Long StoryShort StoryAnecdote

Disguise/Disclose


8.

「おばさん、桜斗に会わせて」
 草太は年が明けると、すぐに桜斗の家を訪ねた。正月にも関わらず、桜斗の家は全体に暗い印象のままだ。桜斗の部屋はもちろん、外から見える窓はすべて、カーテンが閉められている。
 桜斗の母親は弱った様子で、こけた頬に手を当てて首を傾げた。
「そうちゃん……悪いんだけれど、来てもらっても、あの子は……」
「お願いします、どうしても会いたいんです」
 鏑木は顔写真と共に実名で報道された。桜斗が見ているかはわからなかったが、あの男が逮捕されたことを一刻も早く教えてやりたかった。もう何も恐れる必要はないのだ、と。
 玄関先で押し問答をしていると、廊下の先に白い人影が見えた。草太は息を飲む。
「桜斗ッ」
 階段の下のところに、異様な姿の少年が立っていた。
 全身を白い服に包み、手袋をはめていた。顔を大きなマスクで覆い、頭にはニット帽をかぶっている。細く覗いた目元だけが、草太の知る彼だった。
 草太の声に、母親も弾かれるようにして振り向く。
「……さくちゃん、」
 固まる2人を残して、桜斗は無言のまま階段を上っていく。呆然とする母親の腕をすり抜けるようにして、草太は家の奥へと駆け込んだ。
 以前来た時は、ドアは固く閉ざされていた。閉じられたドアのノブに手を掛け、回す。ノブはカチャリ、と軽い音を立てて回りきり、ゆっくりと開く。
 中は薄暗く、廊下の光が部屋に向かって漏れ入った。草太は静かにドアを閉める。
 桜斗はさっきと同じ姿で、ベッドの隅に小さくなって座っていた。
 小さく、という形容は、印象ではない。実際に、桜斗の身体は痩せ細り、縮んでしまったようだ。
 闇に目が慣れてくると、草太は室内に目をこらした。部屋は、心配していたよりも正常に保たれていた。異臭もない。
 桜斗自身も髪の毛は伸びているが清潔感があった。母親がパートに出ている間に風呂やトイレを済ませていたのだろう。
 草太は慎重に歩を進めると、ベッドの前で膝を折った。
「……桜斗、久しぶりだな」
「……うん。手紙、出さなくてごめんね」
 少し高めだった声は、2年の間に少しだけ低くなっていた。しかし、その透明感は失われていない。
 草太は思わず泣き出しそうになって、くっ、と喉を詰まらせた。
「いいんだよ、そんなの」
 こんな姿になってなお、律儀にそんなことを言う桜斗に、草太は首を振る。
「そんなことより……ニュース、見た……?」
 草太が問うと、桜斗は足の指にきゅっと力を入れた。抱えていた膝をさらに引き寄せ、そこに顔を埋める。
「気付くのが遅れてごめん。お前からの手紙に、あいつの名前を見つけた。お前が不登校に、引きこもりになった理由。――そう、なんだな?」
 桜斗はしばらく足をもじもじさせていたが、しばらくの間の後、小さく頷いた。
 報道では、教師が生徒にみだらな行為を強い、襲われた男子生徒が激しく抵抗、教師は逮捕され、生徒は保護された、ということになっている。首を絞めた、とまでは報じられていないし、被害者の名前は伏せられている。
 まさか草太が自ら進んでそうなるように仕向けたとは、誰の想像にも及ばないだろう。
 桜斗は手袋をはめた手をそろりと伸ばすと、かぶっていたニット帽の先を引っ張った。細い肩に、ぱらりと長い黒髪が落ちる。マスクをはずし、手袋をはずした。
 日照不足だろう、肌は透き通るように白く、手の甲は薄っすらと骨が浮いている。痩せてしまった身体と長い髪のせいで別人に見えるが、桜斗は草太の記憶にあるままの黒い瞳を潤ませると、唇を震わせた。
「俺が……ちゃんとしてたら、あの子……あの、被害者の子はきっと、あんな目に遭わずに済んだのに、」
「違うよ、桜斗」
「だって、俺は……あいつの本性を、知ってたのに、」
 桜斗の長い睫毛が震える。ほろりと、大きな滴が頬を伝った。
「俺が、ちゃんと……声、あげて、たら……、」
 こんな姿になってもまだ、自分のことより人のことに胸を痛める桜斗が、居た堪れなかった。桜斗はあの日からずっと自分を責め、自分の負わされた傷に塩を塗り込んでいたに違いない。
「桜斗は何も悪くないよ。あいつは過去にもたくさんの生徒を犠牲にしていたんだ。みんな怖くて声をあげられなかった。怖かったのは桜斗だけじゃないよ」
「草太……、」
 涙を拭いてやろうと手を伸ばすと、桜斗はビクリと身を引きつらせて後ずさった。草太も手を引っ込める。
「ご、ごめん」
「ちが……、」
 桜斗は袖で涙を拭うと、深く息を吐いた。白い両手の平を見つめる。
「俺、自分がすごく汚れた気がして……ものに、触れないんだ」
 溢れた涙がぽとぽとと手の平に落ちる。
「俺が触るもの、全部汚くなる」
「桜斗は汚くなんかないよ」
 気休めだと思っても、口を挟まずにいられなかった。桜斗はぶんぶんと頭を振り、涙の落ちた手を握る。拳に、自分の顔を埋めた。
「あの時の……感触とか、匂い、消えなくて……、」
 草太は自分の肌がざわざわと粟立つのを感じた。
「手も、足も……口も、全部……されて、」
 桜斗は下腹部をぎゅっと押さえる。
「あれからずっと俺……ひどい、臭いがする」
 草太の頭の中に、泣き叫ぶ桜斗の顔がよぎる。


『さく、と……桜斗(さくと)……ッ! お前の、その声は……本当にそそるなぁ……!』
『桜斗、もっとその可愛いピンク色の顔見せてくれよ。俺のチンポずっぽり咥え込んで、ヒィヒィ悦んでる顔をさ……ッ』
『ああ、またイく、イく、出すぞ! 桜斗の腹の中、いっぱい――!』


「洗っても洗っても、落ちなくて……、」
「桜斗ッ」
 拒まれても、そうせずにはいられなかった。草太は桜斗を抱き締め、その肩にぎゅっと鼻を寄せる。
「桜斗は汚くなんかないよ。ずっと俺の知ってる、優しくてきれいで、歌の上手な桜斗だ」
「う、ぅッ……そ、た……草太ぁ……ッ」
 草太も腹をくくって挑んだつもりだったが、時々あの男の夢を見る。苦しさはあるが、桜斗のことを思えば耐えられた。
 何の気構えもなく、父親のように信じていた相手に裏切られた桜斗の辛さに比べれば。
「大丈夫。これからは俺がずっと、桜斗のこと守るよ。何があっても」
 軽い身体を抱き締める手に、力をこめる。震える薄い手が、草太の背中に回された。
「ふ、ぅッ……うあ、ぁ……あああぁぁぁ、うわぁあああ……ッ!!」
 抑えていた箍がはずれたように、桜斗は大声で泣いた。その間、草太はずっと桜斗の身体を抱き締めていた。桜斗の悲しみや苦しみを吸い取るように。自分の中の鬼の姿を、押し隠すように。
 桜斗が望まない限り、草太は自分の桜斗への想いを秘めることを誓った。自分がしたことは、きっとまた桜斗を苦しめてしまう。
 桜斗を守るためなら、文字通り何だってしよう。自分を偽り、心を誤魔化し、人を欺いて。それが、桜斗の傍にい続ける口実になるのなら。

2016/09/25 ... end


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