bouquet de xxxx

 まぶたにやさしい感触があって、わたしは目を覚ます。寝起きの無防備な顔を見られるのがはずかくしくて、目の前のはだかの肌に顔をうずめた。あたたかい胸板にわたしもそっとくちびるを寄せる。乾いた肌のなめらかな感触にうっとりとする。

「すまない。起こしてしまったね」
「おはよう、幸村くん。起きたときにいないとさみしいから、起こしてくれてよかった」
「少し庭に出てるから」
「うん。ごはんの支度をして待ってるね」

 幸村くんはわたしを一度ぎゅうと強く抱いてから頭を撫で、そしてベッドを抜け出してしまう。
 ごく薄い軽量毛布のなかはたちまちぬくもりを失って、わたしはとたんにこころ細くなる。ベッドを下りて、昨夜はずした下着を拾い直した。さすがに履く気にはなれなかったので、そのままガウンを羽織り、リビングへと向かう。わたしはすでに、幸村くんに会いたくてたまらない。

「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

 庭に面した張り出し窓を開けて声をかける。土と清潔な朝のにおい。少し濡れたようなかんじがする。早朝の庭のにおいが、わたしはだいすきだ。

「今日はコーヒーにしようかな」
「ミルクだけ入れる?」
「ミルクだけ入れる」

 うんと窓際まで近づいてくれた幸村くんに顔を寄せるように身を乗り出すと、軽くくちびるが触れた。離れた熱を追うようにして、わたしもそっとキスをする。軽く身支度を整えてきたので、今度は堂々と見つめ合えた。キッチンでお湯の沸く音がする。


 大抵のことはたやすくこなしてしまう幸村くんだけれど、料理においては一切の才能がないため、キッチンはほとんどわたしの城である。
 幸村くんがここへやってくるのは、洗いものをするときや、電子レンジを使うとき、冷蔵庫を覗くとき、飲みものを用意するとき。そしていちばん多いのが、わたしに会いにくるときだ。

「ただいま。いいにおいがする」
「おかえりなさい」

 幸村くんはわたしの隣に立つなり額にキスをくれる。やわらかな感触にわたしはうっとりと目を細めた。前髪を持ち上げる手のひらはひんやりと冷たく、清潔なサボンのかおりがする。

「今日は早く帰れると思うから、夕食は俺が作ろうか」
「だめだよ。怪我をしたら危ないでしょう」

 わかりきった答えを聞いて、幸村くんは楽しげに笑う。この人はきれいな顔をして、飯ごうを爆発させたり、電子レンジで炭を作るなどという前科があるのだ。それは昔のはなしで、さすがに今はそこまでひどくないと思われるが、時おり一緒にカレーを作ったりすると、野菜を力づくで押し切るようすにこちらがひやひやとしてしまう。
 キッチンに立っているかもしれないと思うと気が気でないので、ひとりのときは料理は避けてね、と伝えてあるのだ。

「じゃあ、外食にしようか。迎えにいくよ」

 すばらしい提案に、わたしは大きく頷いた。


 朝食をとり終えると、それぞれ出かける支度をはじめなければならない。わたしも幸村くんも、今日は朝から仕事がある。
 わたしたちはそれぞれのペースで準備を進めつつ、わたしは髪を整える幸村くんの腰や背中にくちびるを寄せたり、幸村くんはルージュを引こうとするわたしの頬を掴み、やや子供っぽいいたずらなキスをくれたりした。


 ニュース番組の占いのコーナーが終わる。わたしは玄関へ向かう幸村くんのあとを追う。今日は講演会の日で、彼はめずらしくスーツを着ている。

「暇をみて連絡するよ。俺の恋人はさみしがり屋だからね」
「わたしが幸村くんからの連絡がなくても平気な人間だったら、幸村くん、さみしいでしょ」
「まあ、一理ある」
「ちゅーして」
「しかたないなあ」

 わたしは背伸びをして、そのたっぷりとしたキスを受け止める。幸村くんは手のひらで包んだわたしの頬を愛おしそうに親指でさすりながら、とろけるように熱い舌で、ゆっくりと口内を侵してゆく。



 仕事終わり、窓の外はにわか雨に焦る人々で騒然としたようすだった。かばんやクリアファイルを傘がわりにする人、ストールをかぶる人などが忙しなく駆けずっている。
 電話が鳴っておもてへ出ると、黒い蝙蝠傘を差す幸村くんと目があった。スーツの裾が濡れている。

「ひどい雨だ。お疲れさま」
「お疲れさま。幸村くんが傘を持っていてよかった」
「うん、車に積んでたんだ」
「講演はどうだった?」
「元気の秘訣はって聞かれたから、恋人とたくさん触れ合うことって言ってきた」

 幸村くんは冗談もそうでないこともさらりと口にするので、わたしにはこれがどちらなのかの判断がつかない。ほんとうだよ、と幸村くんが笑うから、その言葉が冗談でないということがようやくわかる。

「近くの店を予約したんだ。行こう」
「幸村くん」

 ばかみたいに甘えた声が出た。ねだるように見上げると、幸村くんはしかたがないというふうに口もとを綻ばせ、大きめの傘を往来のほうへ傾けて目隠しをすると、その影で、とびきり甘いキスをくれた。
 額をはらはらと雨粒が打つ。すぐに傘を持ち直し、わたしたちは寄り添って歩き出す。