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登校初日。クレオは朝から焦っていた。支度─胸を潰すための布(以下サラシ)を巻くこと─に手間取り、部屋を出るのが遅くなってしまったのだ。

(初日に遅刻なんて絶対ダメだ…!)

乱れた髪をささっと整え、最後に靴紐が結ばれていることを確認すると、クレオは飛び出すように部屋を出た。思い切り走るのは憚られるのでギリギリ歩く範囲に入る程の、だけどほぼ走る速度で向かう。途中男子生徒の歩く姿が見えたので、同士がいることに安心しつつ『お先に!』と追い越した瞬間、ズッ、と靴の裏が滑る音がした。

転ける──!

そう思った時にはもう遅い。回避する猶予はなく、クレオは衝撃に耐えられるように目を瞑った。しかし、待てど暮らせど痛みはやってこない。目を開けて確認すると腕を掴まれていた。すんでのところで何者かがクレオを引き上げてくれたようだ。

「おっと!気をつけろよー。初日に怪我なんて嫌だ……ろ……」

どうやら、先程追い越した男子生徒が咄嗟に助けてくれたらしい。

「あ、ありがとう!助かりました」

足元に気をつけながら、クレオは振り向いて令をした。男は朱い髪の毛と垂れ目が特徴的な人だった。

ホッと胸を撫で下ろすのも束の間、時間に追われているのを思い出し、クレオが焦り始める。

(早く、教室へ…!)

目の前の男子生徒も教室に向かっている最中だっただろう。

それ故に、男から「どういたしまして」だとか「おう」だとかの返事が返ってきて、クレオの「それでは」の言葉で会話は終了──になるとクレオは脳内でシミュレートしていた。

だけど、相手の返事を待っても、目を丸くしてこちらを見つめているだけなのである。困ったクレオは脳内の男の台詞を飛ばし、自分の「それでは」で強制終了を迎えようとした。その時だ。

「驚いた!入学して早々、こんな可憐な女の子に出会えるなんてね。スカートじゃないから後ろ姿ですぐに気づけなかったよ。その格好には何か理由が?」

やっと動き出したかと思えば、男はクレオの手をごく自然に掬い、生き生きと話し始めた。

「いや、そんなの君の愛らしさの前ではどうでもいいことだ。愛らしい君、授業のあと俺とお茶しませんか」

手を緩く握り締め最後にウインク。

歯の浮く言葉と熱烈なアピールは、クレオを震え上がらせた。一昨日までのクレオだったら頬を染めていたかもしれない。しかし、本日から女子であることを隠し、男子として生きていこうとしている彼女には恐怖のフルコースだった。

(こここここここの人、私のこと女だと思ってる──!?早くもバレた──!?いやいや…いやいやいやいや!ないない!だって今の私は男の格好をしているわけで……何この人怖い!!)

とまぁ、酷いパニクり具合である。

ハッと冷静さを取り戻したクレオは「あの、僕は男ですよ」と貴方ちょっと変なんじゃないですか風を装い、男の手を退ける。

「はあっ?いやいやいや、だって君はこんなにも可愛いじゃないか」
「いいえ、男です」
「嘘だろ、おい、嘘だと言ってくれ!……男ォ!?」

クレオの淡然とした態度に、初めは「いやいやご冗談を〜笑」と言わんばかりの調子だった男は、打って変わって、額を押さえ顔を青くした。

そんなこと言っても、彼女は男として生きなければならないのだ。

またしても男は固まるが、クレオはもう待てない。「では」と軽く頭を下げて、駆け出した。意識を取り戻した男が「転けるなよー!」とクレオに注意していたが彼女の意識は完全に教室に向いていたため、聞き取られることはなかった。
 

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