ほんのりと憂う


先程飲んだ日本酒はそこそこ度数が高かったようだ。畳に敷かれた布団の上に大の字に寝ながら、ぼーっと天井を見る。
酔った、と言っても心地良い睡魔を誘う程度ではあるが、あの小さい壺みたいな量でふわふわしてしまうとは俺様不覚。

「眠たいんでしょ。ほらほら、もうお休みになって下さいね」

俺の手から空になった徳利とお猪口を取り上げながら有無を言わさない、けれど柔らかな声音にそう催促されて部屋に戻った。
初対面で関わりたくないという雰囲気を出していたから少し虐めてやろうという悪戯心、あわよくば酒が飲めればいいという期待でちょっかいを出していたのだが…菊に続いて、梅という女もなかなか掴み所のないくにだと思った。

俺が怖いだとか人見知りだとか、そんな事を吐かしながらもおどついた雰囲気は見せない。"菊の友人"という身の保証があったからかもしれないが、それにしては随分と腹が据わっており、少しだけ興味が湧いたのだ。

…ふと、初対面での菊を思い出す。
長年引きこもっていた極東の小さくて貧弱な島国。良く言えば大人しく控えめ、正確に言えば気弱、悪く言えば臆病の根性なし。
それがどうしてか、見誤ったのだ。

俺から知識と情報を全て盗み出そうと貪欲に光る、その深くて濃い黒の目に飲まれた。ただの貧弱な国じゃねぇのかと笑いを堪えきれずにいたら、菊に不審がられたが。
惹かれたものに手を出さず放っておく程阿呆ではない。わざわざ彼の家に居候をして、自ら教鞭を執っているのはそういう理由からだが…想像以上に良いくにを発見をしたものだ。

菊と2人でいるのは楽しいが、もう1人同じような奴が増えるのも悪くないな…なんて、我ながら甘い考えを享受した。


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「えっ、お前ら職場違うのか?」
「だから言ってるでしょう、私には私の仕事があるんですって」
「同じ国だろ?」
「同じですが違うんですよ。菊は本部、私は支部みたいなもんです」
「あ、その例え分かりやすいですね」

3人で居間の円卓を囲み、朝食の魚をつつきながら今日の予定を話していた所で、ギルベルトが色々と勘違いしていた事に気が付いた。どうやら私と菊は同じ職場だと思っていたらしい。

菊は日本で、私はその中のひとつの国だ。
色んな経緯があって菊の元に住んでいるだけであって、国と言っても同じ立場の国ではない。関係性で言うなら叔父と姪、親戚のようなものだ。

「でも今日は菊の付き添いなので、行先は同じですよ。途中から別行動しますが」
「じゃあ帰りは一緒だよな!なぁ菊、今日の仕事終わったら飲みに行くぞ」
「いや私は」
「師匠の言う事が聞けないのか?」
「……ギルベルト君、悪い顔してますね」
「小鳥のようにカッコイイ顔だろ」
「かっこいい、ですか……?」
「あっコラ!俺様を残念そうに見るなー!」

こんなに騒がしい朝食は何時振りだろうか。
昔は藩の子達や国の友人らと喧嘩を交えながらも食事をしたものだが、いつしかその機会は減っていき、今では菊の家に訪れる藩の子達の顔を見る程度だ。

本国を開いてから、状況は目まぐるしく変わっている。良い方向に進んでいるものもあれば、廃れていくものもある。私はその廃れていくひとつであり、次第に身体にもその影響が出始めていた。
全盛期と比べて傷の治りが遅くなり、無尽蔵だった体力は見る影もなく衰えてきた。
私が人ではなく、国である事に変わりはない。だが、やはり恐怖や不安も少なからず感じている。

「そろそろいい時間ですかね」
「……あぁ、はい」

2人の皿は空になっており、私も慌てて残りの味噌汁を飲みきる。「ご馳走様でした」と丁寧に3人で手を合わせ、片付けながら横目で見た掛け時計は家を出る30分前を指していた。

3人で手分けして皿洗いを済ませ、各々の部屋で家を出る支度を始める。
ギルベルトはもちろん、今日の菊は洋装をして行くだろう。本来なら合わせた方が良いのだろうが、構わずに深い紅色の袴を手早く着付けた。
菊には言えないが、未だに洋物に対して抵抗があるのだ。変わるのが怖い、と言うのが正しいのかもしれない。洋の物を身に付ける事で自分ではないひとになる気がして嫌だった。

髪を結わえるのは時間もかかるし面倒なので、背中程まで垂れている黒髪を2本の簪で適当にまとめ上げる。革製の鞄に必要なものを入れて、用意は終わりだ。
玄関に行くと既に2人は用意を終えて私を待っていた。これでも急いだのだが待たせてしまったのは申し訳ない。私は「お待たせしました」と一言告げて、慌てて下駄の鼻緒に足の指を通す。

「梅、サン?」
「呼び捨てて構いませんよ。同じ家に居るのだし、いちいち気を使ってたら疲れるでしょ」
「おう、そうする」

梅!と意味もなく私の名前を呼びながら、にぱーっと笑うギルベルトは何だか近所か親戚の男の子みたいだ。
立ち上がりながらも軽く笑い返せば、ギルベルトは更に表情を明るくさせて「俺の勝ち!」と彼の前でふんぞり返る。

「見たか!梅が笑ったぜ!」
「くっ……予想より早かったですね」
「……一応お聞きしますが一体何の事で?」
「梅が俺様に対して表情を変えるかどうか賭けてたんだ。菊がお前の表情筋は鉄より固いって言うから」
「私の前ですら滅多に笑わないのに……さてはギルベルト君、この子に何かしましたね?」
「私の事なんだと思ってんですか」

確かにあまり表情は変わらない自信はあるけども…まぁ、2人が楽しそうなので構わないが。
何を賭けてたのか聞けば、どうやら今日の飲み代をどちらが出すかというしょうもない事だった。

「もちろん私の分も出して下さるんですよね」
「……あなた、私を破産させる気ですか」
「あら、人を賭け事に使っておいて?」

おどけて言えば、菊はうっ…と唸りながら頭を抱え込んだ。自分の飲む量は人の倍と分かっているので、全額負担させる気はない。だがこれは面白いものを見たとギルベルトがケセセと笑うので、つられて笑ってしまった。