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川を渡って木立を抜けて


3.

 ピチャン、と水の音が聞こえて、セロは目を覚ました。
「いっ……」
 軋む身体に鞭打って、なんとか半身を起こす。寝かされていたのは簡素な鉄パイプのベッドだ。マットレスは薄く、セロが身じろぐ度に古そうなスプリングが軋む。
 室内の薄暗さに目が慣れると、そこは石壁で造られた小部屋であることがわかった。部屋に照明はなく、高いところにある格子窓から差す微かな月明りだけが、この部屋に仄かな陰影を与えている。
「月って……こんなに明るいんだ」
 ぽつりと漏らしてから、はたと、何故自分はこんなところにいるんだろう、とセロは辺りを見回した。
 部屋の隅には洗面台とトイレがあった。石壁で寒々しいながらも、部屋はよく掃除されているようで嫌な臭いはしない。
 セロは立ち上がると、洗面台の鏡の前に立った。映り込む自分の顔をじっと見つめ、それから頬を手の甲で擦る。何だかとても疲れた顔をしていた。
 それはそうだろう──この1日の間に自分の身に起きたことを、セロは思い出した。洗面台についた手をきゅっと握り締める。
 男達の慰み者にされた。凶悪な欲望を無理矢理受け入れさせられた部位は、思い出してしまうとじんじんと痛む。強引に抉じ開けられた体勢のまま長い時間犯されたせいか、両足のつけ根はぎこちない強張りが残っていた。
 セロの大きな目に、涙が滲む。
 手当ては施されたのか、身体には男達の精液や、自分自身の汗で汚れた様子もない。着せられた衣服はそれなりにいい生地で仕立てられていて、セロの体格にもぴたりと合っていた。
 ひどく乱暴にされたのに、与えられた衣服と1人になれる小部屋に、安心を得てもいた。少し、考えることができる。とはいえ、何をどう考えればいいものか──セロは再びベッドに戻ると、毛布に包まり横になった。
 兄は今頃どうしているだろう。夕方には帰るはずだった自分が、夜中になっても戻らないとなれば心配するはずだ。
 帰ったら兄の入浴や着替え、寝室に入るのも手伝わないとならないのに……きっと困っていることだろう。セロは足の不自由な兄の身を案じた。
 その時、ガチャン、と音が聞こえて、セロははっと身を起こした。
 影の濃い、奥まった箇所に目を細めると、そこには鉄製の扉があった。足音を忍ばせて近寄ってみると、セロの膝の高さに小さなポストのようなものがある。そして背伸びをしてなんとか覗けるぐらいの高さに、格子窓がついていた。
 ポスト部分に足をかけて格子を掴み、外を覗いてみると、廊下の様子が蝋燭の明かりでほんのりと照らし出されていた。セロのいる部屋の向かいにも同じ扉があり、その隣にも……どうやらこの独房のような造りの小部屋がいくつか並んでいるようだ。
「ほら、さっさと歩け!」
 廊下の奥の方からしゃがれた男の声が聞こえて、セロはさっと身を縮こめた。冷たい鉄扉に耳を押しつける。
「まったく、とんだじゃじゃ馬だ……そんなだから痛い目を見るんだ」
 チャラ、チャラ、ギィ、と音がして、セロは格子窓をそっと覗く。右斜め前の部屋の扉が開いて、そこに中背の男と、痩せた少年の背中が入っていく。
 少し遠のいた声が聞こえる。少年を嘲るような、笑いを含んだ声が。
「レスティ、今日は何人の相手をしたんだ、ええ? 3人……5人か?」
「汚ぇ手で触んなよ!」
 少年の怒気を孕んだ声がキン、と響く。
「おお、あのデブオヤジどもを相手にしたってのに、まだそんな元気があるとは感心するぜ。どうだ、おまけに俺のも突っ込んでやろうか?」
「は……なせっ、縄を解けよ! やめっ、触んじゃねぇ!」
 気の強そうな少年の抵抗する声と揉み合うような擦過音、パシ、と乾いた音がして、それから衣擦れのさざ波。
「やめろ、やめろよっ!」
「うるせぇ、おとなしくしてろ!」
 しばらく揉み合うような言葉のやり取りがあり、少しして、少年の噛み殺した息遣いが空気を震わせた。
「っ……、は、ぅ……っやめ、」
「くっ……はは、ああ、いいぜレスティ……! お前のケツん中、さんざんされたってのにしっかり締めつけてくれるじゃねぇか」
「だ、まれ……っ、粗チン野郎、」
「言ってろ、クソガキが……っ、」
 パンパンと肌を打つ音が激しくなり、セロは眉を寄せた。レスティと呼ばれた少年は、おそらく男に「あの行為」を強いられている。
「は、は、いいぞ……っ、好い具合だ!」
「く、う、……ふっ、うっ」
「たっぷり媚薬も仕込んでやったってのに、強情なヤツだな……っ、お前の可愛いよがり声を他の連中にも聞かせてやれよ」
「……ッ、い、……ぎぃ、」
 少年の歯軋りのような呻きは、男の望む声を発しないためにきつく歯を噛み締めているからだろう。
「へへ、それでもケツの穴は従順だぜ……そら、中に……出すぞっ」
「や、やめろっ! こんなところで──あ、あぐ、っ……!」
 男が気味の悪い声で呻くと、辺りは荒い呼吸以外はしんと静まり返った。カチャカチャと金属音がして、扉が閉まる。
「お前だっておとなしくしてりゃあ見目は悪くないんだ。もう少し可愛がってもらえるだろうによ。少しはここでの生き方を考えるこったな。次は6時間後だ。シャワーを浴びるのはその時にしな」
 言い捨てて、男は鼻歌交じりに元来た道を戻って行った。
 あの少年──レスティはどうしただろう。セロは心配になって、格子を両手で掴むと精一杯背伸びをする。
 その時、向かいから落ち着いた声が聞こえてきた。レスティではない、別の少年。
「……抵抗なんてしなければいいのに、バカみたい」
「う、るせぇ……、俺はお前みたいに、下衆どもに媚びて腰振るようなマネは絶対にしない」
 こちらはレスティだ。掠れた声を振り絞るように低く呻く。
「レスティって、逆にマゾなんじゃないの? 終わるのをおとなしく待ってればそんなひどくされることもないのに……そんなだからマニアックな変態にばかり好かれるんだ」
「黙れッ!」
 バン、と鉄扉が音を立てたのは、レスティが枕でも壁に投げつけたのだろう。セロは小さな身体をビクリと震わせながらも、格子の間に顔を覗かせて口を開いた。
「……あの、」
「──誰だ?」
 鋭く問い質すレスティの声は、警戒心に満ちている。突然、聞いたことのない子供の声がしたのだから当然だろう。
 セロは戸惑いながらも続けた。
「僕は、セロ。今日、ここに連れて来られたんだ」
「……セロ、」
「あの、ここには一体何人の人がいるの? 君達は?」
「そんなの、聞いてどうするの?」
 落ち着いた少年の声が問う。
「……君は?」
「僕はオヴェイス」
 バルトーが口にしていた名前だ。ということは、セロと同じ年くらいということだろう。
「今日来た割りに、君は落ち着いているんだね。年はいくつ?」
 問い返され、セロは戸惑いながらも応じる。
「12歳になったばかりだよ」
「僕の1つ下か」
「……クソ、あのペドフィリアども」
 レスティが低く呻いた。声の感じからして、レスティの方がいくつか年上のようだ。
 蛇口を捻る音と水音がして、レスティが身体を洗っていると知れる。レスティは掠れた声で気怠そうにしつつも、ゆっくりと説明した。
「俺はレスティ。ここに来て……そうだな、1年くらいは経つんじゃないか。次に雪が降れば16になる」
 確かに、レスティの声は掠れているのを差し引いても変声期を迎えたそれだった。
「俺がここに来てから、この房にいた連中も入れ替わりがあった。買われていったヤツもいるし、死んだヤツもいる。今いるのは……新入り、お前も入れて5人だ。俺、オヴェイス、それから……」
「今、奉仕に出てるイェンとエド」
 オヴェイスが言葉を継ぐ。
「イェンは17歳。アジアンだから年より幼く見えるけど、ここでは1番年上だ。エドは14。でも彼は……」
「あいつはもうダメだろうな」
「ダメって……?」
「ハニーブロンドにブルーアイだから人気があるんだ。もう3年もここにいるらしいけど、少し──気が、ふれてる」
 3年前ということは、セロと同じくらいの歳にここに来たということだ。そう思うとセロはぞっとして、指先から血の気が引くのを感じた。
「みんなは、どうしてここに?」
 セロの問いの後、少しの沈黙があった。
「人買いがうちに来た」
 先に沈黙を破ったのはレスティだ。
「借金をこさえた母親が、俺の妹を売ろうとしたんだ。妹はまだ8つだぞ。あんなクソババァ、放って2人で逃げようと思った。でも、途中の村で捕まって……交渉して、俺を買ってもらうことで話がついたんだ」
「妹さんは大丈夫なの?」
「ああ、妹はその村の教会で保護してもらってるよ。あの牧師は信用していいと思う」
 初めて、レスティの声色から棘が少し消えた。きっと仲のいい兄妹なのだろう。自分の兄のことを思い、セロも切なくなった。
「オヴェイスは?」
「あいつは自分のことは喋らねぇよ。可愛げのねぇヤツだ」
 ちっ、と舌打ちをして、レスティは寝台に上がったようだ。ギシギシと音がして、バフ、と毛布の飜る音がする。
「悪いけど、少し眠らせてくれないか。くたくたなんだ……」
 泥に引きずり込まれるかのように、その語尾はモゴモゴとくぐもったと思うと、すぐに沈黙が訪れた。
「……眠ったの?」
 声を潜めるセロに、「いつもこうさ」と、高い声に似合わず大人びた口ぶりでオヴェイスが答えた。声のボリュームも遠慮のないところからすると、眠りについたレスティはちょっとやそっとでは起きないようだ。
「君達は出て行かないの?」
 セロの声に、しばらく返事はなかった。小さなため息の後、
「レスティは、約束の期間を終えるまではいるだろうね」
 とオヴェイスが言った。妹の代わりにここに来た、その契約のことだろう。
「君は?」
「……僕は、きっと、ずっとここにいる」
 どうして、とは聞き返せなかった。幼いセロにも、あえて話さない真実があることはわかる。その真実を推し量ることはできないけれど、そう思い黙っていた。
「君はここを出て行きたいの?」
 今度はオヴェイスからセロへの問いだ。
「兄さんが家で待ってるから……兄さんは脚が悪いから、僕の助けが必要なんだ。今だってきっと困ってる」
 話しているうちに不安と悲しみが押し寄せてきて、セロの瞳には涙が浮かんだ。声色からオヴェイスもそれを察したのか、神妙そうに「そうなんだね」と小さく返事があった。
「ここを出て行くなら、お客さんに気に入られることだよ。上客がつけば、買ってもらえるかもしれない。そうなればこの屋敷から出て行ける。屋敷から出られれば、逃げられるチャンスもあるさ」
 それにはいくつもの関門が設けられていることはセロにも想像できた。けれど、その時に望みをかけるしかない。
「ありがとう。僕、頑張ってみる」
 セロの言葉に反対はなかった。
 セロは小さく「おやすみ」と言うと、布団の中に潜り込んだ。

2020/04/05


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