永遠の春をまっていた


待宵の月が綺麗な晩はもう肌寒い。昼間は晴れていたから羽織を重ねているとまだ汗ばむ位だったが、空が赤や橙、紫から紺色へと染め上がる頃には風も涼しく夕冷えが感じられた。渺々と風が吹きつけると皮膚が罅割れていくようだ。晴れていた所為で余計に冷えるのかもしれない。
私は剥き出しの爪先を擦り合わせ、せめて少しでもマシになるようにと画策する。暫くすると寒さも痛みも大して感じなくなるが、ひんやりと冷えた石畳に直接触れる皮膚はまだ慣れていない。敷かれた花崗岩はつるりと磨かれ、ごつごつと隆起した岩の肌やしっとりと柔らかな土の膚より殊更良く夜気を吸う。足先から夜が染み込んでいくようだった。
――からん、からん。
乾いた御鈴の音が森閑と静まった神奈備の杜に溶けていく。そこに重ねて拍手も打つものだから、うとうとと微睡んでいった烏が一羽、不満そうな声を上げて飛び去って行った。
ごめんね、と私は心の内で小さく詫びる。作法であるのだから咎められることをしている訳ではないのだが、何となく居心地悪く感じるのは何故だろう。罰当たりな悪戯でも犯している気分になる。
きっと、余りにも静かすぎるのだ。この静寂は私という夾雑を受け入れない。いつまで経っても産土神に許されていないのだと思い知る。

――矢張り、祖霊が怒っているのだろうか。

思わず吐いた溜息に呼応でもしているかのように、夜陰を色付けている燈明が幽かに揺らぐ。火を尊ぶうちははいつ何時も浄火を絶やさないのだ。時折影が揺れる以外は何の気配もしない。草木も眠るとはよく言ったものだと、私は改めて感心した。

丑の刻参りとは違って時間が決められている訳ではないのだが、行うならば無言で、尚且つ人に見られないように、という制約があるものだから自然夜に限られる。こんな時刻にこんな場所だ、見ようによっては悋気に狂った姿に見えるのかもしれない。白装束ではなく夜に溶ける戦衣装、金輪も蝋燭も、藁人形すらないのだから随分間抜けな呪法ではあるが。

祝いというのは、方向が違うだけで呪いと根底では同じものなのだと聞いたことがある。物事を上向きになるように祈るのが祝いであり、下向きに祈るのが呪いなのだそうだ。そう考えると境界など危ういもので、例え此方が祝っているつもりであっても、彼方には呪いの様に感じられることもあるかもしれない。
人の思いとはあまねく勝手なものである、自分勝手な祝いが傲慢な呪いとなりえるなど有り触れた悲劇だろう。

ならば、畢竟これも呪いのようなものなのかもしれない。

出陣が決まった日には、必ず南賀ノ神社で御百度参りをする。祈りや信仰といった胡乱なことに頓着しないイズナには鼻で笑われるが、初陣の頃から決めている私の習慣だ。
梅雨の長雨で泥濘む夜も、白魔が吹雪く凍える日も。出陣の度に行っているのだから、大した執念だと我ながら思う。信心深い兄ですらせめて百ではなく歳の数にでもすればどうだと案じているが、今更変えるのも妙な心地だった。多分、私は両足が無くならない限りはするのだろう。よしんば片足になったところで、杖を突いて引き摺る姿が容易に想像がつくのだから相当である。

ことり、と錆び付いた銭を置く。回数を間違えないように祈った数だけ並べるのだが、私はより縁起を担いで鈍重な銭を使っている。普通ならば小石や竹串が一般的だ、かなり珍しい流儀だろう。元は兄がそうしており、それに倣ったのである。近頃は余りに忙し過ぎる為に久しいが、昔はよく一緒に参ったものだった。そもそも、始めたきっかけは信心深い兄の真似事なのだから。
百枚の厭勝銭も兄から譲り受けたものだった。流通貨幣ではなく、吉祥を意味する言葉や図案を鋳出した玩具の銭。金属であるのだからそう簡単に朽ちるものではないが、赤錆が浮き、意匠すら曖昧となっている様は有り体に言えばみすぼらしい。忌まわしい呪具だと説かれたならば大半の人間は納得するだろう。

なんでも、兄は死んだ母から貰ったらしい。兄の信心深さもまた相当なものだが、どうにも母譲りだったのだと聞いたことがある。母の顔すら覚えのない私は詳しく知らないが、古い言い伝えや御伽噺を寝物語によく話してくれたのだという。日常の折々で小さなまじないを教えてくれたとも言っていた。
兄はそれを聞いて育ったせいか、験をよく担ぎ、縁起物にあやかるのを意外なほど好むのだ。

父はどちらかと言えば因習を嫌う性質であったらしく、イズナの性格は父に似たらしい。御百度を始めた時も止められはしなかったが、あまり良い顔はしていなかった。ほどほどにしなさい、と霜焼けになった素足に軟膏を塗っていると、深く溜息を吐かれたことも覚えている。

ずらずらと並んだ古銭は二十を超えた辺りである。夜もまだまだ更けていく。見上げた空は冴え冴えと照る月で明るい。湿度の無い、夢の砂漠のような夜だった。

初めて行った日には、まだ兄に負ぶられていた気がする。確か、イズナが流行り病で高い熱を出してしまったのだ。
弟は今でも身体が薄く、私とそう変わらない位に華奢である。今でこそ見た目より頑丈になったが、小さい頃は身体も弱かった。イズナは物心ついた頃には大人でも舌を巻く剣術の才を発揮し、兄と共にうちはを担っていくと期待されていた神童だった。それなのに身体は私よりもずっと弱く、すぐに風邪を拗らせては床に臥せってばかりいた。

イズナが熱を出す度、私の所為ではないかと思って気が気ではなかった。きっと、胎の中でイズナの分まで私が無駄に食って丈夫になってしまったのだ。私は卑しい忌み子だから、そうに決まっている。イズナに悪いことなどあってはいけないのに、私がイズナの代わりにならなければいけないのに。
何故イズナが、どうしてお前じゃないんだ、と。そんな声が心臓を踏む。視線が肺を裂く。父の顔を見るのが怖かった。乳母の声を聞くのが嫌だった。大人達の厭悪に晒されるのが堪らなくて、姉さん姉さんと熱に浮かされ私を呼ぶイズナの事を放って部屋に近付こうともしなかった。
酷い姉だと今でも思う。結局、私は自分が一番かわいいのだ。

部屋の隅で押し黙っている私を見兼ねて、兄が一緒に外へと連れ出してくれたのだった。兄の背中はあたたかい。兄の薄い耳朶の向こうには透明な水色に刷いた薄桃色の夕日が透けている。夕さりの淡い空を眺めながら、独特な節回しの子守唄に包まれて私はすぐに眠ってしまった。
兄は今でこそ歌う事など無くなったが、昔は私達を寝かしつける為によく童歌を歌ってくれたのだ。まだ高くやわらかな、少しだけ調子の外れた歌声が大好きだった。

――がらん、がらん。

夢の内で世界が割れるような音が響いたものだから吃驚して目を覚ますと、辺りがもう真暗であったから尚更に驚いた。依然兄の背中に負われているが、後ろから迫る夜が恐ろしい。闇に怯えて私が愚図ると、イズナが良くなるようにお祈りしてるんだ、とあやしながら言われた。だから少し我慢していてくれ、と今度は両手で抱き締められ、兄は困ったように額を擦り付けている。そのまま、また一心に拝殿に向かって手を合わせて口の中で祈りを転がしていた。
兄の横顔は真摯ですっかり物々しい。私も見様見真似で兄の隣で同じように手を合わせ、イズナがよくなりますように、と覚束ない祈念をした。そうっと薄目を開けて拝殿の奥に目を遣ると、安置された鏡へ御あかしが反射し、底知れない生き物の目のように光っていたので慌てて首を竦めた。ぎゅうと兄の袂を掴むと、厳かな表情を崩してまた私の機嫌を取る。それが終わるといよいよ御百度を踏むのだが、頼りない足取りで着いていく私が転けたり座り込んだりするので兄としては散々だっただろう。
結局浜縁に座らされ、しばらくは高欄によじ登って遊んだり、大人しく眠ったりする。目が覚めると矢張り暗闇に吃驚して兄を呼ぶ。すぐさま兄が宥める。その繰り返しである。
よくも気長に怒らずいたものだと思うが、昔から面倒見の良い優しい兄だった。

行列する銭は七十をもう越した。凍えていた爪先も今は寒くない。依然として月は天上で輝き、青褪めた光の薄膜を覆い掛けている。夜の底が氷を砕いたように仄かに白い。針を落とす音が響くほどの静寂に鼓膜は慣れ、私という境界が曖昧になっていく。
鳥居を潜る、敷石を行く、拝む、銭を置く、また戻る。
纏わりつく夜に輪郭が蕩け、大気と揺らぎ、泳いでいるような心地だった。

何千回、何万回と数えきれない程に念じたところで、私が願う事は今も昔も変わらない。ひとつ、たった一つきりだ。敢えて兄の事を願わないのは、無双の強さを誇るうちはの軍神の無事を祈るなど、私如きでは烏滸がましいと感じているからだった。
いい加減、鎮座まします氏神も聞き飽きたと呆れていることだろう。とはいえ、他と言われても思いつかないのだから詮方ない。
――次の戦でも、弟が無事でありますように。
イズナにただただ無事であってほしい、それだけだ。だが、それは即ち敵を一人でも多く屠れということである。安らかで平穏でありますように、などと願った事は一度も無かった。傷付けられることのないよう、その命が蹂躙される事が決して無いように。イズナを脅かすもの、ことごとく地獄に落ちてしまえと願っている。
どんな相手であろうが、どんな信念を持っていようが。男であろうが女であろうが、子供であろうが誰であろうが関係無い。誰であろうと許さない。イズナを傷付ける者は皆あまねく死にますように、と随分と物騒な願いを申し上げる。
相手方にすれば紛う事なき呪いである。罪悪感などまるで無いが、人を呪わば穴二つとはいうもの、きっと私は罪科を受けるのだろう。
だが、それでよかった。その終末に弟へ奇禍が及びさえしなければ一向に構わない。

言い訳のように一族の勝利と繁栄も付け足すが、それは本当に物のついでである。うちはの繁栄は私にとっては然して重要ではない、大切なことは弟が生きているという事のみだった。
同胞が真実大切かと問われたならば、さてどうだろうかと私は首を傾げてしまうだろう。血の気の多いうちはの中では稀なほど穏やかな気質だと言われるが、兄弟以外全てどうでもいいだけなのだ。大して興味が無いからこそ、激しく激昂したり絶望することもあまり無い。
忌み子として爪弾きにされ、戦以外では人目に触れないように扱われていた私の世界は、二人の兄弟だけで完結してしまっている。調和の精神を真っ当に育むには少々歪過ぎたのだ。私はイズナような出来た人間でも、兄のように深い愛情を持っている訳でもない。
唯一の例外としてカガミは目に掛けてはいるが、それとて敬愛する兄に命じられたからだけのこと。身上は気の毒だと思うから出来うる限りは寄り添いたいと思っているが、矢張りどうしたって他人である。あの子の為に命を捨てることはきっと出来ない。
自らの命が惜しいわけではないのだ、他でもないイズナの為であれば迷う事なく何もかもを投げ出すと真実誓える。私は弟の為に生きなければいけない、その為だけに生かされたのだから。だからこそ、本来であれば愛すべき同胞ですら、押し並べて博愛することが許されない。

だが、イズナに向ける献身であっても、決して正しいものではないのだと思う。
イズナに先に死なれては困る、本当はそれだけなのだ。
仮に弟に何かあれば、何故お前が生き残ったのだと糾弾されるだろう。そもそも私はイズナの身代わりとなるべく育てられた、それだけの透明な人生なのである。双子として生を受け、劣った片割れとなってしまった以上、いくら足掻こうと変えられない定めだった。その務めを果たさなければ生きている価値すらない。
信心深くもない、弟想いでもない。突き詰めてしまえば自分を憐んでいるだけだ。一人でこんな不毛な呪いを捧げていると、いつも胸の底に押し込めた醜い本心を思い知る。
私は自分が可愛いのでしかない。だがそんな願いすら満足に言い表せない、矮小で卑屈な人間なのである。屈折した自己愛を弟の愛だと飾り立て、あまつさえ敬虔な祈りとして嘯いている。どこまでも身勝手で不遜な、自欺の成れの果て。おわします祖霊達も怪しからんと怒るだろう。
わざわざ隠しているものを暴き立て、眉を顰めつつ、こういう嫌な人間なのだと諦めて、それでも再び飲み込んで生きていく。そうして、私はやっと弟の前で笑うことが出来るのだ。
イズナの姉でいられる。うちはイスゞとして生きていられる。
その為だけに足を擦り切らせながら、一つ覚えのように百回も念じるのである。今も昔も変わらない、私の愚かな習わしだった。

最後の一枚を置き、息を整えて拝殿へと向かい合う。深く頭を二回下げ、柏手を二回打った。

「どうか、イズナが傷付けられる事などありませんように」

ひしゃげた声で申し上げ、また深々と一礼する。ほう、と一息吐いて中空を見上げた。晩秋にさし掛かる夜は殊更長い。淡い春や浅い夏であれば鳥達の鳴き声が聞こえる頃であるが、東の空にもまだ昆々と夜が溜まっている。朝焼けは目に痛いのでまだ暗い方がありがたい、寒いのも困るが夜が短いのも困るとは難儀な話だろう。どうしようもない我儘だと、私は少し笑った。
――日が登らないうちに、早く帰ろう。
懐中に入れていた手拭いを御水屋の水で濡らし、夜もすがら行きつ戻りつを繰り返していた足を手早く清める。沁み入る清冷さに肩を竦めた。

「イスゞ」

不意に呼ばれた名に振り返る。私は思わず目を丸めた。

「兄様。どうしたの、こんな時間に」
「会合終わりだ、昨日言ってなかったか?」
「聞いていましたよ。だけど、もう朝じゃないですか。日付が変わる前には帰れるってイズナが言っていたから、とっくに終わっていると思っていました」
「今日は特別長引いたんだ。通り掛かったらちょうど鈴の音が聞こえたから、多分お前だろうと思ってな」
「お疲れ様です、ほとんど夜通しだったんですね。……次の戦のこと?」
「いや、延々下らん話をされた。嫁取りがどうとかこうとか、こんな戦況でだぞ。年寄り連中は呑気なものだ。全く疲れる……」
「あの人達も懲りませんね。イズナは、逃げてしまいましたか」
「いや、俺が先に帰れと言ったんだ。聞いてたって仕方ねえ、あんなもの時間の無駄だ」

心底忌々しげに顔を顰めながら兄が言う。あまりに眉間の皺が深かったので、私は苦笑を浮かべた。
中々鬼気迫る表情である、酷く疲れているようだ。元々の造作が険しい上にそんな凶相では気の弱い幼子なら泣き出しかねない。失礼なことは承知だが、思わずそんな事を思ってしまう。

「お前みたいに、こうして百度参りでもしてる方が余程良い」
「イズナには相変わらず文句を言われますけどね。まだ起きてないといいんだけれど、帰った時に鉢合わせになると機嫌が悪くて困るから」
「あいつも無信心だなあ」

兄は呆れたように呟くと、俺も手を合わせてくる、と言い拝殿へと歩いて行った。その姿を目で追いながら、随分かかるのかな、とぼんやり思っていたが、ものの一瞬で帰ってきたので私は少し驚いた。
――しまった、顔に出てしまっていただろうか。昔から兄の祈請はいつも念入りである。あまりに呆気なく終わってしまったので、気を使わせてしまったのであれば申し訳ない。

「もうよろしいのですか?」
「これでいいんだ。大体はイスゞが先に祈ってくれたんだろ、俺は一つ付け足すだけで構わん」
「何をです?」
「お前の無事をな」
「……ごめんなさい、兄様。私はイズナの事しかほとんど祈ってないよ」
「知ってるさ。お前達が無事なら俺はそれでいいんだ。それに、俺達兄弟が揃っていれば、うちはもまだ負けはしない」
「そう、ですね」

千手との戦で我々が劣勢である事は百も承知である。最近では敵方に投降する者まで後を絶たない。このまま続けていた所で行き着く先が地獄である事は恐らく兄も気付いているのだろう。
それでも、兄には後戻りが許されないのだ。千手柱間と袂を分かって以来、屍山血河を進み続けるしかないと心を殺し修羅となった。千手の嫡子と気脈を通じた以上、そう生きなければうちはの家紋を背負う頭領の子として許されなかったからである。誰よりも繊細な兄は本心では戦を続けたい訳ではないだろう。千手柱間と手を取り合いと今でも夢を見ているのかもしれない。
だが、それを何より許さないのが他でもないイズナだった。弟はうちはの繁栄を誰より願い、一族の中で最も千手を恨んでいる。兄が惑う度、イズナが手を引くのである。奴にまた騙されてはいけない、と。

「頭領、次の戦こそ勝ちましょう」
「嗚呼そうだな。俺もイズナも結局は一騎打ちになりがちだ。他は頼んだぞ、イスゞ」
「お任せください。例えこの命に代えてでも、うちはに勝利を」
「……おい、なんでそうなる。無事でいろと言ったばかりだろうが」
「だって、その位の気持ちでいないとお役に立てないですよ。兄様達と違って、私はまだまだ及びません」

兄は呆れたように溜息を吐き、私の額を小突いた。

「お前なあ、あまり無茶すんなって再三言ってるだろ。そんなんじゃまたイズナに虐められるぞ」
「お決まりですよね。いい加減慣れてしまいました」
「ったく……、まるで懲りてねえな。あいつもイスゞが心配で堪らないんだ、少しくらい分かってやれ」
「どうかな、あの子はいい加減姉離れしないと駄目ですよ」
「それはまあ、確かに一理あるが」
「どうかお気になさらず、所詮は蟷螂の斧ですから」

死にたがりのイスゞ。敵味方問わず呼ばれる私の二つ名だ。勇敢というより自棄であり、果敢というより無謀である。明らかに蔑称だが、成る程言い得て妙だと感心してしまう。
叶うなら。イズナより先に死んでしまいたい。そう願うようになったのはいつからだっただろう。生まれ落ちた瞬間、――否、それよりずっと以前の母胎に宿ったその時だったのがしれない。半身がいないもしもなど、双子の片割れである以上は存在しないのだから。
弟の存在は私にとって祝いであり呪いだ。イズナがいれば辛うじて私として生きていられる、だがイズナがいるからこそ私は私として生きることが許されなかった。生まれてこの方、弟がいる事によって幾度となく傷付けられてきたが、その傷を癒し、風当たりから懸命に守ろうとしてくれたのもまたイズナだったのだ。壺の底をただ渦巻くような、果ての無い堂々巡りである。

兄は何か言いたげに口を開きかけたが、結局それ以上は何も言わなかった。帰りましょう、と私が言うとそのまま踵を返し、遠い東の空を見るとはなしに眺めながら静かに呟いた。

「もう夜が明ける」
「ああ本当、綺麗な朝焼けですね」

燃えるような赫灼の緋色が名残の夜を染めていく。網膜を焼く朝日が酷く眩しい。終夜暗闇ばかりに目を凝らしていた瞳孔には、照り付ける旭光は容赦無く突き刺さる。眦を緩ませて笑う兄の隣で私は俯いた。

「眩しい、」
「美しいが矢張り目には毒だな」
「ええ。あまり見ると、潰れてしまうから」

顔の前に手を翳し、痛みを堪えるかのように目を細める。戦装束は筒袖なので袖笠で遮ることも難しい。帰る家はちょうど東の方角である。曇天であればいいのだが、皮肉なほどに晴れた暁紅だった。
瞳術を至高とする私達は、目を守る為に眩しい光を見詰める事を酷く恐れてしまう。製鉄の民に眇の多いことが分かり易い例だが、強い光や炎は文字通りに目を焼き、時として失明してしまう危険を孕むのだ。燃え盛る火遁を操りながら目を酷使する血脈の力とは、思えばなんとも因果なものだった。

「どうして、綺麗なものって痛いんだろう」
「……さあな。身に余るから余計そう思えるんじゃないのか」
「そうですね。まったく、執念深いな」

網膜が焼き爛れる感覚に苛まれながら、それでも私は眩むばかりの朝日影から目を離せなかった。


prev back next
額縁