明日はもっとうまく去ねます


イズナは謝るという行為が嫌いである。
起きてしまった出来事に対して申し訳ないという気持ちを伝える。悪かったと思って詫びる。腰を折り、時には地に額付きさえする。
そんなことをして、一体何の意味があるのだろうとイズナは思う。

悪かったと思うのであれば、そうならないように万事を尽くすがいい。出来うる限り死力を尽くした上で起こってしまったのならば、それは責められるべきことではないだろう。力が及ばなかったのであれば反省し、次に活かすなりすればいいのだと思う。
頭を下げたところで、どれほど謝ったところで起きてしまった事実は変えられない。変えようがない。変えられないことをいつまでも悔やみ引き摺ったところで無意味だろう。ならば、それは無駄な自己満足に過ぎないのだ。

誰かが死んだ時にもイズナは決して謝らなかった。部下を救えなかったならば、殺された数の倍の首を切り落とした。友を傷付けられたならば、仇の顔を焼き腸を抉ってやった。
助けてやれなくて御免な。救ってやれなくて申し訳ない。そんな後ろ向きな言葉は一切口にしなかった。必ず仇は討ってやる、と。この喉から沸くのは、暗澹たる悲憤に冷たく燃える呪詛のみである。
遺された者から責められたのならば、黙って怨嗟の嘆きを受け止めた。何の言い訳もせず、ただその心痛を労って、毒のような無念を噛み締めて果ての無い地獄へとまた舞い戻る。少しでも多く仇を取る。イズナの人生はその繰り返しだった。

――辛いよな、苦しいよな。
――分かるよ。俺も苦しい。
――だから一緒に苦しむよ。重くて辛いなら、代わりに俺が抱えて生きていく。

謝らないからといって、イズナが悔やんでいなかった訳ではない。イズナも愛情深い一族の例に漏れず、同胞達を心から愛していた。寄り添う気持ちはいくらでも口から溢れたが、矢張り謝るべきだとは思わなかった。
許されたいと思っていなかったからだろう。許されるとも思っていない。いくら頭を下げたところで失われた命は戻らない。自分を許す事が出来るのは帰するところ自分自身しかいないのだから、ならば他になすべきことがある筈である。
千手許すまじ。仇を取れ、決して許すな。
ただただ憎悪を心に焼べる、怨讐の炎を燃やす。焔を消さぬように、絶やさぬように。決して心が折れてしまわぬように。
ゆめゆめ人と思うな、何人たりとも決して生かすな。倶に天を戴かず。情など焼いて燃やして灰となれ。
来る日も来る日も羅刹のように戦場を駆けていた。いつしか、イズナは一族の中でも誰よりも苛烈な思想だと言われるまでになっていったのだ。

謝るという行為は一見すると殊勝でいじましい態度に思えるが、相手に赦免を請うて自らが許されようとする押しつけがましい感情の発露である。楽になりたい、許されたい。そう思っている弱い心根から人は謝罪を口にする。
――ごめんなさい。その言葉は相手を慮って言っているのではなく、自分を哀れんで慰めているものに過ぎない。畢竟、ただの自己満足なのだ。そう思っているからこそ、イズナは謝るという事が嫌いだった。

そんなイズナと真逆の様に、姉はいつも謝ってばかりいた。
役立たずで申し訳ない、力が及ばず申し訳ない。
怪我をしてごめん、手間を掛けさせてごめんね。ごめんなさい、ごめんなさい全部姉さんが悪いの、ごめんねごめんね本当にごめんね。
その声を聞くのは、昔から耐えがたく嫌だった。
イスゞが一体何をした、何も悪くないではないか。誰だって好き好んで忌まわしい身として生まれたくなど無かっただろう、それを責めたところで何になる。大体何が畜生腹か、何の意味もない迷信を信じている痴れ者共が。
何故イスゞが謝らなければいけない。この戦乱の世で生きてることはそれだけで尊い、堂々と胸を張るべきだ。
忌み子だと囁く声は蹴散らした、畜生腹と蔑む視線はへし折った。イズナはイスゞを守りたかった。姉を役立たずだと思ったことなど一度も無い。まさしく血を分け合った片割れが生きて側に居てくれるだけで、イズナにとってはこの上無い幸運だ。共に胎の中で十月十日、時を同じくして生まれ落ちた掛け替えのない半身である。
忍の才が劣っていると恥じ入るが、それはイズナが他でも無いイスゞを守りたいからこそ生じた差異である。誰よりも大切な姉を自分の手で守りたかった。そんな幼い日の夢を後生大事に抱え、只管に兄の背を追い、強さを求めたが故なのだ。
怪我を負って謝るくらいならば、命を投げ打つような真似を控えてほしい。死にたがりとも呆れられるイスゞの危うさは、イズナの精神をいつだって千々に踏み散らす。

気の細いイスゞは自分を守るために脆い殻に閉じこもり、卑屈に自らを虐げてばかりである。弟に降りかかるほんの些細な不幸や凶事でも、自分が招いてしまったのではないかと何時でも怯えていた。そして、自分を責めるのだ。

――私が弱いせいで、私が代わりになれないせいで、私のせいで。
――生まれてきて、ごめんね。

その声を聞く度にイズナはいつも思う。イスゞは何も分かっていない、分かろうとしない。本当はイズナを見るのが怖いのだ。イズナが望むべくはそんな言葉ではない、それを何も分かっていない。
どうか愛してほしい、誰よりも自分自身を。イズナは姉の事が大好きだったから、たまらなく好きだったから、なによりもイスゞが自分を大切にしてほしいと願っていた。愛してほしいと祈っていた。

イスゞは確かに自分とは違う人間のはずなのに、彼女が傷付くとイズナの肺腑までが引き裂かれているような心地がする。悲しんでいると同じように胸奥が酷く冷える。生きたまま心の臓が凍り爛れるようなこの気持ちが、あの人には分かるのだろうか。否、それすらきっと分かってはいない。決して誰にも言わなかったが、イズナはいつだって傷付いていた。
イスゞを守ることは引いてはイズナ自身を守っていることと同じである。何人たりとも柔いあの人を傷付けないでほしい。イスゞを傷付けるもの、例えそれが姉自身であっても許せないのだ。
無償の献身なのか、庇護愛を拗らせた末路なのか、不遜な支配欲なのか。イズナが抱えているのは血の繋がった実の姉に向けるには余りに生々しく重苦しい、一言では言い表せなような執念が凝った結晶だった。

無論のこと、兄もまたイズナにとって大切だが、イスゞに感じる執着とは全く違う。愛され慣れて育ったイズナはそもそもの独占欲が強い。それでも、兄だけは自分のものではないと弁えていた。
マダラはうちはの体現だ、誇り高いうちはそのものだ。その兄が一族より自分を優先することなどあってはならない。兄であるマダラも愛していたが、うちはの長であるマダラを一等尊敬していた。愛する一族を背負う頭領であり、その立場に相応しい事をイズナは望んでいる。自分達だけのものになってなどいけないと思っていたのだ。

だが、イスゞは違う。イスゞにはイズナとマダラしかいない。否、本当の意味ではイスゞにはイズナしかいないのだ。忌むべき片割れとしての定めを受け入れ、弟の為だけに生きろと言われて育ってきた。その宿命に加え、――イズナに似ている、弟はあんなにも優れているのにお前ときたら、イズナと比べて。イスゞを眼差すものは皆揃ってイズナを通して彼女を見る。イスゞを透かしてイズナを見ていると言った方が適当だろうか。あの兄ですら、何の邪念も無くイスゞはイズナによく似ていると残酷にも口にする。
ならばイズナがいなければ、イスゞはどんな存在としてこの世にあるのだろう。うちはイスゞそのものとしての一人はあまりに儚かった。イズナが太陽であればイスゞは月のような人だ。どこか浮世離れしている事、幻術が得手である事、物静かな事、夜色の髪が美しい事、肌が冷たいまでに白い事。イズナは姉の特徴らしいところをつらつらと思い描くが、それすら正しく表しているのか自信が無い。それらは矢張り全てイズナに比べて、という形容が付いて言われる言葉たちである。

その事に気付いた瞬間、イズナは心底絶句した。自分ですらこうなのだ、一体誰が正しく彼女を見ているのだろう。
自分達姉弟は余りに似過ぎていたものだから。似過ぎているのに何の衒いもなく伸びやかに育ったイズナが、彼女をすっかり覆ってしまっていたのだ。

イスゞが女であること、それ位しか明確な違いが無かったのではないだろうか。
だからこそ、イズナはイスゞが一人の女として生きてほしいと考えていた。綺麗な着物を纏って、美しいものだけに囲まれて、守るべき掌の珠と愛されて。胸に巣食う情欲も自覚していたので凡そ綺麗な感情だけとも思えないが、男のイズナと全く違う人生を歩んでほしいと願っていた。
だが、戦乱の世でそれは決して許されなかったのだ。頭領の胤として生まれてきてしまったからだけではない、他でもないイズナがいたからだ。尊い弟が戦場に出て命を晒していながら、卑しい姉だけがぬくぬくと守られているというのは周りの大人たちが許さなかった上、イスゞの矜持も保てなかった。どうせ生きるのなら誉れ高く死にたい、と。死にたがりだと揶揄されながらもイスゞはいつも願い、痛々しいほど生き急いでいた。少なくともこの戦乱の世においては、戦装束に身を包み、兄弟と同じように戦場に立つ以外に生きる道はなかったのである。

以前、平和になったらどう生きたいのかイスゞに聞いたことがある。考えたこともない、と困ったように笑いながら、はぐらかす意図はなかったのか真剣に悩んでいるようだった。
その時は確か修行を終え、イズナは手枕で縁側に寝転んでいた。兄がいれば即座に叱咤が飛ぶのだが、ちょうど所用で出掛けている。イスゞは傍らに腰を下ろし、得物の手入れに勤しんでいた。イズナが話しかけると手を止めて庭の方へ視線を転じ、生垣の向こうで波のように連なる遥かな山の稜線、その彼方を眺めるように目を細めた。そうして、独り言のような声で呟いたのだ。

「ずっと遠い何処かで静かに暮らしたいかな。知らない誰かでいいの、その人の唯一として生きてみたい」

万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也。季節は春の盛りの頃である。庭先ではらはらと零れ落ちる日差しが白い輪郭を仄かに溶かしている。誰にも知られていない願いを語る姉の横顔は祈るように直向きで、それでいて全てを諦めたように物憂げだった。

酷くひそやかな一瞬だったが、吐かれた言葉はイズナにとって四肢が潰されたに等しい衝撃だった。自分が思うように女として生きたいと願いながら、イスゞはどこぞの馬の骨とも知れぬ輩に嫁ぎたいという。――否、否、何故そんな事を言うのだと叫びたかった。どこにも行くな、どこにも行ってくれるな、と。
古来一族にあった血の交わりは双子共々知っている。叶うのならば、イズナは他でもないイスゞと番になりたい。許されざるとは分かっていながら、本心では背徳を犯したいと思ってしまっていた。
だが、イズナも分別のある人間である。獣にも劣るような浅ましい欲だとは自覚もし、そもそも今のうちはでは兄弟姉妹婚は禁じられている。それになにより、イスゞがそんな悍しい事を望んでいないのは百も承知だ。
イズナが弟である限り、イスゞは決して自分を突き放さない。双子の定めという枷に加え、母性という盲目的な本能に囚われているのだ。イスゞの側にいたいのならば、無邪気な弟としてあり続ける他に道は無い。
これほど近くに、誰よりも近くに生まれ落ちて共に生きてきながら、イスゞは一番遠い女だった。

ごろりと転がってイスゞの細腰に齧り着き、よじ登るように膝に頭を乗せる。これでは手入れが出来ない、と不平を垂れながらもイスゞはイズナの額の髪を軽く払い、甘やかな目付きで見下ろしていた。
奇矯というならば奇矯だろう。心身ともに成熟しつつある男女が容易く許すような行いではない。姉と弟というよりも、睦まじい情人同士、偕老同穴の夫婦のようである。劣情を抱きながら我ながら卑怯だと思うが、イスゞは小さい頃から変わらず甘えたがりの弟なのだと思い込み、疑いもしなければ少しも咎めようともしない。戦場では何もかも見通す目を持っている兄ですら、いくつになっても仲が良いなあ、と長閑な顔で苦笑う。
――何も、何も分かっていない。
それが、堪らなく嫌だった。その度にイズナは力尽くで姉を押し倒し、尊厳すら踏み散らして手荒く手折ってしまいたい衝動に駆られるのだ。
否、分かっていないのはイズナである。彼らの反応は当たり前だ、――イズナとイスゞは義理でも腹違いですらない、真実血の繋がった実の姉弟なのだから。腹に留めた叫びに嘆息し、イズナは一言呟いた。

「それは困るな」
「困る?どうして?」

イスゞは小首を傾げる。

「イスゞがいなくなったら、誰が起こしてくれるのさ。兄さんは結構荒いから嫌なんだよ」
「起こしに行ったら行ったで不機嫌になるのに変なこと言うね。いい加減姉離れしないと駄目だよ、兄様にもいつも言われてるでしょ」
「別にいいだろ、イスゞは俺と違って朝強いんだから」
「そういう問題じゃないよ。イズナもそろそろ良い歳じゃない、慕ってくれる子も多いんだから恋くらいしたらいいのに。ヒカクにもイズナが恋人を作らないのは私の所為だなんて言われて困ってるんだからね」
「余計なお世話だね。大体順番もあるんだから兄さんがさっさと結婚しないのが悪い。考えてみなよ、俺が先に結婚なんてしたら長老連中が五月蠅いに決まってるだろ」
「こら、兄様の所為にしない」
「いって」

ぱしり、と額を叩かれる。まるで痛くはないが、仕返しとばかりに鼻先を擽ってやった。そうすると声を上げてイスゞは笑う。
その様子にイズナは僅かに目を丸めた。姉は決して無愛想という訳ではないが、平生では取り澄ました微笑ばかりで声を上げて笑う事など珍しい。春の陽気に酔ってでもいるのだろうか。一頻りころりころりと笑った後、いつもの声でイスゞは続けた。

「けどね、心配しなくても私は何処にも行かないよ。嫁になんていけないから」
「でも、それって父様がそう言ってただけだろ。今は兄さんが頭領なんだから、頼めばどうとでもしてくれる」
「ううん、それだけじゃないんだ。……そうだな、イズナには言っておこうかな。私はね――」

不意に言葉が途切れる。ふわり、と風に靡いた髪を指で留めながら、横顔を晒したイスゞは風の在処に目を移す。朧に霞んだ空の色が瞳に映り、夢見るような淡い色を浮かべていた。
茫然と、イズナは見惚れた。

――嗚呼、綺麗だ。

この日のことが数年経ってからでも明らかに思い起こせるのは、話した内容もさることながら、その瞬間のイスゞが余りに美しかったからだろう。最も見慣れている筈の姉が、見知らぬ誰かのように酷く遠い。桜に閉じ込められた花明かりのようにあえかに見えた。
きっとその瞬間、イズナはまたイスゞに恋をしてしまったのだ。生まれ落ちた瞬間から、この世に生まれる前から焦がれ続けている人の事を。まるで初めて会ったかのように、鮮烈に。

「私は、子供が産めないんだ」

イスゞがゆっくりと続ける。胸の水底に沈んだ言葉の貝殻を一つひとつ探り当て、丁寧に並べているようだった。

「子袋とか、子供を産むための女としての器官をそもそも持って無いんだって」

生殖機能が無い。他族で行われているという風習をイズナは思い出した。万一敵の慰みものとなった際を考慮し、戦に出るくノ一の子袋を取ってしまうのだという。
そもそも女の身で前線に立つ者が少ないうちはで行われた例は聞いたことが無かったが、イスゞの口振りから察するに、まさか同意無く勝手に取られてしまったのだろうか。まるで家畜や畜生と同等の扱いである。己の父がそれほど血の通わぬ人であったとはイズナには思えない、少なくとも自分が知る限りでは厳しいが強く優しい父だった。
――まさか、そんなに。
敬愛すべき者の裏側を目の当たりにするのは気持ちの良いものではない。しかも、それが身内に向けてなど尚のこと。胃がせり上がるような吐き気が襲い、咄嗟に口元を覆う。イズナは絞るように声を続けた。

「イスゞ、それって、――」
「ああ勘違いさせちゃったかな。生まれつきだよ、母様のお腹にいた時からそういう病気なんだ」
「病気って……。治療とか、何とかならないのか?何かあるんだろ? そうじゃなくても、養子とか」
「子供が欲しいならそれもいいね。でも、やっぱり嫁入りは厳しいと思うよ。一族内で結婚するなら本家の血統を継ぐ子供を産んでこそでしょう。何もうちはだけの話じゃなくて、それは今の時代どこも同じだからね。
珍しいから治療法は無いし、そもそも無いものを治すことは出来ない。移植って言っても、あんなに大事なものを貰う訳にいかないよ。きっと、誰だって嫌だと思う」

僅かに目を伏せ、イスゞは続ける。

「私がさっき言ったのは、家とか一族とか、そういう繋がりが何も関係無い世界だったら許されるのかなあって思ったんだ。きっと、そんなところは何処にも無い、あった所で本当に受け入れてもらえるのかも分からない。例え血のしがらみが無くても、やっぱり無理なのかもしれない。――だから、ただの夢の話だね」

さらさらと紡いでいたイスゞが息を吐く。凪いでいながらも、何かに急き立てられているかのようだった。

「そう、私とイズナって凄くよく似てるよね。二人で並んでいないと見分けが付かないくらい」
「……何だよ、急に。それがどうかしたの」
「きっとイズナも知らないかな、似てない双子っているんだ。元々それぞれ別の種から育った場合で、そうすると同性でもそんなに似てないみたい。それとは違って、本当に元は一つの種だった場合があって、育っていく過程で二つに分かれるんだって。それだと見た目は瓜二つで性別が同じになる。元は同じなんだから当たり前だね。
だからね、男女の双子でこんなに似てるのは有り得ないんだよ」
「有り得ないって、……イスゞ、さっきから一体何の話だ? 言ってる意味がよく分からない、俺達はたまたま似てるだけってことだろ」
「違うよ。確かに性格は似ていないけど、だって、こんなにもよく似てる」

半透明に白い指でイズナの頬を撫で、イスゞは何か途方も無く眩しいものを仰ぐように目を細める。憧れや渇望、恐れと焦燥が綯い交ぜとなった、そんな狂おしい色だ。
一体自分達のどこが似ているのだろう、とイズナは不意に思った。衆人曰く瓜二つの相貌で、けれどもイズナであればこそ終ぞ浮かべる事はない表情なのだ。だからこそなのか、どうしようもなく愛おしい。
イスゞは夢見るように優しく微笑み、そして続けた。

「ねえ、半陰陽って分かる? 私はね、それなの」
「は、――ねえさん、何言って、」

何を言ったのか、本当に分からなかった。

「姉さんっていうより、本当は兄さんって呼ばれるべきなのかな。生き物としては、男だよ」

イズナとイスゞは写し鏡の如くよく似た双子である。そのことに奇縁を感じこそすれ、可笑しなことだとは誰も疑いはしなかった。そもそも医学が発達しておらず栄養環境も悪い戦乱期では多胎の出生はどの一族においても奇跡に近く、伝奇伝説に近い存在である。また、生まれた所で片方しか生き延びられないのだから双子に関して詳しい者は周りに誰一人としていない。イズナも自分達以外に見たことが無い。ただ、ものの本で双子は似通るものだと書いてあったので、自分達もそうなのだろうと考えていた。イスゞも同じくそうだったと言う。
イスゞが語るには、年頃になっても初潮が訪れなかった為に遠方の医者に係った際に知ったのだとか。原因を探るために聞かれた家族歴を答え、その過程で双子の弟がいる事、弟とは非常によく似ている事を何気なく話した。双子の成り立ちから訝しんだ医者が詳しく検査したところ、イスゞの身体には子宮も卵巣も存在していなかった。代わりに、男としての生殖機能が宿っていると告げられたのだ。
ごくごく稀にあるそうだが、外性器の見た目では分からないために当然女として育てられる。周囲だけではなく、本人ですら知り得ない。今更言われたとて、とてもではないが簡単に納得できるものではないだろう。心中は察するに余りある。
片方でもない、両方なのでもない。欠けているんだ、とイスゞは自分を指して淡々と言った。

その時。イスゞは絶望するよりも、寧ろ腑に落ちてしまった。やっぱり私は出来損ないだったのだ、と。そして、却って許されたような気持になった。どれほど焦がれても女として生きることは叶わず、永劫地獄の底で戦いに身を捧げるより他ない。歩む道は一つだけだ。茫洋と当て所も無い地平を歩くのではなく、暗闇に引かれた一線の道に立たされているのだ。
此処でしか生きることが出来ない、だが此処でなら生きていける。それは呪いであり、ある意味で救いだった。

「女でも、男でも無いんだ。今更イズナや兄様のように男として生きることも、女として子供を産む務めを果たすことも出来ない。生き物としては男なのかもしれないけど、私はやっぱり――女なんだ。だから、どっちにもなれないよ。
不謹慎だけど、こんな時代で良かったと思う。男の真似をして戦場で生きていくのが精一杯だから」
「……もういい、イスゞ。もう、いいから」
「父様は正しかった。私はやっぱり、イズナの出来損ないなんだね」

変わらずに落ち着いた声。だが、細い肩はほんの僅かながら震えていた。押し隠すようだが、消え入りそうに戦慄いている。

――こんな時でさえ、イスゞは泣かない。泣く事が出来ないのか。

その瞬間。無性に、イズナは声を上げて泣きたくなった。まさしく聞き分けのない幼子のように。泣いたところで、どうする事も出来ないというのに。
姉に比べれば、酷く甘やかされてイズナは育った。ふとした瞬間の行動、仕草、考えにそれは染み付いている。嫌と言う程に分かり切ったその差異が、今更のようにイズナの胸を抉るのだ。
仮にイズナが泣き喚いたのならば、きっとイスゞは困ったように宥め、代わりに泣いてくれるのか、優しい子だ、と手の掛かる弟を慈しむのだろう。当たり前のように過った空想、――否、確信に虫唾が走る。

イズナは泣き叫びたい激情に任せて手を伸ばし、せめてその身で庇うように包み込む。微かに身を竦ませたイスゞは小さかった。か弱かった。何の抵抗も無く、細いイズナの腕の中にぴったりと収まってしまうのだから。

「ごめん、急にこんな話して。兄様にも、誰にも言えなかったの。でも、イズナになら話せると思って。ずっと誰かに聞いてほしかったんだ。ごめんね、驚かせちゃった」
「っ、なんで、姉さんはいつもそうやって――」
「お願い、……他の、誰にも言わないで」

一瞬、イスゞは声を詰まらせる。

「母様が残してくれた綺麗な打掛、あれを着るのが憧れだった。でも、無理だよね、私は女じゃないんだから」
「それなら、――」

僅かに間が空く。――だが、最早構うものか。

「俺の為に着て。俺だけに見せてくれ」
「イズ、ナ」
「愛してるんだ、俺はずっと姉さんしか見えてない」

例え畜生にも劣ると謗られようが構わない。狂っているのなら、生まれた時から狂っていたのだろう。イスゞが、誰よりも濃く丁寧に血を分け合った半身が、実の姉がイズナは愛おしくて堪らない。欲しくて堪らないのだ。
イズナは夢中でイスゞの髪を掻き乱し、抱き竦め、震える唇を吸い上げる。伝う熱が眩むほどに甘い。触れ合う口付けでさえ狂おしいのだ、このまま全てを奪ってしまえたなら、どれだけ――、そんな暴力的な予感に思わず喉が鳴る。その身体を組み敷き、強張る肩を無理に押し留めて只管吐息を貪った。我に返ったイスゞは、溺れるようにもがき、――止めて、と引き攣る声を上げた。

「駄目だよ、巻き込みたくない。イズナは、イズナだけは完璧なままでいてよ。その方が、私は――」
「姉さん、俺は本気だ。ずっと昔から姉さんだけが好きで、好きで好きで堪らない。……実の弟なのに気味が悪いだろ?正気じゃないのは嫌でも分かってる、だから今まで我慢してた。でも、――好きなんだ。女として愛してしまった。どうしても、どうしようもなく愛してしまったんだ。
ねえ、俺と夫婦になろう。元々俺達は血が濃すぎて子供なんて育たないだろう、だから全部関係無いよ」
「ありがとう、……違う、ごめんなさい」

泣き崩れるようにイスゞは笑った。イズナの頭を抱き込み、幾度も撫でさすりながら、ごめんねごめんね、とただその言葉だけを口にする。礼を言われるのも耐え難いが、まさか境遇を哀れんで慰めようとしているとでも捉えたのだろうか。何故この期に及んで謝るのだろう、理解できない。
姉はまるでイズナの事を分かっていない、分かろうともしない。信用すらしていない。
イズナは怒りで脳髄が膨張していくような心地を覚える。それと同時に、叫び出したいほど悲しくなった。

何故謝る、何故そんな言葉を口にする。イスゞは何も悪くない、誰だって望むように生きたいだろう。夢くらい見たかっただろう。
好き好んでこの地獄に、イズナの隣でなど生きていきたくなかっただろうに。

謝るべきは。
本当に謝るべきは、イズナの方なのだ。
自分はどれほどイスゞを傷付けて生きているのだろう、どれほどの苦痛を与え続けているのだろう。本当は気付いていた筈なのに、見ないふりをしてのうのうと生きてきた。ずっと素知らぬ顔をして空惚けた。

物心ついた時分から神童と呼ばれたイズナだが、どれほど努力したところで兄のマダラには敵わなかった。マダラは誇り高きうちはの生ける伝説、次元が違う。すっぽんは鼈甲の美しさを妬むだろうが、月に敵おうとはするまい。考えるだけで愚かだろう、それと同じだ。
イズナにとって兄は絶対的な存在だった。怨毒を抱いたところで余りに惨めにならざるを得ないのだから、無駄に歯噛みするではなく、庇護され愛される立場で超然とする方が利口だと、イズナは幼い頃から悟っていたのだ。
だが、思うところが全くなかった訳ではない。ただそれを殊更感じずに生きていけたのは、偏にイスゞがいたからだった。
イズナは確かにマダラのような傑物ではなかったが、兄のようになれとは言われなかった。兄に比べて劣るとも言われなかった。イズナ自身が優れていた事に加え、なによりイスゞが兄弟に比べて見劣りしていたからである。
何の役にも立たぬ忌み子と蔑まれ、生まれてきた事すら否定される。イズナが立派な奥座敷で兄と手を繋いで寝かし付けてもらっている間も、イスゞはひとりきりで離れの納戸に蹲っていた。同じ時を過ごし、同じ日に生まれて、同じ顔をしていながら、他の何もかもが違う。イズナには祝福を、イスゞには呪詛を。姉は五歳で初陣を済ませるまでは、母屋に上げてすら貰えなかったのだ。

イスゞに抱いた執着に利己的な心が入っていなかったと、一体どうして言えるだろうか。イズナは謂わばイスゞを蓑として、兄に対する劣等感から我が身を守っていたのである。押し付けがましい愛着だった。一等大事に仕舞い込んで、そのまま圧し潰してしまいそうな。姉に取り分け懐いていたのは、無意識のうちに自尊心が満たされたからに他ならない。
イズナは自分が周囲に思われているような自己犠牲的で調和な弟なのではなく、単に狡猾な人間だということは百も承知だった。越えられない絶対的な存在がいる境遇で、何も悩まず真っ当に育つ事が出来る人間などいるだろうか。
だが、ことイスゞへの執着に関してだけは。それにだけは、自身の老獪さを認めることがイズナにとって恐ろしくて堪らなかった。

――イスゞは俺が守ってあげるから、だからずっと側にいてね。離れちゃ駄目だよ。
――俺達は双子だから、他の誰にも代えられないね。
――姉さんねえさん、大好きな姉さん。俺だけの姉さん。

逃げ出したい、苦しい苦しいと嘆く叫びすら飲み干し、この地獄に無理矢理縛り付け、あまつさえそれを愛なのだと嘯いた。
驕慢だろう、傲慢だろう。何も理解しようとしなかったのはイズナの方だ。頑なに目を閉ざして分かろうともしなかったのは、他の誰でもない愚かな弟だった。
イズナはイスゞにとっての絶望そのものなのだ。存在が貶める。生きているだけで懊悩させる、煩悶させる。イズナがイスゞの居場所を奪い続けてきたのだから。生まれてきてしまったのがそもそもの間違いだった。イスゞの生き地獄は胎に宿った瞬間に側にいたのだ、逃れようがない定めである。因果であるなら余りに惨い。

生まれてさえこなければ、出会う事もなかったのだ。母の胎に宿ったその時に身を引き消えてしまえばよかったのだろう。安らかになるべき一生をイズナは奪った。産声を上げた瞬間に何もかもをあるべき形から歪ませ、そして食い尽くした。イスゞの幸せを喰ったのだ。鬼子だったのはイスゞではない、イズナの方だ。イスゞを喰らう鬼の子だった。

イスゞの優しさに付け入り、その身体をも開かせた。姉は決して自分を拒絶しないと知っていながら、それを盾に持て余していた劣情を打ち付けたのだ。
なんと罪深いことか、けだものにすら劣る唾棄すべき罪を犯してしまった。狂いのように貪り、血涙の蜜を啜る。幾度も頭では止めろと、これ以上傷付けるなと自戒しながらも、終ぞ止める事など出来なかった。しようともしなかった。イスゞと一つになったイズナの心は救いようのない程に幸福だったのだから。取り返しのつかないまでに満たされてしまっていた。
情けない情けない、凡そ人倫に悖る見下げ果てた人でなし。誰より愛する姉の尊厳を穢してまで、イズナはこの上ない悦を感じてしまっている。
こんな救いがたい外道を一言で表すならば。
それは鬼、人の子にすらなれぬ泥梨ないりの夜叉だ。


「イズナッ! 目を開けてくれ、イズナ――」

兄の声がする。走馬灯のように悔恨の泥沼に沈んでいたイズナの意識が僅かに浮上する。死の淵で行きつ戻りつしているイズナを、愛する者たちが必死になって留めていた。
死に際に思うことなど多くない。千手への恨みも怒りも露と消えた。激情の奔流が引いた後に満ちているのは、遺された者達がただ安らかであってほしいという凪いだ祈りだけだった。夕づつのように瞬く切願だけがイズナの胸いっぱいに浮かんでいく。

兄の目は見えるようになるだろうか、この目は光を齎すことが出来ただろうか。恐れ多くも彼に寄り添い、道を示すことが許されるだろうか。
兄に敵いたいとは思わなかったが、兄のように強くなりたかった。少しでも近づきたい、追いつきたい。
この目が兄の新しい光となり、引いては己が齎した力で兄が強くなるなど、なんと幸いな事だろう。実に気分がいい。その時、やっとイズナは兄と対等になれる心地がする。
どうか、その一生が輝きに満ちたものになりますように。幸せだけを網膜に描くことを許されますように。
どうか、どうか。千代に八千代に恙無く。幾久しく健やかに。

そして、なによりも。
イスゞ、他の誰でも無い己の半身。分たれてしまった、もう一人の自分。
願わくば、願わくばどうか幸せになってほしい。俺はもう去ぬから、いなくなったこの世で幸せに生きてほしい。
これ以上、悲しませたりしないから。
もういいよ、もう大丈夫だよ。もういなくなるからね。
きっと会わないように、二度と傷付けてしまわないように。
今度は上手に隠れるからね。

――イズナ、いかないでイズナ。ひとりにしないで。
――置いていかないで、

幻聴だ。
都合の良い夢だ。
ずっと優しい夢を見ていたのだ。
やめてくれ。
そんな声で呼ばないでほしい。突き放してほしい。どうか忘れてほしい。
未練が、
この世に未練が出来てしまう。

焦熱のような後悔が胸を焼き切っていく。酷く曖昧な視界でイズナは見ていた。最早幻覚なのか現なのかも分からない。いっそのこと夢ならばいい、とイズナは思う。
全てが夢ならば、どれほどよかっただろうか。
だが、ずっと見ていたのだ。羊水の海を揺蕩い、あたたかな二人きりの暗闇で出会ってしまった時から、ずっと。 

姉さん。
ねえさん。

イズナが呼べば、イスゞは必ず微笑んでくれた。そっと花が解けるように笑ってくれるのだ。大好きだった。その笑顔すら、イズナには最早見えない。

いやだ。
嫌だ嫌だ嫌だ、死にたくない。生きたい、側に居たい。他の誰よりも一番近くで生きていきたい。
許されたい、許してほしい。どうか、この愚かな弟を許して。
ごめんごめん、本当にごめん。俺が悪いんだ、俺の所為なんだ。あなたはとても弱く、優しい人だ。儘ならぬ命運に翻弄され、それでも懸命に生きていた。泥沼に足を取られ、地に伏してでも。堪らなく憎かったはずの片割れをどんな時も突き放さずにいてくれた。そんな心根の強さを持っていた。あなたは強い人だ。尊い人だ。生きてくれている、それだけで救われた。
大切だった。誰よりも大切だったのに、何も出来なくて傷付けてばかりだった。
狂わせてしまった、損ねてしまった。自分さえいなければ、きっと幸福だったのに。幸せになりえた一生をこの手で壊してしまった。全部喰らってしまった。共に生まれてきてしまったばっかりに。
ごめん、ごめんよ。
本当にごめんなさい。

押しつけがましい自己満足だ。何の意味もない事は痛いほどに分かっている。謝ったところで何も変わらない。どうする事も出来なかった、どうしようもなかった事なのに。
出会ってしまったから。どうしようもなく愛してしまった。
出会うべくして、生まれるべくして共に地獄に落ちてしまったのだ。出会わざるをえなかった、生まれてきた以上出会うしかなかったから。
妬まれようと、例え憎まれようと。離れることが出来なかった。やわい心を悪戯に切り刻み、燃え尽きることのない嫉妬を植え付けた。誰より恨まれようと、それでも側にいたかった。ただ欲しくてたまらなかったから。どうか一番近くにいたいと呪いをかけてしまったのだ。

心の底から求めてしまった。それを、どうか、許してほしい。

「生まれてきて、ごめんなさい、――姉さん」


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