- 13 -

「アッシュ、野菜切り終わったよ。これどうしたらいい?」
「っ!?あ、あー、ええっと……。あそこに置いていてもらえるかな」
「うん、分かった。……」

今日は料理当番の日。アッシュも当番だったので、『夕飯は特別美味しいものだ!』とクレオは確信し、ついでに『レシピを教えてもらえるかも』とか期待していた。張り切っていた。…のだが、出鼻をくじかれることになった。主要たるアッシュが心ここにあらずというか、感触が悪いというか。いや、反応は良いのだが。とにかく、そんな雰囲気じゃないのだ。

(なんだろう……)

こういうのは初めてではない。というか、最近のアッシュはどこか落ち着かない様子で変だ。心配で「どうしたの?」と聞いても「ごめんなさい。なんでもないですから」と謝られるだけ。しかも、クレオ的には認めたくないことだが、自分に対してだけこうなのだ。

──もしかしたら、アッシュに何かしてしまったのかもしれない。

…まあ、してしまったともいえなくもない出来事はあったのだが。現状を知らぬクレオはうーんうーんと頭を悩ませながら、そっとアッシュの背を盗み見した。



さて、そのアッシュはというと…

(うわあああ──!!!!)

めちゃめちゃ慌てていた。平然を装ってスープをかき混ぜているが、頬が赤くなっている。

あの日、クレオの女の子である一片をほぼ事故のように見てしまったアッシュ。以降、クレオと顔を合わせるとこんな感じだ。いつも通りでいよう、という本人の心がけも虚しく、ドギマギする始末。特に近頃は『まつげが長いな』とか『笑うとあどけないな』とか、思考が桃色に染まっているあたり、重傷である。さっきのも、クレオに顔を覗かれてドキッとしちゃったというわけだ。

(こんなの、最低じゃないか!)

己の乱れた思考を掻き消すように、アッシュがブンブンと頭を振る。この様子だと、また近いうちに大聖堂行くな〜(他人事)。

──ああ、どうしたらいいんだろう、とアッシュの意識が考え込む方へ行く。その時だ。

「……シュ!アッシュ!なべ!鍋!!」
「え?……わっ!」

切羽詰まったクレオの声が耳に入った。手元にある寸胴鍋へ目を向けると、スープが派手に吹きこぼれているではないか。急いで火から下ろそうとアッシュ、鍋を掴む。が、しかし、素手。容赦ない熱がアッシュの手を襲う。

「あつ!」
「大丈夫!?鍋は見とくから、アッシュは手を冷やして!」
「すみません……!」

クレオに頭を下げるとアッシュは流し場へ駆けた。


──…


「大丈夫だった?」
「はい。充分に冷やしましたので」

クレオの元へ戻ったアッシュが「助かりました」と再び頭を下げる。それを受けたクレオは「よかった」と朗らかに笑った。そんな一瞬のことにもいちいち心臓が跳ねる。アッシュはさっと目を逸らし、本当に愚かだ、とうなだれた。

「……(今、明らかに目を逸らした)」

やはり女の勘は鋭いというか…。アッシュ、クレオにモロバレである。いよいよ、クレオの”何かやってしまったのではないか”という疑念が深まる。

──聞くしかない。この悶々とした気持ちを処理するには、聞いた方が早い。

ええい!漢見せるぞ!(あなた女の子ですよ)とクレオは腹をくくり、アッシュに質問をぶつけた。

「さっき、ぼうっとしてたみたいだけど」
「あ、はは……うん。そうですね」
「それって僕のせいだったりする……?」
「え」

核心を突くクレオの問いにアッシュが固まる。クレオはそれを見て、合点した。

「だとしたら、ごめん……!何かしてしまったんだよね!?だから気まずそうにしてるんだよね!?」

そう言うクレオの瞳は揺れていた。クレオにとってアッシュは、ここに来てから初めてできた友達。そんな友達との関係が危ぶまれるというのなら、必死にもなる。

「ま、待って!それは違います!」

涙目になっているクレオと、予想していなかった言葉にアッシュが動揺する。否定をしているが、回答としては不十分だ。

「じゃあ、最近様子が変なのは……?」
「それは……」
「それは?」
「僕が勝手にそうなってるというか……。とにかく、フィンセントは何も悪くありませんからっ」

ほんと?とクレオがアッシュを見つめる。うっ、となるが、ここで逸らしては信憑性がない。じわじわと体温が上がるのを感じながら、アッシュは見つめ返した。

「本当です……!だから、気にしないでください!」

しばし見つめ合う。のち、「そ、そっか」とクレオが頷いた。絶対に態度に出さないようにしよう。一生隠し通そう。こんにちより、アッシュはそう心に誓ったという。



「あ、フィンセントいた」

当番の仕事も終え、アッシュとの問題も解決した(実際はしていないのだが)クレオは、上機嫌で部屋に戻るところであった。後ろから声に振り向くと、少年が立っていた。

「ツィリルくん」

ツィリル──修道院で様々な仕事のお手伝いをしているパルミラ人の少年だ。士官学校の生徒ではないためそこまで交流はないのだが、こうして手紙の配達など何かとお世話になるので、名前を知る仲ではあった。

「探してたんだよ。ほら手紙」
「ああ、ありがとう」

さっと手紙が手渡される。反対の手にはこれから配るであろう手紙の束が抱えられていた。

「じゃあボクはこれで。他にも届けないといけないから」
「うん。どうもね」

ツィリルが去るのを見送ったあと、手紙の封蝋へ目を移す。そこにはクレオの家の紋章が刻印されていた。

(お父様からだ)

思わず封を開けそうになったが人の目も気になるため、クレオは自室へ向かった。


──…


パタン、と部屋のドアを後ろ手に閉める。そのまま背を預けて、いそいそと手紙を開いた。父からの手紙はこれで三通目だ。一通目は替え玉にしてしまったことへの謝罪文。二通目は、まあよくある近況報告。今回はどうであろう。


クレオへ

元気ですか?手紙、読みました。剣の鍛錬を頑張っているようですね。とても誇らしいです。

父は毎日、母さんに怒られています。年頃の娘になんてことを、とごもっともなことを言われて何も返せません。

お前たち二人がいない屋敷は静かで、とても寂しいです。フィンセントの手がかりは未だに掴めていませんが、探し出してみせるので、安心してね。その時はすぐにフィンセントを向かわせて、お前が屋敷に戻って来られるようにするからね。

クレオが無事に帰ってこれるようお祈りしているよ。

父より


……。娘宛で手紙を送ることに慣れていないせいなのか。はたまた罪悪感からなのか。敬語であるのが妙に気持ち悪いのは置いといて。



「あれ……」

おかしい。
入学当初、不慣れな生活に不安だった時、父からの手紙で心が軽くなった。とても励まされた。だから、今回もきっとそうだと期待していた。…それなのに。

学校を離れることを想像して、悲しくなっている。

「わたし──」

ざわざわとする胸を押さえる。手紙には、いつの間にか強く握っていたせいか、皺ができていた。
 

戻る top