしょう?」
「なっ?!」
珍しく顔を赤くし狼狽える上官に美貌の副官は冷徹な表情を崩しふっと笑った。
「しかし世間一般で言われる悪い狼があの娘にとっても悪いものとは限りません。だから」
言葉を切り真っ直ぐにロイの瞳を見つめ続ける。
「守ってあげて下さい。どんなことからも」
何時にもまして真髄なホークアイに、言葉の裏に含まれる意味を理解すると同じように真髄な眼差しを返した。
もしも噂通りエドワードが狙われ傷付くようなことがあれば相手が亡霊だろうとはたまた得たいの知れない人形だろうと跡形もなく消し炭にしてしまうだろう。
しかし事が起こる前に解決したいものだと思う。
ホークアイには少女を絶対に守ると誓ったし、あの鋼の錬金術師が簡単にやられるとは思えないが怪異とは常に我々の予想の範疇を超えるものだ。
普段このようなものは全く信じていないロイだが今回ばかりは例外だった。
どうかこの子がこれ以上傷付くことがないように。
「…さ、…大佐!」
「…どうした?」
思考の底から引きずりあげる声に一拍遅れて返事をする。
「どうしたじゃねえよ」
何回も呼んでんのに全然気付かねえんだもんと頬を膨らませる少女に苦笑する。
「おい大丈夫か?疲れてんのか?」
珍しく気遣わしげに下から覗きこまれドキッとしながらも平静を装う。
「ああ大丈夫だ。問題ないよ」
「ほんとかよ。昨日泊まり込みだったって中尉から聞いたけど」
「仮眠はとっていたし一日二日なんてことはない。それにしても君がそこまで心配してくれるなんて珍しいな」
「なっ!べ、別に心配なんてしてねえよ!いざって時アンタが無能じゃ俺だって困るからな!」
顔を真っ赤にしながらわたわたと弁解する少女に愛しさが募る。
「ってそうじゃなくて!噂の順番通り回るのか?」
「そうだな、その方が分かりやすくて良いだろう」
「確か第一の噂は演習場横の倉庫だったよな」
「ああ。右棟から回り込むぞ」
「おう」
だだっ広い演習場のグラウンドを抜け倉庫の前にたどり着く。
「へえー想像より大分でかいな」
「大砲や弾薬等の備蓄品が収納されているからな。更に大きな倉庫もあるが今回はこちらだな」
ロイはエドワードに視線を移した。
「何か聞こえるか?」
「いや、何も」
「そうか、私もだ」
首を横に振る少女にロイも同意を示す。
「鋼の入る前によく聞きたまえ。この倉庫には火薬も積んであるから私は迂闊に焔が出せない」
「だーいじょうぶだって。俺一人で片付けてやるって!」
「違う。そうじゃなくて、君もすぐ攻撃せず冷静に行動するんだ」
「わーったよ」
「それに……多分悪いことは起きないよ」
どういうことか聞き返そうとしたがどこか物悲しげに微笑する男に言葉が詰まりそのまま口を閉ざした。
この男の部下達が言っていた通り何か知っているのだろうか。しかし問い詰めるのは後だと少女は扉に手をかけた。
「……え」
施錠されていることは聞いていたが念のためドアノブに手をかけ確認するとその扉はなんともあっさり開いてしまった。
「おや、せっかく鍵を持ってきたのに無駄になってしまったな」
飄々とした男の声を聞きながら眉を顰める。
───微かだが聞こえる。
「…大佐、物音がする。誰かいるみたいだ」
「そうか、このまま進むぞ」
ロイの声を合図にゆっくりと中へ足を踏み入れる。
入口付近には誰もおらず物音の発生源はどうやら奥のようだ。
真っ暗な空間を小窓から微かに差す月明かりとホークアイから各々渡された懐中電灯を頼りに進む。
エドワードの心臓はドキドキと脈打ち知らず手には汗を握っていた。
こういった類いの物は全く信じておらず平気だと息を巻いていたが、どうやらこの状況に少なからず恐れを抱いているらしい。
中間まで進んだ辺りでふと視界の先の暗闇で何かが動いたような気がした。
ゴクリと唾をのみ、ゆっくりと近づき前方を懐中電灯で照らす。
「………っ!」
そこには青の軍服を纏った者の姿があった。
エドワードは声を出せないまま佇んでいる後ろ姿に光を当てる。上から下へと視線を移した瞬間、心臓が縮み上がった。
やはり男の膝から下は存在していなかった。
男はゆっくりとこちらへ振り返る。
「…ひっ!」
思わず少女の口から短い悲鳴が漏れる。
少女の目に映ったのは血塗れで原型の留めていない男の顔だった。
数秒固まっているとエドワードの肩をポンと何かが叩いた。
驚いて振り返るとその感触の正体は大丈夫だと呟いた。
「やはり、貴方でしたか」
ロイは目の前の人ならざる者に話しかける。
アッシュベージュの短髪にロイより少し高い背。顔の原型は留めていなくてもロイには誰だかすぐに分かった。
「もっと早く来るべきでした。…すみません」
ロイが敬礼するとその男の口元は微かに緩んだ。
やがて白く淡い光が目の前の男を包むと男の体はさらさらと塵のように消えてゆく。
「待って!」
少女の制止は届かず光が消えると目の前の男の姿も完全に消えていた。
司令部内へ戻る最中ロイは静かに口を開いた。
「私の士官学校時代の先輩だったんだ。軍と同じで士官学校にも厳しい上下関係がある中で彼は気兼ねなく接してくれて色々と世話になったんだ。私やヒューズだけではなく皆彼を慕っていた。彼が軍人になり次いで私も軍人になった。それから何年か経ち、あの事件が起こった。演習中新兵の使った火砲が整備不良だったようで暴発したんだ。嫌な音をたてる火砲に慌てて新兵を突飛ばした彼は逃げるのが遅れて巻き込まれそのまま亡くなったそうだ。私はその時遠征していて戻ったときには彼の葬儀は終わっていて、ただ事の顛末を聞かされただけだった」
「前にもこの噂を聞いた時に思ったんだ。もしかしたら噂の正体は彼じゃないのかってね。しかし私は確かめることが出来ずにいた。心の何処かで彼に会うことを恐れていたんだ。これまで数多の命を葬ってきた自分を見て彼が何を思い何と言うか………死者となってしまった彼が。自分から進んで軍人となり罪のない命を奪っておきながら今更こんなことを言う資格も思う資格もないのだがな」
ロイは愁憂を滲ませ自嘲気味に笑った。
「大佐、屈んで」
突拍子のない少女に男は首を傾げる。
「いいから!」
少女の強い要求に答えると次の瞬間男を温かいものが包んだ。
エドワードは自分より大きな体にすり寄り、男の頭をぎゅっと自分の胸元に抱き寄せた。
「は、鋼の!?」
ロイは突然の少女の行動に狼狽え声を上げた。
エドワードは頭を抱き寄せたまま男の艶々とした指通りの良い髪を撫で呟いた。
「誰だって大切な人や親しい人が死んじゃったら悲しいに決まってる。……それに俺、大佐が怖いって思う気持ちちょっと分かるよ」
かつて母を亡くし、この手で母を蘇らせようとして奇形の化物を生み出してしまった己の罪を思い胸を痛める。
「だから、そんなふうに自分ばっかり責めてそんな顔すんのはやめろ」
普段のエドワードからは考えられない優しげな声色と己を宥める手つき、それから伝わる温もりはロイの寂寥感漂う心までも温めてくれるような気がした。
その温もりを手放すまいと少女の体に手を回し胸元に顔を埋めた。
「…とても、温かいな。鋼の…………ありがとう」
くぐもる声が聞こえたのかエドワードはふっと口元を緩めしばらく男の頭を撫で続けた。