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渇き


第1話


 身体が、渇いていた。
 沖(おき)は水の波紋を映じた屋内プールの天井を見上げる。ズボンの裾は膝まで捲り上げプールの中に浸して、仰向けに寝転んで汗ばむ自分の腕を撫でた。
 あの日から、2週間が経とうとしていた。「あの日」──水泳部のOBによる集団暴行事件が起きた日、だ。ごく内々に処理されたこの出来事は、その場にいた者達の知るところに留まった。
 沖はその中で、同級生の御園(みその)と……思い出し、きゅっと拳を握る。渇きが止まず、ゴクリと唾を飲む。
 蘇る、御園の熱い肌の感触。いや、肌なんかよりももっと鮮明なのは──ゾクッと鳥肌が立ち、沖は水中の足をバタつかせた。

 御園とは中学に入ってから、水泳部で知り合った。
 御園はややマイペースではあったが、鷹揚な性格の少年だった。部活のオリエンテーションで沖に最初に声をかけてきたのも御園だ。
「水泳、習ってたの?」
 最初の一声はそんな風だったと思う。
 沖は水泳教室に通ったことはないが、小学生の頃に水泳記録会で好成績を残した経験があった。自分には取り立てて特技もないと思っていたが、その功績を生かそうと入部を決めた。
「すごいんだなぁ。俺、全然だったよ」
「じゃあ何で水泳部に?」
 嫌味で言ったつもりはなかったが、そう聞こえただろうかと沖は気にかけた。しかし御園は気に留めた風もなく、水に浸かるのが好きだから、と言った。
「何それ、変なの」
 笑うと、御園もへへへ、と笑った。
「だって気持ちがいいだろ、水の中って」
「そうかな。あまり考えたことないけど……変わってるよ」
 少し変わっているが、沖は御園が気に入った。
 以来、友人として親しんできた。でも、あんなことをしたいと思っていたわけじゃない。

 御園はあの日から、部活に出ていない。休み時間、放課後の時間を縫って教室を尋ねたが、御園は沖の気配を察すると姿を眩ませてしまう。避けられているのは明らかだった。
 あれは何も、沖が好き好んでしたことじゃない。おまけにまったく知らない男に尻を犯されるはめになった自分の方がむしろ慰められてしかるべきだとさえ思う。
 あの時、沖はできる限り自分が緩衝材になろうと床に手を突っ張って堪えたつもりだ。でも、いつしかその腕力にも限界が訪れ、やがて男が沖の身体を貪るまま、沖もまた御園の身体をそのようにした。犯され、犯しながら、沖は泣いて御園に詫びた。
 けれど──好かったのだ、御園との、あの行為は。
 沖は改めて思考を整理しながら、一人頬を赤らめる。
 御園の身体はしなやかで、繋がったところは熱く、時折沖のものを甘やかに締めつけた。
 本当に、そんなことをしたいと思ったことはない。沖はもう何度とも知れない弁明を胸中で繰り返す。そう言い訳をしなければならないほど、あの日の記憶は鮮明に沖を責めた。
 ……自慰も、した。
 妄想の中では御園と向き合い、自分の愛撫で彼の顔が快楽に歪むことに幸福を得た。自分の腕の中で乱れる御園は、愛らしかった。
 現実の御園はといえば前に立つ男の性器を咥えさせられており、一体どんな心地がしていたかは知れない。一介の友人だった男に犯され、腹の中に射精までされたのだ。
 多少のことでは動じない風情の御園が自分を避けている事実は、沖の心を引っ掻いた。今度のことで自分を嫌いになったというのなら仕方ないとは思うが、謝罪だけはしておかねば沖の気がすまない。
 今日こそはと、ノートの切れ端に伝言を書きつけて御園の下駄箱に突っ込んだ。
 ──話がしたい。プールで待ってる。
 あの日以降も部活は行われているが、出席者はあからさまに減った。部長は顔色も変えずに淡々と部活を執り行っているが、副部長は何も言わずにひっそりと退部した。
 御園も辞めてしまうのか。自分とは今後付き合いも断つ気なのか。それでも構わない。ただ、顔を見て1度きちんと話がしたい。
 天井の波紋の揺れを眺めていた時、シャワー室のドアが開く音がした。
「御園、」
 制服姿で現れた友人の姿に、沖はガバと上体を起こした。離れたまま2人は対峙するが、御園は沖の顔を見ない。足元に視線を落としたままだ。
「……話って、何」
 御園の声が屋内に反響した。途端に、あの日の記憶が蘇り、沖はゴクンと唾を飲む。プールの水でもいいから喉を潤したい。そう思った。
「この、間のことを……謝りたくて」
「謝るって、何で」
 意外にも、間髪を入れずに御園は会話を続けた。沖は虚を突かれたが、ザバとプールから立ち上がる。
「あ、あの……俺、お前にひどいことをしてしまった」
「ひどいこと……」
 学生鞄を握った御園の手にぎゅっと力がこもる。
「俺がお前にしたことだ。不可抗力とは言え、お前の……ことを、傷つけてしまったから、謝りたいんだ。──ごめん」
 会うのは少し恥ずかしいと思っていた。けれど実際に本人を前にすると、赤面するどころか頭からは血の気が失せた。友人を、いや、もはや好きになってしまった相手を、失うかもしれないのだ。何故その場になってから気づくのだろうと、頭を下げながら沖は自分を責めた。
「……ひどく、ないよ」
 御園の声がした。
「え?」
「ひどくないよ、沖は。ひどくない」
「でも、お前は俺のことを避けてるじゃないか」
「それは──それは俺が、」
 御園は一瞬顔を歪め、肩をいからせた。薄い肩から鞄が落ちる。
「俺は、……ごめん、沖に顔向けできない」
 御園はその場にしゃがみこんだ。抱えた膝に顔を埋める。
「……俺、部活も辞めようと思ったんだ」
 声が涙に濁っていた。天然の茶色がかった髪から覗いた耳は赤い。
「しばらく距離をおいて、いつか元に戻れるならって……でも、駄目だ。俺、あの日からずっと……、」
 顔を上げた御園は、涙でぐちゃぐちゃだった。
「ずっと、あの日のこと、思い出してる」
 ずくん、と腹の底を突き上げるような衝動に、沖はその場でよろめいた。そのまま、ふらりと御園の元まで歩みを進める。
「俺は、沖にされて、気持ち好かったんだ。他の誰かじゃなくて、沖でよかったと思った。……気持ち悪いだろ、ごめん。……ごめんなさい」
「御園!」
 ほとんど、叫んでいた。沖は御園の元に膝をつき、泣きじゃくる彼を抱き締める。腕の中で、御園の身体が緊張した。
「ばか、バカ野郎。気持ち悪いなんて思うかよ。俺は、俺だってずっと……あの日からずっと、お前のこと、」
 沖は身体を離すと御園の頬を両手で包みこんだ。頬を濡らす御園と見つめ合う。
「沖……、俺、」
「俺はお前のことが好きだ。俺も好かったんだ、お前としたことが、他の誰かじゃなくてよかったって、思ったんだ。他のヤツに、お前とあんなことさせたくない」
 言うと、返事も聞かずに口づけた。強引だったと思う。でも、少しすると御園の肩から力が抜け、彼の手がするりと沖の背中に優しく回された。
 中学生なりの辿々しいキスだったけれど、それはひどく、気持ちが好かった。
「俺、……俺も、沖が好きだ……」
 安心したのか、御園はいつかのようにへへへ、と笑った。
「もう1度、してもいいか、」
 返事を聞くよりも先に、沖の身体は動いていた。2人はもう、お互いの渇きを潤す方法を知っていた。

2019/09/15


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