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 アイくんは学校。ハカセは研究の合間の一服。俺は幼児向け書き取り帳と睨めっこ中。淀みなく動かしていた手を止め、額を抑えた。
 なんか、俺、お姉ちゃんの帰りをおじいちゃんとお留守番して待つ幼児みたい……。

「アービィくんも休憩にするかね?」
「そうするわ……」

 間にペンを挟んでノートを閉じると、ハカセは部屋の中央のキッチンで黄色のマグをひょいと掲げた。おかわりついでに俺の分もいれてくれるらしい。
 インスタントコーヒーの瓶と、シュガースティックの刺さった小瓶。後者には付箋が貼られている。1が二回並んでいるから、たぶん1回1本までとかそんな感じだろう。アイくんのチェックはこんなところにまで及ぶのか。

「どうじゃ、日本語はなんとかなりそうかね」
「とりあえず平仮名と片仮名は覚えた。ハカセとアイくんの名前も書けるぜー」

 “あがさはかせ” “はいばらあい”。カウンターに移動し、置きっぱなしにされていたメモ用紙とペンで二人の名前を書く。
 インスタントコーヒーに沈められたティースプーンが渦を描いて、スティックシュガーと共に差し出された。コーヒーは豆ならブラック、缶なら微糖、インスタントなら砂糖を一匙派。封を切って砂糖を流し込み、今度は逆回しに渦を描く。
 マグカップと交換にメモ用紙を受け取ったハカセは、俺の書いた文字を見て目元を緩ませた。

「一日で覚えるとはすごいのう! 上手く書けとるわい」
「だろ?」
「じゃが、わしの名前は“はかせ”ではなく“ひろし”じゃ。まあ漢字は一緒なんじゃが」

 平仮名の横に漢字でハカセの名前が書き足される。漢字を挟んで隣にはさらに“ひろし”の文字が。俺はそっと額を押さえた。

「出たよニホン語……。おんなじ字じゃん、どうやって読み分けるんだよ……」
「まあこれは日本人でも読み分けるのは難しいかの」
「ニホン語なのに?」
「奥が深いじゃろ」

 にんまり笑った顔は少年のような若さがある。見た目で言えば六十歳くらいに見えるハカセだが、あっちこっちに転がる表情がそこから十も二十も若返らせる。もっとも、俺のいた環境では軽く四半世紀ほど若く見える、なんてのもザラだったから見慣れていると言えば見慣れているのだが。念能力者ほど見た目があてにならない生き物もいない。こればっかりはどうしようもねえな。
 ハカセは俺が書いたアイくんの名前の横に漢字を並べると、ついでに俺の名前も書いて見せてくれた。ただし、平仮名ではなく片仮名。なんでハカセたちの名前は平仮名で俺の名前は片仮名なんだよ。使い分けのパターンが分からねえ。拗ねた下唇が自然と突き出た。

「ただいま」
「お邪魔しまーす」

 鍵を差し込む音、ドアノブの回る音、玄関が開いて二人分の音が入り込む。高い子供の声だ。振り返り、二人の姿を視界に収めた俺は思わず唇を引っ込めて笑顔を浮かべた。

「おかえり! おうおうスケボ少年! お前昨日いつの間にか帰っちまってんだもんよー、俺にも一声かけていけよな」
「ご、ごめんなさい。ところでスケボ少年って僕のこと?」
「うん」

 近寄って身を屈め、柔らかそうな頬を人差し指でつついていじめる。嫌そうに人差し指を握った手は小くて温かい。子供体温というやつか。
 扱いあぐねているらしい少年を無視して指を剥がし、今度は逆にこちらが手のひらごと握り込んでみた。やっぱり小さくて温かい。

「んで、スケボ少年は何しに来たんだ?」
「スケボ少年じゃないってば。僕、江戸川コナンって名前がちゃんとあるんだよ? あとこの手も離してほしいかなあって……」
「コナンかー。俺、アービィ=アイレな。アイくんも手貸してくんない?」
「嫌よ」
「嫌かー」

 ふにふにふに。手のひら、手の甲まで筋肉でコーティングされ、銃のまめ、たこで男を極めた俺の手とは大違いだ。猫の肉球を弄るような感覚。癖になりそう。
 察しのいいコナンは癖になる前に柔らかい手のひらを取り上げた。

 アイくんがコナンを連れて帰ってきたのには、きちんとした理由があった。これからお隣のクドー邸に俺の服を借りに行くことになっているのだが、そこの本来の主の奥さんの祖父の兄の娘のイトコの叔父の孫に当たるのがコナンらしいのである。遠いわ。
 合鍵を取り出すコナンと、腕を組んで気怠げに構えるアイくんの後ろで、洗濯籠を提げた俺というパーティが豪邸前に並ぶ。スバルは学校に行っているとかで留守だ。なぜかコナンが変な顔でこちらを見ていたが、俺にはその理由がとんと分からない。
 どうやらうちのリーダーはすでにマップを入手済みらしく、目的の部屋までの歩みに淀みはなかったし、ついでに勇者然とした容赦のない家捜しっぷりもいっそ清々しいくらいだった。

「置いてある服は全部好きにしていいって言われたけど、アービィさんが着れそうな服なんてあったかなあ」

 全開にされたクローゼットから、クイーンサイズのベッド目がけて服が飛ぶ。その中から紺色のシャツをアイくんに渡されたので、上着とTシャツを脱いで袖を通してみた。

「サイズはどう?」
「肩とおっぱいが苦しい」
「江戸川くん、ボタン付きのシャツは全滅みたいよ」
「はいはいはい……」

 コナンのこの怠そうな返事よな。旋毛辺りから「なんで俺が」という気配がびしばし飛んでくる。

「と……優作おじさん、あんまりカジュアルな服が得意じゃなかったから、襟付きかボタン付きの服ばっかりみたい」
「首締まんないです」
「だよねえ……」

 右手にYシャツ、左手にポロシャツを持ったコナンが肩を落とす。ベッドの上も似たような服ばかりで、サイズ確認のために半裸で待機している俺に優しくない結果となった。
 どうやらユーサクさんとやらは俺より細っこい体格のようだし、いっそ似たような背格好のスバルから拝借してしまえばいいのでは。丁度奴は留守だ。やるなら今だぞアイくん。
 しかし、その細い首が縦に振られることはなく。

「これ以上あんな格好の人間が増えるなんて嫌よ。見てるだけで暑苦しいじゃない」

 俺の提案はにべなく拒否され、ついでにスバルのファッションセンスにも軽く難癖つけられた気がするが、野郎同士のペアルックという大事故だけは免れた。結果オーライだ。俺は首を縦に振った。

「ちょっと! 遊んでないで少しは手伝ってよ! 誰の服探してると思ってるのさ!」
「ユーサクさんのだろ」
「そうだけどそうじゃない!」

 結局。
 段ボールに詰められたVネックやトレーナーを発見するまでに小一時間ほどかかってしまった。コナンがユーサクおじさんはカジュアルな服をあまり着ない、使用頻度の低い服は箪笥以外の場所にしまわれている可能性が高い、さらにそれは取り出しにくい場所にうんぬん、とぶつくさ言いながらようやく見つけたのである。
 その間、アイくんは窓の桟に指先を滑らせて「彼女もマメね」と姑ごっこをしてみたり、俺は放り出された服を家政婦よろしくせっせと畳んだりしていたので、決してサボっていたわけではない。女性への返事がイエス、マムしか許されないのはどこの国でも同じだ。

 戦利品のVネック、トレーナー、辛うじて着れたベスト、エトセトラ。それらを装備品の洗濯籠へ詰め込んで計一時間半の冒険の旅は終わりを迎えた。文字の練習がてらつけはじめた日記には、平仮名だけでこう記されている。
 “あしたはくぱんつがない”
 ユーサクさんのウエストが細すぎたのが悪いよね。



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