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森の中を小さな兄妹が駆け回る。先を走る兄と、はぐれないように追いかける妹。

やがて兄は大樹を見つけると足を止めてすいすい登り始めた。幹から分かれた一番下にある枝(とは言ってもまあまあの高さである)を折れないか踏んで確かめ、大丈夫と判断したのか、そこに腰を下ろした。妹はそれを見上げて立ち尽くすばかり。拗ねた様子の妹を「クレオちゃんもおいで」と兄が誘う。同じ歳でありながらも、兄と決められた方──フィンセントはクレオを可愛がっていた。

「ええ……ムリだと思う」
「大丈夫。僕の妹だから」
「でも……」
「できる!」

何の根拠もない励ましである。けれどやっぱり置いていかれるのが寂しいクレオは、へっぴり腰ながらも兄の元まで登った。隣へ座るのを見届たフィンセントが彼女の頭を撫でる。腑に落ちなさを感じつつクレオは気になっていることを尋ねた。

「なんで木に登ったの?」
「するどい質問ですな。いいでしょう、お答えいたします」

この口調は偉そうな人と喋っている時の父親の真似である。ふたりの間で流行っていた。クスクスと笑い合い、落ち着くとフィンセントは下の方を指さした。遠くになった地面を見下ろす。自分の手のひらの大きさしかなかった花が、あんなにも小さい。改めて自分のいる場所を思い知ってクレオは震えた。

「見える景色が全然違って好きなんだ」

どうせ『そこに木があるから』などと適当な理由が来ると思っていたので、想定外の切り口にクレオは目を丸くした。一体この兄は何を考えているのだろう。クレオが相槌をうつと、話を続けた。

「こういうものを沢山見たい。色んな場所の色んな景色。色んな人にも会いたい」

どこか遠いところを見つめてそう語るフィンセントは、すぐ隣にいるのに、消えてしまいそうだった。

「だから今のうちにクレオちゃんといっぱい遊ばないとね」
「私?」
「なんでもない」

はぐらかすように笑って、そろそろ帰ろうかとクレオを促す──



そこでクレオの目が覚めた。

(あれ?)

なんで自分は寝ているんだ。訓練場に向かっていたのでは。パチパチと瞬きを繰り返すが、天井が映るだけだった。不思議に思って起き上がると神妙な顔つきのシルヴァンとフェリクスがこちらを見ていた。どういう状況なのだろう。まだ夢の続きを見ているのか。クレオの疑問に答えるようにシルヴァンが口を開いた。

「フィンセント、道で倒れてたんだってよ。で、それをフェリクスが見つけたと」
「倒れ……!? ごめん、迷惑かけた!」

クレオが2人に頭を下げる。怪我に響いたのか「痛っ」と額を抑えた。打ったところがたんこぶになっている。フェリクスもシルヴァンも回復魔法が使えないので傷はそのままなのだ。(せめて血は拭ったが)

しかし話を聞いても、まだ1つ疑問が残っていた。2人の微妙な空気感である。他に何かやってしまったのだろうか。尻込みしていると、黙っていたフェリクスがこちらを睨んだ。

けれど、怒っているようでもなく、呆れているようでもなかった。まるで、何かを探るような…。

「お前は何者だ」

瞬間、クレオの体が固まった。

言葉の意味を噛み締めた彼女の頭から、サァーと血の気が引いていく。不安から心臓を抑えるように服を握れば、胸を潰していないことが分かった。ますますクレオの顔色は悪くなる。

「今のところ、俺とフェリクスしか気づいてない。……どうしてこんなことをしているのか訳を聞いてもいいか?」

当然の質問である。クレオは頷いて、ゆっくりと事の発端を話し始めた。自分には双子の兄がおり、本来は兄が入学する予定だったこと。その兄が家出をして自分が兄の代わりになったこと。兄が無事に捕まったら自分は去ることを。

恐る恐る反応を伺えば、2人とも苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。やはり素性を隠していた自分が不快なのだろう。顔を合わせる勇気もなくなり、クレオは胸元にある自分の手を見つめた。

「なんというか、素直に応援したくない話だな」

歓迎されるものではないと分かりきっていたのに、いざ言葉を向けられるとクレオの胸は張り裂けそうになった。


「お前が普通に入学できれば良かったのに」


「……え?」

ギシリ、と1人分の体重が加わったようにベッドが軋む。シルヴァンが腰掛けていた。

「帰れって言わないの?」
「今まで一緒に頑張ってきたやつに、そんなこと言えるかよ。フェリクス、お前は?」
「……稽古相手が減っては困る」

ああ、だめだ。目頭が熱くなるのを感じてクレオは布団に顔を押し付けた。男が簡単に泣いてはいけないのだ。失礼になるなと思いつつ、でも礼を言いたくて、その姿のまま「ありがとう」と告げる。頭に降ってきた2人の返事はあまりに生ぬるく、優しいもので、しばらく顔を上げることができなかった。
 

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