赤光交わる黄昏



※ヤクザパロ


 広大な敷地に己の権勢を見せつけるかのように建てられた豪奢な母家とは正反対の、小ぢんまりとした離れ座敷の丸窓から見える景色だけが、十五の時からボルサリーノ世界のすべてだった。

 ボルサリーノの父親は、いわゆるヤクザ者だった。学はないが頭の回転が速くズル賢く強者に媚び諂うのが上手かった父は、組長に取り入ってそれなりの地位にいたらしい。らしい、と言うのも、父はボルサリーノと母には建設会社の役員などと宣い、まるで堅気のように振る舞っていたからだ。
 そんな父の正体を知ったのは、奴が組織の金を着服してこっそりと私腹を肥やしていたことを知り激怒した組長が若い衆を連れてボルサリーノたちの住む家に踏み込んできた時だ。夕食を食べ終え、居間で一家団欒の穏やかな時間を過ごしていたボルサリーノと母にとって、ヤクザの襲撃もお調子者の父がそのヤクザの一員であったこともまさに青天の霹靂。
 しかし、そんなことは無法者どもには関係のないこと。ボルサリーノたちは裸に剥かれ、父は目の前でガラの悪い男たちに殴る蹴る、果ては弄ぶように刃物で傷つけられ、安息の象徴であった居間を血で汚していく。ボルサリーノは母と一緒に正座をさせられ、父が拷問を受ける様子を見せつけられた。
母は「お金なら借金をしてでもお返しします、どうかお許しください」とボルサリーノの後頭部を掴んで床に押し付け組長に向かって土下座をして懇願した。だが、自分で命じた癖に場末のスナック歌手の下手な歌を聴いているかのように無感動な表情を浮かべる壮年の男は母を一瞥すると、

「金はこの際どうでもええ。それよりも、こいつはワシの信頼を裏切ったんじゃ……この世界、信頼が何よりも大事っちゅーんに、それを無碍にしたんはそっちやさかい……恨むんなら身の丈を弁えない業突張りの亭主を恨むんだな」

 そう嘲笑ったかと思うと控えていた部下の男を一人呼び寄せ、母を指差して「殺れ」と無慈悲に命じた。母はただでさえ青褪めていた肌を真っ白にさせ、先ほどの夫を想う妻とは打って変わり、髪を振り乱し父もボルサリーノも置いて我先に逃げようともがく。しかし、そんなことが許されるはずもなく、母は命令を受けた男にあっさりと捕まり、自慢だった艶やかな黒髪を乱暴に掴まれて父の前へと引き摺られていく。
既に父は甚振られて顔の原型を留めておらず、後処理の手間を省くためか腕も足も可動域を完全に超えた状態に折り畳まれていた。叫びすぎて喉が潰れてしまったのか、父ははくはくと血に染まった唇を動かすも声を発することはなく、か細い喘鳴がやけに耳に残った。
 母に馬乗りになった男は懐からドスを取り出して鞘から刀身を引き抜く。蛍光灯の褪せた白い光を受けてギラリと光るそれを見て、「ああ、自分たちは死ぬんだ」とボルサリーノはどこか他人事のように悟った。

「あんたのせいで────……っ!!」

 怨嗟の言葉を遮るように刃が一閃する。鋭いそれは母の白い喉元を切り裂き、断面から勢いよく血液が飛び散った。この出血量では助からないというのに、母の身体はなおも生にしがみつこうとバタン、バタンと床を蹴る。男たちは煙草を蒸しながら「掃除が大変じゃろうが」「どうせこの家も土地もうちの組のもんじゃ。家ごと潰しちまえばええ」と談笑しているのがひどく場違いに思えた。
 母が事切れると、血で濡れたドスを片手に男がボルサリーノの方へと向き直る。恐怖心を煽りたいのか、男はわざとゆっくりとした歩調で近づいてくる。
だが、ボルサリーノはそんな男を見ても「舞台じゃあるめぇ、勿体ぶるな」と内心呆れただけで、母のように取り乱すことも父のように泣き叫んで命乞いをする気もなかった。
 それは絶望的な状況で諦めの境地に立ったとか、反対に最期くらい男らしく気をしっかり持ったまま死のうと覚悟を決めたとかでは決してなく、偏にボルサリーノが空っぽだったからだ。生にも死にも……いや、この世のあらゆるものに執着しない、生まれた時からそういうだった。いや、もしかしたら人間の姿形をしているだけの異形なのかもしれない。なんて考えてみたが、どうせもうすぐ死ぬのだ。自分という人間の空虚さなど、どうでもいい。
 時間をかけてボルサリーノの前までやって来た男は、母にしたようにボルサリーノの髪を掴んで押し倒す。別に女好きではないが、最期に見るのが強面のヤクザのむさ苦しい顔面かと思うとため息をつきたくなる。
 ボルサリーノの心情など知る由もなく、男はドスを構えて首筋にあてがう。冷たい刃に身震いしながら『その時』を待つ。

「……待て」

 一思いにやってくれというボルサリーノの願いは、組長の一声により叶わなかった。家に押し入ってきた時からちゃぶ台を椅子代わりにして傍観していただけの男が、屈強な体を揺らしながら歩み寄ってくる。
ドスを携えた男は素早い動きでボルサリーノの上から退いて組長へと明け渡す。もしかしたら、今度は自分を拷問しようとしているのかもしれない。死への恐怖はないが、痛いのは疲れるから嫌だ。

「ほお……」

 組長はボルサリーノの顎を掴んで上を向かせると、思案顔でジロジロと舐め回すように観察する。次いで、厭な湿度を持った視線は生まれたままの姿のボルサリーノの裸身へと向けられた。成長期に入り若木の枝のようにしなやかに伸びた脚に指が数本欠けたならず者の大きな手が這った瞬間、ボルサリーノは初めて拙い、と冷や汗が背中を伝うのを感じた。
 そんな感情の変化に目敏く気づいたようで、組長はにい、と口角を上げて厭らしい笑みを浮かべる。ちらりと覗いた金歯の輝きが、母の命を奪った刃と重なって見えた。

「気に入った、お前はワシが面倒見ちゃる。なぁに、ワシはこう見えても優しい男じゃ。ええ子にしてりゃあ可愛がってやるけぇ……」

 表情や声色はやさしげだが、暗に自分に逆らったら殺すという脅し文句だ。
 もしボルサリーノに人間らしく気概があったなら、辱しめを受けるくらいなら死ぬと啖呵を切っただろうし、逆にどんな手を使ってでも生きてやると目の前の男に媚びを売っただろう。だが、この期に及んでボルサリーノの中にあったのは「どちらに転んでも自分にとっては同じ」という、どっちつかずな考えだった。

「ボルサリーノ。憶えとらんじゃろうがお前が生まれて間もない頃、そこに転がっとるお父ちゃんに連れられてワシのとこに挨拶に来とったのぉ……あの小猿そっくりだった赤ん坊がよくもまぁ、色っぽく育ったのぅ……」

 気味の悪い猫なで声で囁きながら、まるで関取のような巨躯が覆い被さってくる。舌で首筋を舐られ、我が物顔でボルサリーノの肌を撫でまわす感覚に全身に怖気が走る。思春期ではあるものの色恋にも興味がなく性欲も薄いボルサリーノだったが、この男が今ここで、自分を犯そうとしていることは理解できた。
 本能的な嫌悪感から思わず身を捩って頭を振ると、父を痛めつけていたはずの男たちが皆、手を止めてニヤニヤと醜悪な笑みを湛えてボルサリーノを注視していた。

「よそ見をするな」

「ぁ……!?ぐっ、ぅううう……ッ!!い、痛い、いたいィ……!!」

 悪意のある視線に気を取られていると、突如として身体を二つに割られるような、肉が無理矢理割り開かれる激痛がボルサリーノを襲う。息が思うようにできず、筋肉質な肩に手を置いて押し返そうとしたり、爪先で床を蹴って抵抗を試みたが、すべてねじ伏せられてしまった。
 その反応に気をよくしたのか、組長は腰を揺らして律動を始める。見慣れた居間にぐちゅり、と肉と粘膜が暴かれる音のアンバランスさがボルサリーノの意識を現実から乖離させていく。

「ひ、ぃ、あっ!い、たい、痛い、抜いて、抜けェ……!」

「何を言うちょる、こんなに締め付けとるくせに……ほれ、もっと気持ちようしてやろうか?」

「いやだ、いやだァ……!ひっ、あ、あ、ああー……ッ!!!」

乱暴に揺さぶられて視界がぶれ、力任せに激しく突き上げられ、結合部から血が流れ出す。だがそんなことには構わず、組員たちはボルサリーノの痴態を肴にして下卑た笑い声を上げていた。
やがて限界を迎えたらしい組長は、低く獣のように喉の奥で鳴いて動きを止める。同時に体内で何かが弾ける感触があり、ずるりと引き抜かれると、そこから生温かいものが溢れ出た。

「う、ぁ……あ……」

 尋常ではない痛みに抵抗する力を失った腕が床に落ちると、パシャリと水が跳ねる音が耳に届いた。鼻息を荒くして自身の身体を夢中で蹂躙する獣から逃れたくて音のした方へと顔を倒すと、辺り一面に水溜まりが出来ていて、自分はその上に横たわっているようだ。
 はて、どこからこれだけの量の水が溢れているのだろうと朦朧とした頭で考える。

「……、……、…………」

 不意に、視界の端に黒く光る何かを見たような気がした。地面に落ちた柿のように潰れたそこからこちらを見つめているのは父の真っ黒な眼で、この身を濡らしているのは母の鮮血だったのだ。

(あーあ……)

 母の死体のすぐ横で犯されている姿を父に見られていると自覚した途端、自分が堕ちるところまで堕ち、もう戻れなくなってしまったことを思い知った。

【改ページ】

 その後、宣言通りボルサリーノは組長────オオモリという名前で、この地域一帯を牛耳る大物ヤクザであることは後で知った────の情人となった。
 オオモリに犯されている最中にボルサリーノは気をやってしまい父がどのような最期を迎えたのかも、両親の亡骸の行方すらもわからずじまいとなってしまった。
 きっと、骨の一片すらもこの世に残されていないだろうことは予想がつく。オオモリの工作により、表向きボルサリーノたち親子は深夜未明の火事で全員焼け死んだことになっている。生きながらにして死人なんて、自分はどこまでどっちつかずなのかと笑けてしまう。
 あれから十一年。ボルサリーノはこの離れに囲われ、外界との接触は無いに等しかった。
 オオモリは気の向くままにこちらに赴いては好き放題ボルサリーノの身体を貪り、弄び、一通り満足すれば帰っていく。他にここに来るとすれば身の回りの世話を任されている年老いた婢と見張りの若衆、あとはボルサリーノを目の敵にしているオオモリの本妻が何かにつけて折檻という名の憂さ晴らしに来るぐらいだ。

 ────別に、今更逃げたりしねぇのに。案外臆病だねェ、あの人も。

 オオモリから逃げようなんて考えたこともなかった。ここにいれば食うのにも寝るのにも困らないし、学校には行かせてもらえなかったが本ならば望めばいくらでも買い与えてもらえた。オオモリと身体を重ねることも、慣れてしまえば工場の単純労働と同じ。相手が悦ぶように振る舞い、あえやかに声をあげ、全身を絡めて誘えばオオモリは満足する。
 時たま、身内の宴会の見世物として何人もの若衆に代わる代わる犯されるのはさすがに骨が折れたが、心を無にして嵐が過ぎ去るのを待つのは得意だった。
 そもそも、両親も死に世間からも親しい人からも死んだ人間として扱われているボルサリーノに頼る宛てなどない。だから、危険を冒してまでオオモリから逃げても自分にはなんの得もないのだ。

 ────まぁでも、こんな生活がいつまで続くかねェ……。

 ボルサリーノは今年で二十六歳になった。まだ未成年だったあの頃のような肌の柔らかさも中性的な声も子供特有の愛嬌もすっかりとなくなり、背丈ばかり縦に伸びた凡庸な大男へと成り果てた。
 正直、何故オオモリが今も自分をこんな場所に後生大事に囲っているのか理解できない。好色なあの男には若くて美しい妾なぞごまんといるはずなのだが、こうしてオオモリが傍に置いているのはボルサリーノだけだと折檻の最中に本妻が忌々しそうに吐き捨てていたから、確かな話だろう。
 組やオオモリ個人の情報か漏れるのを恐れている、という可能性はない。オオモリとは褥を共にした延長線で彼の頭を膝に乗せ、本で得た知識や物語を語り聞かせてやる程度の短い時間を過ごすだけで、ボルサリーノはオオモリの弱味だとか組の重大な情報だとか、そういったものは何も知らない。そもそも、要らないと判断した時点でボルサリーノを殺してしまえばいいだけの話しだ。
 考えてみたところでオオモリが自分をそばに置く理由はわからないが、このまま歳を重ねていけばいつかは飽きて捨てられるだろう。いや、それはもしかしたら今、瞬きをしてすぐかもしれない。
 パタン、と。読んでいた本を閉じて傍らに置く。物思いに耽っていて気づかなかったが、いつの間にか日がとっぷりと落ち、夕暮れの真っ赤な太陽も、もうあんなに遠くに行ってしまった。
 沈みゆく夕陽が誰かの後ろ姿に思えて、不意に沸いた寂寥感に思わず丸窓から手を伸ばす。すると、指先をやわらかい何かが掠めていく。

「そういえば、もう春だったねェー」

 定期的に庭師が手入れをしているだけあり、母屋の庭園と遜色ないくらいこちらの庭も立派なものだった。木々は艶のある葉を茂らせ、季節の草花が色とりどりの花弁や馥郁とした香りで自由の利かないボルサリーノを楽しませてくれる。その中でも一際目を惹くのが、この大きな桜の木だ。
 枝が垂れるほどに咲き誇る桜の花が、夜風に靡いてひらひらと舞っている。灯篭の僅かな灯りで浮かび光景は大変幻想的でうつくしく、胸を過っていた一抹の寂しさをやさしく拭い去ってくれた。

 ────不安になるなんてわっしらしくもねぇか……そうだ、景気付けに夕餉の後に酒を持ってこさせて花見酒でもしようかねェ〜。

 花弁でも浮かせたら風流だろうと、自身の思いつきを肯定しようと手の中に舞い込んできた薄桃色のそれに手を伸ばした刹那、まるで燃え盛る炎すらも呑み込んでしまうような熱のこもった強烈な視線を感じ、咄嗟に伸ばしかけた手を勢いよく引っこめる。ヤクザに囲われているとはいえ、オオモリと出会ったあの夜を除けば血生臭い世界とは縁のなかったボルサリーノは初めて殺意のようなものを向けられ、逃げることも大声を出して人を呼ぶこともせずその場でに硬直してしまった。
 身体は動かないがせめて視線の主がどこにいるのかを把握しようと、忙しなく目玉を動かして薄闇の庭を探る。先ほどまでは情緒溢れる雰囲気を醸し出していた灯篭のぼやけた光が、無機質な夜の闇を際立たせていた。

「っ……!」

 闇に眼が慣れたからだろうか。桜の木の下に佇む”それ”の存在を、ボルサリーノは唐突に認識した。
 若い男だった。ボルサリーノとそう歳が変わらない、下手をしたら年下かもしれない。短い角刈り頭に研ぎ澄まされた刃のように鋭い光を放つ目元、大きな口、角ばった男らしい顎の強面だったが、どこか若者特有の青さを感じさせる印象がそう思わせるのかもしれない。

 ────新入りの若衆……じゃあねぇよなァ……。

 以前オオモリから聞いたのだが、この地域のヤクザにはそれぞれ組の色というものがあるらしい。オオモリの組は山吹色で、構成員は皆どこかしらに組の色を身に纏っているから一目でわかるのだ。それに対して青年が身に着けているのは、よくある黒の背広に大の大人が着るにはややちぐはぐな印象を与える妙な花柄の描かれた赤いシャツだった。
 それに、オオモリは離れの見張りを決まった若衆たちに持ち回りでやらせていて、面子を入れ替える時はボルサリーノに一人一人の顔と名前を覚えさせる。万が一にでも侵入者を発見した時に備えての用心のためだろう。
 大親分であるオオモリの屋敷に……組の総本部に襲撃などそうそうあることではないのにと正直のところ呆れていたが、今こうしてどこの誰ともわからない不審な人物と鉢合わせているのだから笑えない。いや、そもそも普段ならボルサリーノが庭に出ただけですっ飛んでくる見張り役たちが、何故今に限って駆けつけないのか。結局のところ一番肝心な時に役立たずだ。オオモリも、見張りたちも、自分自身も。
 現実逃避のように心の内で自嘲しているボルサリーノのことなどお構いなしに、青年がゆっくりとこちらへと歩み寄ってくる。桜吹雪を背負って近づいてくる青年は、獲物に狙いを定める大型の肉食獣を思わせた。

「…………」

 ついに、青年とボルサリーノの間には壁一枚隔てただけ────それも、窓は相変わらず開け放したままなので、殆ど無いに等しかった────となった。
 間近で見る青年は、長身のボルサリーノとほとんど変わらない背丈をしていたが、衣服の上からも見て取れる分厚い筋肉を全身に纏っていた。鍛え上げられた肉体も見事だが、憮然とした表情を浮かべていても絵になる精悍な顔立ちは、ただそこに立っているだけにもかかわらず迫力と威圧感が凄まじい。

 ────こりゃァ、ドスやチャカなんか使わなくてもわっしのことを簡単に殺せそうだ。

 喧嘩の心得などなくてもわかる、この青年は強者だ。十年近く軟禁されているボルサリーノが抵抗したところで敵う相手ではない。
 最初からその気もないが、目の前の男が手練れとわかったボルサリーノは構えるだけ無駄だと悟り、大きく息を吐いて心を落ち着けて青年を見つめる。相変わらず物凄い圧を感じるが、ボルサリーノの中では恐怖心よりも久しぶりに目にする組の者以外の人間への好奇心の方が勝っていた。

 ────命なんか惜しくもねぇけど、どうせ殺すなら苦しませずに頼むよォ。

 と、伝わるわけもないのに視線に己の願望を含めて送る。
 二人の視線が混じり合った瞬間、鮮やかな火花が散ったような気がした。青年は何も喋らず、ただ灼き尽くすような熱い瞳でボルサリーノを捉えている。ほんの数秒のそれが、まるで永遠のように感じた。
 ぐい、と青年がボルサリーノの手首を掴んで己の方へと引き寄せた。気を抜いていたボルサリーノは、咄嗟のことにバランスを崩して青年の胸元へと倒れ込むが、長身の自分が寄りかかっても青年はまるで根の生えた大木のように揺らぐことなく受け止める。慌てて身体を離そうとしたが、腰にまわされた太い腕が許さないとばかりにボルサリーノを押さえつけてきて息が止まりそうだった。何とか逃れようともがいても、青年はびくともしない。

(あ……桜だ、)

 遠目からではわからなかったが、抱き寄せられて距離が縮まったことでシャツの間から見事に彫られた桜吹雪の刺青がわずかに覗いていることに気づく。きっとオオモリや他のヤクザ者がそうであるように、この青年の身体も刺青で覆われているのだろう。
 桜の木の下で出会い、桜を纏った精強な青年はこの世の者ざる危ういうつくしさでボルサリーノの圧倒する。
 自分はこの男に殺されるはずなのに、何故こんな抱擁じみた真似をしているのか。面と向かって抱き合うなど、オオモリとだってそうそうしないのに。どこの誰とも知らぬ男に抱きしめられている異様な状況もだが、触れ合った固い膚の感触や若々しい生命力に溢れたぬくもりにどこか安らぎを感じている自分自身がなによりも信じがたかった。
 トクトクと心臓が早鐘を打ち、日が落ちてからはまだ肌寒い季節だというのに顔が、全身が火照る。何故、こんな不可思議な反応を示しているのか自分でもわからなかったが、この青年に無様な姿を晒すのは恥ずかしいとだけは強く感じていた。彼から顔を背け、額を胸元に押しつけるようにして隠そうとすると、深爪気味の四角い指先がボルサリーノの顎を捉え、無理矢理顔を上げさせられる。

「おどれ……名はなんちゅうんじゃ」

 青年の大きな口が言葉を紡ぐと、唇がボルサリーノのものとぶつかってしまいそうになるほど距離が縮まっていた。彼の吐息が顔を撫でる感触にゾク、と甘い痺れが駆け巡り、肌が泡立つ。肌を嬲られる快楽を知った身体が情事の最中のような反応をしてしまいそうで、いやいやと首を緩く振って振り払おうと試みるも、むしろボルサリーノが逃げようとすればするほど青年は力尽くで捻じ伏せてそれを阻む。まるで躾のなってない犬に、誰が主人かを教え込むみたいに。

「……ボルサリーノ」

 観念して名前を教えると、青年は飴玉を味わうように何度もボルサリーノの名を呟く。たったそれだけのことなのに。何の変哲もない自分の名が一等特別なものに思えて、心臓がひどく擽ったい。
 まわされた腕は相変わらず力強くボルサリーノを拘束しているが、青年からは最初に感じたような敵意もこちらを害そうという素振りも感じられなかった。
 一体、彼は何者なのだろうか。こんなことがオオモリに知られたら、自分も青年もただでは済まなと分かっているのに、ボルサリーノはどうしようもなく目の前の男に惹かれていた。
 決して深入りはしない、だからせめて名前だけでも知りたい。そんな一心で口を開きかけた瞬間、母屋の方からドスドスと関取が練り歩いているような足音が段々と近づいてくることに気づいた。
 オオモリの足音だった。青年もそれに気づいたのか、俊敏な動きで音のする方へ振り向いた後、そっとボルサリーノから身体を離す。重なり合っていた肌が外気に触れ、寒さと名残惜しさで思わず身震いをする。やはり、ここでオオモリと鉢合わせるのは拙いのだろう。

「早く、裏から出なァ……手入れもされてない雑木林だけど、おめぇなら心配ないだろォ?」

「……っ、すまん」

 青年はそう短く答えると、背を向けてボルサリーノが指差した裏口の方へと向き直る。きっと、もう彼と会うことはないだろう。そう思うと、広い背中に縋りついてしまいたい衝動に駆られた。初対面の得体の知れない男相手に馬鹿げていると、頭の隅でもう一人の自分がせせ笑う。一緒に連れていってほしいと懇願したところで、世間知らずで年増のヤクザのイロなど彼にとってなんの役にも立ちはしない。それどころか、何人もいるうちの一人とはいえこの地域の一大勢力の頭であるオオモリの情人を寝取ったなどと有る事無い事情報が出回り、オオモリとその傘下の組を敵にまわすことになる。
 ボルサリーノは、この時初めてオオモリの情人になったことを後悔した。だが、今更悔やんだところで堅気に戻れるわけもない。青年の背中に伸ばしかけた己の手を既の所で押し留める。余計なことを口走ってしまわないよう、唇を噛んで遠ざかっていく青年の後ろ姿を見送った。

「サカズキ」

 屋敷を囲む塀に足をかけた青年が、ふと忘れ物を思い出したような仕草でこちらを振り返ったかと思えば、たった一言だけ言い残し、図体に似合わぬ軽やかな身のこなしで塀を乗り越え今度こそ姿が見えなくなってしまった。

「ボルサリーノ、おらんのか!」

 青年と入れ違いになるようにオオモリが座敷の中へと入ってくる。慌ててオオモリを迎え入れると、どうやら虫のいどころが悪いのか、顔を合わせるなりボルサリーノの腰に腕をまわして臀部や太腿を撫でまわしてくるので、当然ながらそんな気分ではないし、ここにあの青年がいたことに気づかれないように何とかオオモリの気を逸らせないかと思考を巡らせる。

「屋敷の方は随分と騒がしかったみたいだけど……なにかあったんで?」

 嘘だ。母屋の声などこの離れに聴こえてきたりなどしない。オオモリはヤクザの親分だが上に立つ者らしく度量も大きく、厳めしい風貌に反して感情のコントロールを徹底しているため、酔った時を除けばボルサリーノの前でこのような不機嫌な態度を晒すことは殆どない。酒の臭いもしないとなれば、考えられるのは仕事の方で余程自分の思い通りにならない出来事があったのだろう。
 そう予想を立ててカマをかけると、オオモリも気が立っているせいか訝しむ様子もなく存外あっさりと答えてくれた。

「ふん……最近、ワシらのシマで調子づいとる組があってなぁ……ここでシノギをするいうんなら、うちの傘下に入れとお話し合いをしとっただけじゃ。じゃが、あれはワシらを完全に舐めとるな。実力主義を掲げているらしいが、おめぇよりも若ぇ小便臭いガキを若頭なんてゆうて寄越しおって……」

 オオモリの言葉に思わず心臓が跳ねた。きっと、さっきの青年の……サカズキのことだろう。只者ではないだろうとは思っていたが、まさかあの若さで若頭だなんて、普通に考えればにわかには信じられない。だが、ボルサリーノは敵対組織の親分の屋敷を好き勝手にうろつくサカズキの豪胆さを目にしているので、妙に腑に落ちるところではあった。

(サカズキ、サカズキ……)

 心の中で確かめるように何度も彼の名を繰り返す。あの脈絡もないたった四文字の言葉が、彼の名前であることは直感的に理解できた。まだ言い慣れないそれを口にする度に、胸のあたりがじんわりとした熱を帯びていく。

「なに、お前はなんも心配せんでええ……」

 静かになったボルサリーノの様子を都合よく解釈したオオモリが、幼子の機嫌をとるような猫撫で声を出しながらじっとりとした手を着流しの隙間から差し入れる。オオモリがここに来たということは、そういうことだとわかりきっているはずなのに。目の前で大切な宝物を取り上げられたような、サカズキとのうつくしい出会いを醜く塗り潰されたような気がして、久しぶりにオオモリを憎いと感じた。

「あっ……ッ、んん…まってェ、そんな、急にィ……!」

身体中を這うオオモリの手つきがいやらしくて気持ち悪い。嫌悪感を隠すようにわざとらしく甘い声で喘いでみせれば、それに気をよくしたのかオオモリはますます調子に乗ってきた。
 オオモリの情人であるボルサリーノは、股を拓くのが役目と言っても過言ではない。だから、いつでもオオモリの気の向くままに身体を重ねられるように準備しておくのが習慣となっていた。
 今だって、玄関口でおっぱじめようとするオオモリをなんとか床の間まで誘導したものの、布団を敷く間すら許されず畳の上に押し倒され、前戯もおざなりに暴かれたというのに長い時間をかけて男の悦ばせ方を仕込まれた身体は気持ちとは裏腹にいとも簡単に雄を受け入れる。
 
「ひっ、あ、あぁ……ッ」

 十一年前、この男に飼われてから何度も何度も繰り返されてきた行為。もう生活の一部となった、慣れを通り越して飽きさえ感じていたはずのそれが、白昼夢に酔っていたボルサリーノを現実へと引き戻す。
 性感帯を責められ、生理的な快楽が否応なしに肉体を昂らせる。力任せに腰を揺さぶられ、剥き出しの肌がイグサと擦れてヒリヒリと痛む。

 ────あれは……サカズキと出会ったのは、夢だったのかなァ。

 痛みと快感からか、それとも現実からか。目の前のすべてから逃れようとボルサリーノはオオモリではない誰かに救いを求めるように虚空に手を伸ばす。すると、開け放しのままの障子からひらひらと桜の白い花弁が一枚、まるで意思を持っているかのようにボルサリーノの手の中へと舞い込んできた。
 その瞬間、脳が、身体が、一瞬の邂逅で刻みつけられたサカズキのぬくもりを、肌触を、声をボルサリーノに思い出させた。

「ぇ、あっ…!?や、ああぁぁ!ぁう、まってェ…だめ、まっ…おねが、ぁ、あぁッ!」

 ぶわりと火を点けたみたいに肌が熱を帯び、今までの無理矢理与えられた生理的な快感とは明らかに違う、精神をどろどろに甘く蕩かす深い深い快楽が脳天からボルサリーノを貫く。あまりの衝撃に目を見開き、呼吸の仕方を忘れた肺が酸素を求めてはくはくと動く。

「なんじゃ、今日はいつもより可愛い声を出しよる」

「あッ、んぅ……ひぃっ、やだァ、やだよォ……」

情事の最中も淡白なボルサリーノの反応が普段と違うことにオオモリも気づき興奮しているようで、肉壁を苛む動きはどんどんと激しくなっていく。オオモリは思わずといった風に息を飲むと、今度はゆっくりと確かめるようにボルサリーノの奥を突き上げる。途端、またあの甘い痺れがボルサリーノを襲う。

「ふゃ、んんっ、あぁッ!」

────これは、まずいかもしれない。

これ以上、サカズキを思い出してはいけない。そう思うほどに、一度自覚してしまった恋慕の情が溢れ出して止まらない。今までこんなふうに行為に溺れたことなどなかったボルサリーノは、自身の身体の変化についていけず、まるで生娘のように震えてオオモリの身体にしがみつくことしかできなかった。

「ふっ、あ、アァッ……!サ、……〜ッ!」

 朦朧とする意識の中、ついサカズキの名を口にしてしまいそうになるのをギリギリのところで飲み込む。しかし、かえってそれが自分が抱かれたいのはサカズキであると自覚し、目の前の似ても似つかない男がサカズキであったらなどと馬鹿げた夢想を抱いてしまった。
 叫びだしそうになるのをオオモリの肩口に嚙みついて誤魔化す。いっそ機嫌を損ねて殴り飛ばしてくれたらいい、そうすればこの気が狂いそうな快楽の渦から逃げ出せるのに。
 しかし、現実はそう上手くはいかない。血が滲むほど歯を立ててもオオモリは止まることはなく、むしろ小刻みになっていく抽挿に彼の絶頂が近いことが感覚でわかった。この状態で中に出されたら、自分はどうなってしまうのだろうか。

(サカズキ……ッ)

 もはやボルサリーノはオオモリのことなど眼中になく、馬鹿になった脳が都合のいい錯覚を見せる。サカズキに抱かれているという幻がボルサリーノを高みへと押し上げ、未知への恐怖と期待とで四肢が大きく戦慄く。
 きつく目を瞑って若々しい肌に刻まれた桜吹雪を思い出すと腹の奥がじん……と疼き、その疼きはやがて荒波のように激しい快楽をボルサリーノの身体に叩きつけた。

「ひうっ!?や、あっああッ〜!!?」

視界が激しく明滅すると同時に、びゅるっと勢いよく吐き出された白濁が互いの腹を汚した。それと同時に奥まで押し込まれた剛直がどくりと脈打ち、熱い飛沫を叩きつけられる。

「はァーっ、はァーっ…、…っ」

 どろりと生ぬるい粘液が内壁にへばりつくのを感じながら、ゆっくりと目蓋を上げる。力尽きたようにぐったりとボルサリーノの上に覆い被さっているのは、当然ながらサカズキではない。床の間に荒い息づかいが二つ、行き場を探してさまよっている。
 こうしてまじまじとオオモリのことを眺めるのなんて、随分久しいことのように思う。初めて出会った頃よりも年老いて、一線から退いて金勘定ばかりをするようになったせいか筋肉質だった巨躯は脂肪に塗れ、ぶよぶよと気色の悪い化生のようだ。

 ────そりゃあ、十一年も経ってんだ。老けるわけだ、この人も、わっしも……。

 突きつけられた現実に、あれほどこの身を苛んでいた熱が一気に引いていく。汗でぬかるんだ肌を大きな芋虫が這うようにオオモリの掌が撫ぜる感覚をどこか遠くに感じながら、抱いてほしいなどと贅沢は言わないから、もう一度サカズキに会いたいと心の内で願った。
 こんなにも何かを希ったことなど、子供の頃にだってありはしなかった。
桜の下で出会った男との再会を夢見て、ボルサリーノはゆっくりと意識を手離した。

【改ページ】

 結論からいえば、あれから半年以上の月日が流れた。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、そしてこうして冬に差し掛かっても。サカズキと再び相見えることはなかった。
 きっとオオモリはサカズキの組を取り込もうと圧力をかけたに違いない。組の傘下に入ったのならまたどこかで顔を合わせるかもしれないが、拒んだのなら今頃彼は無事ではないかもしれない。
 今まで組の事情なぞに興味を示してこなかったボルサリーノがサカズキのことをオオモリに聞くわけにもいかず、彼が来ているかもしれないと桜の木の下を探しては影も形もないことに落胆する、歯がゆい日々を送っていた。
 だが、一ヶ月、二ヶ月と時が経つにつれ、いつしかボルサリーノは期待するのをやめていた。もとより再会を交わしていたわけでもないし、たとえサカズキがオオモリ組に下っていたとしても今日まで会いに来なかったということは、つまりそういうことだろう。
 軟禁生活のボルサリーノにとっては久方ぶりに触れ合った外部の人間であるサカズキを特別に思っていても、サカズキは違う。偶々出会った敵対組織の親玉のイロなど、少し優しくして揶揄ってやっただけの些末な存在に過ぎない。きっともう、自分と会った時のことなど忘れているはずだ。

 ────こんなことでいつまでもウジウジと悩んだりするなんて、とんだ阿呆になっちまった。

 ボルサリーノは常日頃から時間を持て余しているが、こうしてオオモリに抱かれた後に寝つけないで暗闇でもがいている時間は特に思考が後ろ向きに沈んでいく。
 らしくもなく思い悩む自分を振り払おうと、胸の上に乗せられていたオオモリの太い腕を退け、ごろりと向きを変えて呑気に鼾を立てているオオモリに背を向ける。
 あれから抱かれる度に極まっていく肉体とは裏腹に心は虚しくなるばかりで、とうに割り切っていたはずの行為が苦痛で堪らなくなっていた。
 今まで苦悩や戸惑いとは対局にいたボルサリーノは、胸の内に渦巻く蟠りに苛立ち、そして畏れた。もうサカズキのことは忘れよう、忘れて元の自分に戻ろう。そう思えば思うほどにあの桜の如きうつくしい男はボルサリーノの中に色濃く居座り続ける。
 目蓋を強く閉じ、夢の中へと逃げ込もうと画策するもそう都合よく眠気はやってこない。
 布団の端で丸まっていると、遠くの方が妙に騒がしいような気がした。手負いの獣の唸り声に似た低い音が北風に乗ってボルサリーノの耳に届く。
 近所で酔っ払いが野良犬にでも追いかけられているのだろうか。そんなふうに最初は特に気にもとめていなかったが、唸り声に混じって何か硬い物同士がぶつかり合う音と、大きな破裂音。
 それが銃声であることに思い至った瞬間、ぞくりと背筋に冷たいものが奔る。
 反射的に身体を起こし、オオモリに声をかけるか外の様子を見に行くか迷っていると、オオモリの側近の一人が障子を突き破らんばかりの勢いで部屋の中に飛び込んできた。これには熟睡していたオオモリも何事かと飛び起き、顔を真っ赤にして無礼を働いた部下を怒鳴りつけようとしたが、尋常ではない様子に困惑を強めた。

「なんじゃ、お前ら、一体なにが……」

「はっ、はっ……!しゅ、襲撃です!!あいつらが……赤犬の奴らが来よって……、」

 パン、と乾いた音が響いたかと思うと、男の脳天から真っ赤な血飛沫が噴き出し障子を赤く染め上げた。突然のことに呆気に取られているボルサリーノと違い、襲撃者の手によって部下が物言わぬ死体と化したのを目の当たりにしたオオモリは枕元に置いていた拳銃を手に取るとボルサリーノの腕を掴み「何しとる、逃げるぞ」と部屋から出ようと立ち上がる。おそらく襲撃者はもうすぐそこまで迫っている。

「なんじゃあ、天下のオオモリ組の大将が尻尾巻いて逃げるつもりか?」

 庭の方は危険だと判断したオオモリが裏口から出ようと縁側から背を向けた瞬間、地の底から響くような低い声が鼓膜を震わす。ボルサリーノは思わず息を呑んだ。たった一言二言しか言葉を交わさなかったが、声の主が誰であるかすぐに理解したのだ。

「ぁ……、」

 ゆっくりと、後ろを振り返る。まるで舞台の演出かのように夜空を覆っていた分厚い雲が切れ、合間から月の白い光が地上を照らす。
 鍛え上げられた逞しい長駆、威圧感のある仏頂面、ヘンテコな柄の赤いシャツと、そこから覗く桜吹雪……ボルサリーノが焦がれて止まなかった男────サカズキの姿が確かにそこに在る。
 自分は夢でも見ているのではないか。目の前の光景が信じられずついサカズキに視線を注いでいると、オオモリに向けられていた視線がボルサリーノへと移り、二人の瞳が絡み合う。たったそれだけのことでボルサリーノの心も身体も甘く痺れ、場違いにふわふわと夢心地な気分へとさせた。

「貴様っ!いつからそこに……!!ッ、近寄るな!!こんの、青二才が!それ以上近づいたらドタマぶち抜くぞ!?」

 怒声が二人の再会に水を差す。オオモリは持っていた拳銃をこれ見よがしに構え、どうにかして襲撃者であるサカズキを退けようとする。しかし、サカズキは怯むどころか気にも留めていないといった涼しい顔のを崩さず、オオモリを一瞥することもなく長い脚で悠然と歩みを進める。
 図体ばかり大きいくせに、ぶるぶると震えながら虚勢を張っているオオモリと、銃を突きつけられても微塵も動揺していない堂々とした居住まいの佇まいのサカズキとでは、どちらが真の強者であるか火を見るよりも明らかだった。
 縁側を土足で上がり、物言わなくなった死体を跨いでサカズキが床の間へと踏み込む。甚振るような緩慢な速度であったのに、オオモリは完全にサカズキに気圧されているようで、引き金を引くことも逃げることもできずに立ち尽くしている。

「情けないのぅ……昔はオオモリといやぁ頭も切れる狂犬じゃと恐れられてきたっちゅうんに、今では札束を数えるだけのでっぷりと肥えた老いぼれとは、時の流れは残酷なもんじゃ」

 サカズキの嘲笑に、オオモリは赤を通り越して肌を青黒くさせて怒りに震えていた。二人の間にはもう二メートル程の距離しかない。いつオオモリの怒りが爆発するかもわからない状態で、この至近距離から発砲されたらさすがに危険なのではないかと、ボルサリーノは内心気が気でなかった。
 サカズキはオオモリと組を潰すためにやって来たのだろう。きっとオオモリは殺されるし、それを間近で目撃した自分も、消されるはずだ。
 だが、それでもよかった。このままオオモリに飼い殺しにされるにせよ、捨てられるにしろ、ボルサリーノにとってろくな未来ではないだろう。ボルサリーノとて死にたいわけではないが、どのみちここで全てが終わるというのなら、サカズキの手で終わらせてほしかった。

「舐めるなよ小便臭いガキがぁ!!わしはお前が糞垂れ流しにしとった頃からこの世界で鎬を削ってきとんじゃ……!!これ以上好き勝手できると思うなよ!!」

「!サカズキ……ッ!!」

 とうとう我慢ならなくなったのか、オオモリの太い指が引き金にかかる様がスローモーションのように見えた。咄嗟にその背中に手を伸ばして阻止しようとしたが、間に合わないことは自分が一番よく理解していた。
 パン、パンと。乾いた銃声が一発、二発、三発と続く。しかし、凶弾はそのどれもがサカズキの肉体に届くことはなかった。
 あれほど筋肉質で大柄だというのに、サカズキは仁王立ちの状態からまるで野生の肉食獣を思わせる俊敏な動きで姿勢を低くし初弾を避け、身を屈めたまま左に逸れて距離を詰め、背負っていた鞘から目にも留まらぬ速さで刀身を抜き取り鮮やかな手つきで拳銃を持っていたオオモリの右腕を切り落としたのだ。
 あまりに見事な太刀筋に、斬りつけられた本人でさえ飛んでいった腕が壁に当たって地に落ちたのを見てようやく攻撃されたことを理解するような、サカズキそのものを体現する強くも美しい一閃に、ボルサリーノは息が止まりそうなほど惹き付けられる。

「ぎっ、ぎゃあああ!!う、腕が……ッ!?ガ、ハァッ!!」

「ふん、ぎゃあぎゃあ煩いのぉ……エンコ詰めじゃと思って気合い入れんかい」

 片腕を失い動転したオオモリはその場で尻もちをつき、痛みと恐怖から畳の上をのたうちまわる。そんな無様としか言いようのない姿を、ゴミをみるような冷ややかな目で見下ろしながら、サカズキは容赦なく刃をオオモリの脂肪まみれの巨体へと突き立てていく。
 太腿、脇腹、二の腕、手足の指……急所はわざと外しているのかオオモリは苦痛に顔を歪め、はじめのうちは往生際悪くサカズキから逃れようと這いずり回っていたものの、次第にその気力も失い、転がったまま全身の傷から夥しい量の血液を垂れ流して痛みに喘いでいた。あの出血量では、たとえこの窮地を脱したところで助かる見込みはないだろう。
 放っておけばオオモリは死ぬと判断したのか、サカズキの視線は次の獲物────ボルサリーノへと向けられた。
 血で濡れた床を踏みしめ、サカズキがボルサリーノの元へと歩み寄る。あの時とは違い、床に座り込んでいる自分と、それを見下ろすサカズキは宛ら罪人と処刑人のようだ。尤も、ボルサリーノの心中は処刑を待つ罪人とは程遠かったが。
 
 ────返り血で汚れても男前だねェ……。

 屈強な肉体を血で染め刀を携えている姿は、昔本で読んだ戦の神のように獰猛で怖ろしく、そして強く心を奪われる。可能な限り最期の瞬間までこの瞳にサカズキを映していよう。ボルサリーノは近づいてくる彼の一挙手一投足をまんじりと見やる。相変わらずの仏頂面で不機嫌そうに見えるが、オオモリに向けられていたような侮蔑のこもった視線は感じなかった。

「ボルサリーノ」

 嗄れた低い声で自分の名を呼ぶと、サカズキは刀を鞘に納め膝を折ってボルサリーノと視線を合わせる。予想外の行動に小首を傾げて動向を見守っていると、鋭い双眸が真剣な眼差しで己の姿を捉える。

「もうじき、そこに転がっとる負け犬は死ぬ。そうしたらオオモリ組はのぅなくなるが……おどれはこれからどうするんじゃ?」

「どうする……?きみ、わっしのこと殺さないのかい?」

「……殺してほしいっちゅうんなら、そうしちゃる」

「そういうわけじゃねぇけどォ……」

 てっきりここで死ぬとばかり思っていたので、突然この後どうするのかなどと問いかけられ、ボルサリーノは口籠るほかなかった。戸籍もなく天涯孤独の身の上で、おまけに超がつく世間知らずだ。オオモリが死んだら、自分はどこに行けばよいのだろうか。帰る場所もない、頼れる人もいない、急に外の世界に投げ出されてまとも生きていけるかもわからない。
 答えに窮し黙り込むボルサリーノの心中を察したのかサカズキは徐に嵌めていた黒革の手袋を外し、大きな掌で包むように頬に添える。真冬だというのに熱を放つそれは、忘れかけていた逢瀬の記憶をボルサリーノの心と身体に鮮明に思い出させた。

「ボルサリーノ……自分がどうしたいのか、はっきりと言わんかい。このまま、オオモリの所有物として一緒にあの世までついてくのか、それとも……」

「わっしは……」

 鼓膜を震わす落ち着いた低音が、唇をなぞる指先が、一身に注がれる灼けるような視線が、毒のようにゆっくりとボルサリーノの全身に染み渡る。
 自分がどうしたいかなど、考えたこともなかった。他人にも家族にも自分自身にさえ頓着せず、唯一己の中にあった知識欲が満たされさえすればヤクザの情人でもなんでも構わないと本気で思っていた。
 両親の期待に沿うように適度に真面目に素行良く生き、交友関係で面倒が起こらないように自己主張もそこそこに愛想笑いを浮かべるだけで本音など誰にも話したこともなく、誰にも理解されなかったし理解させようともしなかった。
 誰かに自分のことを解ってほしいと思ったことがなかったのもある。他人のことを理解したいと思ったこともない。自分以外の人間は家族だ友人だ恋人だと人との繋がりを欲し育んでいく様を、ボルサリーノはいつも薄皮一枚隔てた、近いようでいて遠い場所から無感度に眺めているだけだった。
 興味を抱けないものはどうやっても仕方がないのだ。自分はこれから先もずっと、ただ曖昧に流されるまま生きていくはずだったのに。生まれて初めて、この胸を突き破って溢れだしてしまいそうな激しい感情がボルサリーノを突き動かす。
 答えは、ひとつしかなかった。

「きみと、一緒がいい……なんでもするから、サカズキのそばにいさせて、」

 言い終わらないうちに、獲物に喰らいつく獣のようにサカズキがボルサリーノの唇にかぶりつく。鋭い犬歯が薄い皮を掠め、滴る血液の鉄臭さすら愛おしく感じる。もっとサカズキの存在を感じたくて自分から舌を差し出すと、がぶりと甘噛みをされたかと思いきや、味わうようにねっとりと舐られる。お互い僅かな吐息すらも逃がすことを許さないとばかりに激しい応酬が続く。

「は、ぁ…っ…んんぅ……」

「ふ、……っ」

 体力がないボルサリーノはすぐに息があがってしまい、くちづけの心地よさと酸欠で頭が眩眩と酩酊していく。息苦しいが、決して嫌ではない。むしろ、ずっとこのままでいたいくらいだった。ボルサリーノがサカズキの首に腕をまわしたのを合図に、のしかかられるようにして畳に押し倒される。
 ピシャン、と水が跳ねる音がした。なんてことのないはずのそれが鼓膜を震わせた途端、熱に浮かされていたボルサリーノの心臓が、ドッドッと嫌な鼓動を刻み始めた。何を恐れることがある、と奥底に芽生えた恐怖に似た感情を振り払うために、縋っていた腕を解いて指先で畳に触れる。すると、ぬるりとどこか覚えのある不愉快な感触が纏わりつく。月明かりしか頼りがない部屋の中、ジッと凝視してそれがなんなのかを探る。
 ────血だ。

「ぼ……さ、りーの……」

 自分の名を呼ぶ声に視線を向ける。床に転がされ、今にも命が尽きそうになっているオオモリの真っ黒な瞳と目が合った瞬間、初めてこの男に犯されたあの夜の記憶が閃光のように脳裏に蘇り、釘付けになる。母の身体から流れ出した床一面の血の海、潰れた父の黒く虚ろな瞳。母の亡骸の横で、父に見せつけるように乱暴に身体を暴かれた。当時でさえ苦痛に思いこそすれ恐怖に慄いたりしなかったのに、何故今更になってこんなにも自分を苦しめるのだろうか。
 ここはオオモリの屋敷の離れなのか、それともボルサリーノの生家なのか。床の血は母のものなのか、自分を見つめるあの潰れた柿のような目は父?今、覆い被さっているのはオオモリか、それとも────……。
 頭の中で過去と現在の記憶が混在し、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまった。呼吸が段々と荒くなり、感覚が短くなっていくにつれて息苦しさが増していく。ただただ、この状況が怖くて堪らない、逃げ出したい。

「ボルサリーノ……よそ見などせんと、わしのことだけを見ちょれ」

 声と共に、硬い指先が顎を捉えてグイと向き引き寄せられる。そこには両親でもオオモリでもなく、ボルサリーノが初めて愛した男の顔があった。

「あ……さか、ずき……?」

「これからはわしがおどれの側におるけぇ、いつまでもあんなつまらん男に囚われるな」

 後頭部に手が添えられ、そっと胸板に押し付けられる。あたたかなぬくもりとゆっくり、力強く鼓動を刻む心臓の音がボルサリーノを縛っていたすべてを壊し、解き放ち、上塗りしていく。こんなふうに抱き締められるのは初めてサカズキと会ったあの時みたいだと自然と笑みが零れると、もうボルサリーノの震えは止まっていた。

「サカズキ……もっと、近くにきて……深いところまで、繋がりたいから」

 真紅に染まった畳に身を預けながら、両腕を広げてサカズキを求める。サカズキは目元を緩めてボルサリーノの唇をなぞると、再びくちづけを落としていく。先程とは違い、優しく丁寧に愛でるような動きに甘やかな震えが全身を駆け巡る。
 サカズキはふぅふぅと息があがっているボルサリーノの寝巻を肌蹴させ、露になった肌に皮の厚くなった硬い掌を這わせた。痩せて凹凸の少ない腹を撫で悪戯に臍を擽ってこそばゆさにボルサリーノが身を捩ったのを見計らい、まだ触れられてもいないのに期待に尖っている胸の先端を摘まむ。

「ぁっ……!ま、だめェ……!見ないでェ……っ」

「見んわけないじゃろうが……我慢することはないけぇ、全部わしに見せぇ」

「や、あぁっ!あ、ん…そ、な…強くしたらァ……!」

 普通の男であれば何も感じたりしないそこも、あらゆる色事を仕込まれてきたボルサリーノの身体は過敏に、愚直に反応を示してしまう。今更隠し通せるはずもないのに、はしたない自分の肉体をサカズキに見られることを恥じ、いやいやと首を振る。
 しかし、サカズキは手を止めるどころかニヤリと口角を上げ、首筋に舌を這わせながら痛みと快感の入り混じる絶妙な加減でぐりぐりと押しつぶしてみたり、爪を立ててみたり、抓ったりしてボルサリーノを追い詰めていく。真っ赤に充血しぷくりと大きく膨らんだ粒を手遊びのように弄られているだけで自身の花芯が張り詰め、蜜を零してしとどに濡れていくのがわかった。真綿で首を締めるような鈍い刺激がじわじわと下腹部に溜まり、じんじんと後孔を疼かせる。

「ふ、うぅ〜…っ、おねが…ッ!サカズキ、いれて、も…挿入てェ……!」

 このままでは胸だけで達してしまう。サカズキなど衣服を身に纏ったままだというのに、自分ばかり乱れるのはさすがに情けなさすぎる。胸を弄るサカズキの手を取り、人差し指と中指をまとめて咥え口淫をするかのようにわざとじゅぽじゅぽと音を立てて舐めしゃぶる。男らしい節くれだった太い指に舌を巻きつけ、付け根から爪の先を丁寧に舐め、指の腹に軽く嚙みついたり吸ったりを繰り返すうちに本当にサカズキのモノを咥えているような気持になってくる。
 煽るための行為なのに、サカズキはそれこそ犬がじゃれてきたのを眺めるみたいに目を細めているだけで、胸への愛撫は止まったものの中心には触れようとしない。

「う、うゥ……しゃかじゅきィ……ほひいよォ……」

 もどかしさから視界がじんわりと滲み、口の端からたらりと唾液が垂れる。だらしない顔を晒し、脚を大きく開き腰を揺らして先の行為を強請る姿はさぞかし滑稽だろう。欲しい、欲しいと譫言を繰り返して求め続けると、ようやく彼の中で何か満足いったのか、膝裏を掬われ胸についてしまいそうな程に折りたたまれ、捲れた寝巻からすでに濡れそぼった下腹部がサカズキの眼前に余すことなく晒された。

「なんじゃあ、下着も付けとらんのか?寝巻が濡れて台無しじゃのう」

「ひぃ、ああぁっ!あぅ、それェ、きもちィ…ッ!」

 揶揄い混じりの声と共に先端からとめどなく溢れてくる白いものの混ざった先走りを指の腹で掻き混ぜられて、直接的な鋭い快楽が焦れた肉体を苛む。待ち望んでいた刺激になりふり構わずよがるボルサリーノの痴態に気をよくしたようで、サカズキは絶頂に押し上げようと花芯を握り込んで擦り合わせ始めた。

「はぁ…はぁ……あぅっ、あっ、あっ…!…サカズキ、も、だめ、でる、でちゃうよォ……!」

 元々堪え性のないボルサリーノは、愛する男から受ける愛撫に抗うことはできず、押し寄せてくる快楽の波に背中や爪先をピンと反らして受け止めるほかなかった。

「わしは我慢するなと言うたけぇ……イけ、ボルサリーノ」

「ひっ……!イッ…うぁ…、あ゛あぁぁッ!」

 なけなしの理性が、サカズキのたったの一言で崩れ去っていく。下腹部に溜まっていた熱が一気に放たれる衝撃に四肢を投げ出して身悶える。下半身がじんじんとひどく痺れ、腰が抜けているのか震えが止まらず崩れ落ちそうになるのをサカズキが支えてくれていた。

「ちゃんと言うこと聞きよる、ええ子じゃ」

「ん、へへ……」

 年下のサカズキに幼子にするように褒められ、頭を撫でられる。ボルサリーノにまともな思考が残っていればこのような行為に恥ずかしさを感じただろうが、未だに絶頂の余韻は消えず頭はふわふわと霞んだまま、まともな思考を構築することは到底不可能で、サカズキから与えられるすべてを”イイこと”として受け入れてしまっていた。
 サカズキの胸元にすり、と頬を寄せて心地よい気だるさに惚けていると、先程ボルサリーノが出した白濁に塗れた指がそっと後孔の縁をなぞった。塗り込めるように何度か往復した後、つぷ、と躊躇いなく太い指が埋め込まれる。

「やわこいのぉ……慣らさんでもすぐに挿れられそうじゃわい」

「ッ、それはァ……あぁっ、ぅ、んん〜ッ…!だめ、急に、いっぱいィ〜……!」

「ほうか?腹ぁ空かした犬っころみたいに、よう食いついとるが……」

 ほんの数刻前にオオモリに抱かれた後孔は未だに緩く綻び、容易く侵入を許してしまう。遠慮なく増やされた三本の指がぐちぐちと水音を立てながら出し入れされ、擦られた肉壁が歓喜に打ち震えぎゅうぎゅうと食い締める。ぐるりと円を描くようにして掻き回して中を拡げられ、時折中で指先を曲げて泣き所を引っ掻かれると、腹の奥がカッと熱を帯て再び身体が火照っていく。

「ひ、うぅっ〜……っ、しょこ、きもちいい…ッ!や、ぁぁッ…そこばっかしたら、おかしくなるゥ…!あっ、あっ、アァッ、サカズキィ……」

 ボルサリーノの弱い部分を見つけると、サカズキは執拗にそこに指を押し込んでは啼き叫ぶボルサリーノの姿を楽しんでいるようだ。中の刺激だけで達することの出来る肉体は、射精を伴わない軽い絶頂を何度も繰り返す。精を吐き出せば治る雄の快感と違い、雌の快感には終わりも際限もない。しかし、これだけでも十分過ぎるほどに気持ちいいというのに、性に淡白だったはずのボルサリーノは物足りなさを感じていた。
 もっと深くまで、サカズキを感じたい。頭の中はそれでいっぱいだった。

「はぁ、ぁ…サカズキィ……わっしのなか、はやく、きてェ……」

 我慢できない、と囁くと、余裕を見せていたサカズキの瞳にぎらりと獣欲の色が灯る。
 噛みつくように唇を奪われ、咥内の粘膜を余すところなく舐りながらサカズキは器用に自身のスラックスの前を寛げる。激しいくちづけに酔いしれつつ視線を向けると、しっかりとエラの張った亀頭に赤黒くぼこりと血管の浮き出た幹の長大な怒張が天を衝くかのようにそそり立っているのが目に入り思わず息を飲む。自分以外の男のモノを見たのは初めてではないが、今まで見てきた男たちの誰よりも逞しく立派で畏れさえ感じる。

 ────あんなの、挿れられたら……狂っちまうかもォ……

 張り出た先端が後孔の縁にぴたりと押しつけられる。まるで自らの雄の強さを見せつけるかのように、今からこの剛直で犯すのだとわからせるかのように。ずりずりと熱の塊が上下する様に、ふるりと肢体が戦慄いたのは興奮か、恐怖か。

「ボルサリーノ……ええか?」

「うん……うん……っ!」

 雄の凶暴さとは裏腹にボルサリーノの許可を待つサカズキに胸を高鳴らせながら、ぎゅうぎゅうと抱き着いて続きを強請る。サカズキはボルサリーノの脚をしっかりと抱え直し、そのまま覆い被さる要領で怒張を後孔に突き入れた。

「くっ…ううぅ〜〜……ッ、はっ、はっ……お、おっきィ……!ん、ぐ、ぅぅ……!」

 柔らかく解され交合い慣れた身体のお陰か痛みはなかったが、その大きさと燃えるような熱さに先端を受け入れただけで呼吸が止まってしまいそうになり、息苦しさに喘ぐ。すべて挿れられてしまったら、四肢がバラバラになってしまうのではないかと本気で考え腰が引けそうになったが、同時に今まで自分を抱いてきた男たちがすべてサカズキで上塗りされたような気がして胸が熱くなっていた。
 サカズキは乱暴にすることなく、怒張がボルサリーノの中に馴染むまで根気よく待ってくれた。手荒にされるのに慣れていた自分には、その心遣いが擽ったくて愛おしい。

「ふぅっ、ふぅ…っ…サカズキ、も、大丈夫だからァ……動いて……?」

「……わかった」

 なんとか荒らげた呼吸を整えると、緊張が解けたのか圧迫感が幾らか和らいできた。サカズキは少し腰を引くと、勢いをつけて中に剛直を押し込める。太く硬い熱が肉壁を掻き分け進んでくる感覚にぞくぞくと快感が駆け巡り、待ち望んでいた熱を歓迎するかのように中が蠕動する。ボルサリーノの好反応に口角をあげ、サカズキは先程見つけた泣き所目掛けて腰を打ちつけてきた。

「ひいぃぃッ!や、あぁぁ!らめ、そこォ、ぁひっ…もっとォ……!」

「ふ……どっちなんじゃ」 

 最初は慣らすように遠慮がちだった抽挿が徐々に激しくなっていく。抜けてしまいそうなほど引き抜かれ、一気に突き入れられる度に硬く反り返った剛直の全身が前立腺をごりごりと穿ち擦りあげる。ボコリと段差のある亀頭で腹側の肉壁を引っ掛けるよう出し入れされると、神経が馬鹿になったのか目の前が白くなったり黒くなったりとハレーションを起こす。

「あ、がっ……!く、ひゅっ……ッ、アァッ…〜〜ッ…!おか、おかしくなりゅ、ッ、さかずき、わっし、こわれちゃ……あぁ、っ!サカズキィ〜〜……ッ」

「は……っ、この程度で壊れとったら、これからおどれはどうなってしまうんかのぉ……」

 そのまま心も身体も焼き切れて壊れてしまいそうになるのを、サカズキの広く筋肉質な背中に爪を立てて縋りつくことでどうにか意識を保とうとしているが、サカズキはまるでもっと狂ってしまえと言わんばかりに腰遣いを激しくしていく。サカズキは責める動きは止めないままにボルサリーノの両脚を肩に背負い腰が高いところまで浮き、覗き込めばサカズキのモノを咥えた後孔が見える体勢へと変えられる。
 徐に、ずろろ、と熱の塊が内側から出ていってしまう。行かないでと追い縋るように肉壁がヒクヒクと収縮を繰り返し、灼き尽くすかのような熱を失い腹が寂しさから切なく疼く。
どうして、と瞳で訴えかけると、サカズキは「そう焦らんでええ」くつくつと喉を鳴らして低く笑う。硬度を保ったままの怒張で後孔の縁を嬲り、その分厚い肉体の全体重をかけて覆い被さった。

 ────待って、これ、駄目…………、

 腹を突き破らんばかりに内蔵を、肉壁を押し上げた。
 痛みと快楽の瀬戸際で、強すぎる刺激に意識が飛んでしまいそうなほど感じ入る。脚を抱えられ上から押し潰すように犯されているボルサリーノに逃げ場などない。最奥の行き止まりを、先端でぐりぐりと捏ね回される。
 今までに経験したことのない未知の感覚に恐怖を感じ、必死になって制止の言葉を口にしようとするが上手く言葉にならない。
こんなの知らない、怖い。気持ちいい、怖い。このままでは本当に壊れてしまう────……。
 けれど、それを遥かに上回るほどの幸福感に満たされていく。
 もう何も考えられない。ボルサリーノはただひたすらに獣のように喘ぎ、悦びに浸っていた。

「あっ、ぁっ〜……〜〜〜!だめ、それェ、そぇっ、おく、そんなにしちゃ…ひゃうっ、さかっ、さかじゅぎ、ひぐっ、ぁああぁっ!!」

 身体の奥から湧き上がる快感に耐えきれず、ビクビクと身体が痙攣する。達している最中にも休むことなく怒張が抜き差しされ、絶頂から降りて来られない。
 余韻に浸る間も容赦なく突き上げられ続け、脳味噌を直接殴られているかの如く思考が弾け飛ぶ。身体の芯は熱いのに、外気に晒された陰茎は萎えることを忘れたかのように張り詰めたままだった。

「は、ひっ……っ、あぁあッ!イッてる、まだ、いっへぅ、ぅ、ぁあんッ!らめ、ま、またァ……!」

 ボルサリーノが射精を伴わない深い絶頂を極め続けているにも関わらず、サカズキは抽挿をやめようとしない。絶頂の最中に更なる快感を叩き込まれ、ボルサリーノは気が狂ってしまいそうだった。過ぎた快感にはらはらと涙が零れ落ちて頬を濡らす。
 すると、サカズキは身を屈めて舌先で優しく舐めとってくれる。口づけを落とされると、まるでまるで甘やかされているようで心地が良い。

「ボルサリーノ……ボルサリーノ……」

 サカズキは何度も名前を呼びながら、ボルサリーノの首筋に顔を埋めて強く吸い付き赤い痕を残していく。所有印を刻み込むかのような行為は、やがて血が滲むほど強く歯を立てて噛み跡を残す激しいものへと変わっていく。がぶりと噛みついてきたかと思えば傷跡を舌で優しい舐られ、痛いのか気持ちいいのかも曖昧になっていた。
 ふと、以前何かの書籍に書いてあった肉食動物は獲物を可愛いと思ってじゃれているうちにうっかり殺してしまう、という嘘か誠かわからない話を思い出す。真偽のほどは定かではないが、今の状況に似ている気がする。このまま愛された末に死んで食べられるなら本望だ。
ただ、その前に、彼にずっと伝えたかったことを言わなければ。

「サカズキ、すき、っ……好き……」

 サカズキの頬に手を添えて微笑みかけると、彼は僅かに目を見開いて驚いたような表情を浮かべる。

「ああ、わしも好いちょる」

 好きだと言われたことに照れているのか、サカズキは少し居心地が悪そうに目を逸らす。初めて見る人間らしい表情に嬉しくなって、思わず笑みが溢れる。血の海の真ん中だというのに、場違いなあたたかな空気が二人の間に流れる。そうしてサカズキと繋がったまま、どちらからともなく唇を重ねた。
 舌を絡めて唾液を交換し合い、お互いの存在を確かめるように深く繋がり合う。サカズキの熱を全身で感じて、ボルサリーノは幸せだった。それはこの瞬間のために、自分は今まで生きていたのだと本気で信じてしまうほどに。
 サカズキが腰を打ち付ける度に結合部からは淫猥な水音が響き渡り、肉がぶつかり合う乾いた音と混ざり合って耳まで犯してくる。

「あ、んっ、あぁっ、は、ぁ、ん……っ!」

 一際激しく中を突き上げられたと同時に、最奥で熱が弾ける。腹の中が焼けるように熱い。どくんどくんと脈打つたびに精液を流し込まれる感覚がボルサリーノを苛む。

「やっ、ぁっ、あぁ〜〜ッ!」

 最後の一滴まで搾り取るかのように内壁がきゅうっと収縮し、ボルサリーノは己の陰茎から透明な体液を勢いよく吹き出して絶頂を迎えた。
強い快楽をいっぺんに与えられそのまま意識を手放しそうになるが、サカズキが再び律動を始めたことで無理矢理引き戻される。
 一度果ててもなお硬度を保ったままの剛直が腸内で暴れ回り、ボルサリーノは休む間もなく快楽の海で溺れ続けた。

「はぁ……っ、ボルサリーノ……ボルサリーノ……っ」

 サカズキは獣のように荒々しく呼吸を繰り返し、ひたすらにボルサリーノの名を呼ぶ。強い意思の宿る彼の黒い瞳には、もうボルサリーノしか映っていないようだった。

「さか、ずき……ぁ、あっ……!ひぁっ、あぁぁっ!」

 最奥の壁を何度も穿たれ、ボルサリーノは壊れた玩具のように意味の無い母音を繰り返す。開きっぱなしになった口からは飲み込みきれなかった唾液が伝うが、それを拭う余裕など無かった。
 腹の奥でマグマが煮えたぎっているかのような感覚に襲われ、身体の芯から溶けてしまいそうなほどの熱さに頭がおかしくなりそうだ。
激しい腰遣いに何度も達し、精液を出し尽くして力なくサカズキの割れた腹筋と自分の腹の間でもみくちゃにされている陰茎が断続的に透明な液体を噴きこぼす。女の絶頂のみで高められた身体は、体力の限界とこれ迄で一番大きな極みを予感させた。

「っ、出すぞ……!」

「きてぇ……わっしのなかに、いっぱい、だしてェ……っ!ぁっ、あぁ〜〜……ッ」

 ごちゅ、と押し潰すように一際力強く突き入れたられ、怒張が最奥の肉の輪を抜け、グリグリと押しつけるように小刻みに擦りつけられる。低く熱っぽい唸り声が耳元で鼓膜を震わせた瞬間、熱い飛沫が叩きつけられた。身体の一番深いところで爆発が起きたかのように強烈な快感が駆け巡り、視界が真っ白に染まる。

「…………〜〜〜〜ッ、!」

 声にならない悲鳴を上げながら、ボルサリーノは盛大に潮を吹き上げて再び深い絶頂を迎える。どくどくと注がれるサカズキの欲望が、ボルサリーノの心も身体もすべて塗り替えていく。
 サカズキは時間をかけ、たっぷりとボルサリーノの中に子種をすべて吐き出し終えると、蓋をするように挿入したままボルサリーノを強く抱き締めた。

「あつい、あついィ……」

 胎の中を灼く精液の熱さを感じて、ボルサリーノはうっとりとした表情で譫言のように呟く。膨れた腹を愛おしげに撫でる手にサカズキのものが重ねられる。自分のものとは違うぬくもりが張り詰めていた精神を解きほぐし、ボルサリーノの意識を眠りへと誘う。

「無理はするな。眠っときんさい」

 甘やかすような声音でサカズキが囁く。しかし、ボルサリーノは今にも落ちてきそうな目蓋を必死にこじ開けて眠気に抗う。
あまりにしあわせすぎて、全部夢だったらどうしよう。目が醒めたら、サカズキはもういないかもしれない。そう思うと恐ろしくて堪らないのだ。
 こんなにもお互いが溶けて混ざり合ってしまいそうなほどの熱の交わりを知ってしまったら、もうこれまでのように一時の逢瀬の思い出を寄る辺にして生きるなど到底無理だ。

「まだ、大丈夫だから……、」

 そう言って脚を絡ませて続きを強請ろうとしたが、疲労と眠気で指の一本すらまともに動かせそうにもなかった。

「ボルサリーノ、これからはわしがそばにおるけぇ、もうなんも恐れる必要はない」

 幼子のようにぐずるボルサリーノを、サカズキが優しくあやすように抱きしめる。

「……わっしが起きた時、そばにいてくれる?」

「眠っとる間もそばにおる」

 サカズキは真剣そのものといった顔をしていて、その言葉に嘘はないように思えた。ボルサリーノは漸く安堵し、次に目覚めた時、彼が隣にいることを祈りながらゆっくりと目を閉じた。

■■■

 腕の中で安らかな寝息をたてているボルサリーノの、涙の跡が残る目元をそっと拭ってやる。
 彼の眠りを妨げないよう、屍が折り重なり、噎せ返るような血の臭いのする屋敷の中をゆっくりと慎重に歩みを進める。先程までは騒がしかったここも、今ではサカズキの組の者が淡々と後処理をしているだけで随分と静かだ。

「冷えるのう……」

 正面玄関から堂々と外に出ると、冷たい冬の空気がキンと肌を刺す。吐いた息は薄白に染まり、吸い込んだ冷気は内側から凍りついてしまいそうなほどだ。自分のジャケットを羽織らせているとはいえ、寝巻きのボルサリーノにこの寒さは酷だろう。
 もっと厚着をさせてやるべきだったと舌打ちをしていると、見慣れた黒塗りの車が目の前に停まった。運転席から組の若衆が出てくると頭を下げて後部座席のドアを開ける。

「迎え、呼んどきましたよ」

 そう声を掛けてきたのは、組に入った時からやけにサカズキに懐いてきた部下のアラマキだった。
 返り血で汚れたのか、単に趣味なのか。襲撃前は着ていたはずのシャツを脱ぎ捨て上半身裸のアラマキは得意げな笑みを浮かべてサカズキの隣に立つ。

「……ご苦労」

「いえいえ、他ならぬサカズキさんのためですからね。さ、冷えるから中へどーぞ」

「おう」

 起こさないよう細心の注意を払ってボルサリーノを後部座席に座らせ、自らも車内に乗り込む。すると、何故かアラマキも反対のドアから後ろへ乗り込んできた。

「……アラマキ、助手席が空いとろうが」

「らはは!そう邪険にしないでくれよ。サカズキさんがお楽しみの間、俺一人でカチコミ仕切ってたんだぜ?」

「バカタレ、おどれはそれぐらい屁でもないじゃろうが。いつまでもわしの下で遊んでないでさっさと自分の組作って独立しろ言うてるんに……」

「まぁ、その話はまた今度ってことで……」

 サカズキを慕ってくる割にはこちらの言うことを聞きやしないアラマキは強引に話を切り上げると、徐に眠っているボルサリーノの顔を覗き込む。顎を掴み、値踏みするように矯めつ眇めつ様に眉を顰める。

「へぇ……別嬪さんだな」

「…………アラマキ」

 ボルサリーノの肩を抱いて自分の方へと引き寄せてアラマキから遠ざける。きつく睨みつけると、アラマキは事実を言っただけなのに、と微塵も怯まずにけたけた笑いながら受け流した。
 その小憎たらしい態度に苛立ちを覚えながら、バックミラー越しに運転席に座る若衆に車を出すよう促す。サカズキたちを乗せた車はゆっくりと走り出し、血の匂いが立ち込めるオオモリの屋敷から遠ざかっていく。先ほどの情事の際にかいた汗で湿ったボルサリーノの髪を撫でつけつつ視線を窓の外へと向けると、視界に白いものがちらつく。

 ────雪か……どうりで冷えるわけじゃな。

 深々と降り積もる雪も、凍えるような冷たい空気も嫌いだ。サカズキとはとことん反目し合う男を思い起こさせて気に食わない。しかし、今日の雪は不思議と悪い気はしなかった。初めてボルサリーノと出会った時、庭に吹雪いていた桜の花弁に似ているからだろうか。
 あの日、サカズキを若造と侮って舐めた態度で傘下に入れと恫喝してくるオオモリに腸が煮えくり返るような怒りを覚えながらも、挑発に乗っては相手の思う壺と自身を戒めてその場を切り抜けたまではよかった。だが、このまま帰るのではあまりにも癪に思えて、ふとオオモリが囲っているという情人のことを思い出した。オオモリは好色で有名だったが、中でも自慢の本邸に住まわせている若い男のイロに相当入れあげていると、事前の調査でわかっていた。いずれオオモリ組は自分が潰すつもりだ。オオモリの弱点になり得るなら顔や居場所くらい知っていた方が後々何かに活きるかもしれない。その程度の軽い気持ちだった。
 ここ数十年この地域一帯を牛耳り、自分たちに敵う者などいないと驕り高ぶって金儲けに固執し堕落しきったオオモリ組の組員の目を搔い潜って屋敷の中を見て回るなど、若頭になった今も最前線で切った張ったの大立ち回りを見せるサカズキにとっては造作もない。
 炊事場で噂話をネタに盛り上がる女中たちの会話から例のイロが離れで暮らしているという情報を得ると、人目につかぬよう速足で離れを目指す。いつの間にか日がとっぷりと落ち、夕暮れの真っ赤な太陽が、すっかりと遠くに行ってしまっていた。
 離れは母屋に比べたらこぢんまりとしていたが、手入れの行き届いた庭の木々や花々に囲まれていて、華美に飾り立てた豪奢さよりもずっと趣味のいいように思えた。
 大柄なサカズキが隠れても有り余るほど立派な桜の木に身を隠して外から様子を窺ってみたが、座敷には灯りもついていない様子だった。話によれば十数年もの間軟禁状態ならしいので、留守にしているとは考えにくい。
 辺りは薄闇に包まれ、人の見分けもつきにくい。庭に置かれた灯篭のぼんやりとした灯りだけが頼りなのがどうにも心もとなく、これは空振りだなと諦めかけたその時、ざぁっと強い風が吹いた。
 陣風は豊かに咲き誇っていた桜の花弁を天へと巻き上げ、見事な桜吹雪を魅せた。目の前を舞う白い花弁に暫しの間見惚れていたサカズキがなんとなしに視線を離れ座敷へと戻すと、思わずハッと息を呑んだ。
 丸窓のそばに長身瘦躯の男が佇んでていた。日が沈みどんどん闇が深まっているというのに、不思議なことにその男の姿だけまるで彼自身が薄く発光しているかのようにはっきりと見て取れた。
 立場上接待もよく受けるため、それなりに美男美女を見てきて目が肥えている。佇む男も確かに造形は整っているが、目を見張る美青年というわけではない。しかし、どこか遠くを見つめる憂いを帯びた瞳や物寂しいげな雰囲気が羽衣を隠された天女のように人間ではない神秘的な生き物のような。庇護欲と支配欲を同時に抱かせる浮世離れした危うい魅力を感じさせた。
助けを求めるように伸ばされた彼の白く娜な腕を目に入れた瞬間、彼は他でもないこの自分を求めているのだと。今すぐその手を取って攫ってしまいたいと普段の冷静なサカズキらしくない衝動に駆られた。
 なんとか理性で一歩踏みとどまったものの、人を呼ばれる危険が多大にあったにも関わらずサカズキは彼────ボルサリーノに接触していた。軽率だとは解っていたいたが、ボルサリーノの瞳に己の姿が映っているのを間近で見た途端、自分は間違っていなかったと手の平を返した。
 時間にすれば十分にも満たない刹那の逢瀬だったが、それだけで十分だった。オオモリの屋敷を後にして帰路についている最中、サカズキはある思いを強く心に決めていた。
 ────オオモリからボルサリーノを奪おう、と。しかし、ただのサカズキの情人としてではない。組でやっていけるように教育し、経験を積ませて、そして自分の側に置くのだ。サカズキはボルサリーノの肉体だけではなくそのすべてを求めている。ボルサリーノという人間は己の隣に立つために生まれてきたのだと、サカズキの側にある限り最大限の輝きを発揮しなければならないと信じて疑わなかった。
 ぬくもりを求めてか、ボルサリーノがサカズキの胸元に頬を擦り付けてくる。甘えた仕草に愛らしさを覚えつつ、地獄から抜け出したつもりがまた新たな地獄に落ちるだけと知った時、ボルサリーノはどんな顔をするだろうと夢想する。

 ────嫌だと泣き叫んだとしても、もう離すつもりもないがのう。

 蜘蛛の糸はすべて自分が斬り落とす。サカズキ以外を求めないよう、仏すらも殺してみせる。そうして地獄の底に堕ちてきたボルサリーノを抱きとめてやるのだ。
 ボルサリーノの手を握ると、ひんやりと冷えた皮膚がじわじわとサカズキの体温と混じって熱を孕んでいく。この熱がいつか混ざり合い、すべてを灼き尽くす業火のように燃え盛ればいい。
 サカズキの抱く苛烈な願望など誰も知る由もなく、昏々と眠るボルサリーノを乗せて夜道を駆けていった────……。

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