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さて、そろそろ退出するか。シルヴァンとフェリクスが部屋をあとにしようとすると、さも当然のようにクレオがついてきたのでシルヴァンは目を剥いた。

「いやいや、寝とけよ!?」

倒れて頭打ってさっきまで泣いていた人がなに立ち上がっている。安静にしておくべきだ。慌ててベッドへ押し戻すが、クレオは拒むように首を振った。しかも、授業に出るとぬかしおる。

「休むのもったいないよ!?」

逆に諭された。
なんでだよ。優等生か、お前は。金髪の幼馴染二人を想起して、シルヴァンは苦笑いを浮かべた。どうしてこう、揃いも揃ってうちの年下連中は真面目すぎるのか。少しくらい自分を労わればいいのに。

一抹の望みをかけてクレオを見つめるが、『絶対に出席してやる』という闘志にあふれており、大人しくする様子はなく、シルヴァンはしぶしぶ身を引いた。

「気分悪くなったらすぐ言うんだぞ。ていうか、悪そうだったら医務室連れてくからな」
「うん!」

力強く頷くクレオ。
しかし、一つ目の授業後、医務室に連行されるのだった。


マヌエラから寝ているよう言いつけられ、寝台に横たわったが、そうすんなり眠れるわけもない。

薬の匂いやら、人のいる感じやら、気になるところが多くて、落ち着くのが難しい。

こうなると眠気が来るまでのあいだ、退屈でいけない。仮にも病人が忙しくするなと言われたらそうなのだが、クレオは忙しくしていたかった。じっとしていたら思い出してしまう。できるなら、それは避けたいのである。

せいぜい、やれるとすれば転がるくらいか。試しにゴロゴロするが、ものの数秒で飽きた。箸が転んでもおかしい時期は卒業したのである。再び手持ち無沙汰になったので、今度は間仕切りの皺を数えた。…全然面白くない。諦めて天井を眺める。すると否が応でも、先程までの出来事が脳裏に蘇って、クレオは顔を赤くした。

(失敗した……)

授業中のことだった。
何が琴線に触れたのか、はたと涙が出てきたのである。そこからは死闘だった。気づかれないように袖で拭う、涙落ちてくる、袖で拭うのエンドレス。止まれ。止まれ。と唱えても涙は勝手に落ちてくる。袖が水分を吸わなくなるのが先か、涙が枯れるのが先か。延々つづきそうな攻防に一石を投じるべく顔に力を入れた。その時である。

教壇に立つベレトと、目があった。
それはもうめちゃくちゃ渋い顔の時に。なんと間の悪い。

驚きのあまり涙は吹き飛び、羞恥で頬が赤く染まった。ベレトも動揺したらしく、無表情だが肩をビクッとさせた。両者そのまま石のように固まる。残された生徒たちは先生どうしたのだろうと、ベレトの目線を追うわけで。結局、青獅子の学級ルーヴェンクラッセの全員に泣いていることがバレたという。机に突っ伏さなかったのは意地だった。

授業はつつがなく再開されたが、終わるとすぐにシルヴァンが呆れながら詰めてきた。観念して連行されるクレオにみんな優しく声をかけてくれたが、かえって辛かった。

(起きたら全員、あそこだけ記憶喪失にならないかな)

起きているとそればかり考えてずっと落ち込みそうだ。眠気を待ちわびて、クレオは気休めに布団を被った。


なんだかんだスヤスヤ寝たようで、鐘の音で起きたら午前の授業が全て終わっていた。ちょうどお昼休みであるとマヌエラの代わりの人─マヌエラが講義に出るため途中で交代したらしい─が教えてくれた。許可を貰って医務室を出ると、クレオは食堂を目指した。主に寝ていただけだが、それはそれとして腹は減るのである。

(そういえば)

一階に降りたところで、教室に置いていった本の存在を思い出した。片付ける暇もなかったのだ。そのまま机の上にありそうな気もするし、ベレトが回収(落し物扱い)しているような気もする。よもや、失くなっているなんてことはあるまい。だが、見に行ったほうがいいだろう。

渡り廊下から見える校内は、やはりほとんどの生徒を失い、閑散としていた。みんな食堂にいるのだ。分かっていたが、妙に寂しくなってクレオは歩を早めた。隣の金鹿の学級ヒルシュクラッセは空だったので、大方うちも同じだろう──そう思って教室に足を踏み入れると、ぽつりと椅子に座り込む一つの影があった。

「あれ、アッシュがいる」

何してるの?クレオが声をかけると、弾かれたようにアッシュは顔をあげた。それから、存外元気そうなクレオに相好を崩した。

「もしかしたら来るかもって、待ってました。──はい、君の」

そう言って差し出されたのは、まさに探していた本である。どうやら、これを渡すために待っていてくれたらしい。後回しにしたってよい些細なものを、わざわざそうしてくれたことに胸が熱くなった。アッシュはいつも優しいけれど、心細くなっていたところなので特に染みた。後光が差して見える。

「預かっていてくれて、ありがとう……!」丁重に本を受け取り、にこにこと笑うクレオにつられてアッシュも笑みを深めた。

「その様子だと、体調は大丈夫なのかな」
「お腹がすくくらいにはバッチリ」
「ははっじゃあ一緒にご飯食べに行きましょう。まだですよね?」

「皆、食堂にいると思うので、元気な顔を見せてあげてください」聞くやいなや、クレオはアッシュの腕をひっぱって走り出すのだった。
 

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