朝食を終えた後、アイくんは念入りに歯磨きをして学校へと向かった。あの様子だと本当はあんまり好きじゃねえのかもな、腐った豆。豆は畑の良質なたんぱく源と言うし、ハカセのキュートなお腹を気遣ってのメニューだったんだろう。出来た母ちゃんだ。
アイくんを見送ったのち、ハカセには掃除や洗濯に必要な道具の場所を教えてもらった。まずは洗濯機をセットして、俺の部屋代わりに与えられた客間と一階の二人のベッドへ向かう。引っ張り出した三人分の布団は順に運んで屋上へ。今日は天気がいいから干せばふかふかになるだろう。
それが済んだら掃除機片手に家中を回り、アイくんの部屋以外に掃除機をかけた。アイくんの部屋は俺だけ立ち入り禁止だ。年頃の娘を持ったお父さんの気持ちとは、かくも虚しいものである。
掃除機をかけ終わる頃には洗濯も終わっている。これもまた屋上へ運んで布団の横に干し、アイくんの下着だけ部屋干しにして午前中の家事は終了。
そして、俺はこれからハカセとデートに出かける。
「ハーカセー。支度できたぜー」
「よし、それじゃあ今日はわしの車で行こうか」
目的は俺の生活用品や下着の買い出し。ハカセの黄色くて丸っこい愛車に乗り込み、いざデパートへ。平日の昼近い時間とあって、道行く人はスーツ姿のサラリーマンが多い。
なんとなしに“凝”で眺めてみたが、念能力者はゼロ。全くいない。これだけでかい街なら一人や二人紛れているのが普通なだけに、引っ掛かるものがある。ハンター協会が認知されていないことと関係あるのだろうか。
「何か気になるものでもあったかね?」
「いや、ただ人が多いなあと思って」
「ここは日本の首都じゃからな。その分ちと忙しないが」
「たしかに」
ストールを巻いたマダムも白髪混じりのミドルも、若い姉ちゃんもリュック背負った兄ちゃんもみんなせかせか歩いている。俺はこのパラサイト生活を日頃頑張っていたことへの御褒美休暇と思うことにしたので、多少の罪悪感はあれど濁った気持ちはない。皆さんお仕事ガンバ。
なんでもない話を挟みながら走ること十分。車はデパートの地下駐車場へと滑り込んだ。鳴き出したハカセの腹の虫をなだめるため、まずはレストランが並ぶ上階へ。アイくんの厳しいチェックが入ると予想されるので、ステーキやらトンカツやら唐揚げやらといったハイカロリーな食事は却下だ。無難にパスタとサラダを扱う店を選び、列の最後尾に並んだ。
「なあハカセ。ここって本屋も入ってるか?」
「本屋ならたしか二階にあったと思うが」
「じゃあ後でそこも行きたい。ニホン語が全く読めなくて不便なんだ」
現に今も予約帳(らしきもの)に名前が書けなくてハカセにパスしてしまったし。
どうもこの国の文字は種類が多過ぎる気がする。丸っこい二、三画程度の文字とぐちゃぐちゃして角張った文字が混ざり合い、特に後者は二つとして同じものは見ていないんじゃないかってくらい種類がある。
俺は軽い気持ちで何種類くらいあるのかとハカセに尋ねた。丸っこいのは『平仮名』という名前で四十八種類。角張った文字は『漢字』といい、なんと日常で使う分だけで二千種類を超え、難しい字も含めると五万種類、さらにひとつの漢字で読み方が二つも三つもあったりと正気の沙汰とは思えないような仕組みをしているらしい。ふざけてる。
「すまん、それ以外にも『片仮名』というものがあって……」
「狂ってる」
ニホン人は十年ほどかけて日常で使う漢字からある程度難しい漢字までを覚えるらしい。十年って。ふざけてる。俺は一カ月とこの国にいる気はねえんだぞ。
「まあその平仮名も明治までは統一されとらんで、千年ほど前には二百種類以上あったそうじゃがな」
「……ハカセ。俺のことからかって楽しい?」
「ほっほっほ。少しな」
まったく、お茶目なじいさんだこと。でもちょっと照れ臭そうにしてて可愛いから許す。
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