真夜中の狙撃訓練場から銃声が響いていた。たん、たん、たん。一定の間隔を保った機械的な音にひかれて、東春秋は廊下を曲がる。
覗いた狙撃訓練場は殆どが暗闇に包まれている。けれど一番奥のスペース、照明の一列が点灯され、そこにハンドガンを構えた男を浮かび上がらせていた。
カツン、と闇に東の足音が響いた。その音は闇を駆け抜け、男にも伝わったらしい。こちらに向いた顔をみとめて、東は驚きから少しだけ表情を崩した。
「唐沢さん?」
「見つかってしまったか」
東を見て苦笑したひとは、界境防衛機関ボーダーの幹部の一人だ。唐沢克己。A級一位の部隊を率いる東も、そう多く言葉を交わしたことはない。方々に営業に出かける彼は、まず本部にいることが少なかった。
唐沢は東を迎え入れるようにそこから動かず、東が光の中に入ると、相貌を柔らかく崩した。
「任務明けかな」
「いえ、作戦室で少し作業をしていて」
「夜更かしはよくないよ。きみも学生だろう。明日は大学は?」
「午後に一コマ入っているだけです。唐沢さんは何を?」
「鬼怒田さんたちの許可はとってあるよ」
そう言って、唐沢は手元のハンドガンを見せた。ボーダーの銃手が使う、一般的な形のものだ。
「トリオン体ですか? 今、」
「換装しないと撃てないからね」
唐沢が銃を構える。たん、と一射。それは人型の的の心臓を撃ち抜いていた。銃痕は頭と心臓部に集中していて、唐沢の技量が伺える。
「なんでまた」
東が問いかけると、唐沢はその口端に笑みを浮かべた。それに言い知れない何かを感じる。おそろしい、という感覚に、近いようで遠い。
「古今東西、あらゆる男子はシューティングが好きなものさ」
「そう、ですか」
「きみの精密さには負けるけど、俺もなかなかだろう?」
その微笑みはさっきまでのものとは明確に違う。朗らかな表情にほっと息をついて、唐沢の問いに頷いた。
「銃痕のばらつきがあれだけ少ないのなら、マスターレベルですよ」
「動かない的だから、多少はね。動く的は多分、てんで駄目だろう」
「体感としては、動く的も動かない的もそう変わりませんが……」
「流石、最初の狙撃手は言うことが違う」
「からかわないでくださいよ」
「褒めているつもりだよ」
「……ありがとうございます」
たん、と、また一射。今度は脳天。ヘッドショット。殺意の高い部位を狙った唐沢の横顔は東と話している間と同じ笑みをたたえていて、ぞくりと悪寒がした。――集中がない。唐沢は、自然体のまま撃っている。それがおそろしいことだと、東だからわかる。撃つ前と撃った後に、切り替えがないのだ。
「――でも、これときみが使うものは、やっぱり違うんだろうね」
「……ライフルとハンドガン、ですからね」
「生憎、ライフルを使ったゲームはしたことがなくてね。どうだい、使い心地は」
「それこそ実物を知らないですし、判断つきませんよ。でも、悪いと感じることはありませんね」
「それもそうか。でもまあ、きみが言うなら、悪いところはないんだろう」
「過大評価ですよ」
「いやいや。敬意は払うべきだよ。都市戦においての狙撃の重要性を上に訴えた功績もある」
「……あの会議には唐沢さんもいらっしゃいましたね」
「まぁ、一応、幹部らしいから」
東が最初の狙撃手になるまでには、多少の乗り越えなければならない壁があった。まずは単純に、狙撃用トリガーの開発という壁。広報担当の根付は、ボーダーのイメージを損ねるとしてライフルという外観に抵抗を見せたし、本部の戦闘員を指揮する忍田は、狙撃手が育つまでの時間を懸念した。それをひとつひとつ説得したのも懐かしい思い出だ。
その日々の中には、時には、幾人かの助力があった。それが必要ならば開発してみせると豪語した開発室長の鬼怒田。それから、狙撃手が必要だという意見に、単純に賛同の声をあげたのは、唐沢だった。
最終的な会議で東の主張が通ったのは、唐沢の発言のおかげも多少はあっただろう。会議中、城戸は唐沢に問いかけていた。『必要だと思うかね』と。唐沢は、ただ『スナイパーの存在は有益ですよ』と答えた。
「……あのとき、賛同してくださったのは、シューティングゲーム好きが高じて、ですか?」
「都市戦攻略のときに散々苦い目にあったからね――もちろん、ゲームの話だけど」
「俺、唐沢さんは反対するかと思っていましたよ」
「どうして?」
「営業にも、広報ほどではないしろ、イメージって影響受けるでしょう」
「ああ、まあ、そうだね。でもそれを含んだ上で、ライフルっていう存在は強いと思ったから。それに、ほら。ハンドガンを使ってる時点で、もう、そういうのは、仕方ないだろう」
「そうですね」
「きみのプレゼンがうまかった、っていうのもあるけれどね」
「ありがとうございます」
賞賛の言葉を、今度は素直に受け止めて、東は唐沢の横顔をみた。あのとき、あの会議室でみた横顔と重なる。
「……唐沢さんは、銃が嫌いなのかと思っていたのもあります」
「反対すると思った理由?」
「はい」
「理由を訊いてもいいかな」
「会議中、あまり良い顔はされていなかったので」
「なるほど」
ふ、と唐沢が目を細めて笑う。たん、と、またヘッドショット。東ほどではないと言ったが、唐沢の技術は相当なものだ。本当に、ゲームの経験だけで、ここまで当たるものなのだろうかと思うほどに。
銃弾は狂いなく命中している。けれど唐沢は、シューティングが好きだというわりに、命中したことによろこびを見出してはいない。いや――唐沢自身がシューティング好きだとは、そういえば言っていないか。
「本物の銃は怖いよ。きみもそうだろう?」
「……それは、そうですね」
「ボーダーの銃は、そのへんうまくできている。デフォルメされているというか、あえて少しチープにしてるんだろうね」
「本物じゃないから、賛成してくれたんですか」
「子どもに本物の銃を持たせたがる大人はそうそういない」
それも、そうかと。東が頷いたのを見てか、唐沢は銃を置いた。
「子どもに銃を持たせたがった俺は、すこし耳が痛いです」
「何を言ってるんだ。きみも子どもだよ、十分ね」
「そういうものですか」
「そういうもの。俺が20のときにきみは12歳だよ」
「それはそうですけど」
「きみは普段から大人役なんだから、たまには子ども扱いされておくといい」
「それは……」
「まったく、どの子も大人びすぎているね。俺のようなおじさんの立つ瀬がなくて、少し悲しいよ」
トリガー、解除。静かな声が響いて、唐沢の置いた銃が消えた。生身の服装のまま換装したのだろう、唐沢の見目に大きな変化はない。
「……邪魔、してしまいましたか?」
「ん? そんなことはないよ。ひとしきり撃ってみたし、そろそろ引き上げようと思っていたところだ」
「それなら良かったです」
「きみも早く帰って明日の講義に備えなさい。送っていこうか?」
「いえ、大丈夫です。こっちで仮眠するつもりだったので」
「それは俺の方こそ邪魔してしまったな」
「いえ、」
東はもう一度、唐沢が撃っていた的を見た。頭と心臓、その二箇所を狙っただけの。銃痕のばらつきは小さく、後ろの壁に逸れた形跡もない。遠距離狙撃用のトリガーではないからか、的への距離こそ近かったが、それにしても正確な射撃だ。撃つ時の姿勢。表情。集中力の推移。それらひとつひとつの要素が、東の脳裏で繋がって、そして一本の線になる前に、頭の奥からもう一人の自分が警告する。深読みはするな、と。
「唐沢さんももうお帰りですか?」
「こいつを鬼怒田さんのとこに返してからね」
「そうですか。道も暗いですし、お帰りの際は、お気をつけて」
「ありがとう」
唐沢が微笑み、「出ようか」と歩き始めた。東は頷いて、その隣に並んだ。
「……これからも、いらっしゃいますか? ここに」
「どうだろう。暇な時にでも、かな」
問いかけに唐沢は笑みを浮かべて答えるが、目の前の人物に暇なときがそうそうないであろうことは東にも分かる。実質的に、ない、と言った彼は、東に視線を合わせた。
「狙撃手の発展を願っているよ」
嘘だな、と直感で思った。理由なんてないけれど。本当のことではないと、思った。
「ありがとうございます」
東がそう返せば、唐沢はニヤリと笑った。今夜初めてみる、どこか悪どい笑みだった。
カツン、と人気のない通路を歩く。真夜中という時間もあってか、最小限まで照明が落とされた通路に、唐沢の影が長く伸びる。手元のトリガーを持て余しながら、唐沢は開発室に向かっていた。
唐沢が仕入れた拳銃はトリオンによってややチープに再現され、今、多くの少年たちの手の中にある。東春秋が『狙撃手』というポジションを上層部に掛け合ってきたときは、そこまでするかと思ったものだが、案外、拳銃たちはよく馴染んだ。勿論そこには馴染ませるようにしたエンジニアたちの努力があるのだろうが。
実際にランク戦で使われているのを見て、トリオンの拳銃は、唐沢のよく知る拳銃とは似て非なるものだと思った。玩具のような、それでいて実際の拳銃よりも扱いやすく、高性能にみえた。
――だから、撃ってみたかった。
唐沢がよく知る、唐沢の嫌いな銃と、どこまで、どのように違うのか。知りたくなった。銃は嫌いだが、銃を撃ったことがないとは言わない。前職で訓練を受けたし、海外も飛び回っていた唐沢にとって護身用の武器は必須だった。嫌いなくせに的当ては得意で、なんだかなぁ、と思ったものだ。
撃ってみた感想としては――トリオンの拳銃は、本物の拳銃となにも変わらないということだけ。
そう、変わらない。動力が違っていても。その形が少しチープにデフォルメされていても。生身を撃ち抜くことはなくても。やっぱり、銃は銃だった。
だから嫌いなのだ、銃なんてものは。
だけど、守るために戦う彼らが銃を選択したことを、否定はできないとも思う。唐沢が嫌うほどに、銃は、どう足掻いても強すぎる。それを――悪魔のようなおそろしさを持つ武器を、利用できるからといって簡単に利用することは、やはり悪なのかもしれないが、それでも必要な場面はある。唐沢は力だけが結果となる世界を、よく知っている。
狙撃手の発展を願ったことも嘘ではない。強くなるために、生き抜くために、それは必要なことなのだから。
けれど、思うのは。銃という、こちら側の世界に本来存在しないものを、知ってしまった彼らの行く末。知ってしまった自分と、重なってしまう感覚。
唐沢が知る人を撃ち抜く感覚を、同じように知っている少年たちのなんて多いことだろう。少年たちはあの感覚が、そっくりそのまま、生身を撃ち抜いたときの感覚と同じであることなど知らないのだ。
ああ、まったく。と、息を吐いた。
それでも唐沢は、ボーダーのために銃を仕入れたし、東の提案を受けてライフルも入手した。もっと早く、開発された段階ですぐに試射して、その感覚が何も変わらないとわかっていたなら、止めただろうか。
いいや、と薄く笑う。
戦う彼らから武器を取り上げることは、しなかっただろう。少年たちの戦場は、力だけがものをいう世界でもあるのだから。
唐沢は優しい大人にはなれない。それでもあえて、彼らを子ども扱いして、優しい大人ぶるのだから――
「悪い大人だ」
ひとり囁いて、唐沢は暗い通路を歩いていった。