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とおいとおい昔より、フォドラの人々は女神を崇め、祈りを捧げてきた。広く伝わるセイロス教の教えだ。めでたいことがあれば感謝をし、悩みがあれば助けを乞う。それは息を吸うのと同じくらい、当然のものであった。

大聖堂の、祭壇前で佇むアッシュも、もれなくその1人だった。しかし、鬱々とした表情で手を組む姿は、祈っているというよりは懺悔している、と当てはめるのが適切か。アッシュはまさに、女神に罪を告白せんとしていた。あんな、人間のいい所だけを集めて固めましたみたいな人が、果たしてそのような罪があるのか。

否。アッシュが一方的にそう思っているだけで、彼に非は無かった。
あれは、そう、事故だ。
ではなぜアッシュが罪悪感に苛まれているのか。

──原因はクレオにあった。もっと言うと腹筋がいけなかった。
クレオの腹筋を手伝った時に見てしまった"イケナイモノ"。あれのせいでアッシュはクレオのことを意識しちゃうようになっていたのだ。無理もない、健全な男子には刺激的過ぎる状況だったもの。自然な事だし、誰もアッシュを責めないだろう。問題は、クレオが現在、男のフリをしているところだ。事情を知らないアッシュからしたら、『友達をそういう目で見てしまっている+相手は男』という状況。

…そりゃ悩むよな。神にしか打ち明けられないよな。
嗚呼、クレオが女の子であることを教えてあげられたのなら、まるっと収まるのに。しかしそれは叶わぬ願い。
どうにもならない。ただ、もやもやとした時間が過ぎるだけだ。だけどそれはあまりにアッシュが不憫だから、せめて祈っておこう。どうか彼に幸あれ、と。


一方その頃、全く事態を把握していないクレオは呑気にも昼食をとろうとしていた。クレオの前には、もりもりに入れられたサラダパスタが鎮座している。食事量をついに男子の域に到達させたクレオが頼んだものだ。お父さん、あなたの娘さんはこんなにも立派になりましたよ。(胃袋が)
パスタが次から次へとクレオの口に吸い込まれていく。不意に、隣の椅子が動いた。

「一人なんて珍しいな」
「ひふふぁん」
「おおう、すまん。タイミング悪かった」

そう言ってシルヴァンが隣に座る。
手に持たれた料理を見るに、彼も今からご飯なのだろう。口を開こうとしたクレオに「飲み込んでからでいい」とシルヴァンが止める。クレオは素直に従い、綺麗に30回噛んでから、ごくりと飲み込んだ。

「アッシュは用事があるみたいでね」

ふーん、なるほどなあと相槌を打ってシルヴァンも料理に手を付ける。お互い食べることに集中して、数秒だけ空白を生んだあと、シルヴァンから言葉が投げられた。

「このあと暇か?暇してんなら、女の子口説きに街へ行こうぜ。きっとお前なら年上の子に可愛がってもら」
「無理です」
「バッサリだな!おい!」

つれない答えにシルヴァンがぶうたれる。女の子を口説くのが主な目的だったが、クレオとの親交を深める目的──兄貴的歩み寄りも含んでいたらしい。しかし、クレオが断ったのは、何もシルヴァンと遊びに行くのが嫌だからという理由ではなかった。

「アネットとの約束があるから」
「ああ、先約─…。……。


ほほう。なんだ、そういうことかよ。お前も隅に置けねえな」

ぐいぐいと、ニヤけ面でクレオの肩を肘でつつく。いや、元気だな。

多分、アネットと好い仲などと勘違いしているのだろう。ややこしいことになりかねないのでクレオは「メルセデスとイングリットもいるよ」と付け足した。

「ん、そうか……ってなんだその女子率の高い羨ましい空間は!?」
「アネットの部屋でお化粧会をするんだ」
「はあ!?部屋で!?……化粧?」

男であるお前がなぜ、とごもっともな疑問を浮かべている。しかしそれよりも『部屋』の方が瞬間的興味が勝ったのだろう。「俺も行きたい」とシルヴァンが主張しだした。

「シルヴァン呼ばれてないじゃん」
「そこは、ほら、なんとかなるって。お前がいけるんだから」

その謎の自信はどこから来るのか、クレオは全く分らなかった。
しかし、最終的にシルヴァンの熱意に負けて、とりあえず一緒にアネットの部屋まで行くことになった。いける気など無さそうだが…。いや、もしかしたら、もしかしたりするのかもしれない。同じ学級の仲間なんだし。

──…

「なんでシルヴァンがいるの?」

招かざる客にアネットが首を傾けた。

「やあ、アネット。お化粧会、よければ俺も見学させてくれないかな。可憐な乙女たちのめかしこむ姿をお目にか」
「え、ダメ」

しなかった。もしかしたりしなかった。
心なしかアネットの当たりが強い。

「フィンセントはいいのに!?」

シルヴァンが後回しにしていた疑問をようやくぶつける。

「フィンセント、お化粧似合いそうだから、いじらせてって頼んだの」
「え、なに、お前も化粧すんのか?」

顔を向けられたクレオが「うん……」と小さく返事をした。
あ、これ本意じゃないな、とシルヴァンが察する。

「だから、お化粧しないシルヴァンはダメなの」
「……まあ、それなら仕方ないか」

そう言って両腕を首の後ろに回して体を揺らした。引き際の良さは男の良さ、とはシルヴァンの持論だ。持論に倣い、じゃあまたな、とシルヴァンは潔く去った。


…と思ったら戻ってきた。

「そこら辺で暇つぶしてるから、終わったら見せに来てくれよ」

未練タラタラじゃん。
暇つぶしとは大方ナンパだろう。クレオとアネットの二人は冷ややかな視線をシルヴァンに送った。



メルセデスとイングリットも到着し、実質女子四人が集まった部屋は華やかな雰囲気に包まれた。早速とばかりに化粧道具が机いっぱいに広げられる。アネットとメルセデスのものだ。

「(可愛い……)」

久しぶりに見る化粧道具に、クレオの目が釘付けになった。剣と筋肉に熱を上げていた今までがおかしいだけで、なんだかんだ、元はちゃんと女の子なのだ。

「わあ、この色可愛い!どうしたのこれ?」
「これは街で見つけたものね〜」

お互いの化粧道具にアネットとメルセデスが盛り上がる。

「イングリットに似合うかも!」

アネットが口紅を手に持って、イングリットの顔の横に寄せる。それに合わせて「じゃあ頬にはこの色がいいわ〜」とメルセデスが頬紅を出した。絶対似合う!とクレオが心の中で同意する。遠慮するイングリットをよそに、実際に付けるとこになった。女子の推しの強さとは、時折、相手の拒否権をも持たせなかったりする。

真向かい同士にアネットとイングリットが座る。メルセデスは手鏡を持ってアネットの横に。クレオは少し離れたところに座った。男装している身。積極的に話すわけにもいかず、イングリットに化粧が施されていくのをぼんやり眺める。


私が女の子としてここにいたら、もっと近くへ行ってお喋りできたのかな…

──そんなの、あり得ない話だけど。


クレオが目を伏せる。

本来、士官学校への入学はフィンセントがするものだったし、クレオは今頃実家の屋敷で過ごしていたはずで。そもそも、ここにいない存在なのだ。
その事実が少し悲しくて、クレオの顔が曇った。どうか、気付かれないようにと俯く。しばらくそうしていると、ふわりと良い香りがクレオの鼻孔をくすぐった。

「フィンセント、どうしたの〜?具合が悪いのかしら〜?」

メルセデスの声にクレオはパッと顔を上げる。

「大丈夫だよ。……イングリットはもう終わったの?」
「ええ、とっても素敵になったわ〜」

その声に釣られイングリットの方を見ると、そこにはいつもよりも大人びた彼女がいた。紅く彩られた唇が彼女の白い肌をより際立たせている。クレオの視線を感じてイングリットが眉を下げた。

「変ではないでしょうか……?」
「すごい似合ってる!綺麗だよ!」
「!」

イングリットが頬を染める。けれどハッとしたように顔をこわばらせた。

「もしや……シルヴァンの悪影響を受けて──!?いけません!フィンセント!」
「え、いや、普通に思ったことを……」
「なお悪いです!いいですか。無闇矢鱈、女性を褒めてはいけません。シルヴァンの様になってしまいますから!」

ぽこぽこと怒って、折角の綺麗な顔が勿体ない。言ったらまた怒られそうだったのでクレオは口を噤んだ。

「まあまあ、イングリット。お菓子でも食べて〜」
「む、そうですね。いただきます」

メルセデスがいつの間に用意していたのか、マドレーヌをイングリットに渡す。既に2、3個食べている。切り替えはやっ。食意地すごっ。見計らってアネットがクレオを手招く。

「じゃあ次、フィンセントね」
「お手柔らかにお願いします……」
「うん!流石に男の子だもんね。そこは弁えるよ」

イングリットと座っていた場所を交換して、アネットと向き合う。

こんな形で化粧をすることになるとは思わなかった。

少しの緊張を感じながら、アネットの言われるままに目を閉じるのだった。

──…

「あ、いたいた。シルヴァンー!」
「おお。アネット!メルセデスにイングリットも!」
「あらあら、ほっぺが痛そうね〜」
「また女性を怒らせたのですね……あなたって人は!」

合流したシルヴァンの顔には紅葉が咲いていた。時々、ガルグ=マクで見られる光景だ。ちょっとしたすきま時間にまたいざこざを起こしている。

「いや、俺のことはどうでもよくて!いやあ〜眼福眼福。お目にかかれてなんと幸せなことか!」

ありがとう!と言ってシルヴァンが礼をする。

「皆、よく似合ってるぜ。イングリットもいいんじゃないか」
「ふふ、ありがとう〜」
「えへへ、シルヴァンに言われもアレだけど」
「別に、シルヴァンの感想なんていらないわ」
「お前らなあ……」

俺の味方は1人しかいないのか。シルヴァンが疑心に駆られる。そこで、もう一人味方になりそうな、フィンセント(クレオ)がいないことに気付いた。

「フィンセントは?なんでか分からんがあいつも参加したんだろ?」
「ちょっと恥ずかしいみたいで。あ、ほら、来た」



「アネットー!早くこれ落として!」
「ごめん。フィンセント、化粧が映えるから、腕がノっちゃった!」

両手を合わせてアネットがこてんと頭を傾ける。アネット、想像以上に、クレオに化粧が似合ってたもんだから(女の子だもんね)、ノリノリになって瞼やらなんやら塗りたくったのだ。弁えるとは。結果、女の子時代のクレオですら一度くらいしか経験のない、バッチリ化粧になった。今のクレオ、男らしさ0パーセント。ひどく危険な状態だ。

そんな時、どれどれと、興味半分にクレオの顔をシルヴァンが視線を向けた。

「…………」

自身の顎に手を添えて、まじまじと観察したあと、ぽんとクレオ肩を掴む。

「な、何……?」



「俺、お前ならイケる気がする」

「!?」

女子一同、固まる。しかし、イングリットがすぐに動きだした。

「シルヴァン!!!!!」

バチンッ

振りかぶった彼女の手がシルヴァンの背中を襲う。うわあ、絶対痛いよあれ。すかさず、イングリットはクレオを庇うように前へ出て、倒れ込むシルヴァンを見下ろした。さながら姫を守る騎士だ。

「ついに、故意で男子に手を出そうしたわね。……このことは、殿下に伝えようと思うわ」

先生に言っちゃお〜!じゃないあたり、イングリットのガチ怒り具合が分かる。

「それだけはっ……それだけは止めてください!!」

シルヴァンが渾身の土下座を決めた。てか、ディミトリ、どんだけ恐れられているんだよ。流石に哀れに思ったクレオとメルセデス、そしてアネットによりシルヴァンはなんとかお許しを得たのだった。



その後のことだが、クレオ曰く、シルヴァンとしばしば目が合うようになったとかならなかったとか。
 

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