しとやかに過す
「よぉ」
「……あら」
湯呑みを片付けに茶の間に戻ると、そこにはだらりと体制を崩して座るギルベルトがいた。体制どころか着流しも崩れているのは気になるが。
「寝ないんですか」
「目が冴えたって言っただろ」
「お茶、飲みますか?」
「酒がいい」
「我がままな客人ですね」
私は彼の向かいで畳に膝を付けて腰を落とし、卓上に置いておいた盆に空の湯呑みを3つ乗せる。
自分でも社交的ではないと分かっているので、粋な会話なんて思い付かない。少しの沈黙すらも気まずく、ありきたりな質問を掛けてみるがやはり会話は弾まない。
「なぁ」
「はい」
「お前、ずっと俺と目ぇ合わないよな」
どきりとした。
目が合わない。ギルベルトはそう言ったが、正確には合わせないようにしているのだ。
「なんでだ?」
「人見知りなんですよ」
「ふーん」
見なくても察してしまう。彼はじぃっと私の様子を伺っているようだった。
その視線が痛くて動揺を隠しきれずたじろくが、それを気にも留めずに変わらず彼の視線は私に向けられている。
「そんなに見ても酒は出しませんよ…………っあーもう分かりました、明日の仕事が終わってからご用意しますよ!だからそんなに」
「ん、なんだ?」
「……見ないで下さい」
菊の前では堪えていたが、もう駄目だ。
頬が熱くなるのを感じながら、私は部屋を出ようと慌てて立ち上がる。
「目ぇ見ないとコミュニケーションは取れないんだぜ?」
「あら、会話するだけでも取れますよ」
逃げるように部屋を出るが、後ろから「俺様も行く」と言いながらざっと畳と衣擦れの音が聞こえる。どうやら私に着いて来るようだ。
強く拒否する程の勇気もなく、夜の真っ暗な廊下に2人分の足音だけが響く。怖い、というよりも何故という疑問の方が私の感情を占めた。この人は一体何をしたいのか分からない。
ただ酒が飲みたいのか、それとも暇なのか。
悶々と考えているうちに台所に着き、結局一言も交わさないまま彼は私の後ろに着いて来ている。流しに湯呑みを置き、スポンジを泡立ててひとつずつ丁寧に洗う。普段ならささっと終わらせてしまうが、今ばかりは無駄に時間を掛けてこの場をやり過ごしたかった。
途中までその様子を見ていたギルベルトだったが、飽きたのかふらりと私の後ろから離れる。ようやく寝るのかと安堵の息を吐いたが、どうやら違うらしい。
ガサゴソと何かを漁る音がして振り向けば、戸棚の前でしゃがみ込み、それはもういい笑顔をしたギルベルトと目が合う。
「酒見つけた!」
「……何やってんですか」
「飲んでいいか?1本は飲まねぇから!」
「いや1本飲むつもりだったんですか」
「ダメか?」
仔犬のような目、という言葉がこれ程合う男は初めてだ。彼はしゃがんでいるので必然的に私に上目を遣っている形になるのだが、それが一層母性本能をくすぐられる。
舌打ちしたくなる感情を抑え、天井を仰ぎ見ながら溜息を吐く。多分この人は酒を飲むまで寝ない。それは本能的と言うべきか、自由と言うべきか…どちらでも良いか。
断るのが苦手な性分なのだ。ここまで気持ちをやられるとは思わなかったが、ついに押し切られてしまった私は彼の隣まで行き、酒器の並べられた戸棚を開ける。
「どういう風に飲みますか」
「そのままじゃねぇか?」
「それ、日本酒なので色々飲み方があるんです。そのままでもいいですが温めたり冷やしたり……冷やすと時間がかかりますが、氷で割るなら早く用意出来ますよ。あとは」
「……お前、結構酒好きだろ」
「……まぁ、嗜む程度ですが」
海の外の方だから氷で割る方が馴染み深いだろうか、いやでも熱燗の方が。酒器をひとつずつ撫ぜながら頭を悩ませていると、彼の方から「このままでいい!」と元気な声が上がる。
「じゃあ酒器はこれにしましょうか」
「シュキ?」
「お酒のグラスです。ほら、お好きな酒瓶取っていいですよ」
「種類分かんねぇけど……これ!」
悩んだ末に手持ちで1番小振りで鮮やかな藍の色をした徳利と併せのお猪口を2つ取り出す。ギルベルトが手に持ったのは半分ほど中身の減った純米酒だ。それを受け取った私は、台所の調理スペースにそれぞれ置いていく。
「結局お前も飲むんじゃねぇか!つか酒飲める歳なのか?マジで?」
「あら、これでもあなたより数世紀長く生きてますよ。菊よりは若いですが」
「詐欺だ……」
「失礼な」
「まぁいいや!うーんそれにしても菊は寝ちまってるし、なんか悪い事してる気分だな」
「飲むの止めます?」
「止めない!」
本来なら中央のテーブルで座って飲むべきだが、寝る前だからそんなにゆっくりしたくない。そう思い、立ったまま用意しているとギルベルトが横からひょいと顔を出す。
実際に隣に立ってみて分かったが、やはり海外の方は身長が高い。頭ひとつ分くらい違うな。
瓶から徳利に酒を注いでから、お猪口をひとつギルベルトに渡す。「ちっちゃい…」と文句を垂れながらも差し出すお猪口に酒を注ぎ、自身の分も少量だがとくとくと注いだ。
ひと口含み、喉に流せばふんわりと独特の甘みが広がって思わず口角が緩む。行きつけの酒屋から購入したものだが、相変わらず店主は良い物を仕入れてくる。
「んん……?飲みやすいな」
「そうでしょ。私のお気に入りです」
恐る恐るお猪口に口を付けたギルベルトだったが、気に入ったようで一気に酒を流し込んだ。
お猪口が空になったのを見て2杯目を注ごうとしたが、彼は「自分でやる」と言って私から徳利を奪う。初めて見た酒器だからか、その目は楽しそうだったので私は抵抗すること無く徳利を彼に預けた。
「日本酒美味いな」
「ウイスキーやワインも美味しいですけどね」
「ビールは?」
「あぁ、飲んだ事ないですね。この近辺の酒屋だと取り扱いがなくて」
「はァ?マジかよ信じらんねぇ……あんな美味い酒飲んだ事ないとか人生全部損してるぜ」
若干瞳孔を開きつつも真剣な表情で、「いいか、よく聞け」とオーバーリアクション付きでビールについて熱弁し出すギルベルト。それに気圧されて頷くことしか出来なかったが、そういえば彼の国はビールが有名だったっけ。
「あ、そうだ。コッチ来てからビール出してる店見つけたんだよ。明日の仕事終わったら飲みに行こうぜ!」
…やはり彼は怖い人だ。元々国は人を惹きつける何かがあるが、彼は一層それが深くある。
こういった人付き合いはして来なかったが、案外悪いものではないのかもしれないと、私は彼の誘いに頷いた。