追憶に死す

もうすぐシャボンディ諸島に着く。つまり、この先を行けば新世界が待っている。

そんな訳でキャプテンの「不要な物は置いていけ」という一言でポーラータング号きっての大掃除が始まった。医療器具を詰んでいる事もあり、普段から船内を綺麗にはしているが、どうしても野郎ばかりの船内では片付かない。

「あ、ペンギン!倉庫にエロ本詰んでるの誰かな。結構な冊数あったんだけど」
「……は?」
「棚の間に埋もれてたんだけど……タイトル読み上げようか?」
「頼む止めてくれ」

自室の片付けが終わり、他に手伝う場所がないかと探していると倉庫からイッカクがひょこりと顔を出した。その手にはいかにもなタイトルをした本があり、金髪のギャルが際どいポーズでこちらにウインクをしている。
誰のかは知らないし知りたくもないが、どうしてそこにあるのかは大方予想が付く。キャプテン以外のクルーは全員3人部屋から5人部屋に割り振られているから、恐らく隠し場所にと滅多に使わない倉庫を選んだのだろう。ちなみに俺のではない。

「なんかすまねぇな、イッカク……」
「生理現象を抑える為のだし、別に気にしてないわよ。探せばまだありそうだけど」
「全部廃棄!燃やせ!」
「うわ持ち主に恨まれそう」
「んな訳あるか。隠す場所が悪い」

別にエロ本を持っている事が悪ではない、私物を共有スペースに置くなという話だ。俺はイッカクに続いて倉庫に入り、そしてその光景に目を覆った。

「……なぁ、もしかしてこれ全部」
「エロ本ね。確認した」
「したのかよ!」
「一応ね、医学書とか混ざってたら嫌だし。あ、さすがに中身は見てないわよ」
「見ないでやってくれ……」

倉庫内はそこそこ広く、普段使わない予備の武器や生活品などが雑多に置かれている。掃除の途中だからか少し物は散乱しているが……ご丁寧にも中央には1m程の高さに積まれている本の山が2つ、まさかこれ全部エロ本かよ……。

「破棄してぇけど……これは、何というか」
「プライベートだからあまり突っ込みたくないけど、キャプテンに報告して一言もらった方がいいと思うわよ」
「そうだな……とりあえず他にないか探すぞ。悪いがイッカク、手が空いてそうな奴何人か連れてきてくれ」
「アイアーイ」

手に持っていたエロ本を山の上に乗せ、イッカクは背中をぐぐっと伸ばしながら倉庫を出ていく。もう少し早く来てやれば良かったなんて思いながら、俺はツナギの上半身を脱いで袖を腰の上で結ぶ。まだ船は海中を泳いでおり、空調の効いてない倉庫でタンクトップ1枚じゃ少し肌寒いがすぐに暑くなるだろう。

「ったく……キャプテンに見られたらどうすんだよこのエロ本の山」

武具の錆や銃弾が湿っていないかを確認しつつ、要る物と要らない物を分けながらまだ眠っているであろうエロ本を探す。棚の下、生活品の間、保存食が入った木箱の中……なんだこの楽しくない宝探し。

つい手付きが荒くなってしまい、次第に虚無感がじわじわと押し寄せてくる。溜息を吐きながらぐるりと倉庫内を見渡せば、ふと奥の方にぽつんと置かれた1つの古い木箱が目に入る。

「こんなものあったか?」

留め具は錆びて木も年季が入っている。何となく蓋を開けて、俺はすぐに後悔した。
一回り細いツナギ、弦の切れた弓、ボロボロの工具や耳あてが木箱の中で散らばっている。……これは全て、彼女のものだ。

「なんで、」

目眩と吐き気がする。耐えきれず、俺はその場に落ちるようにして座り込む。これ以上見たくない、だが箱の中身から視線が背けられない。
震える手でその細身のツナギを手に取り、そっと腕の中で抱えてみる。当たり前だがよく香らせていた香水の匂いはしなくて、ただ埃っぽい匂いが鼻をついただけだ。

あの頃の想いと一緒に全て捨てたと思っていたのに、何でまだここにあるんだ。
ツナギを横に置き、俺は中にある物を次々に取り出していく。呼吸が苦しい、頭が痛い。それでも取り出していく手は止められない。

「銃声がしないから」と使っていた弓も、「初めてもらったの」と使っていた工具も、声は思い出せずとも恥ずかしそうに笑う彼女が言っていたのを未だにはっきりと覚えている。自分でも女々しいと思うが、ついに忘れられず心の奥底に閉まっておいた懐かしい記憶だ。

「この写真は……ハハ、何だこれ。俺らめちゃくちゃ若いじゃん」

木箱の底にあったのは数枚の写真だった。
そのうちの1枚を手に取って見ると、ポーラータングを背後にガキとも言えない4人と老人1人と白熊1匹がじゃれ付きながら笑っていて……思わず乾いた笑い声が自身の口から出た。
恐る恐る木箱から他の写真を取り出せば、船上での日常や隠し撮ったとしか思えないようなものまである。そしてその全てに彼女が映っていて、あぁ、本当に見るんじゃなかった。

最後に手に取ったのはデッキに寄りかかり、鮮やかな夕陽を前に肩を並べて何か楽しそうに話している俺と彼女の写真。
撮ったのはシャチだろうか。カメラに気付かず寄り添っている2人は恋人のようにも見えて、安心しきったように彼女が俺の肩に頭を預けている様子は微笑ましい。

「……ルディ、お前今どこに」
「誰それ。ペンギンの彼女?」
「ッ!……何だイッカクか……驚かせるなよ」
「ノックしたし何回も呼んだんだけど」

すっかり没頭して気が付かなかった。
どうやら手の空いていたウニとバンダナを連れてきたらしく、イッカクの後ろから顔を覗かせるようにして2人が不思議そうに俺を見ている。慌てて散らかした写真や物を木箱にしまおうとするが、その前にひょいとイッカクが俺の手から写真を取り上げた。

「おい、それは」
「へぇいい写真じゃん」
「ペンギンの彼女?」
「あれ?この人って」
「ツナギ着てるって事はクルーだよな」
「……もういいか。返してくれ」

自分でも出すつもりのなかった低い声が腹の底から出る。少し殺気も漏れてしまったようで、3人はビクリと肩を揺らした。

「っと、すまねぇ。それは捨てるやつだ」

慌てて殺気を引っ込めて、俺はイッカクの手から写真を引ったくる。そして床に無造作に置いていた写真を1枚ずつ拾い上げ、近くに放ってあった紐でキツく結ぶ。

「……なぁ、ペンギン。それって」

3人の中でも1番古参で、少しの期間ではあるが彼女と過ごした事のあるバンダナが小さく言う。睨み付けるように視線をやれば、ぐっと黙り込んだがイッカクとウニは俺達の不自然な態度に疑問を抱いたらしい。

「何よ、2人して」
「そうだぞ。そんな風に隠されちゃ気になって仕事に手がつかねぇよ」
「あー……まぁ、気にすんな」
「それ言われると余計気になる」
「ちょっとペンギン!何か言ってよ」
「……それは」
「そいつはこの船のメンター。事情があってまだ合流出来てないんだよ」

いつの間にか倉庫の入口にはシャチが立っていてこちらを、正確には俺を、サングラス越しに見据えていた。