ハカセが研究室にこもり始めて一週間。待ちに待った日がやってきた。
「待たせたのう、アービィくん。ようやっと完成したぞい」
これはややくたびれた様子のハカセが昼食前に放った言葉である。俺は感動と興奮で熱くなった顔を覆った。いよいよターボエンジン付きスケボーとご対面かよー! 思わず愛と感謝と期待を込めてハカセの分だけ大盛りにしてしまったが、これは不可抗力だ。もちろんアイくんには内緒だよ。
ずっと俺のために、この俺のためだけに、ターボエンジン付きスケボーを作ってくれていたハカセ。それこそ寝る間を惜しんでの作業だった。コナンのスケボーをベースにするとはいえ、上に乗るものの重さと大きさが倍以上違うのだ。馬力を上げるだけでも相当大変だっただろうに、これだけの早さで仕事を終えたハカセは只者じゃない。
浮かれたまま昼食の焼き魚定食を掻き込むように食べ、久々に自前のジャケットを羽織った。腰には空のホルスター。アーミーブーツの紐を結べば気分も締まる。これで愛銃があれば最高だが、まあ我侭は言うまい。
支度を整えて玄関を飛び出すと、門の前にはスケボーを抱えたハカセが待っていた。
「ハカセー! それか!? それが俺のスケボーか!?」
「そうじゃとも。ほれ、ちと重いから気をつけなさい」
「うおおおお!」
差し出されたスケボーをそっと受け取る。コナンのものより二回りは大きく、カラーリングは黒と赤の色違い。大きいといっても十分携行できる重さだ。走行レベルはバイクと同等で、動力は太陽光。それが脇に抱えられる程度の大きさに収まっているのだから、この技術力には感服する。
「うおっほん。それでは、このスケボーについて説明するが、準備はいいかね?」
「ばっちりです!」
「よし。といっても、基本的な乗り方はコナンくんのものと同じじゃ。前に付いとるボタンがアクセルになっておる。ただ、アービィくんのスケボーは馬力を上げた分、念のためブレーキも付けたから注意しとくれ」
言われて見ると、たしかにアクセルとは別に赤いボタンが並んでいる。
「ブレーキは強く踏み込まんとかからんようにしてあるから、注意するんじゃぞ」
「なるほど。力加減は乗って確かめるか」
「位置や重さの調整はできるから、合わんようじゃったら遠慮なく言っとくれ」
「了解」
ひっくり返したり目を細めてみたりしながら眺めていたが、なんにせよまずはテスト走行だ。
アスファルトの上にスケボーを下ろし、両足を乗せる。バイクも車も免許も何もない自分の貴重な足、もとい相棒。車と併走できる自慢の俊足を持っているが、ハンターのいないこの国でおいそれと使うわけにはいかない。トールのことは忘れよう。
柔らかくアクセルを踏み込み、出足を掴む。コナンのスケボーに比べるとだいぶ緩やかな滑り出し。上体が置き去りにされることもない。
初動に問題がないことを確認してさらに踏み込み、加速。ちょっと走ってくると言った声はハカセにきちんと聞こえただろうか。平日の昼時で人通りのほとんどない住宅街だ。人や車といった障害物はなく、気分が高揚するに任せて加速、加速、加速。
景色が流れていく。剥き出しの肉体が耐えられるよう、ハンターとしての神経が開いていく。オーラが必要以上に溢れるのが自分でも分かる。いやだってこれ、めちゃくちゃわくわくする。
やがて、スケボーは住宅街を抜けて大通りへ。ここからはさすがに人も車も多くいるので、本当ならスピードを落として安全運転しなくてはならないところ……なのは頭では分かっているが、完全にストッパーが外れてハンターモードになってしまった俺は止まれない。このまま俺は風になる。
「ぐっはー! これシャルナークに自慢してやりてえ!」
減速せずにテールを叩いて先を浮かせ、オーラで補助してやれば停まっている車も飛び越せる。歩道を歩いていたご婦人が口をあんぐり開けてこちらを見上げていたので、お愛想程度に手を振っておいた。発射台があればバスの上にも乗れる自信があるな。やらねえけど。やりてえけど。
馬力はこちらが上だが、小回りに関してはコナンのスケボーに軍配が上がる。俺のスケボーはさながら重戦車。しかしバイクと違って両手が空くから俺の愛銃とも相性が良いんだよなあ。こいつに乗ってシャルナークの運転する車を煽ったら最高だと思う。我慢してトールの車でも煽るか。いやしかしあいつの車はスポーツカーだった。さすがに無理か。でもやりてえなあ。新しい相棒でやりたいことは次から次へと浮かんでくる。
ひとしきりはしゃぎ回って満足した俺は、緩やかな速度で住宅街へと戻ってきた。ブレーキの感覚も掴めたし、乗り心地は最高だし、ハカセはやっぱり最高だ。どんな言葉でこの気持ちを伝えようか、俺にどんなお礼ができるだろうか。そんなことを考え、鼻歌交じりに角を曲がったところで嫌なものが視界に飛び込んできた。
その光景が信じられず、悲鳴じみた声が喉を絞る。
「ハ、ハカセ……!」
俺が出たときと変わらぬ白衣のまま、塀に背を預けるようにして座り込む姿。投げ出された両手両足に力はない。スケボーから飛び降り、不必要にオーラのこもった足がアスファルトを踏み砕く。周囲に気を配る余裕はなかった。とにかく焦りばかりが走って、飛びつくようにハカセの肩を掴んだ。
「ハカセ! 大丈夫か!? 何があった!? どっか怪我とか、させ、られ……ん?」
ハカセの肺が萎み、胸が沈むと同時に盛大に響く音。そう、それはいびき。
しっかりとした呼吸が繰り返され、ついでに言えばたまに口がむにゃむにゃ動いている。つまりなんだ、寝てただけか。
安心した途端、体中の力が抜けた。よく考えずともハカセはここしばらく寝る間も惜しんで俺のスケボーを作ってくれていたんだ。そりゃあ寝落ちもするだろう。家の中に戻っていないのは単に力尽きたか、製作者として見届けようとしたか、あるいはその両方といったところか。なんにせよ、発作だの怪我だので倒れていたわけではなくて良かった良かった。
ぐっすり寝ているところを起こすのは偲びなく、俺はハカセを横抱きにして持ち上げた。スケボーはハカセのお腹の上。半開きになっていた門を軽く蹴って開け、玄関のドアもなんとか開けてハカセをベッドに下ろし、サンダルを脱がせて布団をかければ任務完了である。ついでにぽんぽんと胸を叩いたら心が満たされた。寝言が食べ物ばっかりなのは夕飯のリクエストのつもりなのだろうか。しかし、アイくんに即却下されそうなメニューばかりなので俺にはどうすることもできない。無力な俺を許してくれ。
ふと時計を見ると、針は二時半を指していた。そろそろアイくんの学校が終わる頃合いだ。試運転を兼ねてアイくんの迎えに行く旨を置き手紙に残し、再びスケボーに乗って家を出る。上手くいけば、コナンを捕まえてスケボー自慢ができるしで一石二鳥。どうもトールの名刺を見つけてから寄りつかなくなったようだが、あちらから来ないのならこちらから出向くだけの話。つまり逃げるだけ無駄。そう、そして時に人はこれを嫌がらせと呼ぶ。
「……それで、わざわざ小学校の近くまで来たわけ?」
「うん」
呆れ顔のコナンが深い溜め息をつく。アイくん、コナン、アユミちゃん、ミツヒコ、ゲンタの五人組を捕まえたのは、学校にほど近い公園前である。俺の姿を視界に捉えた瞬間、全身に緊張を走らせたコナンだったがスケボーの自慢を始めたら全てが溜め息に変わった。良いのか悪いのか分からない。
五人(というよりアユミちゃん、ミツヒコ、ゲンタの三人)も俺に用があったらしく、スケボーを抱えていない方の手を掴むなり公園のベンチまで引っ張られた。そしてランドセルから取り出されたのは一枚の新聞紙だ。目の前で広げられたそれは、一面いっぱいのスペースを取っているくせに簡素な文章しか載っていない。どうやら何かの広告らしい。ということしか分からない。
「じゃーん! これはキッドさんを捕まえる警備員募集の広告です!」
「力持ちなアービィさんならきっと合格できますよ!」
「その前にアービィ兄ちゃんにはこの暗号解いてもらわねーといけねーんだけどな!」
「暗号ぅ?」
アユミちゃんが広げた新聞を受け取り、端から端まで目を通す。よくあるクイズなら欄外に答えが載っていたりするが、当然これにはない。
キッドさんだの警備員だの、聞きたいことはいろいろあるが、その前にこいつらは大事なことを忘れちゃいないだろうか。
「暗号っつったって、俺はニホン語読めねえぞ。ニホン人じゃねえんだから」
「えー!? こんなに日本語ぺらぺらなのに!?」
「読み書きは勉強中。漢字はまだ読めねえの」
平仮名と片仮名は覚えたが、数のおかしい漢字はほぼノータッチ。前にアイくんに聞いてみたら“全ての漢字にルビが振られている漫画から入ったらどう?”との助言をもらったので、面白そうな漫画があったら読みたいとは思っている。それまで俺がここにいるか定かではないが。
早速問題以前の問題にぶち当たった俺への助け舟は、元気よく手を挙げたミツヒコから出た。
「じゃあ暗号は僕が読みます!」
「おう、そりゃ助かる。メモするから誰か紙とペン貸してくれ」
「それなら僕の手帳貸してあげるよ」
「サンキュー」
子供のくせにポケットから手帳とペンが出てくるなんて、コナンは相変わらず中身が子供らしくない。
空きのページを開いて渡された手帳に軽く試し書きをし、ペンを構えたところでミツヒコに合図を送った。
「準備オッケー」
「ごほん! えーと、まず、これは面接の場所と時間を示す暗号だそうです。それじゃあ読みますよ? “明後日、われた朝顔さく木にて待つ” 以上です!」
「……え、それだけ?」
「一応ヒントもあります。“時間厳守”だそうです」
「……それだけ?」
「それだけです」
ちょっとあまりにも俺に優しくないんですが。
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