時計の短針が二の上を過ぎた。
起き上がり、借り物の寝間着から唯一の私服に着替える。入れるものはないがホルスターも回した。腰が軽くて落ち着かない。
地下室から一階への階段を静かに上がる。階段を上がってすぐの場所にはハカセとアイくんが寝ている。二人の寝顔をちょこっと眺めて、玄関で靴を回収。
屋上へ出る扉は少し重いから、音を避けて二階の窓を出口に選んだ。月は丁度雲に隠れている。風はあまりない。
窓枠に腰掛けて靴を履き、俺は夜の街へ飛び出した。
こうしてわざわざ夜中に抜け出して来たのには理由がある。俺を誘拐したと思われるシャルナーク=クソヤローの主なお仕事時間がこのくらいだからだ。昼間、念能力者を全く見かけなかったことが引っかかっているのもあり、俺はどうしても情報収集がしたかった。
裏の人間なら同じく深夜に活動しているかもしれないし、どっちかしら捕まえてちょこおっとオハナシできればいいな、というのが俺の希望。しかし希望と期待はまた別の話。正直、すぐに手がかりが見つかるとは思っちゃいねえさ。
深夜とあって街の明かりは少ない。高層ビルは赤色灯を残して沈黙しており、通りを外れると車のヘッドライトも街灯もない。通り過ぎた地区の中にはべろんべろんの酔っぱらいの踊るぎらぎらのネオン街もあったが、俺、というよりシャルナークの用があるとすればそちらではなく、こちらだろう。
「でけー美術館だな」
美術館、博物館、個人所蔵はピンキリで、意外と穴場なのが大学の研究室。クソヤローとそのお仲間のクズヤロー様方はこういうところがお好きですからね。特に夜の寝静まった時間帯がね。ホントあいつらの人間性疑うわ。
駐車場には美術館のロゴ入りの社用車と、警備員を乗せて来たらしい白のワゴン車があった。ブラインドの下りた美術館は外から見る限り静かなもんだ。
あいつらにはとにかく「お前らの仕事に俺を巻き込むな」と口を酸っぱくして言っていたので、手口は一切聞かされていない。聞かされていないが、翌日の朝刊に警備員全員惨殺だの凄惨な事件現場だの建物が全壊だのの文字が踊れば想像はつく。ホントあいつらの人間性疑う。
まあ、とりあえずだ。奴はここにはいない。
“絶”で移動。たまに“凝”で見る。夜は昼間と違って闇に紛れやすいのがいい。美術館や博物館だのは、道の案内板に数カ国語で記載されているのもいい。おかげでそれなりの数を回れた。
ビルの間やビルの上を飛ぶように移動し、違和感を探すこと約二時間。時刻は夜と朝の間の四時になった。もう少し経てば始発が動き始める時間だろう。今日はこの辺で切り上げだ。
「しっかしマジでいねえなあ。能力者狩りでもあったのかよ」
たしかに期待はしてなかったし、なんとなくこうなるような気もしてたけどさ。家へ帰るまでの燃料と称して買った缶コーヒーの苦いこと苦いこと。
まさか、この国にいると念が使えなくなるとか?
自分で自分を笑い飛ばそうとしてやめた。笑えねえよ。恐る恐る“発”を行って缶の中身を垂らすと、透明な液体に変わっていたのでほっと胸を撫で下ろす。味はコーヒーのまま。今のところ念は問題なく使えるらしい。けど、これからも定期的に確認した方がいいだろう。空き時間に瞑想でもするか。
そういえばアイくんは今日も学校っつってたな。帰ってきたら一緒に服を受け取りに行くから、その頃には家にいろとも言ってた。またスケボ少年連れて来てくんねえかなあ、スケボ付きで。昨日は気がついたときにはスバルもろとも帰っちまっててなんも話せなかったし。
そうやって取り留めのないことを考えていた。不思議と今の状況に不安がなかったからこその油断ともいえる。気を抜いて帰り道を歩いていて、朝ご飯は何にしようかと考えて、変わったエンジン音に何気なく顔を向けて、一歩目が遅れた。
「シャル、ナーク……?」
まだ日の出前だ。光源は疎らに並んだ街灯と、たまに通る対向車のヘッドライトくらいしかない。横を通り過ぎた一瞬だけだったから、暗い車内の顔ははっきりとは見えなかった。金髪の男。雰囲気があのクソヤローに似ていた。見えなかったんなら、見えるとこまで近づいて確かめりゃいい。
足にオーラを溜めて走り出す。法定速度をきっちり守って走っている車は目測で時速五十キロ。後ろにつけると運転手の頭が動いてバックミラーを確認するのが見えた。そして、速度が上がる。
俺から逃げようとかくっそ生意気、こいつ絶対シャルナーク! 間違いない! ぶっ殺す! お前には星の数に勝るとも劣らぬ恨みがある!
「おいこら待てクソストーカー野郎!! 今度はいくら貰って拉致りやがったてめえ!!」
このスピードでいつまでも走られたらさすがの俺でも持たない。後ろにぴったりつけてリアウイングをぼこぼこ叩くと車のケツが振られて払われてしまった。あり得ないんですけどー!
愛銃がありゃあタイヤ全部パンクさせて止めるところだが、残念ながらあれはハカセに預けたまま。なので更に強硬手段に出ることにした。一度離れて歩道から追い抜く。そして跳躍。完璧なまでの跳躍。寸分の狂いもない美しい跳躍だ。
「シャルナアアアアアク!!」
捻りを入れて跳んだ俺の体は、見事シャルナーク=アノヤローの車のボンネットに着地。さぞかし見ものな顔をしているんだろう。と、思っていたときもありました。運転席にいたのは確かに金髪でなんかいけ好かねえ顔した童顔野郎だった。でも決定的に違う。暗いから分かりにくいがこいつなんか黒い。
「えっ、誰……おぎゃあ!」
驚愕の表情も一瞬。俺から見て左に視線を走らせたと思ったらすぐさまブレーキと共にハンドルを切り、ボンネットで惚ける俺を振り落としてきた。いやこの所業シャルナークだろ絶対。
「だ、大丈夫ですか!? 怪我はありませんか!?」
人を振り落とした奴の台詞とは思えない。
「怪我はないですけど……」
「良かった。急に落ちて来たからびっくりしましたよ」
慌てて車から降りて来たのは、どことなくシャルナークと雰囲気の似ている金髪のイケメンだった。つまり敵だ。
ちらりと車を盗み見る。俺が着地した辺りのボンネットはものの見事に凹んでいた。これ弁償ってなったらいくらかかるんだろう。板金じゃ済まなさそうだよな、範囲広いし。パーツ交換プラス塗装なんてなったら払えねえ。ハカセに払ってもらうわけにもいかねえし。
金髪童顔野郎も俺の視線の意味に気づいたのか、ボンネットを見て苦笑を浮かべる。シャルナークじゃないと分かっていたらここまでするつもりはなかった。逃げるからシャルナークかと思った。というのは大分クズな言い訳なのでさすがに口にはしなかった。
深夜から早朝にかけての時間帯とはいえ、車の通りはゼロではない。クラクションを鳴らされ、男は慌てて車へと乗り込む。わずかなスペースで車の向きを直しているし、さっきのドリフトといい運転には自信があるのかもしれない。俺の知ってる方の金髪クソヤローはスピード狂の雑な運転だったから、やっぱり本当に人違いなんだな。こんなに似てるのに不思議。生理的に受け付けない辺りなんか他人とは思えねえレベルだぞ。
「お兄さん。お詫びに家まで送って行きますよ。乗ってください」
「いや別にそういうのいいんで……俺の方が絶対悪いし……」
「いろいろ話したいこともありますし。ね?」
「ははは……そうですね……」
いざとなったら殴って逃げよう。そうしよう。
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