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訓練場ではハンネマンによる弓術の演習が行われようとしていた。本来、講習は講義のみだったのだが、受講者である生徒たちから希望が上がり、ハンネマンの厚意で実施されることになったのだ。クレオは今まで触れたことの無い弓術をちゃんと学ぼう、という動機により受講していた。

点呼を取り終えたハンネマンが、今までの講義の内容を時折問題を出しながら、口頭で説明する。それが終わると、いよいよ生徒の手に弓と矢が配られた。

「皆、怪我のないように」
「「はい!」」
「よろしい。では、始めたまえ」

生徒たちの良い返事にハンネマンが頷く。皆が一斉に弓を引いた。



矢が風を切る音はどこか小気味よく、気持ちがいい。上手く的の中心に当てた隣の生徒が「やった!」と声を上げている。クレオはそれを横目に見たあと、己の真正面にある的を注視した。

矢が一つも刺さっていないまっさらな的。手前付近にはそこに辿り着く前に落下したと思われる複数の矢があった。たらりとクレオの額に汗が伝う。

(当たらない……!)

矢をつがえる手が震える。最初は、『始まったばかりだし』と毅然として射ち続けた。

──しばらく射つ。やはり当たらない。『まだ……まだ……っ!』ともはや文にすらなっていない言葉で萎れそうな心を持ち上げる。

──さらにしばらく射つ。それでも当たらない。いよいよ、射ち続けるのが辛くなる。もしかして、私下手?と思ったら最後。クレオの心が折れた。後ろの方で生徒たちを見守っていたハンネマンに助けを求める。

「なにやら、てこずっている様だったが……。やはりか」
「先生、お願いします」

ぺこりと頭を下げるクレオ。真剣な姿勢の生徒を無下にするはずもなく、ハンネマンは快く承諾した。

「先生ー!ディミトリ王子が弓、壊しましたー!」

ありがとうございます、とクレオがはりきってハンネマンを連れて行こうとした時、女子生徒がハンネマンを呼んだ。その隣では、ディミトリがボキボキに折れた訓練用弓を持って立ち尽くしている。その姿を見て、ハンネマンは全てを理解した。

「……あぁ。想定はしていたが……やはり起きたか。うむ。我輩は彼でも使える頑丈な弓を用意してくる」
「えっ」
「すまないが、その間、手本になりそうな他の生徒に見てもらっていてくれないか」

「そうだな、例えば、フェリクス君はどうであろう」そう言って、ハンネマンがフェリクスの方へ視線を向ける。つられてクレオもフェリクスを見た。

──ストン、と的を正確に射抜く姿はスナイパーそのもの。この男、剣術だけでは飽き足らず、弓術まで長けていた。確かに、手本になるにはなる。しかし、今めっちゃ集中しているフェリクスに「教えて!」なんて空気読めないこと、言えるだろうか。フェリクスに遠慮しなくなったといっても、それはTPO及びフェリクスの機嫌を踏まえてのこと。クレオの中でハンネマンに教えてもらう方に天秤が傾く。少しの間なら待っていられる、

「あの、ハンネマン先」
「フェリクス君、少しいいかね」
「(先生──!!!!)」

そうクレオが言おうとしたのにハンネマンがフェリクスの元へ近づき声をかけてしまった。クレオは後ろで縮こまるしかない。

「……何でしょうか」

腕を止めたフェリクスが煩わしそうにハンネマンを見る。相手が先生であっても、フェリクスは態度を改めることはしなかった。敬語を使えばいいってもんじゃないんだぞ…!

「フィンセント君の弓を少し見てやってほしいのだよ」
「……。なぜ、私が」

フェリクスがハンネマンの後ろにいるクレオを一見する。

「ここにいる生徒の中で君が1番上手いからね」
「ハンネマン先生は」
「吾輩はディミトリ君に見合った弓を持ってこなくてはいけなくてな」
「チッ」

舌打ちまでしちゃったよ。だけど、ハンネマンの方が上だった。フェリクスの返答も聞かぬまま「頼んだぞ。それでは吾輩は行ってくる」と言って去ってしまった。取り残された二人の間に沈黙が流れる。はぁ、とフェリクスが深くため息をつく。そこに、ため息の半分要因ともいえるディミトリが駆け寄ってきた。弓を壊してから、またやってしまったと沈んでいたが、取り返したようだ。

「二人ともすまない。巻き込んでしまったな」
「いえ、そんな……!」
「そう思っているならお前も手伝え。教えることくらいはできるだろう」
「ああ、勿論」
「え?」

教えてくれる流れにクレオが戸惑っていると「何をやっている。さっさとしろ」とフェリクスが急かした。──世界よ、これがツンデレだ。クレオは顔が口角が上がるのを我慢しながら返事をした。

一度見てもらうという意図でクレオが弓を引く。矢は先程のように的から逸れた。恐る恐る二人の反応を待つ。

「なるほど」
「……ぶれている」
「?」

構えたままでいてくれ、というディミトリの指示のもと、クレオが矢をつがえず射撃の姿勢をとる。すると、腹と背中にディミトリの手が添えられた。

(わっ)

突然のお触り(語弊のある言い方)にクレオの心臓が跳ねる。が、今はそれどころではないと話に集中した。

「矢を放つ時、上半身──特にこの辺りが垂直であるように意識するんだ」
「はい!」
「足も忘れるな。土台である下半身がなっていなければ、元も子もない」
「そうだな。体の軸をぶれないように気をつけてみると、かなり変わるぞ」
「体の軸……意識してみます」

二人の話にクレオがうんうんと頷く。

「ああ、それとなんだが」
「はい!なんでしょう」
「弓を引ききれていな──っ!?」

まだ学ぶことがある!と即座に返事をすると、ディミトリがクレオの二の腕を掴んだ。ふにゅり。女子特有の柔らかい感触がディミトリの手に伝わる。

「弓を?」

不自然に言葉を切ったディミトリに、クレオが聞き返す。見た目よりも細く柔らかい腕に驚き、咄嗟に離した手をグーパーしたあと、ディミトリは心配するような視線をクレオに送った。

「フィンセント、食事はしっかりとっているのか?いくらなんでも細すぎるぞ」
「え、食べてますよ」
「フン。訓練している割には頼りない」
「いやいや、これでも入学前よりはずっしりしてきてるって」

まあ、クレオ、乙女だし。男から見たら細いだろうな。日々の鍛錬で多少鍛えられているといっても、女子は筋肉がつきづらく、男子のようには中々なれないのだ。

「矢が的まで届かないのは、弓を引ききれていないせいだな。肩と腕を鍛えておくといい」
「はい……。頑張ります」

情けない、とクレオがしゅんとする。

「お前、ファーガスに生まれておいて、よくここまで貧弱に育ったな」
「うっ」
「そう言うなフェリクス。代わりに、フィンセントは魔法が得意だろう?」

ファーガスに生まれた男子は幼い頃より武術を教え込まれる。ディミトリたちが闘いに慣れているのはそのためだ。だからこそ、クレオが異色に映るのだろう。二人が稽古をしていた間、クレオはお菓子作ったり、裁縫の練習したりしていたのだから、慣れていなくて当たり前なのだが。

「弓、もっと上達してみせますから!」
「きっとすぐに上手くなるさ」
「そうしてくれ。また教示を頼まれては敵わん」
「任せてよ」

二人の指南に従ってクレオが弓を引くと、矢は見事に的へ射ち当たった。「当たった!」と隣で声を上げていた生徒のようにクレオが喜ぶ。その横脇では「その調子だ」とディミトリが褒め、「早く次を射て」とフェリクスが叱る。すっかり元気になったクレオは、二人の先生に挟まれながら練習に励んだ。

──…

それから少し経ち、ハンネマンが戻ってきた。

「待たせたな。ディミトリ君、さあ、これを使いたまえ」
「ハンネマン先生、お気遣い痛み入ります……!」

ディミトリに渡されたのは鉄の弓だった。



2秒で壊れた。
 

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