きみならよかったのに


弟に色を付けるとするならば、日が暮れる一瞬の青だ。
清々しい日が終わり、宵闇が辺りを静々と染め始める。もの悲しいような、それでいて今日も健やかに一日が過ごせたと安堵する、そんな一瞬のひそやかな藍色。
弟が纏っていた衣は、彼そのものを表しているような深い藍色をしていた。

一族特有の装束は、他族からは喪服が如き黒支度と表現されることもあるが、その実あれは 八入やしおに色を重ねられた藍染の衣である。檳榔子染や煤染、橡染、鉄媒染などが墨染の衣としてよく使われるが、そのどれもがうちはの衣では用いられていない。ならば、矢張り黒と呼ぶには少し可笑しいだろう。
普段着でもある戦装束が藍染めになった由来は明快で、うちはがどこまでも火と共に生きる戦の民だからである。藍はそもそもが薬であり、それに染められた布ですら一定の抗菌性を持つ。また、一説では止血作用があるとまで言われている。加えて染め布が丈夫になり、燃えにくい性質もあるため火を操る忍の装束として最適なのだ。

藍染めは染める具合により様々な色を織り成すが、衣に使う色に決まりは無く、着る個人の好みによって染め加減が選ばれている。
験を担いで勝色と呼ばれる濃く暗い藍に染め上げたものを好む者が一番多いが、その他にも、青藍、留紺、高麗納戸、深縹。一括りで黒衣と呼ばれるうちはの装束は、実に様々な藍の色に分かれている。家族間で使いまわす場合も無論あるが、一人前であれば大抵個々人で好みの色を選ぶのだ。
ただの服とはいえ誉れ高い一族の紋を背負った崇高な装い。由緒ある血族の一員である象徴というべきもので思い入れもひとしおである。

例えば、兄は幽かに紫を帯びた品のある藍錆を好み、私は勝色よりもさらに色を重ねた暗い褐返をいつも着ていた。藍の中でも取分け深い色を好んだ兄や私と比べれば、弟の衣は落ち着いていながらも何処か爽やかな色である。
影よりも濃く、夜より淡い。静謐な透明感を滲ませる深い色。
残照が僅かに西の空に残り、東の彼方では粛々と夜空へと変わっていく。その、ほんの一瞬。燃えるような赤に寄り添う思慮深い藍。そして、誰よりも勇ましく夜の帳を率いる先陣の青である。

「やっぱり、似合わないな」

鏡の前で弟が着ていた衣を当て、小さく呟く。裄が多少長いかもしれないが、元々身体の線を隠して着る鷹揚な作りとなっているので、大きさの上では左程問題ない。思えば、亡父や兄は指先まで隠れてしまうほどの長さの裄を好んで着ていた。弟は剣を扱う上で手捌きの邪魔にならないように多少短めに作らせてあったので、寸法で考えるなら寧ろこの位がちょうどいい。長身の私と弟はそれほど上背が変わらなかったのだ。
顔立ちも変わらない、瓜二つだ。声色さえ変えれば、弟そのものに見えるだろう。
似合うというなら、誂えたようによく似合う。

私とイズナはよく似ていた。ずっと彼をなぞるように影に徹して生きてきた。
それが定めだと信じていたから。私の役目はイズナの代わりだったのだ。

だが、これは最後の砦。この衣は今は亡き弟そのものだ。天により否応無く分かたれた違いではなく、己の意志で選んだ末に至った違いである。
兄は暁の紺を、私は夜半の濃紺を、弟は宵の紺青を。夜は三つの時で構成されると言われるが、それを思い出し私は少し笑った。考えてみれば、それぞれの生き方を表すような色の違いである。
欠けてはいけない。弟がいなければ、我等うちはの時は永遠に始まらない。物事には終わりも肝心であるが、始めが一等大事なのだから。
ならば、一番欠いて構わないのは、矢張り私だったのだ。

狂おしい青だ。透明でひそやかな、美しい宵闇の空。私には決して手が届かなかった、ただただ焦がれ続けた崇高な藍色。
弟はいつだって遠い。頬が触れ合ってしまえるほどに近くにいるのに、どうしようもなく遠いのだ。もう手の届かない遥かに行ってしまった。時間を逆巻くことは神でもなければ叶わない、願う事すら愚かな情だ。
だが、それでも。
例え望まれていなくても、イズナがどう願ってくれていても。私は――。

「ごめんね、イズナ」

ふわり、と。
弟の形見に腕を滑らせる。何の躊躇いもなく手首が袖口まで滑り、裾が落ちる。寸法を合わせたかのようにぴたりと身が納まる。立ち襟から頭を出し、乱雑に髪を振るった。
目付きを、表情を、声色を、記憶にある弟のそれを思い浮かべて写すように似せていく。

ゆっくりと目蓋を開く。
鏡の中には、弟の顔があった。


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