ゆるやかに流す


「すげぇーっ!ジャパニーズニンジャ!」
「あらあら……梅、降りておいで」
「ニンジャ!」
「ギルベルト君、ご近所迷惑なので静かに」
「ニンジャ……」
「はいはい」

言葉通り、高く飛び跳ねた私は冷蔵庫の上にその身を縮こまらせていた。驚くと高い所に逃げ込んでしまうのは最早癖のようなもので、バクバクと大きく鼓動を打つ心臓を抑えながら、私はゆっくりと地面に足を下ろす。
崩れた着流しを整えて「失礼しました」と誤魔化すように咳払いをすれば、菊からは呆れた溜息、原因であるその人からは感嘆の溜息が零れた。

「お前ニンジャか!」
「ち、違います」
「分かったクノイチだ!ぴょーんって後ろ飛んだし、この俺様でも動きが見えなかったぜ!」
「う、あ、あの……っ菊」
「ギルベルト君ちょっと落ち着いて下さい、お話しますから……梅はお茶の用意を」

そう言って菊は興奮気味の彼をずるずると引っ張って出ていってしまった。出ていく間際の菊の目、あれは「観念しなさい」と言っていた…これは、逃げられない。
自分の情けなさに頭を抱えながらも、私は菊に言われた通りお茶を用意する為、まだ温かさが残るヤカンを手に取るのだった。


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「初めまして、本田梅と申します」
「ギルベルト・バイルシュミットだ!なぁ、さっきのぴょーんってやつもう1回見せてくれ!」
「は、はは……」

助けを求めるように右隣に座る菊に視線をやれば、彼は諦めろと言わんばかりに首を横に振った。薄情な上司である。

お茶を持って居間に行くと、既に2人は向かい合わせに円卓を囲んでいた。子供のようにわくわくと目を輝かせるギルベルトに愛想笑いを向けながら、2人の間に座らざるを得なかった私の内心はとても重い。

渋々名を名乗れば、やっぱり彼は好奇心を隠すこと無く身を乗り出すようにして名前と共に無茶を言う。あれは火事場の馬鹿力と言うやつで、何百と年を過ごしている身体には中々の労働なのだ。

「ギルベルト君、この子は少し人見知りなのであまり驚かさないでやって下さい」
「ん?あぁ、すまねぇ」
「先に言っておきますがニンジャでもクノイチでもありませんよ。そうですね……私の妹、みたいなものでしょうか」
「そうなのか!?」
「あ、はい……」

若い子の好奇心溢れる目が眩しい…。
背中に冷や汗が垂れるのを感じながら、私はじぃっと目の前の湯呑みだけを見つめる。

「梅、で合ってるか?」
「……はい」
「驚かせて悪かった。挨拶が遅れたが、俺はプロイセンだ。しばらくこの家に厄介になるから、迷惑かもしれねぇがよろしく頼む」
「迷惑だなんて、そんな」

先程のテンションとは打って変わって、落ち着いた素直な言葉が降ってくる。宥めるような、優しい声音にはっとして顔を上げれば、思いの外その表情は柔らかい。

「わ、私の方こそ幽霊だと勘違いさせて怖がらせてしまったみたいで」
「ここここ怖がってねぇし!」
「……すみません」
「だから俺様は怖がってねぇって!ちょーっと気になってただけだし!?」
「ふふ、すみません」
「お、やっと気が緩んだな」

そう言ってギルベルトはにかりと笑い、頬杖を付きながら菊に「一人暮らしじゃねぇじゃんか」と口を尖らせている。
それに対して飄々と受け流す菊といじけるギルベルトのやり取りを聞きながら、私は気持ちを落ち着かせる為に湯呑みに口を付ける。こうして顔を合わせる前は緊張と困惑で気を張っていたが、実際に話してみると案外気楽なものだ。

「ふふ、梅」
「はい」
「まだギルベルト君が怖いですか?」
「……いえ、多分」
「何だよその曖昧な返事は。さっきは俺様の事カッコイイって言ってたじゃねぇか」
「カッコイイとは言ってませんよ」
「でも見惚れたんだろ」
「菊、どうしましょうこの方面倒です」
「あっおい菊に逃げんなよ!」
「仲良さそうで何よりです」

菊は湯呑みを両の手の平で暖を取るように持ちながら、のほほんと笑っている。それを見て、何だか今まで悶々と塞ぎ込んでいたのが馬鹿らしくなってしまう。夜も更けて、眠くて思考が緩くなっているからかもしれない。

「ほら、もうお2人は寝て下さい」
「俺様目ぇ冴えちまったし、せっかくだから仲良く酒飲もうぜ!」
「ダメですよ。お2人共、明日は対談が……あぁもう!仕方ない方ですね」

飲みたがるギルベルトを止める加勢をしてもらおうと菊の方を見ると、彼はうとうと船を漕いでいる。危ないので彼の手からそっと湯呑みを取れば、唸りながら机に突っ伏してしまった。

「ん?菊、寝てんのか」
「ここ最近だけで色んな事が一気に入ってきてますからね。国内にも、色々」

私は着流しの袖を肩まで捲り上げ、菊の腕を自分の肩に回す。

「ギルベルトさんもお休みになって下さい。慣れない土地でお疲れでしょう」
「そうでもねぇよ。日本ココも結構楽しいからな」
「良かった。では、私は菊を寝室に運ぶので」
「あ、なら俺様が」

ギルベルトが言い終える前に、私は菊の膝裏に腕を入れてひょいっと抱え上げる。俗に言う姫抱きというやつだ。

「え、お、お前マジか」
「何を驚いてるんですか。これでも菊の部下ですし、一応国ですよ」
「いやぁ……なんか絵面がなぁ」
「……あぁ、なるほど」

確かに、世間一般から見たら男性が女性を抱える方が自然だろう。菊と私の身長差は10cm程あり、もちろん私の方が低いわけで、中々不格好に見えるだろう。
だが長年の慣れというのは怖いもので、重心掛け方もバランスの取り方も身体が覚えている。

「あぁ、湯呑みは後で私が片付けるので置いといて下さい。では、おやすみなさい」
「お、おう……」

行儀は悪いが両手が塞がっているので、私は器用に足の指先を使って襖を開ける。
ぽかんと口を開けたギルベルトに一礼し、私は菊の寝室に向かい夜の月に照らされる廊下を歩くのだった。