沈みかけの夕陽が影を伸ばす。夜は、すぐそこまで来ている。
ゲーム初日、あれから何度かストーカー(それもなぜか毎回違う番号)から電話が掛かってきたが、姿が見える範囲まで近付かせることはなかった。奴も相当苛立っている頃だろう。俺ならとっくにゲーム自体を放棄しているところだ。
……というか、俺の方がすでにゲームを放棄したくなっている。
「携帯鳴ってるぞ」
「うーわ、知らない番号。あいつ何台携帯持ってんだよ」
不規則に並ぶ十一桁の数字に目眩がした。着信履歴には未登録の携帯番号はもちろん、公衆電話から固定電話まで様々な番号からの着信が二十件ほど連なっている。これら全てが同一人物からのものと聞けば、なるほどこれは確かにストーカーだとどんな奴でも頷くだろう。つーか頷け。頷かねえ奴は頷くまで殴る。
身を隠していた公園の木の上にて、ポケットの中で震え出した携帯を汚物のように摘まむ。何せ相手は十中八九ストーカー。当初の予定では電話は全て無視するつもりだったのだが、どこかに“落としどころ”を作っておかないとルールと景品を呑ませられないような気がしたのでやめた。相手がぶち切れる一歩手前、このラインを越えないことが不平等なゲームを進める際の鉄則であると俺は考える。
嫌々押した通話ボタン。口から出たのは我ながら憎たらしい声だった。
「はいはい、こちらの番号は現在使われておりませーん」
『うっわ腹立つ!ねえどういう能力なのそれ?俺結構苛ついてるんだけど!』
「誰が言うかスカポンターン。もう掛けてくんなよ!」
『ちょ、ま、』
相手の言葉を遮るように通話を切れば、隣で様子を見ていた親父がわざとらしく溜め息をついた。
「電源を切ればいい話だろ」
「あはは」
「誰に似たんだか、お前もいい性格になったもんだなあ」
親父はどこか遠くを見つめながらぼやいたが、その口元はまんざらでもなさそうに緩められている。理由を知る俺の口元もまた、親父と同じように緩んでいた。しかし、残念ながらいつまでもそう笑ってはいられない。通話が始まった瞬間から縮まり出したストーカーとの距離が、気を抜いている時間がないことを示しているからだ。
本日何度目とも知れない逃走劇に二人揃って溜め息をつく。親父は能力を発動しっぱなしだし、俺だってない頭を使って常に打開策を探しているし。おまけに相手は(いろいろな意味で)超弩級のストーカー。そりゃさすがの俺達でも疲れるってもんだ。
現在のストーカーとの距離、およそ800m。遮蔽物のない屋根の上などに上がれば十分に視認される可能性のある距離だ。仕方なく、人の流れに乗るようにして通りを進んだ。
「なんとかして寝床くらいは確保したいんだけどなあ」
「俺は宿を取る」
「あ、朝食バイキングある所がいい」
「寝言は寝て言え。アービィは外で鬼ごっこ」
「はあ!?息子は大切にしろよ!」
「お前は親を大切しろ。親を」
思わず頭の後ろで組んだ手をほどいて反論すれば、ごもっともな反論返しをされてこっちが項垂れる羽目になった。無念。
時間を確認するために取り出した携帯の画面を睨み、下唇を軽く突き出す。元はと言えばストーカーが悪いんであって、俺も被害者の内に入るはずなのに。親父殿の機嫌とモチベーションは下降の一途を辿っている。まあ俺も似たようなもんだけど。
不平不満を抱えたまま歩き続けること約五分。いい加減聞き飽きた重低音が再び体に響いた。
「出るな」
短く告げられた言葉は命令に近い。ポケットの中では携帯が一定の振動を繰り返している。
もう今日の鬼ごっこは終わりにしてもいいんじゃないかと頭の中で悪魔か天使が優しく囁く。俺だって十分妥協してやった。つーか今からこんな調子であと六日間あるとか「何それ拷問?」状態だ。正直に言おう。ストーカー舐めてた。あいつ無駄にスキル高え。初っ端からトップギア過ぎて泣ける。だからもう、いいよね……?と、誰にともなく許しを請うように電源ボタンに指を掛けた。相手がぶち切れる一歩手前、の半歩先。日没と共にゲームを中断するという暗黙のルールを設けるなら、きっと今しかない。
……などといろいろ構えてしまったが、画面に表示されているのが番号ではないことに気が付いて指の位置を逆側へと変えた。
「お前タイミング悪いわ」
『はあ!?第一声がそれって酷くね!?』
俺がけたけたと笑い出すと、僅かに強ばっていた親父の肩からも力が抜ける。
電話の主はよく知ったハンター仲間兼友人だった。お互いのおざなりな挨拶に始まり、続く話の内容は大半がどうでも良さそうな内容だったので右から左に聞き流す。ジャポンのごはんですねがごはんじゃないけどごはんに合って美味いとか知らねえよ。どんななぞなぞだよ。黒くてどろどろとかちっとも美味そうじゃねえよ。
そこからようやく本題に入ったと思えば前振りが長くて説明がくどい。総じて話が分かりにくい。あっちこっちに飛び回った話の欠片を掻き集めて整理すると「頼みたい仕事があるから一カ月以内に暇になったら連絡くれ」ということらしい。俺、通訳の才能あるかも。
『だから最初っからそう言ってるじゃん!』
「お前ふっざけんなよ!余計なブドウ糖使わせといてなんだその言い草は!」
『ブドウ糖ならパンを食、』
相手が言い切らない内に通話を切った。あいつは食い物の話になると普段の数倍話が面倒になるから駄目だ。聞く気にならん。
話しながらも人混みを縫うように進んでいたが、ストーカーとの距離は約1.5kmとあまり稼げていない。おまけにすっかり集中力とやる気を欠いた親父はだるそうに欠伸をし始める始末。「もうお前一人でやれ」と目と口で言われて「そこをどうにか」と拝み倒し、ゲーム初日にして先行き不透明にも程がある展開に俺の目はちょっぴり涙ぐんだ。世の中って上手くいかない。
ハザードネットでストーカーの現在地を確認しつつも、何かが振り切ってしまったらしい親父は近くのホテルへ幽鬼の如く吸い込まれていく。慌てて後を追えば本名でチェックインを済ませているしで一抹の不安が胸を過った。そして部屋へ入るなり親父は上着を脱ぎながらベッドへ直行。
「一カ月振りのベッドだ」
という一人言を最後に、呆気なく意識を手放した。そういや最初に電話をしたときは仕事中だと言っていたし、またどこぞの遺跡にでも篭っていたのかもしれない。脱ぎ散らかされた服を集めながら、俺はほんの少しだけ眉尻を下げた。
部屋の明かりを絞り、音を殺して窓から身を乗り出す。そのまま向かいの雑居ビルへ飛び降りれば、腰裏に隠した愛銃が小さな金属音を立てた。
着地した姿勢で視線だけをくるりと一周。とりあえず、街の灯りを撥ね付ける金髪は見当たらない。そのことにほっと胸を撫で下ろし、夜の闇の更に影になる部分を選んで路地へと降りる。
こぼれたのは何度目になるかも分からない深い深い溜め息だ。
俺一人で逃げ切るって、無理じゃない?
07